農大現代視覚文化研究会

「げんしけん」の荻上と「もやしもん」のオリゼーを探求するブログ

オギースレの現状と妄想の余地について

2006年03月08日 19時52分23秒 | 雑談
現状オギースレにちょっと違和感が。そこでちょっと考察してみた。

てゆうか以前「逃げるのやめようと思います」についてでも書いた、「結局巻田くんに関する事態については何ら改善されてないから欺瞞」てゆう意見が、いまだに本スレの>>426とかで出ているのを見るにつけ、そんなに笹荻成立が憎いかという事をつらつら思うに考え出た事も一緒に書こう。

萌えとは妄想力である。いやまぁ「電波男」からの受け売りですが、すっとこさん流に解釈すると、例えば2ちゃんねる漫画板げんしけんスレで語るのの何が楽しいかとゆーと、ぶっちゃけ荻上が今後どうなるんだああああ、きっとこうなるんだああああ、というのが楽しい。もしくはオギーってきっとこーなんじゃん、とかもう、とにかく想像力に翼をはためかせ、とことんまで妄想を突き詰めるのが楽しいんじゃねーか、ってこれはいいですよね。この妄想に必要なのが、その作品に置ける「想像の余地」である。例えばどんなマンガでもいいんですか、そう、例えば微妙にエロ要素の入っている少年コミックがいいかな。ねぎま!でもなんでもいいですが。あれ微エロ少年コミックですが、セックスの要素は当然かなり(ほとんど?完全に?)排除されているわけで、ではあの作品のキャラがセックスをしたら誰と誰がどーゆーきっかけでどーゆーえっちをするんだろー、ぐふぐふぐふ、となればエロ同人誌やエロSSの一丁上がりです。この場合に設定はできるだけ煮詰めると、セックスの無い世界では、想像の余地はさらに広まります。いや別に18禁でなくても一般向けでもいいんですが。この場合での妄想力と想像の余地は、それぞれが強ければ(広ければ)、複合してより大きな力が発揮されます。この2つを統合して、以後、「妄想の余地」と呼びましょう。

この「妄想の余地」は作品の成功そのものや、同人活動の大きさに多大な影響を与えます。ゲームで説明すると、「妄想の余地」で成功したのが、古いんですけど「ときめきメモリアル」であり、さらに古くは「Wizardry」です。30代ゲーマーにはわかって頂けると思いますが、どちらも昔のゲームで、これと言ったストーリーも無く、ポリゴンキャラが情報たっぷりに動いたりもしません。故に「妄想の余地」がすンげぇでかく、脳内で虹野が語りかけてくるわ、グレーターデーモン増殖した後の宝箱を開けたらMURAMASA BLADE!をゲットしたとかの喜びがもの凄いとか、とにかくこればっかりは言葉で説明しづらいんですわ。コミケで一大ジャンルを築いている分野を当たれば、この傾向は見えるかもしれません。微エロなのにセックスが排除されているが故に18禁同人誌が氾濫するとか、18禁ゲームなのに逆にセックスを排除するとどうなるかという妄想の余地もあります。

逆にコミケで妙に人気の無い物を見てみると、例えばあだち充。マンガ家歴の長さのわりに、同人誌はほとんど見かけません(いやあるけど)。あだち作品を見れば分かる通り、作品内でキャラの感情説明や状況説明をほとんど済ませてしまっており、これでは妄想の余地が入る隙間もありません。同じ高橋由美子作品でも、うる星とめぞんがいにしえのオタク界にどのように受け取られたかを考えても、いやすっとこさんも歴史でしか知りませんが、妄想の余地のある無しが、いわゆる同人人気を左右する大きな要素であると言えましょう。

