路地町家

再生保存した小さな町家のお話です。
それに京都のこと。感動したこと。時には猫も登場したり。。。

ありがとうございました!

2011-12-13 | インフォメーション


ブログ「路地町家」は、この9月で丸3年を迎えました。

最初に始めたブログ「季節はめぐり~」から
この「路地町家」に切り替え今日に至りますが
私にとってブログは貴重な記録。
未公開の記事も加えると,本当に日記そのもの。
読み返すと、自身の微妙な変遷が読み取れ
一人で頷いたり苦笑したり・・・

第一章 「季節はめぐり~」 2006/9/23 ~ 2009/7/9 : yahoo blog
第二章 「路地町家」 2008/9/10 ~ 2011/12/13 : goo blog
第三章  ???

という流れで、本日を持ちまして
第二章 「路地町家」 を終了させることにいたしました。

ご訪問下さった皆様
独断と偏見のブログにお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
時折、参考になることなども織り込んだつもりですが。。。
特に、後半はアクセス数が非常に増加し、嬉しい驚きでした。

次回は、また違った雰囲気のブログを立ち上げ
アナログな生活も、もっと楽しむ予定です。

では、皆様のご健康とご活躍をお祈りしております。
どうぞ、良い新年をお迎えくださいませ。

            
2011年12月13日            
「路地町家」 yuyu




Comments (4)
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茂庵の「茶碗つくりワークショップ」

2011-12-08 | 古き佳き物

友人ご夫妻にお誘いいただいて、「茶碗つくり」初体験。
過去記事 「茂庵」と、山麓の「大正時代の家並み」 の中の一軒「碧山居」が会場でした。
           ↑クリックして下さい。


吉田山斜面に建つ不思議な雰囲気の住宅に、少なからず興味を抱き
内部の見学はできないものかと考えていたところですから
「碧山居」に案内された時は・・・エーッツ?ココ!!
  
期せずしてこの住宅に足を踏み入れ。。。やっぱり!!
玄関と反対側の奥には、景観を楽しめるように手摺付きの内縁が設けられ
大文字山を望む大パノラマが広がっていました。


      内縁の天井、綺麗ですね~

「茶碗つくり」の会場用に建具は外されていましたが
2畳の畳敷き玄関間から、直接 奥のパノラマの広がる内縁まで廊下が伸びていて
その廊下をはさんで左右に、和室が2つ取ってありました。
建具を入れると、さぞ落ち着いた雰囲気の和風住居になることでしょう。


そしてこの家は、驚いたことに玄関外から見れば2階建て
中に入ると更に地階があり、地階の外が庭になっているのです。


        地階へ降りる階段

お尋ねしなかったのですが、ほとんど当時のままの間取りなのではないでしょうか?
なんと瀟洒な建築!このままずっと伝えていただきたい住宅でした。

さあここで「茶碗つくり」を教えていただきます。が
                                つづきは次回に。


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京都文化博物館 ・ 特別展「京の小袖」

2011-12-06 | あれこれ
伝統ある呉服商がひしめく京都にあって
質の高い染色資料のコレクションを大切に管理してきた三社があります。



「株式会社千総」 「丸紅株式会社」 「松坂屋百貨店」

松坂屋(現株式会社大丸松坂屋百貨店)は名古屋が発祥ですが
京都「北観音山」のお町内に拠点を持ち
そのお蔵には京都で蒐集した貴重なコレクションを保管してきました。

これらの資料は、三社それぞれが中心となり着物や帯制作の資料として活用されてきました。

時代を生きた証人として、現代に美的感性を伝承する役目を担ってきたこれらの資料が
一堂に会した展覧会です。

本物好きなら必見。
物つくりの原点とも言える仕事を、見ることができます。



派手好みの秀吉が生きた桃山時代の辻が花から
桃山 ~ 慶長 ~ 寛文 ~ 元禄 ~ 享保・元文 ~ 宝暦 ~ 文化・文政 と
それぞれの時代的背景や人々の好みによって特徴が変化して行く様子が理解できます。

12月11日まで。




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東福寺通天橋付近

2011-12-05 | あれこれ







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東福寺、三門の美

2011-12-05 | あれこれ
この季節、通天橋の紅葉が名を馳せる「東福寺」

「東福寺」の創建は建長7年(1255)。しかしながら三度の火災で大部分を焼失。
現在の伽藍は貞和3年(1346)に復興され、永く京都最大の禅苑の姿を伝えています。

