児童虐待、精神的被害者のダメージとその回復段階
(フラッシュバック注意)
●ヴィクテム期……犠牲者期
被害を受けた直後で、尊厳や世界への信頼感をことごとく粉砕された状態。
もしくは被害から離れても、被害を受けた自覚が薄く、
加害者の影響に為す術がなく影響されている時期。
●サバイバー期……生存者期
被害を受けた直後の絶望と混乱を生きぬく事ができたけれど、未だ自尊心や信頼感を回復することがままならない。が、回復を望み始めている状態。
被害を受けた自覚が芽生えつつあり、自分が傷を負っていることを認めつつある段階。
怒りと絶望と恨みと悲嘆と恐怖にまみれた化け物のような自分や人間や世界の中で、回復を求めはじめる段階。
このあたりの回復段階によっては、相互扶助的にサポートする事もはじまる。
サバイバーサポーター等。
●ウォーリアー期……戦士期
自分の傷、傷つけられた相手、自分の現在の状況などを明確に自覚しはじめる段階。
自尊心や信頼感の回復のために、可能な限りのあらゆる手段を講じて、どのような困難と苦難があろうとも立ち向かう意識をもって、現状にあたろうとする状態。
自分に必要なものを認知し、そのために努力できる時期。
●ガーディナー期(又はスライヴ)……園丁期(または花咲く人)
自分自身の可能性を諦めず、豊かに芽生えさせた時期。自分自身の心の庭を、耕し起こし、肥やしを与え、実り豊かに花開かせ実を結んだ人。
自分に起こった出来事は過去のものとなり、庭には光が降り注いでいる。
自分の受けた被害を昇華し、回復し、豊かな人生を花咲かせた状態。
この状態の人は、かつての自分のような被害者を助けたり、社会活動を行って啓蒙にいそしんだりすることが多い。
(参考 「家族という名の強制収容所」 )
これらは順番にクリアしていくものでなく、それぞれが少しずつ重なり合ったり、繰り返していきながら、最終段階へ向かう。
急がなくていい。ゆっくり、ゆっくり。
○『人間ひとりひとりには、たとえ目に見えなくても、
その人の成熟に向かって
絶えず前進する力と傾向性が必ず存在する。
この傾向は、それが適切な心理的風土を与えられた時、
潜在可能性から、現実性へと足を踏み出す』 (カール・ロジャース)
ひとり、ひとりの花を咲かせる。
その力は、一人一人に必ず内在する。
(フラッシュバック注意)
●ヴィクテム期……犠牲者期
被害を受けた直後で、尊厳や世界への信頼感をことごとく粉砕された状態。
もしくは被害から離れても、被害を受けた自覚が薄く、
加害者の影響に為す術がなく影響されている時期。
●サバイバー期……生存者期
被害を受けた直後の絶望と混乱を生きぬく事ができたけれど、未だ自尊心や信頼感を回復することがままならない。が、回復を望み始めている状態。
被害を受けた自覚が芽生えつつあり、自分が傷を負っていることを認めつつある段階。
怒りと絶望と恨みと悲嘆と恐怖にまみれた化け物のような自分や人間や世界の中で、回復を求めはじめる段階。
このあたりの回復段階によっては、相互扶助的にサポートする事もはじまる。
サバイバーサポーター等。
●ウォーリアー期……戦士期
自分の傷、傷つけられた相手、自分の現在の状況などを明確に自覚しはじめる段階。
自尊心や信頼感の回復のために、可能な限りのあらゆる手段を講じて、どのような困難と苦難があろうとも立ち向かう意識をもって、現状にあたろうとする状態。
自分に必要なものを認知し、そのために努力できる時期。
●ガーディナー期(又はスライヴ)……園丁期(または花咲く人)
自分自身の可能性を諦めず、豊かに芽生えさせた時期。自分自身の心の庭を、耕し起こし、肥やしを与え、実り豊かに花開かせ実を結んだ人。
自分に起こった出来事は過去のものとなり、庭には光が降り注いでいる。
自分の受けた被害を昇華し、回復し、豊かな人生を花咲かせた状態。
この状態の人は、かつての自分のような被害者を助けたり、社会活動を行って啓蒙にいそしんだりすることが多い。
(参考 「家族という名の強制収容所」 )
これらは順番にクリアしていくものでなく、それぞれが少しずつ重なり合ったり、繰り返していきながら、最終段階へ向かう。
急がなくていい。ゆっくり、ゆっくり。
○『人間ひとりひとりには、たとえ目に見えなくても、
その人の成熟に向かって
絶えず前進する力と傾向性が必ず存在する。
この傾向は、それが適切な心理的風土を与えられた時、
潜在可能性から、現実性へと足を踏み出す』 (カール・ロジャース)
ひとり、ひとりの花を咲かせる。
その力は、一人一人に必ず内在する。
「家族という名の強制収容所」の管理人さんとは一緒に詩集を出した仲です。
私はまだ人をサポートするまでには至りません。
辛いんですよ、自分の体験と重なったりして…
人のそういった体験談とか読めないです。
街中で、これは虐待かって思うような叱り方をしてる親を見ると、ほんとに気分が滅入って気持ち悪くなって落ち込んでいましたが、最近ではそういうのも自分の感情とは切り離して見れるようにはなってきました。
これが長く続いたら、サポートする側にも回れるんじゃないかと、自己分析してます。
最終的には、そこを目指したいんですよね~
詩集は、あのサイトで紹介されている詩集でしょうか。
