今日は8月15日。終戦の日である・・・というのは、うそである。
だから、私は毎年そう言い続けている。
以下、理由を述べよう。
世界史的に、第二次世界大戦のうち、日本の関わった戦線がどれほどの重みでみなされているかは、ひとまず置く。世界史的に、ポツダム会談がヤルタ会談と比べてどれほどの重要性をもって見られているかも、ひとまず置く。が、ともかくポツダム宣言というものが日本に発せられ、ときの日本政府がいったん黙殺した後、原爆投下というよりソ連の対日参戦を受け、慌てて、受諾すると先方に言ったのが1945年8月14日。それによって、「休戦の内定」が成立したことになる。
かくして、武装解除した日本に占領軍がやってきて、同年9月2日、降伏文書が調印される。ここで、「休戦の契約」がなりたったことになる。
だが、本当に戦争状態を国際法的に終わらせるには、たとえばヴェルサイユ条約のような講和条約を結ばねばならない。第一次大戦でもキール軍港の事件を機に休戦した後、ドイツと連合軍のヴェルサイユ条約が調印された時点で本当に「戦争状態が終わった」わけだ(余談ながら、その伝でいくと、朝鮮戦争も終わっていないことになる)。
すると、日本にとっては交戦国の多く(すべてではない)と講和条約を結んだサンフランシスコ条約調印のとき-1951年9月8日-、そして発効のとき-1952年4月28日-が文字通りの「戦争状態の終了」となる。少なくとも、米国や英国などとは。
ということでみていくと、
1945年8月14日 敗戦内定の日
1945年9月2日 敗戦契約の日
1951年9月8日 戦争状態が正式に終わることが確定した日
1952年4月28日 戦争状態が正式に終わった日
となる。
では、1945年8月15日は??
それは、ご案内の通り、いわゆる玉音放送という、例のラジオが放送された日。
ただそれだけ。
私は別に一般的了解事項の揚げ足取りをしたいわけではない。
しかし、8月15日を「終戦の日」と呼ぶことに二つの点で強く欺瞞を感じる。ひとつは日づけ、そしてもうひとつは呼称。
じゃあ、まずいつなら妥当と思うのか。国際慣習にてらせば、たとえばドイツ敗戦の日がいつかということを考慮に入れれば、それは降伏文書調印の日、すなわち9月2日とするのが常識的判断となる。
たしかに8月15日は旧盆で、みんなが田舎に帰るから、ご先祖の供養と一緒に戦没者の供養をするのにも都合がいいだろう。しかし、「戦争が終わる」とは何かと考えれば、ラジオ放送の日=終戦の日とはなりえない。せいぜい「敗戦決定発表の日」だろう。
今、ここで「敗戦」と言ったが、ここで第二の欺瞞を指摘する。そう、呼び名のことだ。
「終戦」。この言葉は、「終わる」という自動詞的な言葉だ。しかし、誰かが始めたから終わるんであって、誰かが誰かに勝ち、誰かが誰かに負けたから終わるのだ(当たり前)。
ハル・ノートという「果たし状」をつきつけた米国が悪いか、その挑発に乗った日本が悪いかという歴史観論争は田母神元幕僚長にでも任せる。だが、当然ながら、わが国の指導者層が開戦を決断したから戦争は始まった。善悪是非の問題ではなく。そして、総力戦に敗れた。戦略的にも、戦術的にも、軍事的敗北を喫した。これも善悪是非の問題ではなく。結果は焦土と300万人命の損失だった。
その事実は、理念的に正しいか否かという以前に、「失敗」という結果を明確につきつけてきていると言わざるを得ない。
300万の同胞は「死んだ」んじゃない、「殺された」んだ。「殺した」主語があるから、「殺された」同胞がいたんだ。誰が、何が、殺したんだ。・・・主語は複数ある。もちろん自国にも、そして敵方にも。
それをぼかしてはならないと思う。
「9月2日敗戦の日」ではなく、「8月15日終戦の日」と言ったとき、何か大切な本質が覆い隠され、まるで天災の慰霊のような責任をぼかした鎮魂になりやしないか。
そんなことまで思い合わせながら、思想的偏向に陥ることなく、冷静に歴史を受け止め、そしてこの国の同胞として生まれながら戦争で殺された人々の無念を思い、この「敗戦決定発表の日」に、私は、その死を悼み、冥福を祈る気持ちを新たにする。・・・