私にとって、この東福寺は鮮やかに青春の感受性が蘇る場所。
今は昔、境内にイーゼルを立て油(絵)の制作に励み、行き詰まると境内を散策。
繰り返し何作か描いた。
ただ「三門」だけは、あまりの迫力と洗練された美意識に圧倒され一枚も描けなかった。
大空に羽を広げたかのような雄姿で迫り来る建築物を、仰ぎ見てはうっとり振返っては溜息をつく日々。
「周りの男性よりずっと魅力的!」とのめり込み。。。
禅寺の雄大さと美しさに、魅了されていた時期を想い出します。







 
因みに、「三門」とは、空門・無相門・無作門 の「三解脱門」の略。




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天得院ライトアップ

2011-12-03 | あれこれ
東福寺の塔頭の一つ萬松山 「天得院」のライトアップ。

「天得院」は隆盛衰退を経て、中興の祖・大機慧雄禅師により再興。
慶長19年(1614)住持となった文英清韓長老は、豊臣秀吉、秀頼の五学の学僧として寵遇され
秀頼の依頼により、方広寺の鐘銘を撰文したが、それこそ例の「国家安康、君臣豊楽」
この文が、徳川家を呪うものとして「天得院」は取り毀された。
その後、天明9年(1789)に再興され、同じく塔頭の本成寺と合併し現在に至る。

言いがかりのような理由をつけたこの一件。
秀頼や清韓長老は基より、寺をも潰すほどの事態だったのですね。


そんな歴史を持つ寺院は今、「桔梗の寺」「花の寺」として知られています。

  
昼間はラッシュの東福寺にあって、夜は静かな雰囲気が味わえます。

 
4日が最終です。闇に浮かぶ燃えるような紅葉を、愛でてみてはいかがでしょう。








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12月!新風館のイルミネーション

2011-12-01 | あれこれ
今日から師走!
今年は、自然の驚異を見せつけられた一年でした。
世界経済も混沌として、地球規模で大きな方向転換を迫られる年となりました。
佳き出来事も暗雲に覆い尽くされ、曇天を一掃する力には至らなかったけれど
ブータン国王夫妻の来訪に、真の良心や幸福感を取り戻した人もあったかと。。。
私に出来ることはホンの僅か。
せめて自分の幸せを感知するアンテナは、錆びないよう磨いておこう!
と、改めて思う年の瀬であります。

この暮れは、ロームのイルミネーションがお休みとのこと。
節電やら不況やら、何とも薄ら寒い年末どすなぁ~


毎年メルヘンチックな「新風館」のイルミネーション!


同じ電気を消費するなら、アーティスチックに!いい雰囲気です。


あら~、ブレてしまいました。 それでも綺麗~~☆

今年も恋人たちや家族連れで賑わうことでしょうね。




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元祖 湯とうふ 「西山艸堂」

2011-11-29 | 美味しいもの

私が幼い頃、父が「湯とうふでも食べに行こか」というと
嵐山、天竜寺の中にある「西山艸堂(せいざんそうどう)」でした。


妙智院が出す「湯とうふ」だから本物。
それに雪見障子越しに庭を眺めて食するのは風情があって「よろしい」
と云うのが父の口癖。


で、ここを通って、昔、何度か訪れました。

今回はひさかた振りに立ち寄り懐かしく。。。

私のおぼろげな記憶では
昔は、畳の上に足を畳んだちゃぶ台のような低い板敷を置き
その中央に七輪があって土鍋をかけ、湯とうふをいただいたような気がします。

お店の方に尋ねてみると
今でも12月~3月は、七輪をお出しますとのこと。
でもテーブルの高さまでは・・・・?とのお話。
さもあらん、私よりお若い方でしたからご存じないでしょうね。
私の思い違いかもしれませんし、本当のところはどうだったのでしょう?


お寺の精進料理ですから、あまり飾り立てず簡素な「湯とうふ定食」一つのみ。
それでも、「森嘉のお豆腐」が使われ、同じく「ひろうず」も薄色ながらしっかりお味が付いています。
あと、ご飯と香の物もあって
私には、想い出も手伝ってとっても美味しく、しかも適量でした。


基本的な「湯とうふ」とか、昔のままを味わいたい方にはお薦めします。
ただし、シーズン中は予約しておく方が無難で、5時には閉まりますのでご注意下さい。


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嵐山の紅葉、大混雑!

