笑顔のMOTO

日々の生活で感じた色んなことを、綴っていきます。

今日のおやつは

2006-11-30 20:50:52 | おいしい食べ物
昨日も引き続き、オフィスの片づけをしたので、
また、廃紙処理による臨時収入があった。

今日の果物は、チビみかん。今が旬の果物。
このチビミカン、日本の温州みかんより小さく、
でも、甘くて結構おいしいのだ。

このみかん、てっきりベトナム産だと思っていたら、
結構中国輸入が多いらしい。

ほんと、なんでもかんでも中国輸入。
日本も同じだけど、中国から来るものが多すぎるよね。

写真は、みかんがオフィスだと綺麗に撮れなかったので、
違う果物の写真にしました。

Buoi。日本語だと、ざぼん。
グレープフルーツより甘くて、酸っぱ味もあり、
すごく美味しい。ベトナムの果物で一番好き。
南のホーチミンだと、一年中食べれるのだけど、
ハノイでは、旬は秋だけ。

日本に帰ったら、Buoiが恋しくなるかもなあ。

いらない紙が果物に。

2006-11-29 23:12:13 | ベトナム小話
この数日オフィスの整理をしたので、
大量のいらない紙が出てきた。

ハノイでは、紙は貴重なリサイクル資源。
回収業者が、天秤ばかりと一緒にオフィスまで
やってきて、買い取っていってくれた。

1kgあたり2,000ドン(約15円)。
全部で、35kgだったらしく、70,000ドン(約500円)の収入だ。

これを、高いと見るか安いと見るか。
ま、お金を払わないとリサイクルに出せない
日本を考えれば、かなりお得である。

ハノイの街中では、よくごみを集めている人を見かける。
写真は、家の近所にある、ごみリサイクル回収店。
針金、プラスチック、ペットボトル、ダンボールや紙、
色んなものが持ち込まれ、ちゃんと重さを量って、引き取られていく。
そして、たまに、大きなトラックが来て、店の中に積まれた
ごみを運んでいくのだ。

ちなみに、本日の70,000ドンの臨時収入は、
オフィスのおやつの果物に変わりました。

飛行機のお隣さんは。。

2006-11-25 22:25:34 | 色んなひと
今回、ハノイに来る時の飛行機がめちゃ混みだった。
それも、団体観光客がたくさん。
同じ飛行機に、20人前後の団体ツアーが3,4つ乗っていたようだ。
APEC終了にあわせたと思われる。

それも、ほとんど年配の方々。
ここのところ、日本人観光客に占める年配の割合が
増えているように思う。これは、ベトナムだけの
傾向なのか、全体的な傾向なのか。。

隣り合わせたご婦人お二方も、団体ツアーのお客様だった。
このお二方。友達二人で、定年してから、
色々海外をツアーで廻っているのだそうだ。
スペイン、中国、タイ、台湾、etc...
「海外に行く事は、社会勉強みたいなものよー」

私が、ハノイ滞在が長いと知ると、色々質問をしてくれた。

「ベトナム料理は美味しい?」
「ベトナム人は、ひとなつっこいのかしら?」
「生活してて、大変な事とかないですか?」
「物価は安いのかしら?お土産何がいいかな?」

こっちも、ハノイの事を話すのは好きなので、会話がはずむ。

驚いたのは、このおば様方、すでに、ベトナム語の挨拶と
ありがとう、を覚えてきてたこと。

「Cam On(ありがとう)、はどうやって発音するのかしら」

つたないベトナム語を、ここぞとばかりに披露
してしまった。
そして、おば様方は、料理を運んできくてれた
スチワーデスに対して使っていた。

いいな。好奇心いっぱいのおば様。素敵だな。

このおば様方のツアー。
全宿泊五つ星ホテル。日本からの添乗員つきのツアーだ。
ハノイに入り、当日は水上人形劇、翌日に、ハロン湾、
その次の日は、バチャンへ。
シェムリアップに移動しアンコールワット、
ホーチミンに移動し、ミトー(メコン河)へ。
これを、計7日間で廻るのだそうだ。

超ハードスケジュール。ハノイ市内なんて、ほとんど
見ずに行ってしまうんだろうな。。

「こういうツアーじゃ、地元の事はよく分からないんだけど、
年をとると、安全を第一に考えるからね。
若いうちは、もっと、地元が見える旅行をしないとだめよー」

ごもっともです。

「トイレにカップが置いてあったわよ。サービスいいわね。
ベトナム気に入ったわ。」

気に入ってもらえて、嬉しいです。

「ベトナムっていうと、戦争のイメージが強かったけど、
大分変わってるのよね。今は、すごい勢いがあるわよねー。」

自分は、ベトナム戦争当時を知らないし、
ベトナムと言えば、勢いのあるベトナムしか知らない。

今から数十年後、自分がこのおば様ぐらいの年齢になったら、
また、ベトナムに戻ってこよう。どうなってるんだろう。楽しみだ。

お父さんと一緒

2006-11-23 20:48:12 | 色んなひと
ハノイでは、朝食を外で食べる人が多い。
友人に言わせると、
"両親共働きで家で作る時間がない"
というよりは、
"外で食べるのが習慣だから"
というのが理由らしい。

