さて、何だか悪口ばかり書いているような具合になってしまったのは、困ったことである。
そうではない。私は東京の地下鉄の中で、銀座線が一番すきだと書きたかったのに。
とくに銀座線のあの昔の車輛を思い出すと、まだ戦争の足音は遠く、大正ロマンの香りが残っていた、案外明るく朗らかであったろう1930年前後のモダン東京の匂いが嗅げる気がする(※2)。
私が子どもの頃に乗っていたあの昔の銀座線車輛。オレンジの鉄の外壁の車輛に足を踏み入れると、中は抹茶のようなグリーンの壁だった。
そして・・・あの例の話題になる。おそらく、誰もが聞き飽きたあの話題に。
そう、たとえば年配の人が
「昔の給食には脱脂粉乳というマズい牛乳があって」
とか
「昔の給食は、よくクジラの立田揚げが出て」
なんて語るのと同じような、「またかいな」的話柄に。
そう。消灯のことである。
東京の人なら、
「昔の地下鉄は駅に着くときに、一瞬、車内の電気が消えてたよね」
という話題をしたり聞いたりしたことがあるという人が多いのではないか。
この場合の地下鉄というのは、実は銀座線だけなのだが(※3)、技術的には線路脇の送電線(第三軌条)は各駅への動線上に切り替えポイントがあって、電車がその切り替えポイントを通過する瞬間、車内の電灯が切れて、かわりに非常灯がつくという仕組みだった。
だから、厳密に言うと、一編成全体が一度に消灯していたわけではなく、前の車輛から順番に消えていたのだ。
昔はよく、「銀座線の電気が消える瞬間のリアクションで、東京暮らしの長さがわかる」などと言ったものだった。すなわち、電気が切れたときに、「あっ」と小パニックになるやつは田舎者だ、という意地悪な物言いである。
これが、消えなくなって久しい今なら、「三十代以上の首都圏在住者で、『昔の地下鉄は電気が消えたよね』という話題を出したときのリアクションで、東京育ちか地方から出てきたかがわかる」、あるいは、「東京育ちの人なら、それで年がバレる」といったあたりになるだろうか。
そんなもん、峻別して何になるのか。単なる差別的優越感を得たいだけなのか。
と、そんなつっこみはしていいところだが。・・・
まあ、電気のことはもういい。
今さらしつこい話である。
要はデッドセクションで室内灯が消えて非常灯がつくという、野戦兵器のような無骨な構造であっても、クーラーがなくて夏は死ぬほど暑くても、チープな天井扇風機がまるで役立たなくても、それでも私は銀座線旧車輛が好きだったのだという、個人的嗜好を開陳したかっただけなのだ。
鉄道ファンというのは、概して必ずしも最新技術だけを良しとする種族ではなく、かえってロートルな車輛を喜んだりもするものなのだ。
私は東急沿線で成育したが、子どもの頃にはまだ残っていた目蒲線(現・目黒線及び多摩川線)のアマガエルみたいな丸っこい緑色の車輛や、池上線の丸っこくはないがやはり同じく緑色の戦前仕様の車輛が、たとえ一編成ずつでもいい、この21世紀の同線に残っていればおもしろかったのにな、と夢想する。
あるいは、世田谷線でも、おそらく旧式車輛は一掃されてしまったことと思うが、やはり一編成ぐらいは残しとけば良かったのに、と、軽い憤りをこめて思ったりもする(※4)
なるほど、鉄道は趣味娯楽のための存在にあらず、都市のインフラである。実用ツールである。だから、おもしろいかおもしろくないかではなく、使い勝手が良いかどうかが一番大切である。
そして、その公共サービスは、最大多数の最大幸福を追求するもの。オタクではない大多数の普通の利用者は、新しくて奇麗な電車のほうがうれしいに決まっている。その意味で、旧営団が、古くて暑苦しくて電気の消える銀座線旧車輛を快適なステンレスの新車に置き換えていった経営判断は、至極まっとうなものであった。
と、百も承知の上で、しかし・・・あくまでないものねだりの望蜀の言。
この私の心の叫びは、何かとまったく相似形。何だ。そうだ。フランク・ロイド・ライトの設計した旧館を取り壊して、新館に建て替えたホテル経営者ー故・犬丸徹三氏ーの経営判断をどう評価するかという(私にとっては重要な)命題と相似形なのだ。
これも私にとって、今なお理性で納得しつつ、おそらく感情では死ぬまで納得しないアフェアーなのだった。
でも、さすがに銀座線旧車輛の話から、フランク・ロイド・ライトの話に強引に持っていくのはやめておこう。今は。
今ここで語るには、テーマが大きすぎる。
うん。
※2
世界恐慌を経験し、国際的孤立化の道を歩み、「大学は出たけれど」の不況であっても、なお、そんなに世の中全体が必ずしも真っ暗ではなかったんじゃないか・・・というのが、当時の劇映画や記録映像を見た私の印象である。
※3
同じ第三軌条方式でも、丸ノ内線は昔から消えていなかった。
ちなみに大阪の地下鉄も第三軌条方式だが、昔のことは知らない。少なくとも、今は消えていない。
※4
もっとも私とて、何でも古ければいいという懐古主義一辺倒でもないつもりだ。
私が一番好きな鉄道は(東急沿線育ちのくせに)京成であるが、その京成が21世紀にデビューさせた成田スカイアクセス用スカイライナーの新型車輛の美しさには、本当に魅了される(その前の二代目スカイライナーももちろん大好きだったが)。
