トーキング・マイノリティ

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常に被害者を装う―聖書から見るユダヤ人 その①

2006-11-13 21:13:04 | 読書/中東史
 レンタル・ビデオ店に行くと、結構ホロコーストものの作品が目に付く。ハリウッドを牛耳るのがユダヤ系なので、未だ事情を知らない他民族からの同情を引き付けるには、ナチスは欠かせない悪役なのだろう。だが、歴史書ばかりでなく聖書にも彼らが加害者でもあったことや、忌み嫌われる背景が浮かび上がってくる。

 旧約聖書では奴隷は全く問題視されてない。中東に限らず古代はどこも異民族、他部族は奴隷対象であり、ユダヤ人もかなり奴隷を有していた。ユダヤの祖とされるアブラハムにもエジプト女ハガルという奴隷がいた。コーランではハガルは妻と“格上げ”対象となっているが、アラブ人の記した啓典なので明らかな修正だ。正妻に子供が生まれた後、ハガル母子は砂漠に棄てられる。
 古来から商才に長けていたユダヤ人は、奴隷売買でも抜群の才を発揮する。彼らは自民族が奴隷もしくは隷属化された「歴史」は書き連ねる一方、奴隷貿易で潤っていたことは大抵黙殺対象だ。

 アブラハムの孫ヤコブの時代、彼の娘ディナの結婚をめぐる興味深いエピソードがある。ディナを見初めた首長の息子がおり、首長は息子の願いを叶えたくて、ヤコブ一族との婚姻関係を結ぶ提案をする。これに対し、ヤコブ一族は首長の部族の男たちが割礼することを条件にした。つまり、ヤコブ一族と同じくユダヤの神への帰依を求めたのだ。首長一族はこの条件を呑み、息子が率先して割礼を受け、他の男たちも続いた。
 割礼は3日後が一番傷が痛み、歩くこともままならない。その3日後を狙い、ヤコブの息子たちは婚礼を申し込んできた部族を急襲、股ぐら抱えて苦しんでいる男たちは尽く殺し、女子供、家畜や財産も全て奪う。

 騙し討ちそのもので実に卑怯と感じるのは異教徒の感想である。旧約聖書で大事なのは、ユダヤの神を敬うことであり、神のお気に入りの人間であれば、神に背くこと以外は大目に見るのだ。ヤコブ一族も何ら神罰も受けていないのだから。

 ヤコブの息子にヨセフがいる。幼い頃から賢い子供で、その為腹違いの兄たちから疎まれていた。ある時、怒りを爆発させた兄たちのリンチを受け、通りかかった隊商によりエジプトへと売り飛ばされる。ヨセフを買ったのはエジプト王の侍従長であり、新しい主人の下でヨセフは持ち前の優秀さを発揮し、重宝されるようになる。
 エジプトは古代から豊かな食糧を産する大国であり、飢饉が起きた時は周辺諸国から移民がやって来た。ヤコブ一家も一族もろともヨセフを頼ってエジプトに移り住む。アブラハムも飢饉の時、一旦エジプトに来たことがある。これは食を求めての自由意志であり、強制連行では決してない。

 ヨセフが重くエジプト王に用いられたため、彼ら一族はナイル川ほとりに土地を与えられ、そこに住み着いて子孫を増やす。ユダヤ人は当然周囲と和合せず、頑なに独自の習慣を守り、周囲とのトラブルも絶えることはなかった。何もユダヤ民族だけがエジプトに移住したのではないのに、現地に同化していった他民族とは好対照だった。
 人口が増えれば勢力も増大し、元から選民思想で協調性など欠ける民族だ。こうなると現地エジプト人も忌み嫌うようになる。ローマの歴史家タキトゥスも「ユダヤが人口増に熱心なのは、他民族を凌駕したい考えがあるからだ」と書いていたが、これは正鵠を得ている。

 旧約聖書では社会不安を感じたエジプト王はユダヤ人に強制労働を化し、支配下に収めようとしたとなっている。ハリウッド史劇にもよくユダヤ人がエジプトで悲惨な奴隷状態となっている作品がある。だが、社会の不安分子を監視するのは君主たるもの、当然ではないか。何故、エジプトで敵視されるようになったのかは、ユダヤ人は全く考慮していない。彼らがエジプトでしたことは唯一神への信仰を守ること、自民族の繁栄のみだった。現地人からすれば勝手に居ついて義務を果たさず、権利だけは抜け目なく利用する連中だ。これでは憎まれない方が不思議ではないか。
その②に続く

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