時事解説「ディストピア」

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混迷のエジプト 用済みの民主主義

2014-05-01 23:21:00 | リビア・ウクライナ・南米・中東
中東研究者までこぞって『アラブの春』と形容して礼賛した中東の革命。
実際には革命でも何でもなく、現在、同地域では未だに混乱が絶えません。


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エジプトの首都カイロの裁判所は28日、ムバラク独裁体制を倒した
2011年初めの「革命」で主導的役割を果たした青年組織「4月6日運動」に対し、
外国勢力と共謀して国家を侮辱した」との理由で活動を全面禁止する判決を下しました。
今後、控訴審で判決の是非が争われる見込みです。


「4月6日運動」はこの間、昨年11月に暫定政権が制定したデモ規制法
(デモを当局の許可制にするもの)に違反したとして幹部2人が
禁錮3年の判決を受けたこともあり、同法撤廃の運動を繰り広げるなど
政権との対決姿勢を強めてきました。


「4月6日運動」の中心幹部の一人、モハメド・カマル氏は本紙に対し、
「判決は国家機関を使い政治的反対勢力を排除しようとするもので、断固として認めない」
「われわれは抑圧に屈せず、革命の要求を達成するまでたたかいを続ける」と表明しました。

エジプトの人権団体「アラブ人権情報ネットワーク」のガマル・エイド所長も、
今回の判決は「100%、政治的動機にもとづいている」と強調。
「国民をムバラク時代の“警察国家”に引き戻すものであり、
人権のあらゆる原理と100%対立するものだ」と厳しく批判しました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-04-30/2014043007_02_1.html
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アラブの春で革命を主導したと言われる「4月6日運動」ですが、
実は、外国勢力と蜜月の関係だったというのは事実で、
あの革命が先進諸国に誘導される形で展開されていったという
経緯が今回の裁判所の判決を複雑にさせています。





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エジプトの場合で気がついたことですが、
キファヤ、4月6日運動や、ムスリム同胞団で構成されている主要団体は、
決して湾岸戦争の真っただ中、1991年からエジプトに押しつけられた
IMFと世界銀行のマクロ経済改革、新自由主義的な思惑には異議を申し立てていません。

私は偶然、まさにその瞬間にエジプトにいました。財務大臣の事務所にいたのです。
そして改革が押しつけられました。そして20年間にわたる期間、エジプトが、
こうした破壊的なマクロ経済改革にさらされ、農業の破壊や公共部門の大量失業がおきました。


~中略~

キファヤや、4月6日やムスリム同胞団等の主要集団は、
まさにアメリカ政府によって操られているのですから何も達成していないのです。
アメリカやイギリス諜報機関とムスリム同胞団との関係は、もうはっきりしています。

4月6日青年運動とアメリカ大使館とのつながりは文書で十分裏付けられています。
ですから、帝国に、つまりアメリカ政府に対して革命をしかけながら、様々な財団を通して、
「俺に金をくれ、帝国に対する自分達の抵抗運動に資金援助してくれ」と頼むことはできません。
それでは筋が通りません。

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-4acf.html
※句読点の位置を変更、カギ括弧の挿入などで読みやすい文体に修正している。
 原文は、上記のページで閲覧可能
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戦後の主流左翼(=反共左翼)は、保守派にとって本当にやっかいな抵抗勢力、
すなわち、傍流左翼(=容共左翼)を封じ込めるために利用された。


……というのが筆者の持論ですが、エジプトでも構図は同じであるようです。

彼らは貧困と格差に反対して立ち上がったのは事実ではあるし、
純粋に民主主義や自由を求めているのであろうことは想像できるが、
にも関わらず、本来、倒すべき敵である外国の資本勢力と手を結び、
使い勝手の良い捨て駒となってしまった
ことで、ムバラク追放という
目的が果たされた今、用済みとなり、切り捨てられる憂き目にあっている

(しかも、彼らを迫害する軍事政権を今度はアメリカが支援している)

これは、日本の今後の抵抗運動を考える上でも無視してはならない問題です。

すなわち、目的を達成するためなら、誰と組んでも良いのかということ。
そして、暴力的であるか否かは関係なく、直接行動論には限界があること。

この二点は、微妙にはぐらかされているのですが、

①ヘイト・スピーチに反対しているはずの集団に、
 到底そこに参加すべきでない人物が指導的立場としているということ、
 (有田芳生氏や辛淑玉氏、野間易通氏、など)

②基本的に彼らの反対は、その場しのぎの付け焼刃で、
「排外主義を徹底的に排除する法律の制定」にむけてアクションしていないこと、

③結果的に、それら反対運動は、そこそこの効果をもって沈静化するであろうこと、

④実際に、現在の日本のアジアに対する排外主義は国家と国民の共通認識であること、

⑤こういう排他的な気運に反ヘイトスピーチ運動が何も影響を与えていないこと


 といった残酷な現実から目を背けるべきではありません。


原発や反核でもそうですが、保守派と手を組むということは、
保守派が許容できる範囲での活動に止まるということであり、
そういう弱いパワーの抵抗は、本来の意図を離れ、逆に自国の政治が、
あたかも反対勢力との議論によって成り立っているかのように見せかける
ための演出になり下がっている
というこの残酷な真実を認めるべきです。


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