郡上八幡は狭い町ながら、13もの寺院が甍を連ねます。
郡上八幡が「小京都」の異名をもつゆえんだそうです。
市街地には、17世紀に城下の防火などを目的に築造された水路が巡らされています。現在、一部は整備され観光資源となっていますが、多くは生活用水として利用され続けています。
1996年に「水の郷百選」に認定されました。
「宗祇水」へ向かいます。
宗祇水
宗祇水(名水百選)別名「白雲水」。
文明年間蓮歌の宗匠飯尾宗祇が東常縁から古今伝授を受けるため、この泉のほとりに草庵を結び、この清水を愛用したところから名づけられました。
昭和60年全国名水百選の一番手として指定を受けました。
=宗祇水を超えたところに=
=橋を渡ったところに=
=清水橋のたもと辺りから=
郡上八幡城天守閣から見えていた愛宕公園には、ソメイヨシノが約80本植えられています。
郡上八幡城主・遠藤慶隆が植えたとされる「墨染めの桜」があります。
岐阜県の飛騨美濃さくら33選にも選定。
=通りや店の表示=
本町、職人町・・・。
玄関には色紙が、掲げられています。
=本町辺り=
=職人町辺り=
袖壁が見られます。
蓮生寺
古い町並みをさらに散策。
町のいろいろな所から見ることができます。
「奥美濃おもだか家民芸館」、「斎藤美術館」、「心の森ミュージアム遊童館」などがある、「美術館通り」とも言われている通りへ。
近くにあるのが・・・
敷き詰められた丸石には、遊び心あふれています。
「八幡町」にちなんで、長良川と吉田川の約8万個の磨かれた石が敷かれているそうです。
こみちに作られたテーブル。
こみちの奥には
鳥居の足元に建てられた碑には、
「人間道路会議賞大賞」
「手づくり郷土(ふるさと)賞」
「生活の中に生きる水辺三十選」としるされています。
こんな表示も。
また、郡上八幡は食品サンプルの生産量日本一だそうです。。
郡上八幡に生まれ育ち、1932(昭和7年)大阪で食品サンプルの事業化に成功した食品サンプルの第一人者が岩崎瀧三氏です。
1995年に岐阜工場を設立、地域社会教育・福祉事業に貢献しました。
岩崎瀧三氏にとって食品サンプルの原点は、幼少期、ろうそくに火を灯した時に水面に落ちた一滴の蝋だそう。
食品サンプルはじまりの第一歩は「オムレツ」。「記念オム」と名づけられたそうです。
=さんぷる工房北町館で=
レジの足元をみると・・・
カウンターに
それぞれサンプルです。
本物のソフトクリームで一息いれ、さらに散策。
いがわこみち最長の水路。遊歩道として整備されています。
「掟」
郡上八幡が「小京都」の異名をもつゆえんだそうです。
市街地には、17世紀に城下の防火などを目的に築造された水路が巡らされています。現在、一部は整備され観光資源となっていますが、多くは生活用水として利用され続けています。
1996年に「水の郷百選」に認定されました。
「宗祇水」へ向かいます。
宗祇水
宗祇水(名水百選)別名「白雲水」。
文明年間蓮歌の宗匠飯尾宗祇が東常縁から古今伝授を受けるため、この泉のほとりに草庵を結び、この清水を愛用したところから名づけられました。
昭和60年全国名水百選の一番手として指定を受けました。
=宗祇水を超えたところに=
小駄良川にかかる清水橋&小駄良川
=橋を渡ったところに=
親農薬師
1781年(天明元年)に安置奉安された薬師如来で商売繁盛の他、
諸難諸病を取り払うとして信仰されています。
1781年(天明元年)に安置奉安された薬師如来で商売繁盛の他、
諸難諸病を取り払うとして信仰されています。
=清水橋のたもと辺りから=
吉田川の遊歩道、土手
長良川の上流で3つの川が合流し、町中に水路が流れる水の町。
(小駄良川と吉田川の合流地点辺りです)
その川のひとつ、吉田川の河畔に植えられているのが「サトラレ桜」。
映画「サトラレ」のロケ地となり、そう呼ばれるようになったそう。
長良川の上流で3つの川が合流し、町中に水路が流れる水の町。
(小駄良川と吉田川の合流地点辺りです)
その川のひとつ、吉田川の河畔に植えられているのが「サトラレ桜」。
映画「サトラレ」のロケ地となり、そう呼ばれるようになったそう。
郡上八幡城天守閣から見えていた愛宕公園には、ソメイヨシノが約80本植えられています。
郡上八幡城主・遠藤慶隆が植えたとされる「墨染めの桜」があります。
