※白雪ブルワリービレッジ長寿蔵
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絶好のテンキ
お昼ごはんを済ませてから1人で外出する。
何処へ行こうかと考え路線表を見ているうちに
久しぶりに「伊丹」を歩いてみようと思いつく。
JRは乗り慣れていないのでちょっとドキドキするが
ちょうど<快速 同志社前行き>というのが停まっていたので急いで乗り込んだ。
シートに座るとなにかお尻に当たる。
立ってよく見てみると、シートに1つ1つヘコミが作ってあって
そのヘコミにお尻を合わせて座るようになっていたのだった。
それを知らなかった私は、ヘコミとヘコミの間の縁に座ったので硬くてビックリしたのだった。
やっぱりJRはヤル事が違うなぁ・・・
15分くらいで「伊丹」へ着く。
駅を降りてすぐ、荒木村重で有名な『有岡城跡』
左手は、音楽会や演劇で人気のある『アイ・ホール』
その間の道をまっすぐ歩くと、知らないうちにシャレた店がいっぱい出来ていて驚いた。
大好きな『ニトリ』が、とてつもなく大きく生まれ変わって建っていたのでビックリ!
ちょっと目立ちすぎかなぁと思ったが、ウレシイので入ってみる。
ステンレスのザルを買った。
大きな道路(県道尼崎池田線)を渡ると、目の前に‘清酒 白雪’で知られる
『小西酒造』の酒蔵が並ぶ。
大きな蔵の中は『白雪ブルワリービレッジ長寿蔵』といって
飲んだり食べたり出来るかなり広いフロアーで、いつも沢山の人で賑わっている。
この辺りは上級、下級武士の生活の場だったようで
「鍋屋町」「八百屋町」「竹屋町」「扇子町」などの名前が残っている。
1本奥の筋をはいると、大きな‘杉玉’がぶら下がった『旧岡田家住宅(国指定重要文化財)』
うす暗い屋敷にこわごわ入ってみると、すぐ「いらっしゃませー!」と案内の人に迎えられる。
(本当はだれも居ない方がヨカッタんだけどなぁ・・)と思いつつ
ぼんやりと部屋のたたみや高い天井を見ているそばで、色々とていねいに説明して下さる。
この屋敷(酒蔵も兼ねる)は築300年以上経っているとの事。
日本酒の発祥の地はもともとこの伊丹地区であって、隆盛を極めた頃はここらだけで80を越す造り酒屋があったそうだ。
もともとこの辺りの領主だった「近衛家」が、ずい分<酒造>に熱心だったという事も
酒造りが栄えた大きな原因だったらしい。
でも<酒造>という職業はなかなか大変なものらしく
例えば、酒造りというのは寒い時期の‘年に1度’しか行なう事が出来ないため
その年の天候の不順により良いお酒が出来なかったとなれば
もう一切合切がパーで、要するに、相当なリスクを背負う職業なのだそうだ。
その大変さからだろうか、ほとんどの酒屋が経営者を代えながら維持してきたのに対し
(ここの岡田さんは4人目の経営者に当たるそうだ)
当地の『小西酒造』だけは、初代の小西さんからずっと今日まで続いていて
これは大変めずらしい例だとの事だった。
聞いてみれば結構楽しい話だった。
その後、最悪なカップル(男はいいのだけど、女性の方が屋敷に入ってくるなり
「わぁ~!!」「スッゴ~イ!!」をけたたましい声で連発の嵐)
が入ってきたのでそっと退散する
市立美術館へ立ち寄ろうと行ってみたが臨時休館日とかで入れなく
とてもガッカリ(観たい絵があった!!)
有岡城跡そばのパンやさんで明日のパンを買う。
が、直後にすごくお腹が空いてきたので
城跡の広場にあがって明日の分のパンを食べてしまった(オイシカッタ
)
帰ろうと思ったが、目の前が<ダイヤモンドシティ・テラス>だったので
(ちょっとだけ・・・)と、さらに寄り道をする。
色々みていたので(少し遅くなってしまったかなぁ)と思いつつ外へ出ると
もう夕暮れだった。
駅の時計を見ると6時を回っていたのでビックリ!
きょうは子ども達が残る日なので、帰宅して大急ぎでコロッケを揚げる。
私はパンを食べてしまっていたので余り入らなかった。
足にマメが出来て痛かったけど、まぁまぁの1日だった。
おわり