Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

嗚呼!愛しの国際プロレス④

2010-01-23 14:30:43 | 日記
◇国際プロレスの”活動停止”から来年で30年を迎え,更に今年は吉原功代表が亡くなり25年となる。
私は,雑誌記者(プロレス&ボクシング誌)からこの世界に入り,国プロの担当として第一歩を踏み出した訳だが,そんな私が《W★ING》の立ち上げに際して,国プロから少なからず”影響”を受けているのは,紛れも無い事実だと思う。
1970(昭和45)年10月8日に日本で最初の<金網デスマッチ>が実現した訳だが,私は最初の大阪でのラッシャー木村 VS ドクター・デスは残念ながら見る事が出来なかった。が,私にとっては翌年3月2日のラッシャー木村 VS ザ・クエッション(アンジェロ・ポッフォ)の金網デスマッチ”第3弾”の方が思い出深い。
大阪からふた月後には東京で木村 VS オックス・ベーカーの<金網デスマッチ>が行われているが,当然の事ながら見に行っている筈なのだが,ハッキリとは思い出す事が出来ない。(40年も経っているのだから当然といえば当然なのだが)
しかし,どういう訳だか”3月2日”の事は覚えているのだ。(笑)この日は”金網デスマッチ実現”の発端となった”スパイロス・アリオン”が,ミル・マスカラスと組んで挑んだ<インターナショナル・タッグ選手権試合>をメインに,日本プロレスは蔵前国技館で開催! いみじくも”興行合戦”となったが……私は当然の事ながら,千駄ヶ谷の東京都体育館に国プロの取材に行ったが,内心はアリオン&マスカラスを見てみたいという気持ちがあったのは確かだ。
国プロは”目玉”の金網の他に,マッドドッグとブッチャーのバション・ブラザースが参戦し,更にマイティ井上がこのシリーズだけに”凱旋”したのだ。モーリス(マッドドッグ)はリングを下りると何と,あの狂乱ファイトからは全く想像が出来ない”好々爺”(実際は30代後半のバリバリだったが…)といった感じだった。
マイティとは,この時が”初対面”だったと記憶している。再びフランスへと戻ったマイティからは,近況を伝える手紙や写真が送られてくる様にもなった。その後にマイティは”主戦場”をカナダのモントリオールへ移し,私は遥々(笑)会いに行ったのだ。
この時にはネブラスカ州オマハにも寄って草津&浜口の両選手にも会って取材をしたが……懐かしい思い出の1ページである。そうそう,前に書いた【3月2日】が何故そんなに思い出深いかって? その日は吉原さんの”誕生日”だったのです。そして私も……。ある時に吉原さんに自分と”誕生日”が一緒だという事を言うと「お前さんと同じ日なのかよ……イヤだな~」と言って笑っていた事を思い出す。<茨城>