2011-11-28 | あれこれ
27日(日)、来客があって嵐山へ出掛けました。


 渡月橋の北のたもと

 嵐電駅前、北方向
聞きしに勝る人波に、思わず尻込みしてしまいます。
祇園祭の宵山並みの大混雑!でした。
交通整理の人達も、殺気立っていて。。。人力車やお店屋さんは大繁盛!


              天竜寺の紅葉 漆喰の白に真紅のもみじが映え、雅やかでした~

 
                                      野々宮神社の鳥居ともみじ。もちろんこの下も大混雑!        

亀山の北東、トロッコ駅への道。このあたりは人が少なく静かな風景が広がっていて・・・愛宕山がくっきり。
ずいぶん遅い紅葉となりましたが、綺麗に色付いていました。



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細川家の至宝~後期~

2011-11-21 | あれこれ

後期の「黒き猫」にも会ってきました。
微妙な黒の変化で描き出された黒猫。その毛並みの手触りまで伝わってきます。
黒猫が何を考えているのか、まで想像してしまうほど。。。
柏の葉との取り合わせもしっくり、気品漂う作品でした。

今回は利休作の茶杓「ゆがみ」とその添え状も展示されていました。
利休が細川三斎に贈った茶杓「ゆがみ」、それをまた家臣に下賜する際の添え状です。
確かに、物語が生れそうな個性的なフォルム。
この竹を見つけ削り出す時の、逸る心がそのまま形になったような茶杓でした。

「鳥毛陣羽織 九曜紋付」も後期のみの展示。
鳥の羽で覆われた陣羽織で、背中に大きな九曜紋がデザインされています。
細川斉樹(なりたつ 1797-1826)の所用。非常に保存状態が良く素晴らしい。

この九曜紋にまつわるエピソードを一つ。
1747年江戸城内にて、細川家6代当主 細川 宗孝が、板倉 勝該に背後から切りつけられ
殺害される事件が起きました。
これは兄を恨んだ板倉 勝該が兄と間違って 細川 宗孝を襲ったもの。
板倉家の「九曜巴」と細川家の「九曜紋」が似ていたため起きた「人違い」でした。
細川家は7代当主として細川重賢が家督を継ぐことになりましたが
間違いが起きぬよう、以後「九曜紋」の丸(星)の間を離して描くよう。とのお達しを受け
中心の丸と外の8つの丸の間を少し空けるようになり「細川九曜」としました。
(寸法内に収めるため結果的に外の丸が小さくなった。)

「鳥毛陣羽織 九曜紋付」は、この事件以降に製作されたものですから
丸(星)の隙間が広い「細川九曜」がデザインされていました。


夕方に入館して外に出る頃には、西の空だけが名残の夕焼けに染まっていました。





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街中のムベ

2011-11-20 | あれこれ
雨上がりの今日、柊家さんの前を通りかかると。。。


屋根の上の繁った葉の中に、何やら実らしき物がちらほら。


        よく見るとアケビ ムベ!
こんな街中で、よくぞ立派な実をつけたことよ。

蔓性の葉が繁るのは、たびたび目にしていても
「アケビ」「ムベ」の成るところを見た人は
案外少ないかも知れませんね。


【追記】「アケビ」と表示していましたが、これは「ムベ」だと教えていただきました。
     訂正いたします。

ムベ=【野木瓜】[学名:Stauntonia hexaphylla (Thunb.) Decne.] アケビ科の常緑藤本(つる植物)。
    トキワアケビ、ウベともいう。葉は互生し、3~7小葉からなる掌状複葉。托葉(たくよう)はない。雌雄同株。
    果実は大きく、紅紫色に熟すが、裂開しない。中に黒くつやのある種子が多数ある。 yahoo!百科事典より


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嵯峨野で見かけたお正月の気配

2011-11-19 | あれこれ

散策路周辺の民家、生垣の向こうに
栗かぼちゃのような形の、大きな柑橘類の実が見えました。
爽やかなレモン色を輝やかせて、枝もたわわに実っています。
シトロンの一種でしょうか? 
仏手柑を連想してしまいますが、それとも違うような。

本名は何というのでしょうか? 綺麗な色ですね~

 「落柿舎」近くのお店では「十二支土鈴」が目を引きます。


酉と戌がはみ出してしまいましたが。。。そういえば来年は辰年ですね。
もうそろそろお正月の雰囲気。

気ぜわしいことどすなぁ~。

【追記】 上記の柑橘類は「獅子柚子」という名前だとコメントいただきました。
     巧く言い当てた名前ですね~。
     お正月を連想させるお目出度い雰囲気を持った果実、これからが出番です。

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「錦織りなす紅葉」発見!

