瀧澤美奈子の言の葉・パレット

政を為すに徳を以てす。たとえば北辰の其所に居りて、衆星の之に共(むか)うがごときなり。

『人新世』平朝彦著(東海大学出版)を読んで

2023年02月01日 | ひとりごと
 現在、人間活動が活発になり、あらゆる意味で地球全体を揺るがすようになっています。現代を「人新世」とする呼び名が、ある種の危機意識とともにすでに定着しつつあるのは、多くの人が同様の感覚を持っているからともいえます。

 数年前に海洋研究開発機構(JAMSTEC)の理事長を退かれた平朝彦先生が昨年、400頁にもおよぶ著作『科学技術史で読み解く 人新世』を上梓されました。

 本書は、理学・工学・医学・歴史学・経済学などの分野を俯瞰的に記述し、その根底に流れるダイナミクスを統合的に理解することで、未来への指針を導き出そうとした大作です。
 「人新世を特徴づける人間活動の大きな原動力は何であったのかを問うために」現代を規定するのに重要な役割を果たしている、科学技術の「現在地」を理解し、広範な分野の科学技術史を紐解いていくのです。
 
 話は2000年にメキシコで開かれたある国際研究会議で「人新世」という言葉が生まれた瞬間から始まります。次いで、米国が主導した20世紀の科学技術が経済活動を発展させ、さらにシリコンバレーを中心に起きたパラダイムシフトが、イノベーション駆動型の経済を成立させ、社会のあり方を変えていったことを示します。

 情報技術のパラダイムシフトは情報の民主化を実現しましたが、一方でイノベーション駆動型経済は社会に光とともに影をもたらし、世界を不安定化させる危険も孕むとし、これからは「集中した富と情報をどのように生かしていけるのかに地球と人間の未来がかかっている」と指摘します。

そしてそのためには、
①社会経済政策に地球・人間・機械の理解や定量分析、予測手法を取り入れること
②アダム・スミスの人間倫理の復権に加えて、生命の星たる地球と人間の共感を社会基盤とすること
③科学技術の知的体系と人間的共感を基盤として「人間と地球の大きな物語」を創造すること
の必要を述べています。後半には、著者が考える「人間と地球の大きな物語」が「アース・ソサイエティ3.0」として具体的に示されます。
 アース・ソサイエティ3.0は、「エネルギー、食料、水、都市におけるイノベーション」の上に成り立ち、支えとして市民のリベラルアーツと人間力が不可欠であるとしています。そして厳しい自然環境のなかで生きてきた日本こそが、リーダーシップをとるのにふさわしいと提言しています。
 
 ここに書いたのはあくまで私なりの理解です。400頁のなかには、気候変動や海洋科学、惑星の生命居住可能性、ヒトの発生、人工知能・・・など、現代に生きる私たちが教養として知っておきたい科学知識が平易に解説されており、それだけをとっても有意義な内容になっています。膨大な数の参考文献と、そこに書かれた平先生の肉声もまたさらに深い知識の世界への案内状として読書を楽しませてくれますので、その意味でもお勧めの一冊です。

 平朝彦先生といえば、四国などに見られる四万十帯とよばれる地質が付加体であるという概念を世界で初めて提案・実証し、日本の深海研究のメッカである海洋研究開発機構(JAMSTEC)の(名物)理事長として地球深部探査船「ちきゅう」の大親分もつとめられた著名な地質学者です。ひとことで言えば、学者として超一流ながら、後半はその枠を超える能力と人間的魅力を、日本の海洋研究の発展のためにいかんなく発揮されました。
 私も何度もお会いしており、頭脳明晰、語りは機知に富み、お酒と冗談がお好きで、老若男女を問わず、初対面のときから必ず相手を古くから知っている友人のように思わせてしまうのです。
 
 最終章で、「ミスター・トイレ」ことジャック・シムの言葉を紹介しながら平先生の考えを述べるくだりがあり、とくに先生らしいと感じ、印象に残りました。

「シリコンバレーで私が感じるのは、イノベーションとテクノロジーに対する異常なまでの執着心だ。人や社会、環境に及ぼす潜在的なリスクに対する深い考慮と規制よりも、圧倒的にイノベーションやテクノロジーが優先されている」
シリコンバレーは巨大になった。あのカウンター・カルチャー運動やWhole Earth Catalogで表現された個人、自由、環境といった開拓精神にあふれた創成期から、今や苛烈で、競争の恐怖とパラノイアに突き動かされるビジネスの舞台となった。アース・ソサイエティ3.0の世界では、(略)「人間的な深い共感と共有の意識をもって関わり、社会の不平等や弱者などを、社会の重荷と見るのではなく、新たな創造の力と見るおもいやり」が必要だ。

膨大な量の知識が統合されて、このような深い洞察へと導かれる過程は心地よい体験であり(内容は深刻ですが)、折にふれて何度も読み返したい一冊です。


 

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