メグブログ(美咲歌芽句)

Jeane+荒涼天使
 (ex.Mr.Kite)

夏の手料理

2007-06-29 23:57:01 | 日記
なんて蒸し暑いんだ。私はほんとに湿気が苦手だ。
ベタベタと体にまとわりつくような、見えない一枚の皮膚に覆われている感じ・・・。
気温は31度、湿度は80%以上はあるだろう。日本の夏は蒸し暑くて嫌いだ。
インドでは気温はもっと高かったけれど、湿度が低いのでカラッとしていてよっぽど過ごしやすかった。夏の間だけでもこのじっとりとした暑さの日本を脱出して、ネパールかインドあたりで過ごせたらいいなぁ。カシミールもいいなぁ・・・でも、今はアフガニスタン戦争以来、ズタズタに破壊されて政治的にも不安定なので、残念ながら避暑地としては適当ではない。

こんなに蒸し暑いと、食事も自然と冷たくて淡泊なものになる。
今夜は旬のみょうがを薬味にたっぷりと添えて、氷の上に盛った冷たいソーメンと冷や奴。
でも、それだけでは淡泊すぎるので、スタミナ野菜ナンバーワンの苦瓜(ゴーヤ)を使ったゴーヤ・チャンプルーを作る。豚の三枚肉と木綿豆腐とゴーヤを炒め、味噌とトウバンジャンとすり下ろしニンニクで味付けする。夏バテ対策にはもってこいの一品で、我ながら「うまい!」と唸る。
ここ数年来、漬け物も自分で漬けるようになったので薬品まみれの市販のものは買ったことがない。自家製の漬け物は防腐剤も人工着色料などの化学薬品など一切使わないので、ほんとに安心して食べられるし、何より自然のおいしさを味わえる。たまに浮気して市販の漬け物を買ってみても、一口食べると化学薬品まみれのあのピリッと舌を刺す感じと、後味の悪さですぐに吐き出してしまう。

漬け物を漬けるのに私は通販で見つけた「パン床」というのを使っている。
これはいわば「ぬか床」のようなものだが、ぬか床だと毎日かきまぜなければならないので、そんな面倒なことはイヤだけど、パン床はその必要がない。大根、カブ、キュウリ、ニンジン、ゴーヤ、セロリなど・・・2、3日漬けると食べ頃になるので常に切らさないように漬けている。
中でもゴーヤは特においしい。漬け物はアミノ酸を多く含んでいるので美容と健康にもいい。

ふっくらと炊きあげたご飯に、みそ汁と一品のおかずと手作りの漬け物があればもう何もいらない。やっぱりあたしって日本人なんだなぁ。



















「ラジオのように」

2007-06-27 04:08:18 | 日記
自分が知らない間に自分の声がラジオで流れているのって、なんだか不思議な気がするなあ。
先月、私が出演したFM渋谷の東雄一朗さんは詩人でもあり、「Flight Of Idea」というグループを率いてポエトリー・リーディングのCDを2枚も出していて、私はそれをプレゼントしてもらったのだけど、なかなか新鮮でおもしろく気に入ってよく聴いている。同時にガクさんから白石かずこのポエトリー・リーディングのCDももらったのだが、こちらはジャズメンをバックにニューヨークで録音されたもので、さすが白石かずこ、ジョン・コルトレーンに捧げる詩の朗読は、まるで巫女のように鬼気迫るものがある。
この3枚のCDを聴いていると、朗読の世界も奥が深いなあと思わずにはいられない。私のようなこの世界の初心者は、彼らから何かと学ぶことが多い。

東雄一朗さんはやはりラジオ番組をやってる人らしく、とても声がいい。
携帯電話で話していても惚れ惚れするような声だった。その彼にも「May,3」のCDを送ったのだったが、「先日、FM渋谷でCDを流させてもらいました」という電話だった。
なんでも「ジプシー・ソウル」の詩が好きでそれを流してくれたらしい。うれしいな。
彼はまだ30代でとても若いのだけど、いろいろアドバイスやリクエストをしてくれた。若い人たちは不思議に私によくアドバイスしてくれる。まるでみんな私の兄貴みたいだ。私も彼らのアドバイスはいつもありがたく謙虚に拝聴して、師から教えを乞う姿勢でいる。何しろ私より年上の人というのは、あまり周りにいないのだから当然といえば当然なのだけど。私という人間はどうも、親や学校の教師たちよりも、自分よりずっと年下の人たちに育てられてきたような気がする。