岐阜県の飛騨美濃さくら33選にも選定。
=通りや店の表示=
本町、職人町・・・。
玄関には色紙が、掲げられています。
=本町辺り=
郡上踊りの石像
=職人町辺り=
袖壁が見られます。
蓮生寺
長敬寺
鍛冶屋町、職人町のつきあたりに見えるお寺。
1601年(慶長6年)に郡上八幡城主遠藤慶隆により東常縁の玄孫にあたる正勧坊正欽を招請し当寺を創建、遠藤家の菩提所としたのが
開基とされ、境内には遠藤慶隆の墓所があります。
長敬寺本堂
水路の守り
鍛冶屋町、職人町のつきあたりに見えるお寺。
1601年(慶長6年)に郡上八幡城主遠藤慶隆により東常縁の玄孫にあたる正勧坊正欽を招請し当寺を創建、遠藤家の菩提所としたのが
開基とされ、境内には遠藤慶隆の墓所があります。
長敬寺本堂
水路の守り
古い町並みをさらに散策。
安養寺
1256年(康元元年)親鸞聖人の直弟である西信が近江の蒲生郡に堂を
建て安要寺とし、後に美濃に転じてから蓮如の命により
安養寺と改められました。
郡上八幡へは城主井上氏の入部とともに移転。浄土真宗の布教の展開により「郡上御坊」の呼び名で隆盛を誇りました。
間口、奥行きともに16間という壮大な本堂。木造の建造物としては
岐阜県下で最大のものといわれます。
安養寺鐘楼
1256年(康元元年)親鸞聖人の直弟である西信が近江の蒲生郡に堂を
建て安要寺とし、後に美濃に転じてから蓮如の命により
安養寺と改められました。
郡上八幡へは城主井上氏の入部とともに移転。浄土真宗の布教の展開により「郡上御坊」の呼び名で隆盛を誇りました。
間口、奥行きともに16間という壮大な本堂。木造の建造物としては
岐阜県下で最大のものといわれます。
安養寺鐘楼
町のいろいろな所から見ることができます。
郡上八幡樂藝館
1904年開業の医院。展示施設として利用されています。
登録有形文化財。
こちらも登録有形文化財。
1904年開業の医院。展示施設として利用されています。
登録有形文化財。
こちらも登録有形文化財。
「奥美濃おもだか家民芸館」、「斎藤美術館」、「心の森ミュージアム遊童館」などがある、「美術館通り」とも言われている通りへ。
近くにあるのが・・・
やなかみずのこみち
敷き詰められた丸石には、遊び心あふれています。
「八幡町」にちなんで、長良川と吉田川の約8万個の磨かれた石が敷かれているそうです。
こみちに作られたテーブル。
こみちの奥には
稲荷明神
鳥居の足元に建てられた碑には、
「人間道路会議賞大賞」
「手づくり郷土(ふるさと)賞」
「生活の中に生きる水辺三十選」としるされています。
こんな表示も。
また、郡上八幡は食品サンプルの生産量日本一だそうです。。
郡上八幡に生まれ育ち、1932(昭和7年)大阪で食品サンプルの事業化に成功した食品サンプルの第一人者が岩崎瀧三氏です。
1995年に岐阜工場を設立、地域社会教育・福祉事業に貢献しました。
岩崎瀧三氏にとって食品サンプルの原点は、幼少期、ろうそくに火を灯した時に水面に落ちた一滴の蝋だそう。
食品サンプルはじまりの第一歩は「オムレツ」。「記念オム」と名づけられたそうです。
さんぷる工房
築百五十年の町家の中で食品サンプルを見て、ふれて、
作って楽しめる観光施設です。
築百五十年の町家の中で食品サンプルを見て、ふれて、
作って楽しめる観光施設です。
=さんぷる工房北町館で=
レジの足元をみると・・・
床におちたソフトクリーム
カウンターに
こぼれた缶コーヒー
それぞれサンプルです。
本物のソフトクリームで一息いれ、さらに散策。
いがわこみち最長の水路。遊歩道として整備されています。
「掟」
白龍稲荷神社
街中にある小さな小高い岩の上にあります。
疫病を鎮めるために創建されたという神社で岩場の上にあります。
街中にある小さな小高い岩の上にあります。
疫病を鎮めるために創建されたという神社で岩場の上にあります。
マンホール
清流を泳ぐアマゴのデザイン。
中央に市章。
市章は、全体の形は郡上市の「G」です。美しい山々、清らかな水、
太陽(花)を表しています。
清流を泳ぐアマゴのデザイン。
中央に市章。
市章は、全体の形は郡上市の「G」です。美しい山々、清らかな水、
太陽(花)を表しています。
説明は、公式ホームページ、ウィキペディアより。