うつ病と家族。~妹がうつになってしまいました。~

妹がうつ病になってしまいました。
うつという病気に、家族として向き合った闘病の内容です。

幸せは、感じるもの

2015年09月30日 19時06分31秒 | 日記
私の母親は、とても自分にも、
周りにも厳しい人です。

東京から、転勤でも戻ってきても、
毎日、イライラとしています。

こんなにも、私が一生懸命でも、
まだ幸せと感じられないのでしょうか。
何が欲しいのでしょうか?
家ですか?
お金ですか?
不老不死ですか?

家があっても、そこで一緒に暮らす家族がいなければ、孤独です。
お金があっても、自分以外の人に使うこともなければ、物に囲まれた生活だけです。
長生きしても、自分を思ってくれる人がいなければ、生きているだけで、悲しいものです。

つらい一言・・・。

2015年09月30日 18時50分09秒 | 日記
妹の元気がなくて、声が暗くなっているので、
また、何かあったのではと心配になっていました。

私「誰かに、何か言われたの?」
妹「何でもないよ。」
私「声が元気ないよ。」
 「何かあった?」
妹「・・・。」
私「気になることがあるなら、話した方がいいよ。」
妹「『あんたを見ていると、イライラしてくる』って言われた。」

最悪です・・・。
妹は、誰に言われたかは話しませんでしたが、
身近な家族だと思います。

どうして、妹の状況を分かってあげられないのか・・・。
本当に、悲しくなってきます。

一人で、一所懸命に減薬のつらさに耐えているのに、
そんな言葉しかかけてあげれらないのか・・・。
情けない気持ちでいっぱいです。

誰も、病気になりたくて、病気になったんじゃないはずなのに・・・。

私「気にしたらダメだよ。」
 「あなたの、いまの状況が分からないから、
  一方的に言っているだけだから。」
 「何も悪いことなんかしてないんだから、
  そんなに、気にしたり、悩んだりしなくていいんだよ。」
 「一生懸命、良くなるために減薬しているでしょ。」
 「周りからは、それが分からないだけだから。」
妹「うん。」

妹にとっては、とてもつらい一言だったと思います。

うつは、とても複雑な病気だと思います。
本人だけではなく、それをとり囲んでいる環境や、
周囲の人の接し方で、いろいろと症状が変わってしまいます。

どれだけ、周りの人の言葉が、本人を傷つけているのか、
分かってあげなければ、接することも難しいと思います。

私「気にしないようにしなさい。」
 「治るために、減薬してるでしょ。」
 「離脱症状を、みんな分からないから。」
 「薬のせいだからね。」
妹「うん。」

もうこれ以上、妹に重荷を背をわせるようなことは、
して欲しくないです。
どれだけ話をして、説明すれば、周りは理解してくれるのか。

「うつ」という病気から、回復するためには、
薬以上に、周りの理解が、一番必要なことだと思います。

眠れない、心の落ち込み・・・。

2015年09月23日 07時31分53秒 | 日記
妹は、ここ1週間、体調を崩してしまい、
気持ち的に、落ち込んでしまっています。

優しかった叔母が亡くなってしまい、
妹なりにショックだったと思います。

あとで後悔しないように、
私と一緒に、告別式だけは参列しました。

私はこの後、納骨や、初七日などの、
いろいろと参列していましたが、
妹は、体調が悪いということで、
部屋で一人過ごすことが多くなっていました。

妹を、いつも気遣ったくれる叔母でした。

妹が、数少ない話の出来る人でしたので、
寂しさや悲しさも、人一倍大きなものだと思います。

夜、寝ていても、
中途覚醒をしたあと、
不安が大きくなって、
一人でいることが、
とても怖いようです。

私は、病気が悪化しているのではないと思います。
薬の副作用で、悪夢を見たり、
嫌なことを思い出したりと、
不安になることが大きくなっているようです。

主治医に相談すれば、
当然のように薬が増えると思います。

いまよりも、強い薬を出せば、
もちろん眠れることは、
私も分かっています。

でも、薬に頼ることよりも、
時間をかけてもいいので、
少しづつ、気持ちの整理をして、
叔母への想いを、
妹自身の心の中で、
一つづつ受け止めて、
悲しみを乗り越えて欲しいと思います。

