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習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

はてなブログへの引っ越しについて

2025-07-19 11:50:50 | ノンセクション
はてなブログに移転しました。

https://miushin4287.hatenablog.com/

いや、こんなブログ、誰も見ていないんだから、移転通知を出しても意味はないとは承知しておりますが(苦笑)。
でも、まあもしかして万一、定期的に読みに来てくれる人が世界のどこかにいてくれたら、という希望をこめて掲載。
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会えなかった巨星

2025-06-19 12:55:46 | 音楽
 世界的なクラシックピアニストであったアルフレート・ブレンデル氏の訃報が届いた。

 個人的には正直、先日の長嶋さんの訃報より何十倍も衝撃的であった。
 ・・・とは言っても、引退後既に15年以上が経ち、行年94とのことだから、まさに大往生であり、嘆き悲しむ必要はないのかもしれない。


 むしろ嘆き悲しむべきは、生前、引退する前に、幾度も機会があったはずなのに、結局、一度も生演奏に触れられずに終わってしまったことだろう。

 私がある程度ちゃんとクラシックを聴くようになったのは1999~2000年頃からだが、それ以降は来日しなかったか、あるいはしてても私が気づかなかったかで、ともかくもコンサートを聴くことなく終わってしまった。
 痛恨のきわみである。円生師匠や大滝詠一やエリック・ドルフィーを生で聴けなかったのも痛恨だが、そちらは世代的に不可能だったからあきらめもつく。が、ブレンデルはその気になれば、聴く機会はあったはずなのに、と、本当に残念でならない。


 が、たとえ録音を通じてだけでも、ブレンデル氏は、この人と同時代に生きられて良かったと思わせてくれる稀有なアーチストである。
 ブレンデルは、ルービンシュタインやホロヴィッツのような千両役者タイプというか、いかにも「華がある」という感じの長嶋さん型のスターではない。だが、CD等の録音メディアでも、そしてYouTube等にアップされた映像でも、これほど音の美しいピアニストを、私は他に知らない。
 演奏そのものは巷間よく言われる通り、ブレンデルはアルゲリッチのような派手なコケオドシズム的ギミックを使わないため、「芸術は爆発だ」的なリスナーからはあまり評価されてこなかったきらいがあるが、どの録音も比較してみれば、他のどのアーチストよりも美しく心にしみとおる演奏ばかりである。

 もちろん、人によっては異論もあろうが、私の主観では、ベートーヴェンを筆頭に、モーツァルトもシューマンもリストも、あるいはハイドンもシューベルトもブラームスも、この人の音源があるならそれを選んでおいてまず間違いはないという安定度である。とにかく音色が美しい!


 ブレンデルの旧フィリップス時代の音源は、本当に本当に名盤の宝庫で、徹頭徹尾「外れナシ」なので、具体例を挙げるまでもなく、「全てが名盤!」なのだが、それでも強いて挙げるなら。・・・

 まずは、本人のライフワークであるベートーヴェン。
 ピアノソナタ全集は、70年代のものと90年代のものと、どちらも徹底的に練りこまれ考え抜かれた、理詰めでいながら極めて美しい、完璧な演奏なので、甲乙つけがたいのだが、無理やりにでも選ぶなら、70年代のほうか(90年代のほうは、演奏内容はパーフェクトながら、曲によっては、エコーが効きすぎているのが残念!)。
 それから、ピアノ協奏曲全集も、同様に、80年代のレヴァイン/シカゴ響と90年代のラトル/ウィーンフィルと、どちらも本当にいい。こちらもあえてどちらかと選ぶと、レヴァイン盤のほうだろうか。ピアノの美しい音色はどちらも最高だが、オケがより自然で癖のないほうということで。ベトPコン1のカデンツァなんて、旧盤でも新盤でも緊張の糸の張りつめたような、非常にスリリングな名演!
 それから、ベートーヴェンだと、『6つのバガテル』他の小品集も実にいいし、後述するシューマンの交響的練習曲に併録された変奏曲も完璧無双である。

 合わせものだと、ヴァイオリンソナタやピアノ三重奏曲は残念ながら録音されていないようだが、エイドリアン・ブレンデルとのチェロソナタ集については、息子を共演者に起用したのは親バカのゴリ押しか?なんていう先入観を抜きに虚心坦懐に聴けば、普通に納得の優秀絶美盤である。

 ついで、シューベルト。『さすらい人幻想曲』や後期ソナタ、そして即興曲集は、やはりブレンデルの右に出るものはない。即興曲のD935の2番のAフラットメジャーは、私の葬式の時にブレンデルの演奏でかけたいなんて思っている。
 また、ベルリンフィルのメンバーと共演したピアノ五重奏曲D667(いわゆる『ます』)も、実に美しい響きで、同曲の名盤の筆頭に挙げられるだろうし、フィッシャー=ディースカウの『冬の旅』D911の歌伴も実に上手い!と唸らずにはいられない。

 それから、シューマンも、緊張感ある『クライスレリアーナ』と対照的に癒し系美音の『子どもの情景』など、本当に見事な演奏であるし、『交響的練習曲』もブレンデルにしては珍しく剛腕系の、劇的な名演。
 ピアノ協奏曲イ単調も、昔からの定盤としてのアバド/ロンドン響盤、再録のザンデルリンク/フィルハーモニア管盤、引退後の発掘音源たるラトル/ウィーンフィル盤と、いずれをとっても、やはり同曲のファーストチョイスにして間違いない完成度である。
 そして、シューマンで忘れてはならないのが、オーボエのホリガーとの共演盤。作品自体なかなか渋めで、あまりビギナー向けとは思わないが。・・・

 そして、リスト。
 『巡礼の年』やロ短調ソナタなんかも、他の追随を全く許さず、独擅場である(リスト弾きであっても、『カンパネラ』みたいな大向こう受けする派手な曲はレパートリーにしないところがブレンデルらしい)。とくに、『巡礼の年』の「イタリア」なんて、何度聴いても味わい深い。

