私が子供の頃、父が薦めてくれた本に『はだかの日本史』がある。著者の樋口清之 教授はベストセラー『梅干と日本刀』も書いている。『はだかの~』は昭和51(1976)年に出版されているが、今読み返しても面白い。
まず第一部の冒頭で、平安貴族生活の実態がどのようなものだったか書かれている。源氏物語のイメージどおり平安貴族は華やかで優雅な暮しをしていたと思わ れがちだが、樋口教授はそれを否定する。儀式用の晴れのものを除いてごく貧弱で、たとえ高位高官の貴族であっても、現代の庶民とは比較にならぬ貧しさだっ たという。
樋口氏は源氏物語に入浴に関する記述が少しもないことを挙げ、当時はまだ暑い湯船に入る習慣がなかったのを指摘する。平安貴族の入浴 は蒸気で蒸す一種のサウナ風呂であり、また素肌では火傷するため麻のひとえを着て入った。この着物が湯帷子、つまり浴衣の元祖だった。さらに座る時には尻 の下に布を敷く、これがそもそも風呂敷だった。このサウナ風呂を貴族たちは健康維持のため盛んに用いた。現代のような湯船に入るようになったのは16世紀 頃からだそうな。
だが、サウナでは清潔な肌は保てるはずがない。たとえば枕草子にこんな記述がある。「唐衣にしろいものうつりて、まだ らにならんかし」、要するに風呂に入らないから首筋がアカまみれであって、淑女の襟足に付いた白粉がはね上がり唐衣の襟についてまだらになって見苦しいと のことで、清少納言ならずとも興ざめだ。
肌が汚れているから天然痘や疥癬で死ぬのも珍しくなかったのだ。『日本疾病史』によると、皮膚病による 死亡率は十%もあったという。入浴しないなら肌が汚くなるばかりでなく、悪臭も放つ。そこで貴族は香を焚くことになる。着物ばかりでなく部屋にも焚くが、 便器である樋箱すら室内に置かれていたから、優雅な風習よりも消臭のための実用第一だった。現代流行のアロマセラピーとは違う。
何度も映画やTV化される源氏物語の粋なプレイボーイ光源氏がアカまみれだったとは、実に非ロマンチックだ。
さらに樋口氏は帝の悩みが栄養失調だったことも書いている。平安貴族の記録によると肺結核が55%、脚気が20%という高い死亡率を示していた。これらは栄養失調系の疾患なので、当時の食生活の貧しさを証明しているのだ。
貴族たちは一体何を食べていたのかというと、初期は別として後世には四つ足の動物はタプーとなっていたから、動物性の食べ物はほとんど魚の干物に限られていた。あとは海草や植物性のものだけだった。
天皇の食膳に上る食べ物は法で決められていたが、調理法は未発達で栄養面はかなり問題だった。例えばイカやアワビ、鯛がお膳に出ても、それらは刺身や煮物 ではなくもっぱら干物なのだ。当時の天皇は現代の庶民のように刺身を口に出来なかったのはお気の毒だ。主食の飯物というのがもち米の玄米を蒸したもので、 カロリーは高いにせよ運動不足気味の貴族には、これほど消化不良のものはなかった。
せっかく栄養価の高い食物に恵まれながら調理法が低劣なのと運動不足のうえ日光に当たらないため、消化吸収の能率は著しく低くビタミンは偏在し、天皇以下そろって栄養失調になってしまった。これが彼らの食生活の実態である。
平安貴族は栄養失調で無気力になり、迷信に凝り固まって没落したと樋口氏は言う。都の貴族と違い、自由にものを食べていた武家の台頭には栄養の差、つまり健康も大きな原因と指摘されるので、やはりいつの時代も正しい食事が望ましい。
■参考:『はだかの日本史』樋口清之 著、主婦の友社
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まず第一部の冒頭で、平安貴族生活の実態がどのようなものだったか書かれている。源氏物語のイメージどおり平安貴族は華やかで優雅な暮しをしていたと思わ れがちだが、樋口教授はそれを否定する。儀式用の晴れのものを除いてごく貧弱で、たとえ高位高官の貴族であっても、現代の庶民とは比較にならぬ貧しさだっ たという。
樋口氏は源氏物語に入浴に関する記述が少しもないことを挙げ、当時はまだ暑い湯船に入る習慣がなかったのを指摘する。平安貴族の入浴 は蒸気で蒸す一種のサウナ風呂であり、また素肌では火傷するため麻のひとえを着て入った。この着物が湯帷子、つまり浴衣の元祖だった。さらに座る時には尻 の下に布を敷く、これがそもそも風呂敷だった。このサウナ風呂を貴族たちは健康維持のため盛んに用いた。現代のような湯船に入るようになったのは16世紀 頃からだそうな。