なので、ハノイの朝の道路は、
フォー、ブン、ソイ、パン、卵焼、もち、、、、
よりどりみどりの屋台が並ぶ。

そんな中、お父さんと一緒に食べている子供を結構みかける。
子供の送り迎えと、朝食はお父さんが担当しているのかな。

写真は、お父さんと一緒に、ブンを食べる女の子。
まさにかぶりついた瞬間の激写に成功!

APECが終わって。

2006-11-22 23:25:41 | ベトナム小話
ハノイに舞い戻った。
昨日は、もわっとした暑さが残ってたけど、今日はとても涼しい。
友人曰く、冬が、すぐそこ。だとか。

さて、APECは無事に終了したようだ。
現地にいた人に聞くと、会期中は交通規制で大変だったみたいだけど、
現地の新聞では、APECが成功裏に終わった!と伝えている。

日本では、APECは思ったほど取り上げられなかった。
安倍さんとブッシュさんとの会談とか、中田の訪問とか、
屋内の会議ばっかり。ハノイの風景を期待していたのに、
ほとんど出てこなかった。当然と言えば、当然か。

唯一、外の風景を見たのは、現地からのレポーターの中継シーン。
その背景は、見覚えのある、おんぼろ旧公共住宅だった。
もっと、ハノイの良さが垣間見れるところから、
中継してくれればいいのに。

APECを終えたハノイでは、案の定、
"Welcome to Hanoi, APEC 2006"
の旗が、2週間前と変わらず、町中にはためいていた。
次のイベントが来るまで、放っておくのかな。

今回のAPEC、一番の謎は、"中田英寿、安倍首相表敬訪問"
なんで、中田が?わざわざハノイで表敬??
彼は、今でも、ハノイにいるのかしら。。

と思ったら、ちゃんと理由がありました。
"恵まれない子供達にサッカーの魅力を伝える"
ために、アジアの国々を回るそうです。
今回は、ホーチミンへ行き、ストリートチルドレンに
教えるのだそうだ。このニュース、残念ながら、
地元ではあまり取り上げられていないみたいだ。

戦争体験

2006-11-15 21:57:15 | ベトナム小話
先日、ベトナム語授業中、ひょんな事から、先生の戦争の体験
の話になった。

実は、ベトナムに延べ3年近く滞在しているが、これまで、
戦争の体験をベトナム人から聞く機会は、ほとんどなかった。

ベトナムでは、戦争功労者、退役軍人が非常に大切にされ、
一年に何回も、独立記念日や、戦勝記念日のお祝いがある。
でも、普段仕事や生活をしている場では、戦争の歴史を感じる事は
ほとんどない。
よっぱらったおじさんが、
「俺は昔、軍人として、カンボジアに行ったんだ」
とか言ったのを聞いたくらいだ。

私の先生は65歳。1946年から1959年まで、学生時代をハノイから50kmほど
北西にあるPhu Tho省の街に疎開して過ごしたとのこと。
さらに、フランス軍が攻め上がってきたときは、山の中まで非難し、
少数民族の高床式住居に住んだ経験があるらしい。
(そうそう。この高床式住居の話から、戦争の話になったのだ)

ある時は、フランス軍から逃れ、草むらの中に隠れ、
すぐ側にフランス軍の兵士が話しながら通るって行ったが、
気づかれなかったのだと。

そして、先生はいった。
「Luc ay, rat so. nhung ma, nghi ve dieu nay, kien nghien rat hay」
(その時は、とても怖かった。でも、今考えると、とても楽しい経験だった。)
そして、その時住んだ高床式の住居はとても好きなのだ。と。

誤解を生んでしまうかもしれないが、
この先生の表現は、とても驚きだった。
日本で、戦争の体験をこのように表現する人はいないだろう。

65歳の先生。戦争が終わったのは、つい30年前。
人生の半分以上を戦時下で過ごしているのだ。
そんな先生の言葉は、重みがあった。
そして、勝った国だからこそ、でてくる言葉なのだと思った。

外交官だからこそ。

2006-11-09 17:04:46 | バイク・交通ネタ
この間、と言っても結構前の話なのだが、とある日系ホテルの
手前の交差点で、日本の旗をつけた黒塗りの車に出会った。

