ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

藤田嗣治の絵

2006-07-24 | Weblog
「レオナールフジタに会いに行ってきました」と栗林先生(知り合いのお医者さんです)からメールがあって、そうだ、フジタ、私も行きたかったんだと思い出し、調べてみたらなんと最終日。で、混雑覚悟で、京都国立近代美術館に行ってきた。
観終わって、フジタってなんだかやっぱり節操がないなあと、笑ってしまった。
ローランサンやらモジリアニやらピカソやらキスリングやら、どこかでみたような雰囲気の絵が、時代時代で変遷しながら描かれている。「こっちが好まれるならこっち。このほう流行っているなら、このほう。だって、僕はなんでも自由に描けるんだもん」って感じで。
フジタの絵は、いわゆるフジタらしい柔らかな細いタッチのものがやはり私は好きだ。思想なんかで縛られない女、猫、花、室内、子供たち。独特の乳白色と赤と黒と水色。フジタにとっては、絵を描く楽しみがすべてだったのだと思う。いろいろと言われた戦争画も、なんだか「僕って、なんでも上手く描けるでしょ」という声が聞こえてきそうだ。I MUSTではなく、I WANTで行動したフジタ。子供チックで、自由で、ほめられるのが好きで、揉め事や嫌なことは避けたいと思い、自分を認めてくれるフランスを愛した、おかっぱ頭のフジタ。とても単純でとてもよくわかる。
帰りは河原町までぶらぶらと歩いて帰った。気が向けば小路に入って回り道をする。日曜日の喧騒も、路地裏までは入ってこない。碁盤の目の街は、地理オンチの私でもまず迷わない。
川沿いの喫茶店でコーヒーを飲んで、祇園の原了郭で黒七味を買った。
写真は、岡崎にあるガーデンという古いアパート。近くの橋からの眺めも好きで(川のなかに一本、細い木がすっくりと立っているのです)撮ったのだけど、私の古い携帯ではよく写らなかった。
学生時代をすごした京都は、やはり、なつかしく心が落ち着く街だ。

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本屋のたたずまい

2006-07-05 | Weblog
入口の戸を開けただけで、もうわくわくしてしまう。京都の恵文社という本屋さんは、本の並べ方、表紙の見せ方、ひとつひとつが、ほかの本屋さんとは違っている。読みたかった本、もう一度読みたいと思っていた本、美しい本、めずらしい本、古本屋を探さなければ見つけられなかった本も絶版になってしまったと思っていた本もちゃんとある。ゆっくりと書棚の間を歩き、手にとって読み、疲れたら腰を下ろす椅子もあるから、時間をかけて選んで選んで、それでも気がつくといつもよりたくさんの本を買っている。一冊一冊が、他の本屋さんに並んでいる時よりも魅力的にみえるのだ。
出町柳で叡山電鉄に乗り換えて一乗寺で降りる。たたずまいも美しい本屋さんだ。でも、遠いのであまり行けない。最近、その恵文社が、家から遠くない長岡京の駅前にも店を出していることを知った。一乗寺のように古びてはいないけれども、同じように雰囲気のあるお店で、とてもうれしい。この間行った時には、よしもとばななの「海のふた」と、江国香織の「すきまのおともだち」を買った。二冊とも、やさしくてせつなくて、軽い読み心地のくせに、読んだあといろいろと考えさせられる物語だった。
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