 アバド/ベルリンフィルとのブラームスの交響曲1番・2番なんかも、ライバル盤は多数ながら、私は断然イチオシである。ブラームスだと、前出のラトルとのシューマンPコンに併録された変奏曲も楽しい。
 もっと新しい時代の音楽で、ムソルグスキーなんかも変わったレパートリーで興味深いし、逆に古いところで、バッハなんかもスキのない名演奏だが、何よりハイドンのソナタなんて、「ハイドンのピアノ音楽って、こんなに良かったんだ!」と目からウロコの銘盤である。

 あとは、私個人があまり思い入れのない作曲家であるがゆえに後回しになってしまったが、やはりモーツァルトか。ソナタも協奏曲も室内楽も、あまりに非の打ち所がないので、かえって論評しにくくて困ってしまうが、ほんの一例として、「トルコ行進曲」(K331)なんて、あの短いシンプルな曲を、ここまで表情豊かに、かつスリリングに即興味あふれる演奏ができるとは、この人は本当の「芸術家」なんだなあ、と、感嘆する。
(とともに、これほどの人を過小評価してアルゲリッチあたりを持ち上げたがる日本の評壇ってのは、本当に全然アテにならんね、と苦笑したくなる)


 改めて、私に幸せな音楽ライフを与えてくれたブレンデル氏に感謝の意を表するとともに、心からご冥福をお祈りします。

 とともに、ポール・ルイス兄(あに)さんには、どうか落ち込まないで、師のかわりにいつか素晴らしいベートーヴェンをライブで聴かせてください・・・とお願いも。
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天国で「来たかチョーさん」そう言って待っていたのかドン川上は

2025-06-14 17:33:40 | スポーツ
 今週、長嶋茂雄氏が亡くなりました。
 もしかすると先週かもしれませんが、私にはわかりません。


 長嶋茂雄氏は、私がものごころついた頃には既に現役を退いていたので、同時代人としてそのプレイを見たわけではありません。
 が、いかに傑出した選手であったかは、その記録をひもとくだけでも、誰でも容易にわかることでしょう。

 「戦後最大のスーパースター」、「国民的ヒーロー」といった惹句の先入観を別にして、純粋に数字成績だけを冷徹に見たとしても、いかに偉大な選手かはよくわかります。

 タイトル歴を見ると、まず右打者なのに首位打者6回は本当に凄いことです。さらに本塁打王2回、打点王5回。そして、特筆すべきは当時タイトルではありませんでしたが、最多安打。実に10回という驚異的な回数で、これは今なお歴代ダントツです。
 さらに入団から引退までベストナインを逃した年が一度たりともないというのも、NPB史上空前で、おそらくは今後もない不世出の大記録でしょう。
 まさに「記憶」だけでなく「記録」の上でも偉大な選手と呼ぶにふさわしいと言えます。守備力・脚力も含めて。


 もちろん、長嶋さんのスーパースターとして、スーパーヒーローとしての凄さは、成績数字だけの話ではありません。

 今回の報道の大きさからわかる通り、20世紀の日本が生んだ最大のスター、と断言してしまってもいいのではないでしょうか。
 実際、亡くなった日の新聞の見出しの大きさなど、もし現職の首相が死んでもこんなに大きく報道されるだろうか?と思うほどのものでした。
 たぶん、石原裕次郎の時や美空ひばりの時以上だったのではないでしょうか。
 同じプロ野球選手で言うと、たとえば王さんがいずれ亡くなっても、ここまで大きく報道されるかどうかはわかりませんし、引き合いに出しては申し訳ないのですが、選手としての通算実績自体では長嶋さんと比べて決して遜色ない土井正博さんあたりがもし亡くなっても、追悼規模は100分の1ぐらいでしょう。

 それは、やはり、娯楽が限られていた時代にして、かつ右肩上がりの「希望」の時代にちょうど当たっていたこと、当時のマスコミ等の報道スタンスが「巨人という主役、その他の脇役・やられ役」という、「アントニオ猪木VS悪役外国人レスラー」並みのアングル世界観だったことと無縁ではありません。

 が、長嶋さん自身、「燃える男」の異名の通り、さんざん言われつくされていることながら、「ここで打ってほしいと思った時に打ってくれる」理想の4番打者だったというのは、まぎれもない事実であり、虚像でも虚構でもありません。

 「打つべき場面で打つ」というのは、無論、単に走者がいる時に打つ、というだけではありません。同じ9回の満塁アーチでも、10対0で勝っている場面での満塁アーチと0対3で負けている場面での満塁アーチとでは、同じ打点4でも、価値は雲泥の差です。
 さらに、同じ決勝ホームランでも、シーズン序盤の決勝打と優勝争いがいよいよ盛り上がってきた時期の決勝打では価値が違います。
 小野俊哉氏の著作でかつて読んだところでは、実際、長嶋さんの「得点圏打率」は、単にランナーなしの時よりランナーありの時のほうがよく打つ、というレベルではなく、たとえば、初回より8回や9回のほうが打率が高い、春先より優勝争いが佳境に入った9月・10月のほうが打率が高い、そしてワンサイドゲームより接戦のほうが打率が高い、というようなデータ結果が本当にあるそうです。


 そういえば、と、私が生まれる前の長嶋さんの活躍エピソードで、「長嶋さんの生涯最高のホームランは、1959年6月のいわゆる天覧ホームランではなく、1968年9月の、バッキー荒川事件でのホームランだ」という主張は、同時代的に知らない私でも強くうなずけるものがあります。
 「バッキー荒川事件」として知られる乱闘事件と、それに続く王さんの死球→担架で退場という騒動の直後に見せた長嶋さんの伝説の一発は、柴田や土井や高田らナインが思わず感動して泣いたという言い伝えのある通り、「これぞヒーロー!」の真骨頂と呼ぶべき場面だったことでしょう。

