トーキング・マイノリティ

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クリスチャンから見たインカ帝国 その一

2012-07-23 21:10:28 | 歴史諸随想

 前回インカ帝国特別展について書いたが、南米の先史文明を壊滅させ、大虐殺と略奪の先兵となったのがコンキスタドールと呼ばれたスペイン人征服者たちである。そのコンキスタドールへの日本のクリスチャンの見方について、実に興味深いブログコメントがあった。タイトルもそのまま「コンキスタドール」、中世と変化ないキリスト教狂信者の歴史観には心底背筋が寒くなる。

いつだか狂信的クリスチャンたちにコンキスタドールの話をしたら、私の言っている「クリスチャンの蛮行」とは一部の例外を針小棒大に騒いでいるだけで、実際はコンキスタドールは善行ばかりした、でなければ中南米やフィリピン等がキリスト教化されるなんてありえない、と騒ぎ出しました。
 中には、「クリスチャンが行った虐殺」とは現地の悪しき権力者を放逐するためにやむを得ず行ったものだ、とか、日本もコンキスタドールに攻めてもらえば良かったのにね、と言い出す輩もいました。私の発言は、例の福音派のM牧師やKGK(キリスト者学生会(Kirisutosha Gakusei Kai)の頭文字を取った略称、福音主義)の主事に報告され、秘かに宗教裁判も開催されました。

 その後、私は、戦後の日本でGHQ庇護の下で宣教活動を行った(GHQが日本に連れてきた)アメリカ人宣教師の相当数が戦時中は対日諜報活動を行っていた(そして、恐らくは戦後はCIAのエージェントであった)ことを知りましたが、この証拠を集めた出版物を彼らに突き付けたら、どうなったでしょうか?
 恐らくは、本を開かずに一笑に付すだけでしょう。彼らとはまともな議論が成立しないのです。彼らは、キリスト教に少しでも都合の悪い情報は、まったく検証することなしに、悪魔の作った偽情報として捉えます。「御目出度い」という言葉が彼らにはお似合いです。(2012-05-06(日)17:23)巨大虎猫

 巨大虎猫さんはクリスチャンホームで生まれ育ったボーン・クリスチャンだが、成人した後に棄教され、キリスト教関連のブログで自分の体験談を語っている。彼の学生時代の様々な体験は他の棄教者さんも驚いていたし、まして私のような異教徒には日本人クリスチャンの中には現代人とは到底思えない連中がいることを初めて知った。巨大虎猫さんは拙ブログでも「教会との決別は難しい…」という題で、以下の書込みをしている。

例えば、国際紛争の本を愛読していることをあるクリスチャンから「そんなことを意識する輩がいるから、いつまでたっても世界から戦争がなくならないんだよ!」と罵られたので、「じゃあ、まともな武器も軍隊も持たずにキリスト教のコンキスタドールにほとんど一方的に虐殺されまくった中南米の先住民は何なの?国際社会で生きて行こうとする者にとって、この問題は重要なことではないのか?」と言い返したら、そのクリスチャンは「紛争地に『援助活動』とやらに行ってくたばっちまえ!」と喚いていました。

 他のクリスチャンたちも「祈りによらずに人間の力で問題を解決したがる」私が完全に間違っている、と言い出し、更には「中南米の宣教活動に命をかけた人たち」を殺人鬼や掠奪者と考える私の歴史観は狂っている、と言い出しました。他にもまだまだあります。
 クリスチャンは教会の矛盾に悩みながらも、「教会を去ったり棄教したりすると地獄に行く」と信じ込まされているので、なかなか教会と縁が切れないものです。しかし、私の場合、キリスト教の成立史を詳しく勉強している中に、キリスト教が信じられなくなりました。やはりキリスト教も人間が作った社会制度の一つにすぎないのです(2012-03-20 14:04)

 他宗教と同じくキリスト教も様々な宗派があり、新教でもカトリックのコンキスタドールを上記のように評価していたのだから、驚愕させられた。ならば旧教徒ならばこれほど露骨ではなくとも、内心は南米のキリスト教化を礼賛しているのは想像が付く。
 あるカトリックブロガーが、「植民地での欧米人キリスト教徒の蛮行は、イエスの教えを忘れてしまっただけ」「聖書には武力でキリスト教を広めよとは書いていない」と述べていたが、次の聖書の文句から全くの詭弁に過ぎない。そして聖書は宣教での武力禁止を明記していない。 この意味でコンキスタドールたちは聖書の教えに忠実と言える。

地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなくつるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。(マタイによる福音書10:34-37)
わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。(ルカによる福音書12:49)
その二に続く

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