習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

【再掲載】いわゆる終戦の日に

2010-08-15 09:04:17 | 歴史
 今日は8月15日。終戦の日である・・・というのは、うそである。
 だから、私は毎年そう言い続けている。


 以下、理由を述べよう。

 世界史的に、第二次世界大戦のうち、日本の関わった戦線がどれほどの重みでみなされているかは、ひとまず置く。世界史的に、ポツダム会談がヤルタ会談と比べてどれほどの重要性をもって見られているかも、ひとまず置く。が、ともかくポツダム宣言というものが日本に発せられ、ときの日本政府がいったん黙殺した後、原爆投下というよりソ連の対日参戦を受け、慌てて、受諾すると先方に言ったのが1945年8月14日。それによって、「休戦の内定」が成立したことになる。
 かくして、武装解除した日本に占領軍がやってきて、同年9月2日、降伏文書が調印される。ここで、「休戦の契約」がなりたったことになる。

 だが、本当に戦争状態を国際法的に終わらせるには、たとえばヴェルサイユ条約のような講和条約を結ばねばならない。第一次大戦でもキール軍港の事件を機に休戦した後、ドイツと連合軍のヴェルサイユ条約が調印された時点で本当に「戦争状態が終わった」わけだ(余談ながら、その伝でいくと、朝鮮戦争も終わっていないことになる)。
 すると、日本にとっては交戦国の多く(すべてではない)と講和条約を結んだサンフランシスコ条約調印のとき-1951年9月8日-、そして発効のとき-1952年4月28日-が文字通りの「戦争状態の終了」となる。少なくとも、米国や英国などとは。

 ということでみていくと、

1945年8月14日 敗戦内定の日
1945年9月2日  敗戦契約の日
1951年9月8日  戦争状態が正式に終わることが確定した日
1952年4月28日 戦争状態が正式に終わった日

となる。


 では、1945年8月15日は??

 それは、ご案内の通り、いわゆる玉音放送という、例のラジオが放送された日。
 ただそれだけ。


 私は別に一般的了解事項の揚げ足取りをしたいわけではない。
 しかし、8月15日を「終戦の日」と呼ぶことに二つの点で強く欺瞞を感じる。ひとつは日づけ、そしてもうひとつは呼称。

 じゃあ、まずいつなら妥当と思うのか。国際慣習にてらせば、たとえばドイツ敗戦の日がいつかということを考慮に入れれば、それは降伏文書調印の日、すなわち9月2日とするのが常識的判断となる。
 たしかに8月15日は旧盆で、みんなが田舎に帰るから、ご先祖の供養と一緒に戦没者の供養をするのにも都合がいいだろう。しかし、「戦争が終わる」とは何かと考えれば、ラジオ放送の日=終戦の日とはなりえない。せいぜい「敗戦決定発表の日」だろう。

 今、ここで「敗戦」と言ったが、ここで第二の欺瞞を指摘する。そう、呼び名のことだ。
 「終戦」。この言葉は、「終わる」という自動詞的な言葉だ。しかし、誰かが始めたから終わるんであって、誰かが誰かに勝ち、誰かが誰かに負けたから終わるのだ(当たり前)。

 ハル・ノートという「果たし状」をつきつけた米国が悪いか、その挑発に乗った日本が悪いかという歴史観論争は田母神元幕僚長にでも任せる。だが、当然ながら、わが国の指導者層が開戦を決断したから戦争は始まった。善悪是非の問題ではなく。そして、総力戦に敗れた。戦略的にも、戦術的にも、軍事的敗北を喫した。これも善悪是非の問題ではなく。結果は焦土と300万人命の損失だった。
 その事実は、理念的に正しいか否かという以前に、「失敗」という結果を明確につきつけてきていると言わざるを得ない。
 
 300万の同胞は「死んだ」んじゃない、「殺された」んだ。「殺した」主語があるから、「殺された」同胞がいたんだ。誰が、何が、殺したんだ。・・・主語は複数ある。もちろん自国にも、そして敵方にも。
 それをぼかしてはならないと思う。