 だからこそ、山田久志氏などは、
「オールスターでも日本シリーズでも、巨人の選手がベンチから出てきて練習を始めると、自分はついつい無意識にファンの目で背番号3がどこにいるか、いつのまにか探していた」
と語り、柴田勲氏は、
「まさに長嶋さんこそ、ミスタープロ野球。プロ野球とは、スポーツ競技であるとともに、エンタメ興行でもある。だから、プロ野球選手とは、ファンがお金を払ってでもその人を見たい、お金を払ってでもぜひ球場に足を運んでその人を応援したい、と思わせられるようでなければいけない。その点で、長嶋さんが歴代最強であることに異論のある人はいないだろう」
と述べています。
 そう。同じプロから見ても、まさにスターの中のスターだった、ということなのでしょう。

 変な話ですが、もし1960年代にタイムスリップできたら何がしたいか、と聞いたら、長嶋さんの全盛期を見たいと答える人も多いのではないでしょうか。


 ・・・と、そのように、記憶にも記録にも残るスーパープレーヤーだからこそ、同時代人ではない私でも、幾度も本ブログで長嶋氏の名前を挙げてきたわけです。

 正直、過去の拙文で長嶋氏については、だいたい言いたいことは言ってきてしまったので、改めて追悼文として稿を改めるより、「蔵出し」的に過去の駄文をアーカイブ的に振り返るほうが手っ取り早かった気もします。


 私個人は、先ほど書いた通り、長嶋さんの現役時代は知らず、それどころか、第一期監督時代でさえ、私が6歳か7歳ぐらいまでのことなので、ほとんど記憶にありません。
 私が比較的ちゃんと自覚的にプロ野球中継を眺めるようになったのは、1981年に原辰徳が巨人に入って、若大将フィーバーになった頃からだったでしょうか。

 なので、私の場合、世代的にどうしても「巨人ファン」にはなり得ても、「長嶋ファン」、「長嶋信者」にはなりにくい世代となります。
 大瀧詠一氏や清水義範氏、徳光和夫氏、大友康平氏その他、枚挙にいとまがない「巨人ファンというより、それ以前に長嶋ファン」という人々とは、その点でどうしても「思い入れ」に差があります。

 私が自覚的にプロ野球をちゃんと見ていた80年代から90年代というのは、巨人が広岡西武、森西武、野村ヤクルトなどにやられることが多く、巨人ファンとして悔しい思いをすることが多い日々でした。

 私が浪人生を経て大学生となり、やがて卒業して何とか社会人になった時期、というのが長嶋さんの第二次監督時代にあたりますが、元来「巨人ファン」ではあっても別に「長嶋ファン」というわけではなかった当方としては、正直、悔しい思いをさせられるばかりで、強さの上からも、チーム編成のあり方の上からも、長嶋監督をまったく支持する気にはなれなかったものです。

 だから、私も、本ブログで第二次長嶋監督時代の巨人については、実を言うと批判的なことばかり記してきました。
(ちなみに、今回珍しくですます調で書いたのは、以下の引用箇所との区別をしやすくするためです)


> 長嶋第二次政権時代の「大砲だらけ野球」に喜んでいたのは、おそらく中高年の長嶋信者だけで、若い一般の野球ファンの中には、あの時期の巨人の厚顔無恥な札束FA攻勢を見て巨人ファンをやめた人間も少なくないはずである。少なくとも私はその一人である。
> あの時期-落合、江藤、広沢、清原、マルティネスと、大砲ばかりを無節操にかき集めながら、かけた金の割りにはたいして優勝しなかった長嶋巨人を見て、ルール範囲内・常識範囲内のドラフトとトレードを上手に活用するだけで「投手王国」を築き上げ、抜群の優勝率を誇った藤田監督時代をしきりに懐かしく思い出したものだった。
> 当時も今もメインストリームマスコミ世論は長嶋その人には批判的なことは言わないが、長嶋第二次政権時代の巨人は、巨人軍史にとっての「失われた十年」であったと思う。
『誰が野球を歪めたのか/高校野球編(2)』
2013-08-17 11:40:59


 私の、「監督としての」長嶋さんへの評価は、この上記の駄文が全て、と言ってしまってもいいぐらいです。

 さらに、2020年代に原巨人がホークスに2年連続4タテを食らった頃には、こんなことも書いています。


> 長嶋さんのいわゆるひとつの「ほしがり病」というFA金満体質の後遺症をいまだに引きずり続ける巨人を、王さんが育て上げたホークスが圧倒し続けているという事実からは、やっぱり巨人に対し、長嶋さんに対し、王さんは完全なるリベンジを成し遂げたのだと見なしていいのではないか。少なくとも、たとえ巨人ファンであっても、長嶋さん時代以来のFA金満病に罹患したままの巨人が、王さんの育ててきたホークスより「いいチーム」だと思っている人はいないだろう。
『野Q正伝』
2020-12-23 17:15:01


> FA金満ジャイアンツ体質を遺してしまった長嶋さんと比較すると、たしかに2000年の日本シリーズ直接対決では残念ながら王さんは長嶋巨人に敗れはしたが、20年経った今、同じ金持ち球団同士、長嶋さんのFA金満DNAを継いだ読売と王さんが育んできたホークスと、どっちがいいチームになったか、どっちが後世に本当にいい監督として語り継がれるかは、けだし、火を見るより明らかである。
『オール・アバウト・ノム(2)』
2020-04-28 10:03:32


> ノムが著書で指摘している通り、長嶋が本質的に監督に向いていない性格の人間であるところ、「生え抜きを育てて勝つ」、「あらゆる可能性を想定した緻密な守備練習の積み重ねで勝つ」、「投手王国を築いて守り勝つ」という川上哲治や牧野茂、藤田元司が築いてきた巨人の頭脳野球のいい遺産をわざわざ破壊しつくした主犯だということには、私も(不本意ながら)賛同する。
『オール・アバウト・ノム(1)』
2020-04-27 19:06:15