だが、サウナでは清潔な肌は保てるはずがない。たとえば枕草子にこんな記述がある。「唐衣にしろいものうつりて、まだ らにならんかし」、要するに風呂に入らないから首筋がアカまみれであって、淑女の襟足に付いた白粉がはね上がり唐衣の襟についてまだらになって見苦しいと のことで、清少納言ならずとも興ざめだ。
肌が汚れているから天然痘や疥癬で死ぬのも珍しくなかったのだ。『日本疾病史』によると、皮膚病による 死亡率は十%もあったという。入浴しないなら肌が汚くなるばかりでなく、悪臭も放つ。そこで貴族は香を焚くことになる。着物ばかりでなく部屋にも焚くが、 便器である樋箱すら室内に置かれていたから、優雅な風習よりも消臭のための実用第一だった。現代流行のアロマセラピーとは違う。
何度も映画やTV化される源氏物語の粋なプレイボーイ光源氏がアカまみれだったとは、実に非ロマンチックだ。
さらに樋口氏は帝の悩みが栄養失調だったことも書いている。平安貴族の記録によると肺結核が55%、脚気が20%という高い死亡率を示していた。これらは栄養失調系の疾患なので、当時の食生活の貧しさを証明しているのだ。
貴族たちは一体何を食べていたのかというと、初期は別として後世には四つ足の動物はタプーとなっていたから、動物性の食べ物はほとんど魚の干物に限られていた。あとは海草や植物性のものだけだった。
天皇の食膳に上る食べ物は法で決められていたが、調理法は未発達で栄養面はかなり問題だった。例えばイカやアワビ、鯛がお膳に出ても、それらは刺身や煮物 ではなくもっぱら干物なのだ。当時の天皇は現代の庶民のように刺身を口に出来なかったのはお気の毒だ。主食の飯物というのがもち米の玄米を蒸したもので、 カロリーは高いにせよ運動不足気味の貴族には、これほど消化不良のものはなかった。
せっかく栄養価の高い食物に恵まれながら調理法が低劣なのと運動不足のうえ日光に当たらないため、消化吸収の能率は著しく低くビタミンは偏在し、天皇以下そろって栄養失調になってしまった。これが彼らの食生活の実態である。
平安貴族は栄養失調で無気力になり、迷信に凝り固まって没落したと樋口氏は言う。都の貴族と違い、自由にものを食べていた武家の台頭には栄養の差、つまり健康も大きな原因と指摘されるので、やはりいつの時代も正しい食事が望ましい。
■参考:『はだかの日本史』樋口清之 著、主婦の友社
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歴史の真実とは、案外こういうものかもしれませんね。17世紀以降の徳川幕府でも、一番偉い将軍家でも、若死にするものも少なくなかったですよね。食事も医療も最優先されるものでもこうですから、下々の生活は。中国には医食同源という言葉もありますが、バランスの取れた食事と運動は、いつの時代でも重要でしょうね。
江戸時代といえば、現在と違い、若いうちに稼いで、早く隠居したものです。定年後の再就職先を探す社会と、どちらが幸せの社会でしょう。少なくとも、仕事だけの人生よりも、充実した人生を送れたのではないでしょうか?
体にとって害なものは、お酒に塩分の高い食事ですね(汗)。酒は百薬の長でもありますが、度をわきまえないと。連休も近づき、より不健全な生活を送りそうです(自爆)。
私も『はだかの~』を読んだ時、平安貴族の生活実態を知って驚きました。千年以上もたった現代とストレートに比較するのはナンセンスですが、やはり「源氏物語」のイメージに囚われていたのです。
現代人も怪しげな霊感商法に騙されるくらいなので、平安貴族の迷信深さを笑えませんね。
私も江戸時代の日本は幸福な時代だったと思います。海外援助も犯罪、土下座外交もない時代と平成の御世、平均寿命が短くともどちらがより平穏だったか。
東北は塩分の高い食事になりがちで、いくら体にいいといえ、減塩の食事はそれこそ味気ないものです(笑)。酒は漬物にも合います。
着物にお香を炊く道具なんかもありこの記事の意味がよくわかります。
それよりも欧州人の風呂嫌いはもっと酷くて18世紀の終りまで続いてそのお陰で香水が発達したのは有名な話ですね(^_^;)。
平安貴族のお香と欧州人の香水は同じですね。優雅な風習よりも体臭消し。
欧州で風呂嫌いの時代は、強い体臭の持ち主は精力も強いとさえ思われていたそうです
古代ローマは風呂好きで清潔だったのに・・・