日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

この季節の楽しみ 2014(14)

2014-06-29 21:56:13 | 野球
小休止を一日はさんで全国大会展望を再開します。本日は東海地方に転戦し、静岡、愛知の二県を取り上げます。

静岡
静岡といえば、距離ほどの広さを感じない県の代表格です。全47都道府県中13位という面積は、北海道と東北を除けば第7位。最東端の熱海から最西端の湖西までは、東海道本線をたどって約180kmあり、岩手を一ノ関から二戸まで縦断するより長いのです。それにもかかわらず、数字ほどに遠く感じないのは、南北方向の広がりがほとんどなく、東西方向は新幹線と高速道路で結ばれていて、移動の労力が小さいからだと、このblogでは繰り返し主張してきました。これに対し、数字以上に広く感じる県の代表格は和歌山、高知、宮崎といったところでしょうか。

世間的な関心はともかく、趣味的見地から一も二もなく取り上げるのは静岡です。甲子園に舞台を移した大正13年に、静岡県勢として初出場し、二年後には同県にとり空前絶後となる全国制覇を達成。以後昭和、平成を通じて県内最多となる22回の出場記録を積み上げた名門中の名門であり、明治11年の創立以来、136年の歴史を有する文武両道の伝統校でもあります。
回数もさることながら、静岡で特筆すべきは、高校野球の草創期から現代に至るまで、途切れることなく出場を果たしていることです。すなわち、平成一桁の出場が一度もなかったのを除き、大正十年代から平成二十年代まで全ての年代で最低一度は出場を果たしており、西暦で数えれば1920年代から2010年代までの全てを網羅しています。広島商に松山商など草創期からの盟主が近年勢いを失う中、一世紀にわたり県下の最高峰に君臨してきた歴史は、我が国の高校野球史上における金字塔といっても過言ではありません。

その静岡をも上回る歴史を有するのが、明治6年創立の韮山です。伝統だけでなく、高校野球界における輝かしい戦績を有しているのも静岡と同じで、昭和25年の選抜では初出場初優勝を果たしました。同校にとってはそれが最後の選抜でもあり、飯田長姫、大宮工、徳島海南、日大桜丘、岩倉、伊野商、観音寺中央の7校とともに、選抜無敗の記録を持つ8校の一つとなっています。
初出場初優勝が最後の出場という例が選抜においては非常に多く、17校中上記の8校が同様の運命をたどりました。その中で選手権出場経験がなく、結果として「甲子園無敗」となったのは徳島海南、現在の海部一校のみですが、残る7校は選手権出場も1回のみという点で共通しています。2回もなければ3回もなく、揃いも揃って1回限りというのが何とも奇妙であり、ましてやその1回さえなければ「甲子園無敗」だったかと思うと、運命のいたずらとしか思えません。
ただし、その7校も大別すると二つに分かれます。一つは、同じ年の春と夏に連続出場し前者を制した例で、大宮工、日大桜丘と観音寺中央がこれに該当します。これは言い換えると甲子園に出場したのが一年限りだったということでもあり、ある意味「一発屋」ともいえます。これに対し、残る4校は違う年に出場しており、その中で最も大きく間隔が開いたのは、45年後の選手権に出場した韮山でした。しかも、他の三校がいずれも初戦敗退に終わる中、韮山は選手権でも2勝を挙げています。一年限りで終わった3校も、選手権では大宮工と観音寺中央が各1勝を挙げたのみであり、2勝したのは7校中韮山だけなのです。選抜無敗の記録を持つチームの中でも、選抜制覇がまぐれでなかったことを示したという点では、韮山が随一の存在ということになります。

静岡では変わり種の職業校を取り上げて締めくくります。静岡はもとより全国的にも白眉といえるのが、焼津水産、天竜林業の二校です。大漁港焼津と、林業で栄えた天竜川流域という、静岡の風土と文化をそのまま表す校名が秀逸。沼津高専も、二の線を狙いがちな高専ならではの立地です。

愛知
「偉大なる田舎」こと名古屋を擁する愛知ですが、高校野球の歴史に関する限りはきわめて都会的です。というのも、私立の強豪が戦前から君臨してきた地域といえば、他には東京と京阪神しかないからです。
昭和一桁に中京商と亨栄商、続く昭和10年代に東邦商が台頭し、これら三強の天下が長く続いた後、昭和末期から平成初頭にかけて愛工大名電が亨栄に取って代わり、新御三家を形勢して現在に至るというのが、愛知における高校野球の歴史の流れです。古くは浪商、次いでPL学園、近年は大阪桐蔭と、その時々で盟主が移り変わってきた大阪などとも違う独自の歴史が、愛知では作られてきたことになります。

私立勢が台頭する前の大正期、草創期の高校野球界に君臨したのが、愛知一中こと現在の旭丘でした。初出場した第三回大会で、敗者復活戦から勝ち上がっての優勝という、史上唯一の記録を打ち立てたのが同校で、8回の全国大会出場は今なお新御三家に次ぎ、昭和初期の古豪愛知商、元祖御三家の亨栄と並ぶ同点四位です。一中という名の通り県内最古の旧制中学であり、それどころか明治3年創立の藩校を起源とする、東海地方屈指の伝統校でもあります。
ちなみに、第2回大会に愛知県勢初出場を果たした愛知四中は、時習館と名を変えて現在に至ります。第二が岡崎なのはともかくとして、第三が津島というのは現代の感覚からするとやや意外です。錚々たる伝統校が名を連ねるのは愛知の特徴で、藩校由来の名門に限っても、明和に成章とさらに二校があります。前者は明倫中時代の第7回大会に全国大会へ出場した経験を持ち、後者は選抜に2度出場するなど、球史に名を残しているのも旭丘と同様です。

名古屋は曲がりなりにも都会だと思うことの一つに、いかにも都会らしい職業校の存在が挙げられます。名古屋市工芸がそれです。美術系の学科を設けた高校は数あれど、専科ということになると自ずと都市部に限られ、しかも芸術と野球は必ずしも結びつきません。高校野球に登場するのは他に高岡工芸、大阪工芸、高松工芸だけではないでしょうか。しかし、それ以上に貴重なのがその名も瀬戸窯業です。窯業高校なる存在の奇抜さもさることながら、それが瀬戸という最もふさわしい名を冠しているところは見事というほかありません。
名選手を生んだ無名校が複数あるのも都市部ならではで、以前紹介した山内の起工を筆頭に、杉浦を生んだ挙母新改め豊田西、岩瀬の母校西尾東などがあります。昨年はその起工と西尾東の直接対決が実現し注目を浴びた、のかどうかは不明ながら、このblogにとっては恰好の話題となりました。挙母は一度だけ選抜に出場しているという点で、野村の峰山、江夏の大阪学院大、古田の川西明峰と共通しており、無名校というにはやや語弊はあるものの、プロを輩出している名門とは明らかに異質の存在です。

愛知の最後は美しい響きの校名で締めくくります。注目するのは黄柳野と杜若です。「黄柳野」と書いて「つげの」と読ませたり、愛知の県花カキツバタを校名にする感性が只者ではありません。どちらも歴史の浅い私立校で、上位進出を狙うチームではないものの、ゆかしい校名が毎年一度か二度現れては消えていく儚さは、道東の無名校にどこか通ずるものがあります。

明日東海地方の残り二県をめぐれば、北海道から数えて24都道県と全体の半分になり、暦の上でも六月が終わって一区切りです。そこで切り上げ西日本を来年に回すか、さらに西進するかは展開次第で考えます。おやすみなさいzzz
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