この観点からオギーを見てみよう。「私がオタクを~」以後、もう、もの凄い妄想の余地があった。オギー入学以来から積み重ねられて来た状況証拠。笹荻の行方。徐々に明かされる過去。もう読者はいったいどうなってしまうのか、きっとああなる、いやいやこうだと、8ヶ月に渡って妄想の余地を開拓し続けた。そして今月、とうとう笹荻が成立した。しかしここで誤算が起こった。笹荻みかんである。笹荻が成立するのは前提という認識はあっても、笹荻が一気にみかんまで行くとは誰も想像していなかった、いや、想像していた人もいたかもしれないが、みかんをした結果まで想像していた人は誰もいなかった。

妄想の余地が消えてしまったのである。

例えば笹荻が成立しても、みかん前だったら「これからどうやってみかんに持ち込まれるのだろう」という妄想の余地があった筈なのだが、これすら無くなった。みかんシーンが書かれていないため、「どんなみかんが繰り広げられたのか」という妄想の余地は残ってはいるが、結局それは読者の欲望のイメージを転化するしかないので、あまりイメージが広がりづらく、かつ、ちょっと語りづらい話題である。オギースレで「なんかむなしさが……」という感じの発言をしている人の真意はこれである。笹のものになってしまったというのは事実だが、それ以前に、妄想の余地を奪われてしまったのが最大の問題なのである。

ちと余談だがそれにしてもこの展開は凄い。「げんしけん」が少年誌に連載されてもあまり違和感が無いおとなしめの漫画で、もちろん要所要所にエロ要素は挿入されていたが、作品自体は、ま、おとなしいと言ってもいい。それこそ少年誌で連載されててもいいくらいだ。しかし連載初のラブコメ展開を経て、成立したその瞬間に、少年誌では禁断のみかん展開に持ち込まれて初めて、この作品が青年誌に連載されていた事に気づかされるのである。てゆうか少年誌では氏んでも有り得ない展開なので、読者は度肝を抜かれざるを得ない。

話題を戻す。しかし、人の妄想力をなめてはいけない。笹荻みかんを妄想するのも1つの手だが、すっとこさんを始め、何人かがオギーの妄想の余地として新たに見出したのが

「中荻」

である。すっとこさんも散々力説している通り、取り返しの付かない過去の清算はまだ済んでない。本スレで揶揄されんでも、そんな事ぁ十分承知なのである。そして、俺たちがオギーに萌えつづけるためには妄想の余地が絶対に必要なのである。オギースレでは笹荻派とか中荻派とかよくわからんレッテル貼りが盛んだが、真に分断しているのは「もうオギーには萌える余地が無い派」と「中荻でも何でも使ってまだまだ萌えるぜ派」なのである。妄想の余地を奪われて虚脱感に陥っている者にしてみれば、新たに妄想の余地を見出してまだまだ萌え狂っている奴を見れば、感じる事は例えば妬ましい、羨ましい、疎ましいという複合感情、すなわちコンプレックスである。わざわざ誤解されやすい単語を使ったが、このコンプレックスには「劣等感」という意味は無い。単純に複合――いろいろな――感情という意味である。

それにしても、例の「揶揄」をしてまで、オギーか、笹荻を否定したい感情はどこから来るのだろうか。単純に考えれば笹荻を否定しないと、揶揄する当人の自我が揺らがされるからなのだが、今述べたような妄想の余地が狭められるという原因なら、虚脱すればいいんであって、別に否定するまでも無い、と思うけど。当人のトラウマに関する件だったら、例えば俺は失敗したのに笹荻はうまくやった、許せん。という事だったら、まぁその人の事情まではわからんので、当人自身に任せるしかない。あと考えられるのが、童貞という問題である。てゆうか童貞自体はどうでもいいんだけど、童貞である事に劣等感を持っている事がヤバイのである。切込隊長みたいに童貞である事を武器にしている人もいますが、童貞である事が怨み辛みだったりすると今回の展開は激ヤバだろうな。すっとこさんは幸いにも童貞じゃないんですが、自分の数年前にこの展開読んでたらヤバかったかも。そのぐらい破壊力があります今回の展開。うーむ。