 繰り返しになりますが、私は「長嶋さんがそこにいればとにかく嬉しい」という「長嶋信者」ではなく、あくまで巨人というチームの勝利を願っていた「巨人ファン」でした。

 だから、正直、長嶋さんではなく、たとえば藤田元司さんのように、もっとキチンと自前の選手を育成しながら、なおかつ強いという野球をできる監督に代わってくれたら、と、そんなことばかり思っていたものです。

 実際、野村克也氏が後年の著書で、
「当時(90年代後半)のヤクルトの選手は巨人の札束FA打線を見て、『凄えなあ・・・』と恐れおののいていたが、私は長嶋が監督である限り、少しも巨人が怖いとは思わなかった」
と書いていたのを見て、
「そりゃそうだろうな」
と、苦々しくも大いに納得して笑ってしまったことがあります。
 そう。もし、巨人の監督が広岡達朗や森祇晶だったら、野村克也氏も怖がってくれたことでしょう。・・・と、何年経っても、第二次長嶋時代という、巨人の「失われた10年」にして、かつ私と巨人との永遠の決別となってしまったあの暗黒時代が、本当に、本当に残念でなりません。


 何だか悪口ばかりのようになってしまいましたが、私の書いてきたのは、あくまで監督としての能力や適性の話であって、長嶋さんのプレイヤーとしての偉大さや、ましてや人間としての素晴らしさを否定するつもりは毛頭ない、ということを念のため、強調しておきます。

 そして、上記で何度も否定的に書いてきた「FA金満札束野球」も、実は長嶋さんが悪いというよりは、第一義的にはナベツネら読売の経営陣らが野球を知らないアホどもだったということであって、長嶋さんはむしろその人気とカリスマ性を利用されてしまっただけとも言えましょう(これは、いわゆる江川事件についても同様で、責めを負うべきは長嶋さんではなく、球団幹部たちだったはずです)。


 そして、ここからが眼目なのですが、実を申しますと、私は上記で再三にわたって、90年代~00年代の「第二次長嶋政権」時代を批判してはいますが、70年代後半の「第一次政権」時代の長嶋監督については、必ずしも否定的ではありません。


> ただ、「育成の監督」、「勝負の監督」と分けて評価した場合、長嶋は、70年代の第一期限定なら、育成の監督としてはかなり高く評価されていいはずだ。問題なのは90年代の第二期監督時代に、無意味な四番打者コレクションじみたFA金満チームを作って、その後の巨人の体質に悪しき後遺症を残してしまったことだ。
『オール・アバウト・ノム(1)』
2020-04-27 19:06:15

と書いたように、V9時代のような「盟主巨人、獲りたい放題」の時代でなく、ドラフト制度後の時代において、篠塚和典をはじめ、中畑清、山倉和博、松本匡史、西本聖、定岡正二、といった選手たちを育て上げ(ドラフト破りの江川は最初から「怪物」だったから、チョーさんが「育てた」わけではないけど・・・)、第一次政権と第二次政権の間の十数年、基本的にずーっと優勝を争いほぼAクラスをキープし続ける強豪チームの礎を築いたという功績は、非常に素晴らしいものがあります(もちろん、斎藤雅樹らを育てた藤田元司さんも偉大でした)。

 そのこともあって、私はこんなふうに書いたことがあります。


> だからこそ私は残念でならないのだ。子どもの頃に伝記で読んだ偉大な長嶋さんが、FA金満巨人を作って、今日に至るまで巨人を蝕み続ける悪しき体質を残してしまったという事実が。
> これはあくまでくだらない妄想に過ぎないが、私はこんなことを思う。1980年に巨人監督を解任された長嶋さんが、もし広岡の代わりに財力のある80年代西武の監督になったり、あるいは野村の代わりに若手の伸びしろ抜群の90年代ヤクルトの監督になって、そしてかつての三原脩のように、見事に巨人にリベンジして、川上や藤田をギャフンと言わせていたら(先カンブリア時代語)、巨人監督の地位に恋々とした挙げ句にFA金満ジャイアンツを作ってしまった現実のチョーさんより、ずっとずっとカッコいいチョーさんだったのになあと。
> これは、本人の意志を超えた、スーパースターという地位の重さゆえに、「ミスタージャイアンツに巨人以外のユニフォームは似合わない!」とか何とか言って、巨人以外への監督就任に反対してきた取り巻きどものせいだろう。(←深澤弘とハッキリ言え!)
『オール・アバウト・ノム(1)』
2020-04-27 19:06:15


 これは、今でもそう思っています。

 本当に、そっちのチョーさんのほうが、ずっとずっと「イカしてた」と、思います。

 ただし・・・そうは言いつつ、むしろ長嶋さんのようなプロ野球界の枠を超越した「国民共有の至宝」の人には、そもそもプロ野球のいちチームの監督でなく、80年代から90年代初頭の頃の「スポーツ文化人」としての活動こそが最もふさわしかったとも思っています。
 そう、あの「ヘイ!カール!」でおなじみの、あの時期のようなスポーツ文化人としての活動を、あのままずっと続けていたほうが、現実の巨人の黒歴史なんかより、ずっとずっと良かったのに・・・と。


 と、そんなわけで、長嶋さんについて、愛憎こめて、いろいろと書き散らした過去の駄文を振り返ってきましたが、いわば「まとめ」として、こんなのも。


> 長嶋さんは、監督としての評価は正直なところ厳しい評価しかできないが、(野村克也なんかと違って)基本的に自己弁護のために選手や球団組織の悪口を語ったり本に書いたりしなかったところは本当に尊敬に値すると思う。本当に。
オール・アバウト・ノム(1)
2020-04-27 19:06:15


> だとしても、偉大なアスリートであり偉大な国民的スーパースターであり偉大な人物であることはいささかも揺るぎないのだから、それでいいではないか。たとえ監督としての才が広岡達朗や森祇晶に劣ったとしても、人間性において、長嶋さんが彼らに劣るなんて見なす人は地球上に一人もいないはずだ
『オール・アバウト・ノム(1)』
2020-04-27 19:06:15