C62も大好きだが、新型スカイライナーも大好き、なのである。
そうではない。私は東京の地下鉄の中で、銀座線が一番すきだと書きたかったのに。
とくに銀座線のあの昔の車輛を思い出すと、まだ戦争の足音は遠く、大正ロマンの香りが残っていた、案外明るく朗らかであったろう1930年前後のモダン東京の匂いが嗅げる気がする(※2)。
私が子どもの頃に乗っていたあの昔の銀座線車輛。オレンジの鉄の外壁の車輛に足を踏み入れると、中は抹茶のようなグリーンの壁だった。
そして・・・あの例の話題になる。おそらく、誰もが聞き飽きたあの話題に。
そう、たとえば年配の人が
「昔の給食には脱脂粉乳というマズい牛乳があって」
とか
「昔の給食は、よくクジラの立田揚げが出て」
なんて語るのと同じような、「またかいな」的話柄に。
そう。消灯のことである。
東京の人なら、
「昔の地下鉄は駅に着くときに、一瞬、車内の電気が消えてたよね」
という話題をしたり聞いたりしたことがあるという人が多いのではないか。
この場合の地下鉄というのは、実は銀座線だけなのだが(※3)、技術的には線路脇の送電線(第三軌条)は各駅への動線上に切り替えポイントがあって、電車がその切り替えポイントを通過する瞬間、車内の電灯が切れて、かわりに非常灯がつくという仕組みだった。
だから、厳密に言うと、一編成全体が一度に消灯していたわけではなく、前の車輛から順番に消えていたのだ。
昔はよく、「銀座線の電気が消える瞬間のリアクションで、東京暮らしの長さがわかる」などと言ったものだった。すなわち、電気が切れたときに、「あっ」と小パニックになるやつは田舎者だ、という意地悪な物言いである。
これが、消えなくなって久しい今なら、「三十代以上の首都圏在住者で、『昔の地下鉄は電気が消えたよね』という話題を出したときのリアクションで、東京育ちか地方から出てきたかがわかる」、あるいは、「東京育ちの人なら、それで年がバレる」といったあたりになるだろうか。
そんなもん、峻別して何になるのか。単なる差別的優越感を得たいだけなのか。
と、そんなつっこみはしていいところだが。・・・
まあ、電気のことはもういい。
今さらしつこい話である。
要はデッドセクションで室内灯が消えて非常灯がつくという、野戦兵器のような無骨な構造であっても、クーラーがなくて夏は死ぬほど暑くても、チープな天井扇風機がまるで役立たなくても、それでも私は銀座線旧車輛が好きだったのだという、個人的嗜好を開陳したかっただけなのだ。
鉄道ファンというのは、概して必ずしも最新技術だけを良しとする種族ではなく、かえってロートルな車輛を喜んだりもするものなのだ。
私は東急沿線で成育したが、子どもの頃にはまだ残っていた目蒲線(現・目黒線及び多摩川線)のアマガエルみたいな丸っこい緑色の車輛や、池上線の丸っこくはないがやはり同じく緑色の戦前仕様の車輛が、たとえ一編成ずつでもいい、この21世紀の同線に残っていればおもしろかったのにな、と夢想する。
あるいは、世田谷線でも、おそらく旧式車輛は一掃されてしまったことと思うが、やはり一編成ぐらいは残しとけば良かったのに、と、軽い憤りをこめて思ったりもする(※4)
なるほど、鉄道は趣味娯楽のための存在にあらず、都市のインフラである。実用ツールである。だから、おもしろいかおもしろくないかではなく、使い勝手が良いかどうかが一番大切である。
そして、その公共サービスは、最大多数の最大幸福を追求するもの。オタクではない大多数の普通の利用者は、新しくて奇麗な電車のほうがうれしいに決まっている。その意味で、旧営団が、古くて暑苦しくて電気の消える銀座線旧車輛を快適なステンレスの新車に置き換えていった経営判断は、至極まっとうなものであった。
と、百も承知の上で、しかし・・・あくまでないものねだりの望蜀の言。
この私の心の叫びは、何かとまったく相似形。何だ。そうだ。フランク・ロイド・ライトの設計した旧館を取り壊して、新館に建て替えたホテル経営者ー故・犬丸徹三氏ーの経営判断をどう評価するかという(私にとっては重要な)命題と相似形なのだ。
これも私にとって、今なお理性で納得しつつ、おそらく感情では死ぬまで納得しないアフェアーなのだった。
でも、さすがに銀座線旧車輛の話から、フランク・ロイド・ライトの話に強引に持っていくのはやめておこう。今は。
今ここで語るには、テーマが大きすぎる。
うん。
※2
世界恐慌を経験し、国際的孤立化の道を歩み、「大学は出たけれど」の不況であっても、なお、そんなに世の中全体が必ずしも真っ暗ではなかったんじゃないか・・・というのが、当時の劇映画や記録映像を見た私の印象である。
※3
同じ第三軌条方式でも、丸ノ内線は昔から消えていなかった。
ちなみに大阪の地下鉄も第三軌条方式だが、昔のことは知らない。少なくとも、今は消えていない。
※4
もっとも私とて、何でも古ければいいという懐古主義一辺倒でもないつもりだ。
私が一番好きな鉄道は(東急沿線育ちのくせに)京成であるが、その京成が21世紀にデビューさせた成田スカイアクセス用スカイライナーの新型車輛の美しさには、本当に魅了される(その前の二代目スカイライナーももちろん大好きだったが)。
C62も大好きだが、新型スカイライナーも大好き、なのである。