2011-11-18 | あれこれ
もう立冬も済んだのに、嵐山はまだ、鮮やか色に染まらず・・・
少し紅葉を求めて散策!
赤く染まりかけて、葉先が枯れている木が目に付きます。
その中で。。。

黄葉はハッとするほど綺麗! 赤はまだこれからなのでしょうか?

     
     ツワブキは盛り     あたかも晩秋のよう~  


嵯峨「清涼寺(釈迦堂)」に立ち寄りました。

 
凛としてある「多宝塔」。 なぜか塔を見ると惹き付けられます。

広い境内にも紅葉は見当たりません。
ところが、本堂右手にある阿弥陀堂の更に奥、庫裏のそばまで行くと。。。
(無料で拝観できる境内の一角)
緑の木立の間から、見え隠れする鮮やかな色!

ほら、こんなに鮮やかな「錦織りなす紅葉」!
 ←クリック


この一角は木立が多い庭園になっており、手入れも行き届いています。
湿度が高く水分が充分行き渡った所は温度も下がり、紅葉が綺麗なのではないでしょうか。
源融(みなもとのとおる)もこんな紅葉を愛でたのでしょうね~~

※「清涼寺」は、「源融の山荘」内に、唐から持ち帰った釈迦如来像を安置したのが始まり。



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ワビスケが咲いた!

2011-11-17 | 今日の路地町家


障子を開けると、ワビスケが咲いていた。
今年はやっと咲いてくれた。
でもやはり、昨年の過剰剪定が祟って枝振りが疎らなままだ。
今年のお礼肥えは、もっとたっぷり与えることにしよう。



ワビスケは「ツバキ」と「チャ」の雑種だという。
ツバキのように華やかに咲き誇りことはなく
控えめに謙虚に花をつける。

そんなところが気に入っている。


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「天空の白鷺」。。。姫路城

2011-11-07 | 古き佳き物
2009年~2015年予定の
姫路城大天守修理見学施設「天空の白鷺」へ行ってきました。


すっぽり見学棟で囲まれた近代的な修理風景

見学棟へ行く道すがら
これまで一度も公開され無かった「りの一渡櫓」の内部が
修理期間中に限り公開され、資料が展示されていました。



1364年、赤松貞範、姫山に城を築く。
1580年、秀吉、姫路城を築城(大改修)開始。
その後池田輝政、本多忠政、酒井忠邦と城主が替わり
それぞれの紋が改修箇所に使用され、多種の紋瓦が残りました。
 
  
大変保存状態の良い甲冑が見事にライトアップ展示され、とても綺麗!


       そしてこれが修理中の大天守!


瓦が下ろされイメージが湧きませんが
この上にシャチが載る最上層の大屋根です。
瓦下地が緻密にびっしり敷かれている様子が見られます。


最上層の漆喰壁が剥がされ、まるで白木造りのお社のよう。
もう2度と見られない内部の構造をしっかり見学。

ただ、もっと近くで見られるものと想像していたため
ガラス越しのこの距離は、少々不満が残りました。

ショックだったのは、この2枚の写真!!
  ~明治の大修理前の姫路城~

まるで天守の幽霊のよう。

かくも頑丈な建築物も放置すれば、なんとこの有様。。。
白鷺の如き優美な姫路城の、かつての苦難の様相を初めて知りました。
       良くぞ命を存えたものよ!


創建以来の保存の苦労は計り知れません。
初見です! こんな浮世絵まであるのですか~~

  
昭和の修理で美しくよみがえった「西の丸」百間廊下と、畳敷きの化粧櫓で憩う千姫と勝姫人形。

 
下城途中、忍者が現れ、襲われてしまいました~~(笑)



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