 ただし、長嶋さんの人柄の素晴らしさの賛美とは別に、下記の指摘も、重要だと自分では思っているわけですが。・・・


> 川上哲治や藤田元司をさしおいて、なぜ長嶋に「終身名誉監督」なんていう称号を与えるのだ?現役時代の人気と実績でなく、あくまで監督としての功績についての称号なんだろうから、それなら水原・川上・藤田が先であるべきで、彼らにさえついていない称号を長嶋に与えるのは絶対におかしいぞ?とかいう、おそらくはきわめてまっとうな疑問を、商業メディアで言った人は、私は寡聞にして知らない。
『団塊ジュニア的SAYURI談義』
2013-03-24 10:16:47

 まあ、実を言うと、日本プロ野球における「監督」という地位の独自さというの自体、変えられないものかとも思っておりまして。

 いつの頃からかわかりませんが、NPBでは監督は「チームの顔」であり、「大スター選手の上がりポジション」のようになってしまっています。
 「長嶋巨人」、「野村ヤクルト」のように監督名の冠つきでチームが呼ばれ、監督人事によって、集客力が大きく変わるのは周知の通りです。
 が、これはJリーグなどとの比較でも、そしてMLBとの比較でも、まったく独特のNPBだけのガラパゴス現象です。
 アメリカでは、とくにスーパースタープレーヤーだったからと言って、当たり前のように監督に着任する、なんてことはありません。
 たとえば、日本で最もよく知られているメジャー球団のドジャースなどは、V9巨人に影響を与えたオルストン、野茂渡米の時の監督として知られるラソーダと、いずれも選手としての実績のほとんどない人物がそれぞれおよそ20年に渡って監督を務めていました(もちろん「オルストンドジャース」とか「ラソーダドジャース」なんて、誰も呼びません)。

 何でもアメリカに倣えが好きな日本でありながら、「選手としての能力と監督としての能力は別」と、無名選手を監督に抜擢し、それが名監督として大成功・・・という事例は阪急(現オリックス)の西本幸雄・上田利治の師弟ぐらいで、今なおこの部分はメジャーを全く見習わずに、日本ガラパゴスのままです。おそらくこれからもずっと。

 たしかに、もともとアメリカでは監督(manager)の地位が日本ほど絶対権力者ではないという違いもありますが、長嶋さんをはじめ、大スター選手が監督になって、残念な結果に終わったことが多いのを思うと、もっと西本幸雄・上田利治的な事例が増えればいいのに、と思わないでもありません。

 もっと言えば、NPBの監督・コーチも、サッカー界のように、しかるべき指導者としての研修を経て初めてライセンスが受けられるというふうにしたらいいのではないか、そしてメジャーリーグのように2軍で成功してから1軍監督に昇格するというふうにしたらいいのではないか、と、そんなことも思います。

 たぶん未来永劫、絶対にそうはならずに、この日本型システムのまま続いていくんでしょうが。・・・
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MajiでKetoばす5秒前

2025-04-20 02:04:53 | 政治・経済・社会・時事
 広末涼子は、私より5歳以上若いので、あまり同世代アイドルという感覚ではない。(※1)。

 が、それでも、広末がドラマや歌で大人気だった頃、私の在籍していた大学にも広末ファンを自認する友人が何人もいたので、やはり近い年代と言ってもいいだろう。
 とくに、私がそろそろ大学を卒業する頃、それと入れ替わるように、広末涼子が大学進学の時期を迎え、それで、どこの大学に入るのかなどということが、国民的重大事のように報道されていたことをよく覚えている。

 先般、その広末涼子が交通事故を起こした後の搬送先の病院での暴行容疑とやらで逮捕!との報道を聞いて(※2)、今、改めて広末涼子の芸能人生をつらつらと考えてみる。そんな当事者適格があろうとなかろうと(笑)。


 唐突ながら、私たち団塊ジュニア世代は俗に貧乏くじ世代と呼ばれるように、新卒就職の時期にいわゆる就職氷河期だったり(※3)、雇用がようやく良くなってきた頃には既に年齢的に手遅れだったりと、偶然のタイミングで損ばかりしている(と言われる)。
 とくに、学校の受験についてはそれが顕著だった。
 1972年頃から1974年頃の生まれの世代は、とにかく人口がその前後の世代に比べて爆発的に多かったので、小学校の頃から私の学年が一番クラス数が多くて、その下の学年になるにつれてだんだん学級数が減る、なんて具合に可視的に年代ごとの児童人口の差を実感してきた(※4)。

 それゆえ、高校受験でも大学受験でも前後の世代より競争率が高かったことは間違いない(※5)。
 実際、昨今のように、芸能人が猫も杓子もAO入試とやらで、早慶マーチに簡単にー少なくともハタから見たイメージでは簡単そうにー入っちゃっている報道を見るにつけ、私の世代は損しているなあと思わざるを得ない。余計なお世話ながら、予備校の時の友人のあの人もあの人もあの人も、今ならたぶん早慶マーチに簡単に入っていたんだろうになあ、なんて。

 と、そんな団塊ジュニア世代の「損」をいろいろな意味で実体験していた学生時代の私だったから、1998年頃の、昨今の「猫も杓子もAO合格」のはしりのような広末涼子の早大推薦合格の報に、どこかモヤっていたのは事実である。

「やっぱり私立大学というのは、良識の府である以前に、営利事業なのね。でも、宣伝めあてで広末を入れたために、本来なら受かる実力のあった生徒が一人落ちたんじゃないのかね。実力もないのに、名前だけで難関校に合格・・・すなわち、これ不正、否、犯罪というのでは?」
なんて、ルサンチマン丸出しの世間話(?)をみっともなくメールに書いて、当時の心友にやんわり窘(たしな)められたことを思い出す(※6)。