>最近ではそういうのも自分の感情とは切り離して見れるようにはなってきました。
自分の感情と切り離せるって、かなりでかいことですよね。
>最終的には、そこを目指したいんですよね~
今も、ナウシカさんがご自分の体験をブログで書かれている事で、それを読んで体験共有してナウシカさんに救われている人もすでにいると思います^^
体験者にしかわからない、心にたまった言い知れない毒も膿も、そのうちワクチンに変化してより多くの人をサポートする力になると思います。
いつか会うことがあったら、お互い生きてた事をハグしましょう。
とりあえずネットでハグハグ^^
ついでに言うと、あの詩集の表紙の絵を担当してくれたのが森野さかなさんといって、聖教新聞で子供向けの仏教ものがたりを描いていた人です。
この方も被虐待者だそうで、ユニセフのキャラクターも描いていたとか。
さかなさんも学会員だったと知ったのは、詩集を出してからで、たまたまだったんですけどねヽ(^o^;)ノ
でも、あの詩集自体は学会とは関係ありません。
ほんと自分の体験が、人の役に立ってくれたら最高ですね。
そのことによって、自分も救われるような気持ちです。
ほんと、いつか会えたらいいですね、ハグハグ(*^^*)
文も書ける方なのですね。多彩ですね。
>でも、あの詩集自体は学会とは関係ありません
きっとそうですね。
宗教がからまないほうがいいこともあります。
あのサイトも宗教話一切タブーで守られていた部分が大きいです。
でないと、中まで入ってきて、布教しようとする人がいる。
さまざまな体験談を読めるようになると気がつかれると思いますが、被虐待者には親が盲信的な宗教信者で、その親からダメージを受けている場合もあります。
あの盲信っぷりでよかれと子供の傷口に塩を塗りたくるわけで、自覚がない分やっかいです。
いろんな宗教の親がいるわけですが、その中には創価学会盲信者も類をもれないわけで。
某被虐待女性は、(フラッシュバック注意)某信者親からもらった体中の体罰の傷が大人になった今でも消えない、と話していました。温泉もプールも行けないと。
信仰によって癒される人もあれば、逆にダメージを負わされる人も出る。
ちょっとデリケートな部分ですね。
宗教やってても虐待する人はするし、宗教やってなくても虐待する人はするし、しない人は宗教関係なく虐待しないんじゃないかと。
要はしちゃう人が自己正当性のために宗教を利用したり、また教育や躾を理由にしたりするんじゃないかと。
何事も人次第なんじゃないかと思います。
宗教はどの宗教も、人の幸福を謳っているのかもしれないけど、結果はそれを用いる人に委ねられてるのかもしれないですね。
>宗教やってても虐待する人はするし、宗教やってなくても虐待する人はするし、しない人は宗教関係なく虐待しないんじゃないかと。
もちろんそれぞれ本人の環境や気質や性格や依存度が影響する部分も大きいと思います。
信仰ない場合はもうそれぞれによると思いますが、
何かしら信仰がある場合は、本人による部分と、教えによる部分の両方があるんじゃないかなと思います。
宗教は、やはり生活と密接したものなので、教わるものが違えば、その人の生き方も考え方も少しずつ変わると思います。目指す方向はおそらく一緒なのでしょうけどね。
>宗教はどの宗教も、人の幸福を謳っているのかもしれないけど、結果はそれを用いる人に委ねられてるのかもしれないですね。
ですね。
いくつか宗教団体の方と接して、おおまかにですが団体ごとに立ち振る舞いと表情に違いがありました。
職業とか企業でもそういう「らしさ」とかあると思いますが、宗教団体というコミュニティでもそれぞれの「らしさ」があるようです。それだけ教えに染まるものってあるんだなぁと。
そのなかでまた個人差があるという。
また、宗教によって他への寛容さに差があるので、本人の宗教依存度や、人に対する寛容さの違いなどにも影響するのではと思います。
宗教2世3世問題が出る割合も、宗教によって違うようです。
被害関連本の数も、必ずしも各教団の大きさと比例していないので、もし信仰内容と関連性がなければ、その差は出てこないと思います。
もちろん、その宗教のすべての信者がそれに当てはまるわけではないと思います。
>しちゃう人が自己正当性のために宗教を利用したり、また教育や躾を理由にしたりするんじゃないかと。
ですね。そもそも何かの理由をつけて自分を正当化してないと虐待なんて起こらないのではないかと。
好んで非情になる方は根っからのサディストくらいだと思います。
よく虐待した後、自責の念に駆られる事もあったりするようですが、信仰で自分を正当化した場合は、どうなんでしょう・・・
ところであの本は本屋さんで手に入らないですか?
さかなさんのHPもとてもかわいいですね。
そこの物語が途中で終わってて気になる~
http://www.oct.zaq.ne.jp/les-miserables/news.html
こちら見てみて下さい(^^)/
ちなみに森野さかなさんの体験は、こちらで見れます。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/8311/taiken/2001/morino.html
どうもありがとう^^
ネットの買い物はした事ないので、やりかたみてみます。