だから、私は毎年そう言い続けている。
以下、理由を述べよう。
世界史的に、第二次世界大戦のうち、日本の関わった戦線がどれほどの重みでみなされているかは、ひとまず置く。世界史的に、ポツダム会談がヤルタ会談と比べてどれほどの重要性をもって見られているかも、ひとまず置く。が、ともかくポツダム宣言というものが日本に発せられ、ときの日本政府がいったん黙殺した後、原爆投下というよりソ連の対日参戦を受け、慌てて、受諾すると先方に言ったのが1945年8月14日。それによって、「休戦の内定」が成立したことになる。
かくして、武装解除した日本に占領軍がやってきて、同年9月2日、降伏文書が調印される。ここで、「休戦の契約」がなりたったことになる。
だが、本当に戦争状態を国際法的に終わらせるには、たとえばヴェルサイユ条約のような講和条約を結ばねばならない。第一次大戦でもキール軍港の事件を機に休戦した後、ドイツと連合軍のヴェルサイユ条約が調印された時点で本当に「戦争状態が終わった」わけだ(余談ながら、その伝でいくと、朝鮮戦争も終わっていないことになる)。
すると、日本にとっては交戦国の多く(すべてではない)と講和条約を結んだサンフランシスコ条約調印のとき-1951年9月8日-、そして発効のとき-1952年4月28日-が文字通りの「戦争状態の終了」となる。少なくとも、米国や英国などとは。
ということでみていくと、
1945年8月14日 敗戦内定の日
1945年9月2日 敗戦契約の日
1951年9月8日 戦争状態が正式に終わることが確定した日
1952年4月28日 戦争状態が正式に終わった日
となる。
では、1945年8月15日は??
それは、ご案内の通り、いわゆる玉音放送という、例のラジオが放送された日。
ただそれだけ。
私は別に一般的了解事項の揚げ足取りをしたいわけではない。
しかし、8月15日を「終戦の日」と呼ぶことに二つの点で強く欺瞞を感じる。ひとつは日づけ、そしてもうひとつは呼称。
じゃあ、まずいつなら妥当と思うのか。国際慣習にてらせば、たとえばドイツ敗戦の日がいつかということを考慮に入れれば、それは降伏文書調印の日、すなわち9月2日とするのが常識的判断となる。
たしかに8月15日は旧盆で、みんなが田舎に帰るから、ご先祖の供養と一緒に戦没者の供養をするのにも都合がいいだろう。しかし、「戦争が終わる」とは何かと考えれば、ラジオ放送の日=終戦の日とはなりえない。せいぜい「敗戦決定発表の日」だろう。
今、ここで「敗戦」と言ったが、ここで第二の欺瞞を指摘する。そう、呼び名のことだ。
「終戦」。この言葉は、「終わる」という自動詞的な言葉だ。しかし、誰かが始めたから終わるんであって、誰かが誰かに勝ち、誰かが誰かに負けたから終わるのだ(当たり前)。
ハル・ノートという「果たし状」をつきつけた米国が悪いか、その挑発に乗った日本が悪いかという歴史観論争は田母神元幕僚長にでも任せる。だが、当然ながら、わが国の指導者層が開戦を決断したから戦争は始まった。善悪是非の問題ではなく。そして、総力戦に敗れた。戦略的にも、戦術的にも、軍事的敗北を喫した。これも善悪是非の問題ではなく。結果は焦土と300万人命の損失だった。
その事実は、理念的に正しいか否かという以前に、「失敗」という結果を明確につきつけてきていると言わざるを得ない。
300万の同胞は「死んだ」んじゃない、「殺された」んだ。「殺した」主語があるから、「殺された」同胞がいたんだ。誰が、何が、殺したんだ。・・・主語は複数ある。もちろん自国にも、そして敵方にも。
それをぼかしてはならないと思う。
「9月2日敗戦の日」ではなく、「8月15日終戦の日」と言ったとき、何か大切な本質が覆い隠され、まるで天災の慰霊のような責任をぼかした鎮魂になりやしないか。
そんなことまで思い合わせながら、思想的偏向に陥ることなく、冷静に歴史を受け止め、そしてこの国の同胞として生まれながら戦争で殺された人々の無念を思い、この「敗戦決定発表の日」に、私は、その死を悼み、冥福を祈る気持ちを新たにする。・・・