ひるがえってFM渋谷だが、先月初めてラジオに出たときも放送時間がライブの時間と重なり聴けなかったし、今回も当然遠い鹿児島にいて聴けなかった。ラジオから流れる自分の声を聴くのって、どんな感じなんだろうと想像する。私はテレビは自分の時間を盗むドロボーだと思っているので、嫌いでほとんど見ないけれど、ラジオは自分の行動を束縛しないと言う点ではずっといい。
私は今でも大好きでよく聴く1枚のCDがある。ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」。
彼女はしゃべり、そして時々歌う。

「何の妨げにもならない・・・じゃまにならない・・・沈黙は耐え難いから・・・他にも耐え難いものがあるから・・・二人の間では、それはラジオ・・・沈黙を埋めるための・・・ほんのちょっとした物音・・・世界は寒い・・・何でもない・・・ただの音楽・・・ただの言葉、言葉・・・ラジオのように・・・」

そう、ラジオから流れる自分の声をコーヒーを入れながら、あるいは食器を洗いながら、何でもない・・・ただの音楽・・・ただの言葉として一度聴いてみたいな。
けっしてテレビなんかじゃなくラジオで・・・。そう、ラジオでね。
東さん、ありがとう。








ドラキュラ・カラー

2007-06-26 01:29:01 | 日記
去年の夏、友人から一枚のDMが送られてきた。
それは原宿のトーキョー・ヒップスターズクラブで行われる、「ニューヨーク・アンダーグラウンド展」のDMだった。黒を基調にし、スパイスのように赤を少し使ってレイアウトされた、パティ・スミスのうつむいて手を胸のところで合わせているマリアのようなポーズの写真・・・。
そのデザインに私は思わず「カッコいい!」とうなった。

その頃、私はちょうど詩集の装幀をやってくれる人を捜していた。私はそのDMを一目見て、直感的に私の詩集は絶対この人にやってもらおうと決めたのだった。何しろ私は今までの人生のすべてを直感と衝動で生きてきた“直感動物”なのだ。私はすぐに友人に「これをデザインしたのは誰なの?」と尋ねたところ、「Fさんだよ」という返事が返ってきた。私は彼とはトーキョー・ヒップスターズクラブのオープニング・パーティで面識があったので、厚かましくも早速彼にお願いしたら、快く引き受けてくださった。
そんないきさつで、詩集『荒涼天使たちの夜』の装幀はFさんにやってもらえることになった。
出来上がったものは、やっぱり黒を基調にして赤をピリッと効かせたドラキュラ・カラーだった。
満足。それ以来私は黒地に少量の赤の組み合わせに取り憑かれている。

ファッションとして自分が身につける色は、長年黒が基本だった。すべての色を内包している黒という色は、私にとって最も包容力のある魅力的な色。
子供の頃から、なんとはなしに赤という色は女が身につける色だという認識があったので、あえて避けてきた色だった。ただ女の子だというだけで、社会や親から押しつけられるように与えられてきた色、赤。赤いランドセル、赤いスカート、赤い靴、三つ編みのお下げの髪に結ばれた赤いリボン・・・。私はそれらに内心反発していた。「なんで女の子はなんでも赤で、男の子はなんでも青なの?」と。だからはっきり言って、押しつけの色の赤が嫌いになったのだった。
燃えるような曼珠沙華や真っ赤なダリヤなどの赤い花も、あまりにも生々しく強烈で嫌いだった。

それなのに去年の夏から、一転して熱病的なまでに赤が好きになってしまった。
今では秋になれば田んぼの畦を炎のように彩る曼珠沙華を美しいと思い、思わず車を止めて眺めてしまったり、花屋で赤い花を見るとつい買ってしまう。ドラキュラがワイングラスで飲み干すような、血の色したTシャツも増えた。自分には赤は似合わないと思いこんでいたのに、去年ライブで真っ赤なTシャツを着たら、あとでそのビデオを見て友人が「メグ、赤似合うね」と言ってくれた。
このように色の好みというのは、ある時突然変わったりもするものなんだなあと不思議な感じがする。ともあれ当分の間、私はこの「黒の中の少量の赤」という組み合わせの、いわゆるドラキュラ・カラーに魅惑され続けそうな気がする。





