という事で今回は妄想の余地について考えてみました。すっとこさんとしましては、笹荻のエロ妄想もまだやってませんし、中荻の妄想も道半ばですし、そもそもフロイドで木尾士目を読み解くという、とんでもない誇大妄想の余地が残されているので、当分げんしけんで萌え狂う日々が続くでしょう。あ、フィギュアとかもあるしな。次回はエロSSスレが自分語りで荒れた件について考察してみましょう。これも妄想力が必要とされるのです。ううーむ。

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7 コメント

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Unknown (ななしの権兵衛)
2006-03-08 21:17:56
今回の笹荻の結末に対する反応の違いは、それぞれの妄想する終着点の違いのように思える。

笹荻成立を終着とすれば「ん」はキスで十分で、みかん自体の必然が無い。「普通の」恋人関係が終着なら、みかんは不可欠だろう。二人の「これから」まで望むのであれば今回の結末は途中経過でしかない。

前二者であれば笹荻はここで終りで、あとはエピソードさえあれば、あるいは無くても構わない。この場合の虚しさは作品あるいは祭りの終りと同じで、郷愁と未練でしかない。最後の場合は「まだ解決していないのに、なに終わった気になってんだゴラァ」という虚しさというより苛立ちに近い感情だろう。

中荻もある意味で同様で、前二者であれば荻上の過去を埋める外伝の一部でしかないし、後者であれば必要不可欠なエピソードになる。

極端にいえばそれぞれから見れば、終わったエピソードにケチをつける人と、都合のいい自己満足で終わらせようとする人に見えるのではないか。

その辺の違いが現在の本スレの荒れに繋がっているように思える。
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成る程 (みゃ@崇民)
2006-03-08 21:39:29
本スレは全く見なくなってしまったので解かりませんが…。

今回の「オギースレの現状と妄想の余地について」を読むまでは、最近の状況は

1.絵板が出来た頃から人が減ってきた。そっちに行った人は創作活動で妄想を発散と生産の循環で幸せになっている。そうじゃない人は発散方法が上手く行ってない人も居るっぽい。

2.荻上さんの幸福化(笹荻成立)を待ち侘びるという共通目的が無くなった。独裁体制の崩壊後みたいな状況になっている。

と、思っていました。でもこれは状況分析であって心理要因の分析じゃないのかも知れませんね。で、私の思った2点の理由付けとして「妄想の余地」でいける気がしました。



僕は思考体系が違いすぎるのか、心理学とか読むと納得するけど自分が使う事は出来ないので、今後も駆使しまくって文章にしてみてください。毎回読んでますので。
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Unknown (ケンプ)
2006-03-08 23:46:53
いつも興味深く読ませてもらってます。

参考文献、おもしろそうですね。私も読もうかな…。



笹荻のみかんで、ショック受けてる人が多いのは知ってましたが、その理由が「妄想の余地がなくなったから」…ほほう、そうなんですか…。



私はこれから荻上がどんな風に明るく可愛くなっていくか、妄想するだけでもう、わくわくしますがね。四月号はまさに変化の兆しがみられましたからね。「創作」する側の発想なんでしょうか。



個人的には情報がなさすぎても、妄想しにくくて辛いですが。中島はまさにそう。憎んでいいのか許せる範囲なのかまだ見えてこない。これで原作で解決話なかったら、消化不良起こします。
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Unknown (ミキヤ)
2006-03-09 00:36:12
余地のなくなる喪失感。



言い得て妙です。私もこれは感じてました。自分自身は成立前の事をつらつら妄想する事が好きなので、というか成立するまでの過程を楽しむ人間なので、成立するだろうと、行き着くところまでいくだろうと感じていたのでそれはあまり感じなかったり。

しかしながら来月以降の事を考えるとそれはそれで確かに今までのような燃え上がるような妄想力は上がってきません。そこで私がが手を出したのは斑目だったりして。SSスレでは笹荻成立後に斑目SSが増えたような気がしました。中荻流れのもう一つの潮流かもしれませんね。