 「9月2日敗戦の日」ではなく、「8月15日終戦の日」と言ったとき、何か大切な本質が覆い隠され、まるで天災の慰霊のような責任をぼかした鎮魂になりやしないか。


 そんなことまで思い合わせながら、思想的偏向に陥ることなく、冷静に歴史を受け止め、そしてこの国の同胞として生まれながら戦争で殺された人々の無念を思い、この「敗戦決定発表の日」に、私は、その死を悼み、冥福を祈る気持ちを新たにする。・・・
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栄冠は僕には輝かない

2010-08-08 13:39:48 | スポーツ
 「霧の都」といえばロンドン、「水の都」といえばヴェネツィア、「千年の都」といえば京都、「霊峰」といえば富士山、「世界の屋根」といえばヒマラヤ山脈、「百獣の王」といえばライオン、「楽聖」といえばベートーヴェン、「俳聖」といえば松尾芭蕉・・・という具合に、常套的に用いられる枕詞を挙げていくとキリがないが、では、「伝統の一戦」という枕詞に続く日本語は何だろう。
 野球の早慶戦やラグビーの早明戦を思い浮かべる向きも少なくないだろうが、やはり何といっても巨人・阪神戦を連想する者が圧倒的に多いのではないか。実際、「伝統の一戦」は、ほとんどGT戦を指し示す固有名詞のようになっている感さえある。
 たとえば、車の中でラジオ中継などを聴くと、試合前やCM明けに「伝統の一戦」という決まり文句が発せられないことはない。
 そう、たしかに日本のプロ野球で「伝統の一戦」と呼ぶのに一番ふさわしいのは現実問題、巨人・阪神戦がやはり妥当なのだろう。何しろ、1リーグ時代は巨人、阪神と今のソフトバンクしか優勝チームがなく、とくに戦前は巨人と阪神しか優勝経験がないという歴史を持つ国である。昭和天皇によるNPB唯一の公式戦御前試合も巨人・阪神戦であった。


 さて、そんな「伝統の一戦」のGT戦だが、73年の有名な巨人V9の年の最終戦優勝争い以降は、実は優勝争いのカードにはなっていない時代が長かった。すなわち、巨人が強い時期には阪神が冬の時代として低迷していることが多く、逆に阪神が強い年に限って巨人が不振、という具合に。
 それが、ここ数年は、「伝統の一戦」こそセ・リーグの看板興行、イコール正真正銘の優勝争い2強のカード、というようになってきた。とくに今年は、この稿を書いている今の時点で、首位が日ごとに入れ替わるスリリングなシーソーゲームを演じている。
 そう。これこそ、セ・リーグのまさにあるべき姿。本来の姿。プロ野球界全体にとっても、まことに喜ばしい「常態」なのである。ヤクルトだの何だのがたびたび優勝していた時期など、僭越はなはだしい、実にイレギュラーな悪夢のような時期だったとして、忘れ去らねばならない。・・・


 ・・・などとそこまで書けば、さすがに相当かたよった見方であり、独善的な価値観だと思われるだろう。
 しかし、実際、巨人ファンも、あるいは阪神ファンも、とくに中高年層は上記のような独善的世界観を多かれ少なかれ持っているのではないか。

 当然のことながら、元来、スポーツというのは、特定の主人公がいて、その他はそれを引き立てるための脇役として存在している・・・などということはありえない。スポーツと芝居とは違うのだから。
 なのに、やっぱりついついそういう観賞スタンスで接してしまうという陥穽は誰にでもある。とくに国別対抗の形をとるときには。

 私はもともと、巨人DNAみたいな家庭に成育したから、知らず知らず、巨人中心史観でプロ野球を見てしまう悪い癖から正直脱却できずにいる。
 それゆえ、わかっているつもりでも、「巨人という主人公とその他の脇役・悪役」みたいな芝居的構図に無意識にあてはめてプロ野球史、そしてプロ野球の現況を俯瞰したがっているのではないか・・・たえずそう自問していかなければ、上記の「伝統の一戦」観のような独善的で狭い視野での考え方をしがちである。