ルー・サロメ

2007-06-24 00:54:37 | 日記
久しぶりに白井健三郎著、「ルー・サロメ」を読み返した。
19世紀末に生きたルー・サロメという女性は、私の中で今も大きな存在であり、時代を越えて最も興味深い“一個の人間”だ。抑圧された肉体と精神を解放し、己に忠実にひたすら自由であることを求め続けた彼女の生き方には大いに共鳴する。
ニーチェ、リルケ、フロイトなどに多大なインスピレーションと影響を与えたファム・ファタール(宿命の女)、ルー・サロメ・・・。
リリアーナ・カヴァーニ監督の映画「善悪の彼岸」のドミニク・サンダは圧倒的に素晴らしかった。ルー・サロメを演じられるのはまったく彼女以外にはいなかったと断言できる。

ルー・サロメは今もって私の中の大きなテーマであり、以前“ルー・サロメ賛歌”とも言える一編の詩を書いたけれど、あまりにも深いテーマなゆえに未だ上手く表現しきれていなくて、詩集には載せられなかった。私も一人の女性としていつかぜひ、この永遠のテーマ「女はどこまで自由になれるのか」ということに対しての詩を完成させたいと思っている。
ルー・サロメの印象的な言葉がある。
「女とは自分を引き裂く雷を渇望する木のようなもの、しかも同時に成長を欲する木のようなもの」。 イエス、イエス。
男性と女性の差異。これを認識する特権は女性にあるのかもしれない。

と同時に、エロスの力が人間を創造的にさせている。「古事記」の世界でもイザナギとイザナミのエロスの力によって、国生みが成されることを思い出す。
そう、世界はエロスの賜物(たまもの)なのよ。生は性であり聖である・・・。
この神秘的な生に感謝しよう。






スペシャル・プレゼント

2007-06-20 23:19:26 | 日記
きのう鳥井賀句さんから郵便小包が届いた。
なんだろう?と思って開けてみると、まさに“開けてびっくり玉手箱”。8枚のパティ・スミスの紙ジャケアルバムにこれまた2枚のイギー・ポップの紙ジャケアルバム。
ちょっと前まではプラスティックに入ったCDが主流だったけど、最近はまた紙ジャケが復活して人気があるようだ。今なぜか紙ジャケの方が新鮮でカッコよく見えるから不思議だ。
新たに紙ジャケでリニューアルされたパティの8枚のアルバムを眺めていると、彼女の歩いてきた長い道のりが感じられて感慨深いものがある。

私はロックンローラーの端くれとしては長いブランクがあって、もうあんまりアトもないのだけれど、閻魔大王へのお土産にせめて紙ジャケの私のロックンロール・アルバムを一枚持参したいなあと、今夢見ている。
私には一人の守護神がついているらしいんだけど、その守護神様のお力を借りて、ぜひ実現させたいものだ。どうぞ神のご加護を。
賀句さんにお礼のメールを書かなくっちゃ。
今、私は体が一つしかないことがもどかしくてたまらない。体が二つあったらなあ。
ドッペルゲンガーは存在しないのだろうか。







おかしな日本語

2007-06-18 23:07:02 | 日記
おかしな日本語が蔓延している。
気付かぬうちに、その不正な日本語は市民権を持ち大手を振って歩いている。
そして、言の葉を紡ぐことを続けている私のような人間でも、いつの間にかそれらのおかしな日本語を使っていることに気付かされ恥ずかしい思いをする羽目になる。
昨日の「猫額洞の日々」を読んで、まさに穴があったら入りたいような気持ちになった。
ちょっと考えてみれば明らかにおかしい日本語を私は今までしゃあしゃあと使っていた。
パソコン音痴、方向音痴など・・・。
音痴というのは音に対する痴であるから、パソコン音痴は正しくはパソコン痴でなければならず、
方向音痴は方向痴でなければならない。

こんな一目瞭然のことに気付かず、まかり通っているからといって疑問も抱かず、漫然と使っていた自分が恥ずかしい。パソコン痴とか方向痴とか言っても、たぶん「えっ?」という反応が返ってくるような気がするけど、これからはその度にちゃんと、それは不正な日本語だと説明することにしよう。COCO、ありがとう!