 だが、そんな個人的なつまらない話はともかくとして、その90年代後半頃の広末涼子の輝きと、今の広末涼子のギャップというか、「色褪せぶり」に改めて驚く。

 その頃、われわれ大学生からすればだいぶ年下だった広末だが、アイドル女優として、アイドルシンガーとしての(※7)人気は圧倒的で、当時の十代の女性芸能人の中でも偶像人気は頭一つ抜けていた(※8)。
 たしかに、ファンでも何でもない私でも、広末ファンの友人が
「どうしてこんなに透明なんだろう・・・」
と、ため息まじりにつぶやいた気持ちはよくわかる気がしたものである。

 だからこそ、広末ファンというわけではない私でも、どちらかというと好感を持って『ビーチボーイズ』(1997)(※9)や『踊る大捜査線/歳末警戒スペシャル』(1997)(※10)や『世界で一番パパが好き』(1998)(※11)を見ていた。


 と、そんなふうに昔はとくにファンじゃない人でも老若男女問わず、「ピュアで中性的で透明で、何てかわいいんだろう!」と感嘆させられていた広末涼子が、なぜ、どうして、いつのまにそんなに汚れてしまったんだ???と、吉永小百合や芦田愛菜のケースと比較して、愕然とならないでもない。

 少なくとも高校在学中までは「売れっ子芸能人だけど、堀越学園芸能コースなどではなく、ごく普通の学校に毎日通って、ごく普通の友人たちとごく普通の学校生活を送っている」と報じられていた彼女(※12)。

 それが、いつのまにやら、いろいろな「奇行」が興味本位に報じられたり、主演ドラマのタイトル通りに本当に「できちゃった結婚」をしたり、年配者なら「何だかふしだらだねえ」と眉をひそめるような「恋多き」男性遍歴を報じられたり、挙げ句、不倫騒動まで起こしたり、「そもそも男の趣味があんまり・・・ね。早稲田のくせに、ねえ?」なんて言われちゃったり。
 いつおかしくなった?なんて、その時期を特定したくなってしまうわけだが(※13)。


 まあ、おそらくほうぼうで言われている通り、今さらのタラレバの話ではあるが、ちゃんと高校時代と同じく、真面目に早稲田大に通って、ちゃんと早稲田大の講義を受けて、早稲田大の人たちと普通に交流して、そして卒業していたら・・・そしたら、もっとまともな大人になっていたろうし、もちろん世間の目も全く違ったろうね。と、そんなふうに思わざるを得ない。

 本当に、今さら詮ないことであるが、高校時代と同じく、仕事をセーブして、親戚の家からちゃんと人並みに早大に通っていたら、まず本人の教養の豊かさが大きく変わっていたはずである。

 演劇研究の伝統のある早稲田で、近松やシェイクスピアをきちんと学んでも良かったろう。大学公認の短期留学か何かで本場のグローブ座のステージに触れてみるのも良かったろう。スタニスラフスキー・システムを学び、リー・ストラスバーグのメソード演技を学んでも良かったろう。
 そうやって、教養を身につけることが俳優としての幅になるとともに、社会的信頼にもなって、今より遥かに重用される俳優になっていたに違いない。

 が、そうはならずに、せっかく受かった大学にロクに通わず、中退に終わってしまったのは、当時のプロダクションが売れてる旬のうちに稼がせたくてガンガン仕事を入れてしまい、忙しくて通学できなかったという不可抗力事情もあろうが、本人も結局のところ実は学生生活より芸能活動のほうが楽しかったのだろうと思う。
 親戚の家から一般人のクラスメートと一緒に電車で通学していた高校時代と違って、一気に自由な立場となって、タガが外れてしまったという面もあったろう(※14)。

 たしかに、芸能プロダクションとしては稼げるうちに稼いでもらいたいと思うのは当然だし、本人も自分でなりたくてなった芸能人稼業だから、芸能活動を優先したいと思ってしまったのはしかたない。
 しかし、芦田愛菜がそうであるように、もし学業優先で仕事をセーブして、一時的に露出が激減したとしても、やりようによっては決して忘れ去られたりはしないはず。それどころか、上手くやれば、「充電」前よりもっと大成することだってできたはず(※15)。


 同じように不祥事の悪評が絶えないスピードの今井絵理子やモー娘の加護亜依が、まともに学校に通わずにローティーンの頃から「華やかな芸能界」に溺れて、無学・無教養のままで「ダメな大人」になってしまった(※16)のと違って、広末は少なくとも高校まではまともに教育を受けていたのだし、一流と呼ばれる大学にも進めたのだから(※17)、俳優としても、私生活面でも、絶対にもっといい別の人生を歩んでいた可能性があったはず。
 そうしたら、たとえば吉永小百合のような、人気芸能人としてだけでなく、「模範的人間」としても社会から畏敬される存在になっていたはず。

 もちろん、現実の歩みとイフの世界とでどっちが良かったかというのは、われわれ他人がとやかく言うことではなく、あくまで本人がどう思っているかなのだが。・・・・・・



(※1)

私の、下のきょうだいが広末と同学年ではあるが。


(※2)

私は、この拙稿のタイトルを最初、『MajiでTsukaまる5秒前』とつけようと思いついて、う~ン、我ながら冴エテル!なんて自画自賛で大喜びしたのだが、(でも、同じネタを考えているヤツ、いっぱいいそうだなw)と思って、念のためググったら、本当にいっぱいいた(笑)。
そこで、今度は「MajiでKetoばす5秒前」にしようと思って、また念のためググったら、こっちも同じこと考えているヤツいっぱいいた(笑)。
でも、まあやむを得まいと諦めて、さてどっちにしようかなと考えたわけだが、まあ、元ネタと同じ「MK5」と略せるほうが良かろうと判断して、「Ketoばす」のほうにした。
本当にクソどうでもいい悩みである(笑)。もっと他に真剣に考えることないんだろうか(呆笑)。
ちなみに、さらにどうでもいい余談として、昨2024年の2月頃に、昔の爆弾テロ事件の指名手配犯の桐島聡という人が、約半世紀の逃亡生活の末、死の直前に自らの正体をカミングアウトした・・・という報道に接して、『桐島、逃亡やめるってよ』というパロディタイトルを思いついた時も、(どうせ同じネタを考えているヤツいっぱいいるんだろうなw)とググってみたら、案の定いっぱいいたから書くのをやめたということがあった(笑)。