 地上波からなくなって久しい巨人戦のプロ野球中継でも、自覚的に意識しなければ能天気な巨人ファンは気づかなかっただろうが、実はかなり巨人よりの中継であった。無論、オリンピックのように、視聴者の99パーセントが日本を応援して見ているから堂々と日本ガンバレを叫ぶ、というような露骨な錦の御旗は掲げられないので、なにもストレートに「巨人勝て、勝て」と言っていたわけではないが、改めて考えれば、巨人の攻撃のときには、

「柴田さん。ここ最近の松井ですが、当たってますね。4試合で10安打です」
「そうですね。とくに変化球への対応がとても良くなってますね」
「今日の先発の今中との相性はどうでしょう」
「僕は悪くないと思いますよ。この打席も期待していいのではないでしょうか」

なんて会話をして、逆に相手の攻撃のときには、

「さて、斉藤ですが、淡口さん、今日の斉藤の調子をどう見ますか」
「配球ごとに見ていくと、カーブが今日とくに安定していますね」
「はい。ここまで広島打線を2安打です」
「このペースでいくと、完投が狙えると思いますよ」

なんて会話をしたりしていた(という印象である)。
 ようするに、攻めのときでも守りのときでも、常に視点は巨人目線、というような実況中継が平気で横行していた(気がする)。


 変なたとえかもしれないが、長い間、日本のプロ野球中継は「ウルトラマン」みたいなものだったんじゃないかと思う。毎回、レッドキングやバルタン星人のかわりに、大洋やら中日やらというカタキ役の「怪獣」が日替わりで登場し、それと正義のヒーロー役固定のウルトラマンならぬ巨人が戦う姿を見せられてきた、というような。
 とくに、長島・王の時代は『少年マガジン』の特集にしても、種々の野球漫画にしても、まさに「ウルトラマンと敵怪獣」の世界観だったと断言してしまって、十分に正確なのではないか。

 まあ、ファンの絶対数というのは、どうしても差があるから、多少、報道の偏りはしかたないのかもしれない。いや、そう認めたくはないのだが、実際、厳正中立でなければならないというのなら、サッカーの国際試合の中継なんて、どこの国でも極端に偏っているのが現実で、必ずしも巨人だけの問題ではない。阪神にしたって、85年の日本シリーズを西武選手が振り返って、
「俺たちは始まる前から、日本中から負け役を期待され命ぜられているような気がしていた」
と述懐しているとかいないとか言うし。

 しかし、もともと巨人ファンとして成育してきた者として、たとえば中日とヤクルトの優勝争いより巨人と阪神の優勝争いのほうが何となくワクワクしていまうのなら、感情はそれはそれでよいとして、せめて理性の上では、それが永年の偏向した慣習による身勝手な見方なのだという自覚ぐらいは持っていようと、自分の中ではそう決めているのである。



 以下、余談として。
 ただ、巨人ファンが阪神を「良きライバル」とみなして、巨人に優勝争いしてほしいけど、どうせするなら相手は阪神がいい、と選り好みすることは自由であっていいと思う。
 巨人ファンは概して中日には憎悪しか感じていないし、ヤクルトあたりにも野村監督-この人が「名将」というイメージは、実は本人自身の自己宣伝による洗脳が大だと思うが、それはさておき-時代の印象から、「生意気」、「鼻持ちならない」なんていまだに思っている向きが多い。なのに、阪神に対しては、なぜか酸いも甘いも噛み分けた好敵手、もっといえば戦友、みたいな意識を持っていたりする。これは実際に何人かの巨人ファンから聞いた言葉を総合的にミックスするとそうなってしまう。
 まあ、敵軍を何の根拠で差別するのかはよくわからないが、そういうファンレベルでの好敵手意識みたいなのは、別にあってもいいんじゃないか。
 ただし、阪神ファン側が同じように思ってくれているかは保証の限りではないけれど(笑)。
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