まるで、力の入れ方を忘れ去ったように、俺の膝がガクリと落ちた。
痛みも苦しみもなかったが、微塵の力も入らなくなった足の違和感に、視界が歪むのを感じる。
ひどく重い身体に、吐き気までもこみ上げる。
一体俺の身体から、何が奪われたと言うのだろう。
「・・・男、ぬしに尋ねよう。」
絶望を象徴するように四つん這いになった俺の頭上で、低く鋭い声が響く。
・・・ヤツの声だった。
俺はなんとか頭を上げると、命乞いをするように仰ぎ見た。
「わらわに足りぬは如何ぞの力。あと何を得ればわらわは満たされる。」
黄昏時の光がヤツを縁取り、表情からは何も読み取ることができなかった。
いや、“何も読み取ることのできない”・・・悲しみも、喜びも、憎しみも、憂いさえも、何もないこその虚無の顔。
さながらそんな表情だった。
「・・・昔、ある女に言われたことがある。“そなたはただ、白いものだ”と。」
戦慄と混乱の中、必死に空気を呼び込む俺を、何の感情も持たずに見下ろす。
抑揚のないその言葉は、ただ訥々と続けられた。
「その言葉の意味がわからなかった。“言葉”すらわらわは知らなかった。
わらわという存在も、その時自分が何をしているのかも。
理由もなく、わらわは鋭く立てた爪を女に突き刺そうとした。
その時だ。女がわらわに何かを尋ねた。何を言っているのかわからなかった。
だからただ、振り上げた手を下ろすのをやめた。
そしたら女が笑ったのだ。そして言った。“そなたはただ、白いものだ”と。」
ヤツの言葉が今、何を語っているのか。俺にはよくわからなかった。
しかしひとつだけわかったことは、ヤツが今おそらく、悲しんでいるということだった。
そしてそこに浮かぶ“女”という言葉の中に、俺はうさの姿を思い浮かべる。
うさ・・・いや、セレニティ。君のこと、なのだろうか。
何の根拠もなかったが、どこかで確信を持ちながら、俺はヤツを睨み返す。
「それが、お前の目的か?
その彼女の言った言葉の意味を知るために、こうして能力を奪ってきたのか?」
ヤツはほんの少しも瞳の色を動かさず、一瞬躊躇ったように黙り込んだ。
そしてどこか寂しげな視線を泳がせたあと、搾り出すような声を出した。
「・・・わからない。」
時間そのものを止めるような間。
静寂よりも静かな動きで、ヤツの手がゆっくりと持ち上げられる。
「わらわには何かが足りぬ。何かが欠けて満たされぬ。
それしかわらわにはわからない。だから、それがわらわは欲しい。」
開く掌。向けられる眼差し。俺はまだ、動けない。
「男。お前なら、わかるかと思った。
・・・だがもう、いい。」
殺意というには、あまりに色のない感情が、刹那俺に向けられたのがわかった。
・・・死ぬ!!!
次の瞬間。
反射的に閉じようとした視界の端に、ひとつの人影が庇うように立ちはだかるのを俺は見た。
【つづく】
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痛みも苦しみもなかったが、微塵の力も入らなくなった足の違和感に、視界が歪むのを感じる。
ひどく重い身体に、吐き気までもこみ上げる。
一体俺の身体から、何が奪われたと言うのだろう。
「・・・男、ぬしに尋ねよう。」
絶望を象徴するように四つん這いになった俺の頭上で、低く鋭い声が響く。
・・・ヤツの声だった。
俺はなんとか頭を上げると、命乞いをするように仰ぎ見た。
「わらわに足りぬは如何ぞの力。あと何を得ればわらわは満たされる。」
黄昏時の光がヤツを縁取り、表情からは何も読み取ることができなかった。
いや、“何も読み取ることのできない”・・・悲しみも、喜びも、憎しみも、憂いさえも、何もないこその虚無の顔。
さながらそんな表情だった。
「・・・昔、ある女に言われたことがある。“そなたはただ、白いものだ”と。」
戦慄と混乱の中、必死に空気を呼び込む俺を、何の感情も持たずに見下ろす。
抑揚のないその言葉は、ただ訥々と続けられた。
「その言葉の意味がわからなかった。“言葉”すらわらわは知らなかった。
わらわという存在も、その時自分が何をしているのかも。
理由もなく、わらわは鋭く立てた爪を女に突き刺そうとした。
その時だ。女がわらわに何かを尋ねた。何を言っているのかわからなかった。
だからただ、振り上げた手を下ろすのをやめた。
そしたら女が笑ったのだ。そして言った。“そなたはただ、白いものだ”と。」
ヤツの言葉が今、何を語っているのか。俺にはよくわからなかった。
しかしひとつだけわかったことは、ヤツが今おそらく、悲しんでいるということだった。
そしてそこに浮かぶ“女”という言葉の中に、俺はうさの姿を思い浮かべる。
うさ・・・いや、セレニティ。君のこと、なのだろうか。
何の根拠もなかったが、どこかで確信を持ちながら、俺はヤツを睨み返す。
「それが、お前の目的か?
その彼女の言った言葉の意味を知るために、こうして能力を奪ってきたのか?」
ヤツはほんの少しも瞳の色を動かさず、一瞬躊躇ったように黙り込んだ。
そしてどこか寂しげな視線を泳がせたあと、搾り出すような声を出した。
「・・・わからない。」
時間そのものを止めるような間。
静寂よりも静かな動きで、ヤツの手がゆっくりと持ち上げられる。
「わらわには何かが足りぬ。何かが欠けて満たされぬ。
それしかわらわにはわからない。だから、それがわらわは欲しい。」
開く掌。向けられる眼差し。俺はまだ、動けない。
「男。お前なら、わかるかと思った。
・・・だがもう、いい。」
殺意というには、あまりに色のない感情が、刹那俺に向けられたのがわかった。
・・・死ぬ!!!
次の瞬間。
反射的に閉じようとした視界の端に、ひとつの人影が庇うように立ちはだかるのを俺は見た。
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