こころの平和から社会の平和へ
水島広子の活動報告や日々思うことを述べさせていただきます。この内容はメールマガジンで配信しています。




2008年5月7日朝、急性心不全のため父・水島裕(ゆたか)が永逝いたしました。

前日まで全く普通に生活しておりましたが、着替えの途中の突然の出来事だったようです。74歳で、相変わらず忙しく様々な活躍をしているところでしたので、全く予期せぬことでした。

私はいわゆる「父親っ子」だったこともあり、心の準備ができていなかった父の死がかなりこたえておりますが、いずれは癒えていくものだろうと思います。しばらくは最低限の仕事をしながら喪に服していこうと思っています。

私が衆議院議員に当選したときに父は自民党の参議院議員でしたので、「いったいどういう親子だろう」と思われた方も多かったかもしれませんが、父はとてもリベラルな人間で、親子としての愛情と価値観は別、という成熟した態度を貫いてくれました。薬事行政という具体的なテーマを持っていた父にとっては、与党に身を置くことに価値があったのだと思います。「政治家」として政治に参加した私と、「実務家」として政治に参加した父との違いです。


父が生前お世話になりました皆様には心から感謝いたします。


以下に、父の人生のポイントを振り返らせていただきます。身内の自慢のようになってしまって恐縮ですが、特別な機会ですのでご容赦ください。

1 画期的な医薬品開発

 内科医であった父は、「医師一人が診療治療できる患者の数は限られるが、優れた薬は多くの患者を救いうる」と、診療とともに、新薬の開発に一生を捧げてきました。特に疾患部位にミサイルのように薬を届かせる画期的な方法を開発しました。このミサイル療法は、現在では一般の方にも知られるようになってきたドラッグデリバリーシステム(DDS)の代表的なものです。特にすばらしい効果が出たのがプロスタグランジンE1と言う薬をナノ粒子に封じ込めたミサイル療法で、動脈硬化、糖尿病、膠原病に絶大な効果があることを発見しました。この製剤は、パルクス・リプルという名前で1988年に発売され、ピーク時には500億円の売り上げを記録しました。近年中国でも発売され、全ての医薬品の中で常にベストスリーに入る売り上げをあげています。

2 大学発ベンチャーの草分け

 ここから得られる特許料の大部分を使い、聖マリアンナ医科大学に1990年に難病治療研究センターを創設し、初代センター長に就任しました。また、1988年には大学発ベンチャーの草分け的存在である、株式会社LTT研究所を立ち上げました。この会社は、株式会社LTTバイオファーマとして、2004年東証マザーズに上場を果たしました。

3 「今日の治療薬」著者

 医書のベストセラーとして有名な「今日の治療薬」(薬の解説と便覧の本、年間14万部)をはじめ多くの著書を出版しています。一方、学会活動も精力的に行い、日本DDS学会、日本炎症・再生医学会を立ち上げ、その理事長、名誉理事長を歴任してきました。

4 医薬行政

 さらに近年では、薬事行政の抜本的改革案として「日本版FDA」の創設を目指して、政治にも参加しておりました。1995年参議院議員、2001年に文部科学省初代政務官に就任し、薬の適応外使用の拡大などを実現してきました。2001年に議員を退いてからも、前議員という立場をフルに活用して政治と行政への働きかけを続けておりました。

 その他、80曲以上の曲を作曲し、囲碁・将棋ともに7段の腕前、ゴルフ、テニス、手品など、多彩な趣味を持ち、我が親ながらユニークな人間であったと思います。また、いろいろな仕事をした父ですが、父親としての愛情は豊富でしたので、私にとっては「仕事と家庭の両立」の一つのロールモデルになっています。



なお、密葬をすでに終えましたが、お別れの会を5月31日の13時より青山葬儀所で執り行います。(詳細などお問い合わせは 03-5733-7390 水島事務所 まで)
  


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