(※3)

民間企業の就職がバブル崩壊後の「失われた10年」の真っただ中で最悪だった、だけではない。
私は文学部の教育学専攻だったからよく覚えているが、本来なら景気の動向とは関係のない教員採用のほうでも、そっちはそっちで少子化による学校統廃合がドンドン進められていた上、その時期はまだまだ団塊の世代のベテラン教員がいっぱい残っていたから、教員の就職は物凄い狭き門で、宝クジ並みの倍率だなんて言っていたものである。
だから、私の学友でも、正雇用の教員になれたのは、浪人なんてせずに成績も優秀で要領も良かった人間か、地元の名士の子どもでコネがあるような人間だけだった。
それが今や、教員は「なりたければ誰でもなれる」職業になってしまったのだから、隔世の感で驚くとともに、改めてわが世代のトコトンついてない貧乏くじ世代っぷりに自虐笑いするしかなくなる。


(※4)

拙ブログ『ある学級会の風景』 2024年10月25日 参照


(※5)

中学受験は時代により参加率がかなり変わるので、基本人口より参加率のほうが重要である。


(※6)

別に思い出したくもない過去だが(苦笑)。


(※7)

1970年代、80年代の女性アイドルは、山口百恵が典型であるように、歌と演技を兼ねていた。
たしかに大抵はどちらかに比重の大小があるのが普通で、山口百恵などはかなり50/50だったイメージがあるが、森昌子、岩崎宏美、太田裕美、松田聖子、中森明菜、工藤静香などは人気絶頂期から一貫して歌手のほうが本業で、現在でも普通は歌手という肩書きで紹介され、女優と呼ばれることはほとんどない。
いっぽう、浅田美代子、伊藤蘭、田中好子、小泉今日子、斉藤由貴、南野陽子、中山美穂、それにー90年代になるがー篠原涼子などは、ヒット曲に恵まれ、歌手としての明確な地位を得つつも、最終的には女優を本業にした(薬師丸ひろ子や原田知世などの「角川系」は、アイドル人気全盛の頃から既に本業・女優で副業・歌手と明確に認識されていたといえよう)。
もちろん宮沢りえも同様。高岡早紀も完全に女優(この人の場合は歌手としてのヒット曲がそもそもないけど・・・)。深津絵里や永作博美や満島ひかりに至ってはかつてアイドル歌手だったということ自体が今では知られていない。
で、広末涼子の時代は既に「昭和型アイドル」の時代ではなかったが、単独コンサートツアーを行うなど、けっこうしっかり「歌手」していた。が、何となく気がついたら歌手はやらなくなっていた。
最初から本人も事務所も、聖子・明菜型でなくキョンキョン・中山型を目指すと決めていたのだろう。
で、そんな広末涼子の歌手としてのディスコグラフィを見ると、デビュー曲が竹内まりやの作品で、それから岡本真夜、原由子、広瀬香美と、女性シンガーソングライターの委嘱が多かった。が、そんな中で、『ジーンズ』という曲では珍しく職業作詞家・作曲家を起用しており、実を言うと、私個人的にはこの曲が一番好きである。
それにしても、「学校やめてバイトをしている友達・・・」とか歌っていた本人が、まさかせっかく入った大学を辞めちゃうとはね。・・・


(※8)

私が学生だった90年代中頃から後半の時期、アイドル的な若手女性芸能人の人気というと、広末以外ではやはりスピードが強かったろうか。モーニング娘。全盛期は、もう少しだけ後になる。他にも華原朋美、鈴木あみ、浜崎あゆみなんていたが。
男性アイドルだと、やはりスマップの全盛時代にあたるが、スマップはもうとっくに二十歳を過ぎていたから、もうちょっと若い人たちだと、キンキキッズだったかな。


(※9)

ドラマ『ビーチボーイズ』の熱心なファンだったのは、私よりむしろ当時反町ファンだった亡母だが。
でも、竹野内豊って本当にいい声だよねえ、と、私も隣で観ながらいつも感銘を受けていた。


(※10)

『踊る』シリーズは、小池栄子や阿部サダヲ、水川あさみ、松重豊など後の有名芸能人の駆け出し時代が見られることでも知られているが、稲垣吾郎をメインゲストに迎えた『歳末警戒~』は、仲間由紀恵や伊藤英明のブレイク前の貴重な姿が見られることでも特筆される。
とともに、内容的にも他のスペシャルや劇場版よりよほどおもしろかった。
でも、版権にうるさい旧ジャニーズをメインゲストにしたからか、他のスペシャル版や劇場版と違ってCS放送などでの再放送の機会にめぐまれないのが残念である。
で、この『歳末警戒~』での広末はというと、「重要な役だけどこの時は無名だった」仲間由紀恵とは逆に、「重要な役じゃないけど当時大人気だったから話題作りでカメオ出演」という形だった。正直、物語進行上はいてもいなくてもどっちでもいい役だった(笑)。
ちなみに余談の余談で、仲間由紀恵は広末とほぼ同年代であるが、雰囲気的に広末よりずっと落ち着いて見えるのみならず、実際に俳優としても一人の人間としても、広末よりずっと社会的信用度のある安定した人物という感じがする。
本文に書いた通り、広末だって、十代の終わり頃にもっとキチンと自分を律していれば、今頃そんな立ち位置になっていたろうに(仮定法過去と仮定法過去完了のハイブリッド)。


(※11)