強い薬を服用することで、
思考を止めて、悲しみを忘れさせることが、
私には、いいことだとは思えないのです。

薬に依存していれば、
いつか、叔母との思い出も、
記憶から消えてしまうのではないかと思います。

生きていく中で、
辛いことも、いくつもあると思います。

いま私は、増薬をした方がいいのか、
とても迷っています。

悲しい気持ちも、妹のものです。

眠れなくて、精神的に不安定になっていることも、
事実です。

薬で、思考を止めてしまい、
悲しい気持ちを止めてしまうことで、
妹は、眠れるようになるのかもしれません。

いまの私には、
どちらが良いのか、判断することが出来ません。

もう2、3日、様子を見ながら、
妹と話し合いたいと思います。

叔母の訃報

2015年09月19日 07時07分31秒 | 日記

先週、親戚から電話があり、
叔母が亡くなったという連絡がありました。

とても優しい女性で、
父親の時も、
妹のことも、
いつも気を遣ってくれて、
本当に感謝しても感謝しきれないくらいの女性でした。

長く、病気を患っていて、
辛そうでしたが、
何もしてあげられなくて、
私としては、とても残念な気持ちです。

妹も、とても叔母を慕っていました。

叔母の訃報をどうやって説明したらいいのか、
半日ほど、一人で悩んでいました。

急な訃報で、気持ちの整理もできていません。
最後に会ったのは、1年ほど前でした。

私「叔母さんが、昨日、亡くなったて、連絡があったよ。」
妹「え…。」
私「急だったんで、みんな驚いているよ。」
 「一緒に、葬儀に行こうか。」
妹「うん…。」

妹は、下をうつむきながら、泣いていました。

妹に、優しく接してくれた人たちが、
一人づついなくなっていくことは、
本当につらいことです。

一緒に、葬儀でへ参加し、
最後まで、見送ってくることが出来ました。

妹は、しばらく気落ちをしてしまうかもしれません。

生きてい行く中で、
本当に、いろんなことがあります。

妹は、叔母の訃報を、
気持ちを整理しながら、乗り越えてくれるでしょうか…。

44回目の減薬。セニラン

2015年09月06日 07時45分48秒 | 日記
ここ1ヶ月は、妹の様子も、
安定してきたように思います。

4月末頃の、大騒ぎになってしまった、
不安定な状態は、ずいぶんと良くなったと思います。

安定していることから、
妹と話し合って、セニランを少しだけ減薬してみることにしました。

セニランは、以前にも何度も減薬をしていますので、
少量なら、何とか出来るのではないかと思っています。

サインバルタカプセル
ジプレキサ
は、減薬がうまく出来ず、
元の量に戻したり、
増薬をしたりと、
減薬の失敗を繰り返していました。
そのたびに、離脱症状で妹が苦しむばかりで、
辛い思いをさせてしまったと思っています。

難しい薬を無理に減薬するよりも、
いま出来る薬を減薬した方がいいと思いなおして、
今回はセニランを減らしてみることにしました。

セニランは、当初、
一日に30mg(10mを3回)
もの量が処方されていました。
このとき、他のジプレキサ、サインバルタカプセル、
リフレックス、ベゲタミンBと、
大量の薬も処方されていました。

とにかく、
「多すぎじゃないの?」
というのが、私の感想でした。

それから、3年をかけて、
いまは、2mg、3mg、3mg、
と一日8mgにまで減薬をしてきました。

それでも、妹の状態は安定しています。
30mgもの量などは、いらなかったのだと思います。

減薬は、簡単ではなかったことも、
以前のブログにも書き綴っています。

セニランの離脱症状で、
不安の増大や、手の震え、落ち着きがなくなる、
等はあります。

冬になり、寒い時期になると、
減薬はとても難しくなってしまうので、
出来れば、11月くらいまでには、
少量でも減薬をしておきたいというのが、
今回、減薬を考えた理由です。

離脱症状を抑えるために、
昼を0.5mgだけ減らしてみることにしました。

妹が苦しまずに、減薬できるといいのですが。