教祖が幾多の著作で絶賛してきた聖地というべき店の中にも、自分にとって縁がない店というのがいくつかあります。それらは二つに大別されます。一つはわざわざ泊まる機会もないほど小さな町の酒場で、北陸でいうなら魚津の「ねんじり亭」、三国の「魚志楼」がこれにあたります。これに対して、何度も泊まった街にありながら、素通りを繰り返してきた店もあります。二軒目はその手の店の代表格「あら川」の暖簾をくぐりました。
食わず嫌いを続けてきた理由を考えてみるに、「親爺」という名酒場が至近距離にあって、ついそちらを優先してしまうという事情が挙げられます。それに加え、教祖が盛んに推した結果、既存の情報だけでもおおよその雰囲気が察せられ、なおかつ余計な先入観ができてしまったのも一因です。しかし、「百聞は一見に如かず」という通り、自ら足を運ぶことで得られる発見もあるでしょう。久々に富山で泊まる機会を得た今回、試しに訪ねてみようと思い立った次第です。
余計な先入観とは何かといえば、「親爺」に比べて敷居が高い店ではないかということです。しかしそれは幸いにして杞憂に終わり、なおかつ期待していたものについては期待を上回りました。
まず好ましいのが、屋号通りの大衆割烹然とした店内です。玄関から奥へ向かってカウンターが一本延びて、中央には大皿の惣菜が並び、左には魚を氷詰めにしたネタ箱が。カウンターの幅一杯に品書きの短冊が隙間なく並び、中央には本日の刺身を記した黒板が掲げられます。
店内の造りに総じて余裕があるのもここの特徴です。後ろの壁に背中がつきそうな、「親爺」の狭い店内にもあれはあれで味があるとはいえ、あちらを「大衆酒場」とするならば、客席も厨房も広々したこの店の造りは、たしかに「大衆割烹」を標榜するにふさわしいものがあります。しかもただ広いだけではなく、その厨房には六人もの料理人が配されるなど、万全の布陣を敷いているのも頼もしい限りです。
短冊に値段の表示はないものの、手元の冊子には値段が入ったものもあり、おおよその見当はつけられます。「親爺」に比べてやや高めながらも、その分一人前の分量が多いことを考えると、実質的には大差ないといってよいのではないでしょうか。軽妙洒脱な客あしらいも上々で、二軒目というのにかなり酒が進んでしまいました。
以上の通り、教祖が激賞するのも宜なるかなと納得できる一軒です。「親爺」に迷わず飛び込んできた富山にあって、次回からはどちらへ行くかが悩ましい問題となってくるかもしれません。
★あら川
富山市桜町2-2-22
076-441-9369
1700PM-2300PM
日祝日定休
食わず嫌いを続けてきた理由を考えてみるに、「親爺」という名酒場が至近距離にあって、ついそちらを優先してしまうという事情が挙げられます。それに加え、教祖が盛んに推した結果、既存の情報だけでもおおよその雰囲気が察せられ、なおかつ余計な先入観ができてしまったのも一因です。しかし、「百聞は一見に如かず」という通り、自ら足を運ぶことで得られる発見もあるでしょう。久々に富山で泊まる機会を得た今回、試しに訪ねてみようと思い立った次第です。
余計な先入観とは何かといえば、「親爺」に比べて敷居が高い店ではないかということです。しかしそれは幸いにして杞憂に終わり、なおかつ期待していたものについては期待を上回りました。
まず好ましいのが、屋号通りの大衆割烹然とした店内です。玄関から奥へ向かってカウンターが一本延びて、中央には大皿の惣菜が並び、左には魚を氷詰めにしたネタ箱が。カウンターの幅一杯に品書きの短冊が隙間なく並び、中央には本日の刺身を記した黒板が掲げられます。
店内の造りに総じて余裕があるのもここの特徴です。後ろの壁に背中がつきそうな、「親爺」の狭い店内にもあれはあれで味があるとはいえ、あちらを「大衆酒場」とするならば、客席も厨房も広々したこの店の造りは、たしかに「大衆割烹」を標榜するにふさわしいものがあります。しかもただ広いだけではなく、その厨房には六人もの料理人が配されるなど、万全の布陣を敷いているのも頼もしい限りです。
短冊に値段の表示はないものの、手元の冊子には値段が入ったものもあり、おおよその見当はつけられます。「親爺」に比べてやや高めながらも、その分一人前の分量が多いことを考えると、実質的には大差ないといってよいのではないでしょうか。軽妙洒脱な客あしらいも上々で、二軒目というのにかなり酒が進んでしまいました。
以上の通り、教祖が激賞するのも宜なるかなと納得できる一軒です。「親爺」に迷わず飛び込んできた富山にあって、次回からはどちらへ行くかが悩ましい問題となってくるかもしれません。
★あら川
富山市桜町2-2-22
076-441-9369
1700PM-2300PM
日祝日定休