いかにも、政府要人という感じだったので、
「お、誰が来てるのかな。覗いてみよう」と。
赤信号で止まりそうな車に走り寄っていった。

ところが、その車と後続車は、赤信号を堂々と
通過していってしまったのだ。

なんでも、ベトナムでは、政府要人の車は
信号を守る必要がないんだとか。。。

急いでいたのかもしれないけど、ハノイの短い
信号サイクルさえも、待てないほどじゃなかっただろうに。

日本の旗をかがげながら、堂々と信号無視をするなんて、
交通安全の技術協力を進めている国として、ちょっと
恥ずかしいではないか。
外交官、政府要人だからこそ、見本となって
ルールを守って欲しい。と思った。

APECとともに、お偉い人がたくさんやってくるだろう。
ABEさんクラスの方が通行する時は、全て通行止めとなるが、
普通の政府要人の方々、ルールを守ってください。

ふたごに再会。

2006-11-06 23:17:48 | 色んなひと
先日、遭遇した双子に再会した。
どうも、私の通勤時間と彼女達の移動時間が重なるみたいだ。

今度は、おばあちゃんに手を引かれて、横断歩道を渡るところ。

この写真だと、赤信号を渡っているように見えるのだけど、
このおばあちゃんは、双子の手を引いて、
ちゃんと赤信号が変わるまで待っていた。

でも。ハノイの歩行者用信号の青時間はとても短い。
信号が青に変わり、バイクがはけきるのを待ってから、
渡りだした彼女達は、道路を半分も渡らないうちに、
赤信号につかまってしまっていた。

ハノイの信号サイクルは、一方向30秒くらいと短め。
歩行者信号は、車用信号よりかなり早く赤になる。
なので、あっというまに青は終わってしまうのだが、
実際は、歩行者信号が赤になっても、しばらくは渡っていられる。

どちらにしても、ハノイの交通は、歩行者にやさしくない!!
歩いて移動する人なんて、ほとんどいないから仕方ないのかな。

APECに向けて。

2006-11-05 20:03:05 | ベトナム小話
ハノイはAPEC準備真っ最中。

警察官も日に日に増えていて、信号機が新しくなったり、
心なしか、道路の白線もきれいになっている。
先日は、APEC会場となる国際会議場のお披露目が、
ニュースで流れていた。

そして今日は、APECの宣伝車に出会った。

アオザイ娘が手を振っていたり、
スポンサーの商品宣伝があったり、
まるで、遊園地のパレードのような車が、10台近く連なっていた。
その周りには、APECの旗を持った人々が、うろうろしていた。

APECを住民に知ってもらい、お行儀よくしていてもらうためかな??

APECは、世界にハノイを知ってもらういい機会。政府も必至だ。

APEC開催頃は、日本にいる予定。
日本で、どのように報道されるのか、楽しみ。

そういえば、APECでは開催地の民族衣装を着るのが恒例。
各国の首相がアオザイを着るのかな。それも楽しみ。

将棋に興じる

2006-11-03 20:06:23 | 色んなひと
ハノイでは、朝から晩まで、おじさん達が道端に
うずくまって中国将棋に興じている。
一つの盤を、5,6人のおじさんが覗き込んでいる時もある。
ベトナムに来た事がある人なら、必ず見る光景でしょう。

町中いたるところで見られる光景なのだが、不思議なことに、
将棋盤を囲む人だかりに、女性が混じる事はまずない。

残念ながら、この中国将棋のルールも知らないし、一局
どれくらいの時間がかかるのかも知らない。
どこかに説明書付きで売ってないかな。

写真は、毎朝、通勤路で必ず出会う風景。
いつもは、歩道のはじっこで指してるのに、この日は歩道の
ど真ん中を陣取っていた。さすがに、ちょっと邪魔かな。。。

命がけの交通整理

2006-11-01 21:46:34 | バイク・交通ネタ
先日、ハノイで、
「交通整理をしていた警察官がバスにひかれる!」
という事故が新聞に載った。
"違反を確かめるため呼び止めた警察を無視して、突っ込んだ"
とあったが、きっと、正しくは、
"呼び止めた警察に気づかずに突っ込んでしまった"
ではないかと思う。
幸いな事に、死には到らなかったようである。

こちらのバスの運転は、ほんとにひどい。
歩行者なんて、基本的に無視。
当然、よけるものだと思って、威圧してくる。
日本の感覚で歩いていたら、確実に後輪に
巻き込まれてしまう。

写真は、道路のど真ん中に立ち、交通整理を行う警察官。
いくら、警察の威力は偉大とはいえ、それは、
彼らの存在が認識されればの話。
気づかれなければ、最初のような事態になってしまう。
中央分離帯なんて、あってないようなこの国で、
道路の真中に立つなんて、まさに命がけだ。

最近、友人の親戚が交通事故でなくなった。
まだ20代の将来有望な若者だった。
日系企業に就職が決まった矢先の事故だった。
ベトナム人が、交通事故を深刻に受け止め、
交通マナーが改善される日を切に願う。