風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

渡部先生、吠える(下)原発問題

2012-06-09 22:42:45 | 時事放談
 前回の続きで、渡部昇一さんの講演会のさわりを紹介します。
 私が保守派の論説に注目するのは次の理由からです。本来、保守(主義)は、江藤淳さんが言われたように、「一言でいえば感覚」、「更に言えばエスタブリッシュメント(既得権益をもっている人たち)の感覚」であるのに対して、左翼は言わば論理的に問題提起(アンチテーゼ)し理想世界を訴求するのが一般的だと思います。ところが、日本では、特に歴史認識においては、逆に保守派の歴史認識の方が実証的なためです。つまり、戦後、日本で教えられて来た歴史は、はじめから左翼的に(あるいは保守派に言わせれば自虐的に)歪められ、知らず知らずの内に日本という国に自信や誇りを持てないように性格づけられて来たということなのでしょう。保守派は、本来は感覚として構えていればいいはずなのに、教えられて来た歴史に反駁するためにいちいち論証しなければならないという、逆転した奇妙な状況に置かれているわけです。一般には、敗戦を機に価値観が180度ひっくり返ったとよく言われますが、その実態は、太平洋戦争(この呼称はGHQの押しつけであって、保守派に言わせれば大東亜戦争)で戦った期間よりGHQの占領期間の方が長く、その間、厳しい検閲によって言論統制され、憲法だけでなく歴史評価すらも押し付けられて、それをよしとしてきた日本人の従順性(人の好さ)に由来しますが、それは稿を改めて論じたいと思います。
 さて、講演の中で、やむにやまれず、といった趣がありありと伺えたのが、原発問題を巡る日本の状況に対して苦言を呈しておられたところでした。東電による補償を決めた後で立ち退きを決めたのはオカシイ、そもそも立ち退きは必要なかったというのが定説である(マスコミ報道を見る限りそれが定説とは俄かに信じられませんが)とか、セシウムで死んだ人間はいないのは、広島・長崎の例を見ても明らかだ(確かに原爆投下のあとで立ち退きが必要などとは当時は夢にも思わなかったのでしょう、それで問題があったとも聞きません、もっとも放射線の種類でも違っていたのでしょうか)とか、世界は日本の原発が震度9でも壊れないことに驚いた、このまま脱原発が続くと、原子力技術者は夢を奪われ、韓国や中国に引き抜かれて、日本から原子力技術がなくなってしまう、原発を止めようとするのは日本の産業を潰すためではないか、といった具合いです。
 なかなか大胆なご発言ですが(実際、ご本人が雑誌などで投稿されている内容からはみ出るものはありません)、今の言論状況においては大いに異論が出て来るでしょうし、とりわけ低線量被曝の人体への影響については科学的な定説がまだない(そのため安全サイドに考えるのが良識)とされるところですが、それでも渡部さんの過激な物言いには、いくつか重要な問題提起が含まれているように思います。一つは、敢えてもう一度取り上げますが、放射線の人体への影響、ひいては大震災と福島原発問題において存在感が問われた日本における科学者の役割の問題です。リスクがないあるいは少ないと述べると「御用学者」のレッテルを貼られてきた言論状況はやはりフェアとは言えず、もっと自由な科学的論議が行われてよいように思います。もう一つは、産業への影響の視点です。家電領域では、ソニーやパナソニックやシャープなどの日本メーカに代わって、SamsungやLGなどの韓国メーカーの躍進が目立つ昨今ですが、韓国ウォン安に助けられている一時的な面と、新興国の追い上げが迫っている構造的な面から、潜在的な脅威を認識しているのは事実であり、そんな韓国にとって、次の有望な産業領域として重電、とりわけ原発の輸出を狙っていることもまた知られるところです。日本が脱原発に舵を切ることが、敵を利することになるのは間違いなく、逆に、脱原発にはそうした隠された意図を感じさせられます。
 折しも野田総理は、「国民の生活を守るために、(関西電力大飯原発3・4号機を)再稼働すべきだというのが私の判断だ」、(日常生活だけでなく経済活動やエネルギー安全保障の視点からも原発なしでは日本社会は立ち行かないとして)「原発は重要な電源だ」と、民主党歴代総理に比べれば極めて穏当で現実的な意見を開陳されました(今朝の日経新聞)。敢えて付け加えるなら、韓国や中国で、今後も原発が建設される計画がある以上、偏西風が吹く先に位置する日本で、(黄砂のように)放射線被曝の脅威がなくなることはないこと(1970年代に中国の原爆実験の影響で、日本は大量の放射線を浴びたように)、その時に、放射線除去等にあたって、日本に原子力を扱う技術や知識がないばかりに、韓国や中国に対応を委ねざるを得ないような事態を、私は想像したくないこと、さらに言うと、今なお冷戦が続く東アジアにおいて、核廃絶と世界平和を唱えることは、ただの念仏でしかありませんが、いつでも核兵器を開発できる実力がありながら、敢えて核武装しないことを主体的に選択することは、抑止力たり得ること、そして現実問題として、福島原発4号機を見れば明らかなように、既に始めてしまった以上、全国の原発を止めたところで、リスクがなくなるわけではないこと(だからこそ大飯原発だけでなく、全国の原発で可及的速やかに「対策」が必要です)等にも、思いを致すべきだと思います。
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