◇国際プロレスの”活動停止”から来年で30年を迎え,更に今年は吉原功代表が亡くなり25年となる。
私は,雑誌記者(プロレス&ボクシング誌)からこの世界に入り,国プロの担当として第一歩を踏み出した訳だが,そんな私が《W★ING》の立ち上げに際して,国プロから少なからず”影響”を受けているのは,紛れも無い事実だと思う。
1970(昭和45)年10月8日に日本で最初の<金網デスマッチ>が実現した訳だが,私は最初の大阪でのラッシャー木村 VS ドクター・デスは残念ながら見る事が出来なかった。が,私にとっては翌年3月2日のラッシャー木村 VS ザ・クエッション(アンジェロ・ポッフォ)の金網デスマッチ”第3弾”の方が思い出深い。
大阪からふた月後には東京で木村 VS オックス・ベーカーの<金網デスマッチ>が行われているが,当然の事ながら見に行っている筈なのだが,ハッキリとは思い出す事が出来ない。(40年も経っているのだから当然といえば当然なのだが)
しかし,どういう訳だか”3月2日”の事は覚えているのだ。(笑)この日は”金網デスマッチ実現”の発端となった”スパイロス・アリオン”が,ミル・マスカラスと組んで挑んだ<インターナショナル・タッグ選手権試合>をメインに,日本プロレスは蔵前国技館で開催! いみじくも”興行合戦”となったが……私は当然の事ながら,千駄ヶ谷の東京都体育館に国プロの取材に行ったが,内心はアリオン&マスカラスを見てみたいという気持ちがあったのは確かだ。
国プロは”目玉”の金網の他に,マッドドッグとブッチャーのバション・ブラザースが参戦し,更にマイティ井上がこのシリーズだけに”凱旋”したのだ。モーリス(マッドドッグ)はリングを下りると何と,あの狂乱ファイトからは全く想像が出来ない”好々爺”(実際は30代後半のバリバリだったが…)といった感じだった。
マイティとは,この時が”初対面”だったと記憶している。再びフランスへと戻ったマイティからは,近況を伝える手紙や写真が送られてくる様にもなった。その後にマイティは”主戦場”をカナダのモントリオールへ移し,私は遥々(笑)会いに行ったのだ。
この時にはネブラスカ州オマハにも寄って草津&浜口の両選手にも会って取材をしたが……懐かしい思い出の1ページである。そうそう,前に書いた【3月2日】が何故そんなに思い出深いかって? その日は吉原さんの”誕生日”だったのです。そして私も……。ある時に吉原さんに自分と”誕生日”が一緒だという事を言うと「お前さんと同じ日なのかよ……イヤだな~」と言って笑っていた事を思い出す。<茨城>
私は,雑誌記者(プロレス&ボクシング誌)からこの世界に入り,国プロの担当として第一歩を踏み出した訳だが,そんな私が《W★ING》の立ち上げに際して,国プロから少なからず”影響”を受けているのは,紛れも無い事実だと思う。
1970(昭和45)年10月8日に日本で最初の<金網デスマッチ>が実現した訳だが,私は最初の大阪でのラッシャー木村 VS ドクター・デスは残念ながら見る事が出来なかった。が,私にとっては翌年3月2日のラッシャー木村 VS ザ・クエッション(アンジェロ・ポッフォ)の金網デスマッチ”第3弾”の方が思い出深い。
大阪からふた月後には東京で木村 VS オックス・ベーカーの<金網デスマッチ>が行われているが,当然の事ながら見に行っている筈なのだが,ハッキリとは思い出す事が出来ない。(40年も経っているのだから当然といえば当然なのだが)
しかし,どういう訳だか”3月2日”の事は覚えているのだ。(笑)この日は”金網デスマッチ実現”の発端となった”スパイロス・アリオン”が,ミル・マスカラスと組んで挑んだ<インターナショナル・タッグ選手権試合>をメインに,日本プロレスは蔵前国技館で開催! いみじくも”興行合戦”となったが……私は当然の事ながら,千駄ヶ谷の東京都体育館に国プロの取材に行ったが,内心はアリオン&マスカラスを見てみたいという気持ちがあったのは確かだ。
国プロは”目玉”の金網の他に,マッドドッグとブッチャーのバション・ブラザースが参戦し,更にマイティ井上がこのシリーズだけに”凱旋”したのだ。モーリス(マッドドッグ)はリングを下りると何と,あの狂乱ファイトからは全く想像が出来ない”好々爺”(実際は30代後半のバリバリだったが…)といった感じだった。
マイティとは,この時が”初対面”だったと記憶している。再びフランスへと戻ったマイティからは,近況を伝える手紙や写真が送られてくる様にもなった。その後にマイティは”主戦場”をカナダのモントリオールへ移し,私は遥々(笑)会いに行ったのだ。
この時にはネブラスカ州オマハにも寄って草津&浜口の両選手にも会って取材をしたが……懐かしい思い出の1ページである。そうそう,前に書いた【3月2日】が何故そんなに思い出深いかって? その日は吉原さんの”誕生日”だったのです。そして私も……。ある時に吉原さんに自分と”誕生日”が一緒だという事を言うと「お前さんと同じ日なのかよ……イヤだな~」と言って笑っていた事を思い出す。<茨城>