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08年05備前小旅行

2013-10-14 13:11:49 | 旅行
                 (08.05)

岡山から赤穂線に乗って東へ10駅行くと備前焼のある「伊部(いんべ)」があ
る。駅の前を国道2号線が通っていて、それを突っ切るとこのような備前焼の
ふる里に行く事ができる。

この写真の突き当たりが伊部駅舎である。向こうの山を越えると瀬戸内海の
久々湾が広がっているはずである。月曜日の10時前という時なので人出はまだ
無い。
 なお、この赤穂線を兵庫県の播州赤穂の終点まで行くと、あの「赤穂浪士」
の赤穂である。














 備前焼きは1000年もの昔から窯の煙が絶えず続いている古い焼き物の里であ
る。












 今もなお、昔ながらの登り窯、松割木の燃料を使い、上薬をかけないで窯変
による妙を追求しているそうである。













 とにかく値段が高いのである。よく行く益子焼きなどと比べると2~3倍の値
札がついているように見受けられる。

 それは古来の焼き方を継承しているのに加え、粘土が違うのだそうだ。「田
土(ひよせ)」と呼ばれる、たんぼの底(5m以上掘る場合もある)から掘り起
こした土と、山土・黒土を混ぜ合わせた鉄分を含む土で焼かれるからである。
さらに数年間も土を眠らせておいてから焼くのだそうだ。










天津神社には備前焼の狛犬が鎮座している。







ここには13の窯元と170人もの作家がいる。
個人で店を構えているものも多い。






人間国宝を5人輩出し、うち伊勢崎淳(1936年生)は現在も活躍中。


























天保3年(1832年)に築窯された「天保窯」





お稲荷さんの狐も焼き物である。





歩き疲れたら、コーヒーを飲みながら休憩である。







 いつもの様に、家人は数万円のお皿を、僕は千円少々の品物を購入し、備前
焼の里を後にした。















備前市作成のHP
http://www.city.bizen.okayama.jp/bizenyaki/hineri.htm














牛窓(うしまど)
伊部から30分ほど南下すると牛窓である。







この牛窓の名前の由来:
『神功皇后の乗った船が大和へ帰還の途中、牛窓の瀬戸を通過する際、その威
光におされて牛鬼か転んだところから、以来この地は「牛転(うしまろび)」
と呼ばれ、それが訛って「牛窓」になったとか。

 とにかくここは、出ていく漁船、帰る大漁船、そしてファッショナブルなヨ
ットやクルーザーの群れと、海からの活気ぬきでは語れない瀬戸内海の良港。

潮の香りに誘われて、町の歴史をひもとけば、江戸時代は西海航路を好んだ参
勤交代の大名たちが、風待ち、潮待ちをした港とか。 また、鎖国の江戸時代、
日本と朝鮮の間には交隣の友好か結ばれ、朝鮮通信使の一行が寄着する、海の
玄関口であったとか。』と観光案内に載っている。







手前の島の向こうに小豆島が微かに見える。





オリーブ園が山の上にあり、その中腹からの眺め。
















岡山城(金鵜城又は鵜城とも呼ばれる)

旭川の流れを取り入れて城を防御している。























『岡山城天守閣の天守台が、不等辺五角形をしているいて、それを上階にいく
につれ、徐々に四角形に修正しているため、このような特徴的な構造となった
のである。五角形の天守台は全国唯一のものであり、四角形以外の天守台も、
岡山城の他には織田信長が築いた安土城(八角形)以外には見られない。』と
説明がしてある。




















正面から見た天守閣
左の白壁は塩蔵



















後楽園


正門入り口







延養亭













唯心山











沢の池























寒翠(かんすい)方面を唯心山から望む











城を望む














僕は岡山・備中高梁の出で、高校までは高梁に居たのであるが、この備前、
や備後も殆ど知らないまま神戸・大阪・東京へ行ってしまったのである。
こんな事では”おえりゃーせん、のー”








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