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バーンスターン、「最後」のブルックナー

2010年05月30日 11時44分27秒 | ブルックナー
先日、職場で健康診断がありました。年齢から言っても血液検査と胃部レントゲンは必須になっておりまして、血液検査は高脂血症やらなんやらの予防のためにも、それは価値のあることなんですね。しかしながら、胃部の方は、コレ何とかならないですかねえ。あのバリウムの飲んだ後の妙な満腹感、そして最もかなわんのが事後処置ですよ。私の場合何時も困難を極めまして…。それなら、もう胃カメラの方がましだ、ということも言えるのです。しかし、これはこれで、検査中異状があったときの周囲の緊張感が、なんとも恐ろしく(以前の経験からです)、これもねえ、って思ってしまいます。てなわけで、健康診断の日ってのは、一年でもっとも憂鬱な日であります。

そんな憂鬱な中、前々回取り上げたバーンスタインであります。近頃意識してバーンスタインを聴こうとしております。バーンスタインが逝去されて、もう20年になろうとしておりますねえ。1990年10月14日が命日でありますので、早いものであります。そのバーンスタインの最後の年の1990年の2月から3月にかけて、VPOとの最後となった共演をしております。どんな曲を演奏したのかその詳細はよく知りませんが、その中にブルックナーの交響曲第9番があります。DVDとしてもその映像が見ることができるものです。ウィーンのムジークフェラインでのライブであります。このCDは、発売されてすぐに買ったことを憶えていますが、あまりその演奏が好きになれず、それほど聴いていませんでした。もったいないことでありました。バーンスタインのブルックナーってのは、それほど演奏をしているわけではありませんね。 過去にも6番とこの9番の演奏があったくらいですねえ。もっとも、ブルックナーを演奏するのは、どうなんでしょう、独墺圏の指揮者ですよねえ。フランスやイタリアの指揮者がそれほど演奏するとは思えないですねえ。さすればバーンスタインもそれほど取り上げなかったことも奇異なこととではないでしょう。

そんなバーンスタインのブルックナーなんですが、確かに彼の体臭がムンムンする演奏であります。そして素晴らしい演奏であることは間違いありませんね。これほどスケールの大きく、旋律をたっぷり歌わせてくれる、そして、管弦楽がまばゆいばかりの美しさを湛える。いやー、ほんとに一度聴いたら満腹になってしまうような演奏ですよ。そしてVPOのなんとも美しい音色も特筆すべきものです。ほんとに慈しみのある美しさですね。

第1楽章、三つの主題の美しい表現は、他では聴けないようなものですね。それをVPOが支えております。ブルックナーのポリフォニックな部分も非常に明快に演奏してくれています。金管の透き通るような響き、心のひだを巧に表している弦。これだけの音を引き出すバーンスタインは、やはりただ者ではありませんねえ。ブルックナーの音が、とめどもなくあらわれて、その美しさにうっとりしてしまうコトしきりであります。そして、第2楽章スケルツォ、元来荒々しい楽章を、バーンスタインは根限りの表現で凄まじい迫力となっています。実演ではこの傾向はより顕著にあらわれることでしょう。中間部の美しさも、これまたいいです。うまい対比になっていますよねえ。そして、終楽章アダージョ。ここでもスケールの大きく、美の限りを尽くした演奏が、これまた止めどもなく聴けます。バーンスタインのねちっこさがよく指摘されていますが、それほどの粘着質は感じませんね。しかし、バーンスタインの魂の叫びとも言えるようなものが随所に聴けます。これが彼の最後にたどりついた境地なのか、それはわかりませんが、痛いように心に突き刺さってくる調べであります。半年余りのちの死を彼が意識していたかどうかは、知る由もありませんが、ここに聴くことのできる演奏は、バーンスタインの最後のメッセージでしょう。曲の元々の美しさを10倍に増したような美がここに聴けます。じっくり耳を傾けたなら、その眩いばかりの美しさに幻惑されますねえ。

そんなバーンスタインですが、この演奏がブルックナーの音楽の本質的なところから考えると、やはり異質なものであることは否めない事実でしょうねえ。そこが難しいところであります。
(DG 435 350-2 1992年 輸入盤)

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