あと、私がいつも気になるおかしな日本語がある。
スーパーやコンビニやファースト・フードの店員が、例のロボットのようにマニュアル化された
レジでの対応の言葉で、「千円からお預かりします」というのがある。「ちょっと、ちょっと、それおかしいんじゃない?“から”はいらないよ。千円お預かりしますでいいのよ」と言いたいのだけど、今や日本全国津々浦々までこの言い方がまかり通っていて、手が付けられない。
これって、なんとかならないの?
私、気持ち悪くて仕方がないんだけど・・・。








マリーゴールド

2007-06-17 00:58:44 | 日記
午後から車で3分ほどのところにある物産館に野菜を買いに行く。
ここはいわば地元の市場のような所で、地元で採れたての野菜や果物、花、そして鹿児島名物の黒豚や黒牛の肉など、いわゆる地産地消を掲げた「道の駅」だ。私は野菜はいつもここで買うことにしている。何しろ新鮮で安い。今日は春菊とサンチュと生しいたけと地元特産の白菜を使った和風キムチを買う。藤原新也が「市場があれば国家は不要」と書いたが、まったく同感だ。

帰りに外にある花のコーナーを見回ると、黄色と深紅のツートーンカラーのマリーゴールドの花が目に止まり、思わず7株買う。オレンジ色や黄色だけのものもあるが私はこの2色の色合いを持つマリーゴールドを見ると、いつも買わずにはいられない。マリーゴールドは私にとっては“インドの花”。ブーゲンビリアもそうだがこの花を見ると私はインドを思い出す。インドにはこの花が溢れていた。あらゆるヒンズーの神々・・・ガネーシャやクリシュナやシバ神の像には必ずマリーゴールドの花輪が掛けてあったし、インドの白い牛や羊の首にも、またサドゥ(聖者)の首にもその花輪はあった。インドではマリーゴールドは生活の中になくてはならない花だった。
ガンジス河のほとりで焼かれる死人たちもまた、マリーゴールドの花で飾られていた。そして死人たちが焼き尽くされると、その骨や灰と一緒にたくさんのマリーゴールドがガンジスの水面に流れていった。聖なる花・・・マリーゴールド。

私はインドで2カ月ほど一人のサドゥと一緒に旅をしたことがあった。彼とはゴアで出会ったのだったが、互いに片言の英語で話したところによると、彼は私を見た時「この人を守って面倒を見なさい」という啓示を受けたから、私と一緒に旅をすると言う。私はちょっと驚いたけれど彼の目はとてもきれいで澄んでいたので、私は「OK」と言いそれから旅の道連れになったのだった。
彼はクリシュナ神を信仰している敬虔なサドゥで彼と旅をした間中、何くれとなく私の世話を焼き、食事もすべて作ってくれた。そして私が安宿に泊まったり、アンジュナ・ビーチに椰子の葉でふいた小屋を建てて住んだ時も、まるで番犬のように部屋の入り口で粗末な毛布にくるまって寝ていた。

そして彼が毎日欠かさずにやったことがあった。それは毎朝どこからかマリーゴールドの花輪を手に入れては、私の首に掛けてくれたのである。そして私が日本に帰ると決めた朝、そのことを彼に告げると、彼は「これで私の修行の一つが終わった。これからまた次の修行を見つける」と言って
微笑んだ。そしていつものようによれよれのずだ袋の中からマリーゴールドの花輪を出して、私の首に掛けてくれた。その花の色は彼の一枚しかない腰巻きの色と同じだった。
彼は今どうしているだろうか。
こうして今夜、また私の机の上にはマリーゴールドの花がある。
















「東京・天使の歌」

2007-06-14 03:50:43 | 日記
今日、一通のメールが届いた。
それは「めぐさんが音をきいて見えてるものを知りたい」という、ちょっと変わった質問のメールだった。私は日常的思考からこの一風変わったアプローチに応えるために、一瞬思考モードを変換し考えなければならなかった。音をきいて見えてるもの・・・。しばらく考えて私は今、こうして毎日田舎の風景を見ているにもかかわらず、いつも自分の中で鳴り響いているのは東京という大都市の放つアナーキーな音であり、見えているのはその無機質な都市の風景だ。

