ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

槐多くん・その2

2012-10-27 | Weblog
どこにいても村山槐多に関する本を一冊手元において、見つめたり読み返したりしている。
出掛ける時はバッグの中に、台所にいる時は流し台の横のブックスタンドに、テレビを見るときは膝の上に、お風呂に入るときも、寝るときも一緒。
画集、詩集、書簡、日記、様々な人の手になる槐多論がある。
草野心平、荒波力、山本太郎、窪島誠一郎たちの槐多論を読んだ。
ネットを検索しても、槐多の生き様に感銘を受けた人たちが、「私の槐多」を書いている。それぞれに独自な思い入れがあり、読んでいて心に迫ってくる。

槐多は、自分勝手に生きた男だ。世の中のことも、人類の平和も、どうでもよかった。
人を導いてやろうという気も、人に何かを教えてやろうという気もない。ただ、自分の精神世界、好きなもの美しいもの力強いものを表現することだけしか頭になかった。
短い命を予知していたかのように一瞬の間も惜しみ全力で駆け抜けていった槐多の、そういうまじりけのない情熱とまっすぐな生き様そのものが、人を感動させるのだと思う。

信州・上田の信濃デッサン館館主である窪島誠一郎は「もし、あの頃、槐多に出会わなかったら」と、書いている。「濁流のような時代の流れのなかで、見失っていた自分をとりもどすことができなかったのではないか。自分が一体何を求めているのか、それさえわからなかったのではないか」。
窪島は槐多の絵を飾りたくて、信濃デッサン館を作ったと言われている。

残念なことに私は若い混沌とした時代に槐多に出会えなかった。でも、その炎のような作品や生き様は、今の私にだって、強く訴えてくるものがあるのだ。

槐多が創作欲に芽生えてからその命が燃え尽きるまでの時間は、たった10年ほどだった。
あと10年、私にも何かを作り出す時間が残されているのだろうか?
それはわからないけど、その時間を無駄にしたくはないなと、思う。


亡くなる直前に、槐多が残した謎のような3つの言葉。
「白いコスモス」「宇宙船」「ものうい光」。
窪島は、それを槐多が好きだった信州の風景だという。
千曲川の川べりに咲いていた白いコスモス、宇宙船のように空にうかぶ雲、その雲の間から漏れてくる淡い陽光。
それはとても明るい光景のようだ。そんな景色をみながら亡くなっていったなら、少なくとも死ぬ瞬間、槐多は幸せだったのでは、と、せんべい布団の間で死んでいった貧乏な若者を、なんともせつなく思ったりするのだ。












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