満足はしているのに、何かが足りない。それを何かに置き換えようとしているのかもしれません。それは無理になのかもしれないし、自然となのかもしれませんが。
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まじめにおへんじ (すっとこ)
2006-03-09 01:04:35
ななしの権兵衛さん



超まとまってます。俺「妄想の余地」とか持ち出さなくてもいいじゃんとか思っちまいます。しかしながら「郷愁と未練」だけでは説明できない何か、つまり「郷愁と未練」が「ハッピーエンドの喜び」より大きい理由を説明したいってのはあります。素直に祝福するにせよ、何か一抹の寂しさが残るにはそれなにの理由があるのではないかと。



みゃ@崇民さん



仰る通り、状況分析は妥当だと思いますが、何故そうなのか、までわかりやすく語りたくて編み出したのが「妄想の余地」という概念です。しかもそれを「同人を作られやすい原作」という風味で一味添えて書いてみれば面白いかなーと思いました。



ケンプさん



「ほほう、そうなんですか…。」と言われても、本当にそうなのかこっちが聞きたいですよわはは。俺じゃない架空の人間を設定してそいつを自分なりに分析してるんですからねぇ。



すっとこさんとしては、自分の事を創作側とも消費側とも思ってないんですが(あえて言うなら解析者)、実は今回の論で語ろうと思ってて、消化しきれなかったので排除した部分に創作者と消費者の、それぞれの作品との関係があります。創作者は貪欲です。原作から作品を産む為に、原作を貪欲に消費し尽くそうとします。消費者はそれほどまで作品を消費しません。読んで終わりです(ちなみに解析者ははるかに厄介、げんしけんを読んで精神分析を勉強したり、もやしもんを読んで応用微生物学と分子生物学と醸造学を勉強したりする)。「一度作者の手を離れたら読者のものだ と!」(あ、笹原口調だ)と木尾士目も「五年生」で言ってますが、どうせ評価するなら、人に読まれても恥ずかしくない評価や創作をしたいものです。



引き続きご意見募集中
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つづき (すっとこ)
2006-03-09 02:08:31
ミキヤさん



思うにすっとこさんは、やはり力説しているように、中島との決着はあると思ってますが、それは3ヵ月後の冬コミまで待って、その間にちょっと斑目を進展させるのかなーと考えてます。笹荻が終わったと思ってる人にとっては、この一ヶ月はエアポケットになるのですね。

これで予告に「来月は斑目話だよ」と書いてあるんでまだいいんですが、実は咲斑話は32話で終わっていると考えている人も結構多いのです。43話で春日部さんへの未練を表明していたので、まだ続くことは確定してたんですが、32~43話の間で、本スレで結構「斑咲話はまだ続く!」と力説してました俺。

要するになんだ。やっぱり喪失感なのか。

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おへんじのおへんじ (ケンプ)
2006-03-09 02:50:17
 すいません、言葉がたりなかったようで…。

もし気を悪くされてたらごめんなさいです。

「ほほう…」と言ったのは、なんていうか、私個人が物語に決着を求めて読むからです。

笹と荻くっついてよかったな、ああすっきりした、と思ってました。だから、私としては喪失感はなかったんです。

あと、「これで次は斑目にいける!」と思ったからかも知れません。今後の展開によっては、同じく「喪失感」を感じるのかも。



>>創作者は貪欲です。原作から作品を産む為に、原作を貪欲に消費し尽くそうとします。



そうですね。今、まさにそんな感じです。

単行本を何度も読み返していると、特にみんなが部室で話したりしてるときなんか、みんながそれぞれの反応をしていて面白い。そこから人間関係とかも、邪推するくらい考えて、SSに盛り込んだりしてます。



とはいってもまだ同人的な活動初めて日が浅いので、

まだまだ覚悟の足りないヌルオタです。(汗)



>>(ちなみに解析者ははるかに厄介、げんしけんを読んで精神分析を勉強したり、もやしもんを読んで応用微生物学と分子生物学と醸造学を勉強したりする)

すごいですね。キャラ考察での、細部の分析具合はとても及びません。





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