私はいつも俯瞰(ふかん)している自分を感じる。源氏物語の絵巻のように視点はいつも天井あたりにあって、人々や自分さえも見下ろしている。あるいは「ベルリン・天使の詩」の天使ダミエルのように、めくるめくめまいのするようなビルの屋上や東京タワーの展望台から街を見下ろし、あるいは新宿高層ビル街の谷間を歩きながら摩天楼を見上げ、やっぱり、めくるめくめまいを感じては立ち止まる。
めまいのする都市が私を引き寄せる。そして「見てろ。見てろよ。しっかり見てろよ。」と言う。

そこで私は、右往左往しながらそこに生きている、赤い血の流れる肉体を持った人間の葛藤と叫び、ため息とつぶやきを・・・この地上の人々の内心の声を聞いている。それらの声と断末魔のような都市の轟音を聞きながら、そのビル群の増殖と欲望の増殖の果てに、私にはひとつのヴィジョンが見えているのかもしれない。いや、ここで謙遜したところで一体なんになる?
私には荒涼とした風景と人々の背中に生えている白い翼が見えている。
ヴィジョンを覆すことは可能だ。ただ私は焦っている。急がないと・・・。時間がないのよ。

私はロックンロールで「東京・天使の詩」をやりたいのかもしれない。









「May,3」

2007-06-13 00:07:41 | 日記
何気なく録音された1枚のセッションCDが何やら一人歩きしだしたようだ。
例の「JEEN & Desolation Angels」という新バンド誕生のきっかけとなったCDだ。録音された日付から名付けて「May,3」としよう。あのCDを運良く手にしたり、あるいは聴いた人たちから、
「これはすごい。驚いた。感動した。すごく新鮮。久々に魂を揺さぶられる音を聴いた。」などなど賞賛の声が寄せられている。図らずも私の予感は的中した形だ。

なぜなら、やっていて何か今までに体験したことのない手応えを感じたからだ。
ミスター・カイトの時でさえ味わったことのない感覚・・・。私はあのセッションのあとデンデンに言った。「このCDを手に入れた人はとてもラッキーで、ひょっとしたら“お宝”になるかもしれない」と。この「May,3」を聴いた人から早速ライブのオファーが来たそうだ。うれしい。
そして、このCDを聴いてほしい人や、手に入れたいと思って待っている人がたくさんいるのだけれど、今日現在、在庫はゼロでこれから焼き増ししなければならない。
待ってくれている方々、どうかもう少しお待ちください。

性的ストライキ

2007-06-10 23:43:57 | 日記
最近マスメディアはイラクに関する報道をまったくしなくなった。
悪魔の手先であるブッシュがイラクの戦争終結宣言をしたけれど、イラクはいまだに内戦状態が続いている。戦争はまだ終わってなんかいない。じつはそれこそがアメリカの望むところなんだ。
報道されなくなれば、ただそれだけでもう戦争は終わったんだと思うことは危険な錯覚であり、あまりにもイージーに過ぎる。

戦争ばかり起こす男という種について、私は紀元前411年に上演されたアリストパーネスの喜劇
「女の平和」を思い出す。その時代もまた、スパルタとアテーナイ(アテネ)の二都市間で10年に及ぶ戦争が続いていた。その文庫本の帯には「同盟を結んだギリシアの女たちは戦争をやめない男どもに性的ストライキを宣言する。滑稽の中に平和への強い希求が溢れている喜劇」とある。
私の近辺で起こったある夫婦の事件もおもしろい。亭主はたいへんなギャンブル好きでパチンコや競馬にうつつを抜かし、それにいたたまれなくなった妻がとった懲らしめの手段が性的ストライキだった。するとこの亭主はひとたまりもなくダウンし、友人に助けを求めてきた。まったくの喜劇だった。

「男の戦争」と「女の平和」・・・そもそも男はなぜ戦争をするのか?
男の中には戦争というDNAが組み込まれているのか。でもそれにしては戦争を否定する男たちだってたくさんいる。ガンジーやジョン・レノンのように・・・。おしなべて知性のある人間は戦争などしない。戦争をするのは野蛮な人間たちだ。鼻をひくひくさせて常に戦争を追い求めているアメリカよ。戦争はたんまりともうかるんだ。戦争ほどおいしいビジネスはないのさ。
世界中の女たちよ。性的ストライキに立ち上がろう。