今日3回目見てきました。へたすると次は早くもリハーサル?
やばいなあと思いつつ、メモ取る手はうごかず見入ってしまいます。
まだまだ新しい発見が多く、ますます楽しめました。
さてどこがそんなにいいかですが、これがなかなか言い表せないんです。
でも監督の言葉のなかにそのヒントがあるように思いますので、
それを紹介させていただきます。
ひとつめは、タイトル「ニワトリはハダシだ」。ヒットする映画の
タイトルではないなあという気もしますが、「わかりきったことのたとえ」
を意味するそうです。監督は「それだけの意味ではなくて、
使う人によっていろいろな解釈ができる。つまり誰もが自分の人生哲学を
もって生きているということ。当たり前のことが当たり前でなくなってきた
世の中への違和感も込めている」そうです。「当たり前のことが当たり前で
なくなってきた」という部分は、うなずけますし、そこに監督の怒りが感じ
られます。また、「人生哲学」の部分は、登場人物ひとりひとりに
監督が注入しているということかと思いました。
もうひとつは、この映画の共同脚本(近藤昭二)の方が、月刊シナリオに
書かれていたのですが、監督は知的障害児を記録したドキュメンタリー
「まひるのほし」にでてくる、とてつもなく明るく率直さをもっているシゲちゃん
に衝撃をうけ、「シゲちゃん的存在は、不可逆的に終末へと急ぐ滅亡期の
地球への、最後の抑止力ではないか」と考えられたそうです。
だとするとこの映画の主人公サムには、「最後の抑止力」との思いが
込められているわけで、その思いがサムの周囲の様々な人に対して
生活者としての生きることへのエネルギーを与え、全編満ち満ちている
のではないかと思いました。
とてもわかりにくい文で申し訳ございませんが、映画を見たときには
わかってもらえるのではないかと期待しております。
ではまた。
やばいなあと思いつつ、メモ取る手はうごかず見入ってしまいます。
まだまだ新しい発見が多く、ますます楽しめました。
さてどこがそんなにいいかですが、これがなかなか言い表せないんです。
でも監督の言葉のなかにそのヒントがあるように思いますので、
それを紹介させていただきます。
ひとつめは、タイトル「ニワトリはハダシだ」。ヒットする映画の
タイトルではないなあという気もしますが、「わかりきったことのたとえ」
を意味するそうです。監督は「それだけの意味ではなくて、
使う人によっていろいろな解釈ができる。つまり誰もが自分の人生哲学を
もって生きているということ。当たり前のことが当たり前でなくなってきた
世の中への違和感も込めている」そうです。「当たり前のことが当たり前で
なくなってきた」という部分は、うなずけますし、そこに監督の怒りが感じ
られます。また、「人生哲学」の部分は、登場人物ひとりひとりに
監督が注入しているということかと思いました。
もうひとつは、この映画の共同脚本(近藤昭二)の方が、月刊シナリオに
書かれていたのですが、監督は知的障害児を記録したドキュメンタリー
「まひるのほし」にでてくる、とてつもなく明るく率直さをもっているシゲちゃん
に衝撃をうけ、「シゲちゃん的存在は、不可逆的に終末へと急ぐ滅亡期の
地球への、最後の抑止力ではないか」と考えられたそうです。
だとするとこの映画の主人公サムには、「最後の抑止力」との思いが
込められているわけで、その思いがサムの周囲の様々な人に対して
生活者としての生きることへのエネルギーを与え、全編満ち満ちている
のではないかと思いました。
とてもわかりにくい文で申し訳ございませんが、映画を見たときには
わかってもらえるのではないかと期待しております。
ではまた。