「この顔の親からこの顔の子どもが生まれるわけないだろ」は、全てのフィクションドラマの親子設定に対する「それを言っちゃおしまい」の無粋なツッコミだが、明石家さんまと広末が親子というのも、普通に考えればあり得ない話である(笑)。
と、それはさておき、真面目な話として、やはりドラマ(や映画)というのは、男性プロデューサーたちが「おじさん目線」で企画するものなんだね、と、このような作品を見るとつくづく思う。
「父と娘(美人)の物語」という、オッサンたちにとっての「こんな娘がいたらいいだろうなあ」の気持ち悪い妄想のようなドラマ(や映画)の何と多いことか!父と娘の二人家庭のドラマ(や映画)の何と多いことか!
ためしに、「父と息子」や「母と息子」をテーマにしたドラマと供給量を比較してみれば即座にわかるはずである(広末も、後の『オヤジぃ。』(2000)など、何度も「父親から見た理想の娘」を演じさせられている)。


(※12)

私事の余談ながら、広末が早大に入った頃、彼女の母校の品川女学院高校のすぐ近くの救急病院に、当時のバイト先のボスが交通事故で入院し、お見舞いに行ったことがあった。
その時、「早稲田に受かったとかで今話題の広末涼子って、このすぐ隣の高校に通っているらしいですよ」なんて話をしたことを覚えている。
それから四半世紀あまりが過ぎ、もうそのボスも亡くなってしまったが。


(※13)

数々の悪評を重ねた末に、とうとう逮捕・・・という報には、同郷のお姉さんとして彼女のことを心配しながら見守ってきた(想像)、楽曲提供担当の岡本真夜さんも、さぞかしガッカリしていることだろう。


(※14)

マスコミ報道が過剰で、なかなか通えなかった、と彼女を擁護する意見ももちろんよくわかるが、それはあくまで最初の頃だけのはずである。その後は通おうと思えば普通に通えたはずである。ちゃんと本人に通おうという意志さえあれば。


(※15)

分野は違うが、クラシックピアニストのマウリツィオ・ポリーニのように、コンクールで優勝してすぐに売れっ子になれる立場にいながら、あえて表舞台から引っ込み、何年も研鑽に専念したことで、結果的に充電前より遥かに巨大な名声を手にしたというケースもある。


(※16)

でも、加護亜依と違って、今井絵理子の場合、その「ダメな大人」が「上級国民」になってしまっているあたり、日本の民度ってやつの病理は根深いね。


(※17)

いわゆるAO入試自体の是非はともかくとして。
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ハリーがサリーに会った時(7)

2025-04-18 09:39:16 | 映画
(7)さらなるついでの戯れ言として


 さらにオマケ。
 最後だけ、実は映画じゃなくて音楽の話。

 洋画じゃなく、洋楽でも奇妙な邦題って多いよね。『ジョン・レノン&プラスチック・オノ・バンド(John Lennon/Plastic Ono Band)』というアルバムタイトルが、なぜか『ジョンの魂』とか!

 ビートルズの曲名だと、『忙しい日の夜( A Hard Day's Night)』が『ビートルズがやってくるヤア!ヤア!ヤア!』、『手を握りたい(I Want to Hold Your Hand)』が『抱きしめたい』、『僕らはできる(We Can Work It Out)』が『恋を抱きしめよう』みたいに(※27)。

 クイーンも、『君自身を生かすんだ(Keep Yourself Alive)』が『炎のロックンロール』とか『もう一人は死ぬ(Another One Bites the Dust)』が『地獄へ道づれ』という邦題はどうなんだろう・・・?とくに前者はかなりかけ離れている。
 それに比べると、ザ・フーは『代替(Substitute)』が『恋のピンチヒッター』、『僕は何マイルも見える(I Can See for Miles)』が『恋のマジックアイ』と、比較的もとの意味に近い・・・が、ダサい(笑)。


 知らない人でも実は聞いたことがある(と思う。保留音として!)オリビア・ニュートン・ジョン『まったりしたことないの?(Have You Never Been Mellow)』が『そよ風の誘惑』、なんてのもあるな。
 80年代洋楽だと、『女の子たちはただ楽しみたいだけ(Girls Just Want to Have Fun)』が『ハイスクールはダンステリア』(シンディ・ローパー)、『君は本当に僕を傷つけたいのかい(Do You Really Want to Hurt Me)』が『君は完璧さ』(カルチャー・クラブ)、『あなたはいい愛をくれる(You Give Good Love)』が『そよ風の贈り物』(ホイットニー・ヒューストン)、『それは罪((It's a Sin)』が『哀しみの天使』(ペットショップボーイズ)とか、相当メチャクチャである(笑)。
 『何物も僕の君への愛を変えることはない(Nothing's Gonna Change My Love For You)』が『変わらぬ想い』(ジョージ・ベンソン)ぐらいなら、まだいいかな(※28)。
 『ただ君のままで(Just the Way You Are)』が『素顔のままで』(ビリー・ジョエル)なんて、むしろセンスのいい邦題だと思う(※29)。


 アルバムタイトルのほうに戻ると、『原子心母』Atom Heart Mother(ピンクフロイド)とか『対自核』Look at Yourself(ユーライア・ヒープ)なんかは、なかなか適切な邦題で、マル。
 しかし、エルヴィスのデビューアルバム『Elvis Presley』が『エルヴィス・プレスリー登場!』なんてのは、いかにも昔の日本人がやらかしそうなダサい邦題だぁね。

 ジャズのほうでも、オスカー・ピーターソンの直訳だと『私は本当にこんなふうに弾く(The way I really play)』が『オスカー・ピーターソンの世界』とか、ギル・エヴァンスの直訳だと『ギル・エヴァンスの個人主義(The Individualism Of Gil Evans)』が『ギル・エヴァンスの個性と発展』とか、う~ん・・・!?という感じか。


(※27)

あと、村上春樹のおかげでよく知られる『ノルウェイの森』の原題Norwegian Woodは、本当は「ノルウェイの森」という意味ではなく、「ノルウェイ製の木の家具」ぐらいだと言われている。


(※28)

ただし、私が最初にこの曲を知ったのは、ジョージ・ベンソンでなく、グレン・メディロスのバージョンによってである。


(※29)

ちなみに、この間奏のサックスソロが実はフィル・ウッズだったと後で知ったときは大いに驚きつつ、されど大いに納得したものである。
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