花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

浅野川

2011-10-13 23:24:05 | 日記
本多の森ホールから左に大通りに出て、兼六坂上のT字の交差点を右に曲がると兼六園下につきます。
そこから、バス停一つのところは、橋場町と言います。

この辺は、すぐ側に浅野川が流れています。

泉鏡花が1919年発表の長編小説『由縁の女』の 作中で浅野川を女川と表現したことから、浅野川(あさのがわ)は女川と称され、その対比として犀川は、男川と喩えられています。
浅野川の先は、金沢市と河北郡内灘町の境界に位置する河北潟から流出し、金沢市大野町で日本海に注ぎ出ます。

私は小学校5年生の頃、友達がお茶を習っていたので、興味を持って、一緒にここまで習いに、毎週土曜日来ていました。有名なひがし茶屋街と呼ばれる、ところまでは行きませんけど三味線屋さんやお寺があったりして、風情のある場所です。
お稽古は、先生が子来(こぎ)町という、小高い?ところにいらしたので、バス停から20分ほど、友達と友達の妹と三人で歩いて通っていました。
その上には、卯辰山があり、子来(こぎ)町の町名の由来は、卯辰山が開発されたとき、作業に来た住民がたくさん、子供が来るようににぎやかに登ったのでこの名がついたようです。
ここらへんは、坂ばっかりで、坂にも男坂と女坂って名がついていて、私たちは先生のところに通うために登った坂は「女坂」という名前でした。

お稽古が終わった帰り道、三味線屋さんを通るの、ちょっと楽しみでしたね。

習いたかったのだけど、教えてるところもわからなかったので、観てるだけでした。
沖縄では、沖縄県や鹿児島県奄美群島では三線(さんしん)とも呼ぶそうな。。。

でも、皮は犬や猫の腹なんだってW

お茶のお稽古、今は、どんなことしてたか、あまり覚えてませんが・・・
日本のわびさびを知る、いい機会だったと思います。
一杯のお茶をいただく間の短い時間、思いのこもった茶室で、主の心遣いを感じながら過ごすように教えられたように思います。
和菓子も、キレイなお菓子を用意していてくれました。
自分が主になって、お茶をたてるときも、お客さんへの気配りしながらって習ったような・・・
毎週、生徒を迎えるために先生はお花やお菓子を準備して待っていてくれたのね。
先生、足が悪くて、車もなかったから、大変だったなぁ。

本当に、子供の頃って何も考えてない・・・今頃、気づく。

兼六園での大茶会も春と秋、行きました。野点が気持ちよかったな。

先生は、長い間、独身で晩年に結婚されました。でも、お年を召してからの結婚だったので、周囲に反対されたりもして、大変だったよう。
再婚後、何年後かに倒れられて、ご主人が看病されていたのだけど、先生が治ったら、今度はご主人が倒れて亡くなられてしまって・・・
もう、亡くなられたけれど、天国でお二人、仲良くいられますように。

ご訪問、ありがとうございます。




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