Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

嗚呼!愛しの国際プロレス②

2010-01-20 22:30:22 | 日記
◇昨日に続いて『国際プロレス』の思い出話を書き綴っていこうと思いますが……何しろ40年近くも前の事なので記憶が定かでない点が多いのですが,その辺の事はお許し下さい。(笑)
今の時代と違って,その当時は「プロレス&ボクシング」誌と「ゴング」誌(共に月刊誌)と,トウスポ等のプロレスを扱っている一部の新聞が唯一の”情報源”だった事もあり,(ちょっとオーバーな言い方をするならば)目を皿の様にして隅から隅まで読みあさっていたものでした。(笑)
特に,海外に関しては限られたニュースを知るのみでした。今の様にアッという間に試合結果や出来事を知ったり,写真(グラビア)や映像ですぐに見るなんて事は夢のまた夢……でした。(笑)
さて,国プロの思い出といえば,私がまだファンだった頃,ポスターかパンフレットを欲しくてお金を送ったところが,その当時に来日した<ザ・カンガルーズ>の厚紙で出来た”ブーメラン”が一緒に送られてきた事がありました。これは子供心にとても嬉しかった事を,ハッキリと覚えています。
老舗・日本プロレスとは違って,日本人レスラーの”知名度”が低い分,1970(昭和45)年2月頃だったか……”三大メジャー団体”の一つだったAWAの”帝王”と言われてたバーン・ガニア の初来日を境に”まだ見ぬ強豪”と言われた米マット界の大物たちが続々と”国プロ”にやって来たのです!
”スーパースター”ビリー・グラハム,バロン・フォン・ラシク,ニック・ボックウインクル,レイ・スチーブンス,ディック・ザ・ブルーザー,クラッシャー・リソワスキー,マッドドッグ・バション,ワフー・マクダニエル,ダスティ・ローデス,ディック・マードック……等々,書き切れないぐらいです。(笑)まさしく,当時のAWAのトップ・イベンターの殆どが国プロにやって来たと言っても過言では無いと思います。
私が「プロ&ボク」誌に入る少し前にガニアが初来日をしましたが……当時の”空の玄関口”だった羽田空港の<VIPルーム>で記者会見を終えて出て来たガニアに,色紙を片手に数名の”熱狂的”なファンが群がって行きました。勿論,その輪の中に”私”もいましたが……。(笑)
ガニアの二度目の来日時に? 札幌でガニア VS ストロング小林の”AWA世界戦”が行われ,その時は私も遥々,札幌まで取材に行って来ました。が,飛行機で一つ飛び……という訳にはいかず,延々と列車(勿論,新幹線なんてありませんし)と今は無き”青函連絡船”を乗り継いで,一日掛かりで行ったものです。
この時の取材で,ガニアと懇意となった私はAWAの在ったミネアポリスに住み着いて取材活動……公私に渡って非常にお世話になりました。それゆえ,昨年のガニアの事件には驚いてしまいました……。<茨城>