ストイックダイエット2(仮)

標準体重超初心者が日々思うこと・・・

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たけみです

2010-05-06 10:37:54 | 日常
皆様、お久しぶりでございます。
2010年になって記事を書いていないような気がしますが、私自身は元気にしておりました。


それなら何故ブログも掲示板も放っておいたのか。
実はインターネットってのに繋がってなかったのである。
節約生活で、携帯電話のパケット使い放題はとうの昔に使わなくなっていた。
まさかその上にネットの料金も減らすことになろうとは、全く思わなかったが。
ネットが無くても生活に不便は無い!と言いつつ、やっぱり様々フラストレーションたまるは、接続きったところで金額的には大差なかった(はっはっは)

しっかし、アカウント、そのまま残っていて良かった。
てな訳で、久々に開けたらとんでもないことになっており、メールのお返事をお待ちの皆様、今しばらくご猶予ください。

ところで、世の中はGW、皆さんはどこかでかけられましたか?
今年の休みは暦の並びが良くて長いお休みが取れた、って方も多いかな。
せっかくの連休だし~羽根を伸ばして~美味しいものを好き放題食べてきました!な方々は、このページは読んでないだろうなぁ。

私なんぞ、三桁暮らしが長かったので、連休とか土日とか、そんなん関係なく食べ放題だった。
今考えると、あのときの私が何故あんなに食べていたのか、よく解る。
あなたにも、何故たけみが三桁だったのか、解るかな?

話を戻して、今年のGWは、1、3、5日と日帰りハイキングに出かけてきた。
1日は軽めに足慣らしで丘陵へ。
3日は一応登山道のある小さな山へ。
昨日は旦那父母と一緒に高尾山の近所の山へ。

私としては高尾山そのものに行きたかったのだが、GWで人が多いからと父母に却下され、景信山という場所に連れて行かれた。
景信山は727mで、高尾山の599mよりちょっと高いが、初心者の私は全く知らない山で「どこそれ~?」みたいな。
だから、行く前は全然乗り気じゃなかったのだ。

でも、登ってみたら景色はいいし、山道も程よく山らしく面白いところだった。
何より良かったのは、旧甲州街道を歩いたこと。
この道を昔の人も歩いてたのか、そう思うと本当感慨深かった。
高尾山はまた平日にでも行ってこよう。


みなさん、5月になって暖かくなったし、まだ間に合う夏までに痩せようとか思ってますか?
期限を切ったほうがいい人は、気合入れて頑張る自分を始めましょう。
逆に期限があると辛くなる人は、いつまでって考えずに始めましょう。

山登りを始めて解ったこと。
誰だって、登れば頂上です。
ゆっくり歩くのでも、颯爽と山を駆け上っても、どっちでもいいんです。
自分で出来ることををやって行けば、必ず、てっぺんに、着くんです。

目の前の山がどんなに大きくても、自分の足で、登りましょう。
仲間と一緒に歩く事が出来ても、登るのは自分自身です。

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年の瀬

2009-12-07 02:49:47 | 日常
皆さん、お久しぶりです、たけみです。
うわぁ、どんだけブログの記事を書けなかったんでしょう、二ヶ月くらいでしょうか、前回の記事の内容を思い出せないくらいはるか昔でございます。

しばらくブログを離れていた間、私は何をしていたのかと申しますと、日常に埋没しておりました。
Yahooの掲示板には時折顔を出していたのですが、ゆっくり物事考える余裕が無かったなぁ。
かといって、今落ち着いたわけでもないんですけれど。
っていうか、年末、年の瀬、師走ですもん、やること山盛りあるじゃんね。
でも、そういう時だからこそ、逃避したくなるのがネットの世界なのかもしれなーい。

今年は、いろいろありました。
このブログは減量に関して書く場所なので、生活のことはあまり語ってはいけないみたいな決まりが自分のどこかにあるのですが、一年振り返る12月ですし、書いちゃっていいですか、ええ書いちゃいますよ。

旦那の仕事が減った話は書きましたが、残業一切なくなって、夏ごろには週休4日でした。
その後それでも会社は耐え切れず、何人もどんどんリストラされてゆきました。
そして現在以前の半分に人が減ったにもかかわらず、いまだにワークシェアリングで休みになる日が前日決まるような状況です。
もちろん毎月の収入が減り、ボーナス夏も冬もゼロ、年収ベースでは本当に半減。
リアルに貯金切り崩しの生活なんですが、それは、もうあきらめるしかない、お金のことはやりくりして本当になくならないように工夫するしかないです。

それよりなにより、こういう状況が辛かったのは私以上に本人なわけで、夏あたりからは引きこもり鬱々とする毎日を送っていました。
かつて私は人生あきらめてもう嫌だーって思っていましたし、死にたいと思って憂鬱な顔をしていたんですが、憂鬱な人を見守る人って、憂鬱な人以上に憂鬱ですね、逆の立場になって初めてその大変さを知りました。
しかも、そんな状況でも親が入院したり、あっちもこっちも行かなけりゃで、本当今思い出しても今年はいろいろありすぎでした。
ここへ来て旦那がようやく少々前向きになってきてくれたんでどうにかほっとできそうですが、来年は旦那もいよいよ本厄ですし、何があるかわからんなぁと思っています。


みなさんは、ダイエットのカテゴリにどのくらい滞在していますか?
私は、2007年の5月からだから、2年7ヶ月になる。
それ以前は、痩せなければならないと思うこと自体を避けていたので、ダイエットカテゴリへ来たことはなかった。

こうしてこの場所に居ると、思う。
本当に痩せなければならない人より、痩せられそうな人のほうが、ダイエットを好きだ。
少しの努力で成果が出る場合なら、ダイエットは楽しい、お金をかけてする一種の娯楽なのかもしれない。
でも、長い時間かかる場合、それまでの生活と減量するために必要な暮らしのとのギャップが大きければ大きいほど、それは苦行になってゆくので、やろうと思えないやる気にもならない。

経済評論家の勝間和代さん、ご存知だろうか。
彼女のファンは、カツマーって呼び名がつくくらい心酔している、そんな方だ。
著書を拝見したことはないが、新聞の土曜版に記事を載せられていて時々読む。
一つ一つなるほどと思うことばかりだが、彼女の言葉を読み聞きして「活性化」される人は、元々その方向へ意識が向いているからこそなんだと思う。
成功するために必要なのは、意識改革であるみたいな話を読み、そうだそうだ!と以前の私は思っていた。
でも、最近はその意見を読むときに心のどこかで

「アンタは自分が成功したからそう思えるだけだよ」

みたいな非常に鬱屈した自分がいるのを感じる事がある。
もちろん、私自身が「あっぷあっぷ」だからそう思うのだが、そんな状況のときに自己啓発しても意味が無いと実感してしまう。

つまりは、ダイエットも同じ。
本当にダイエットが必要かどうかは別で、ダイエットという行動を自らが出来ることと認識できるかどうかって訳なのだ。


大変って言葉通り、大きく変わるのは大変だけれど、減量はどんな人でも絶対に出来ること。
ただ、いつも元気に誰でもがそう思えるわけではなくて、時々しかそう思えない人もいる。
今のあなたが、そう思えないなら、今はその時期じゃない。
でも、ちょっとでも引っかかるなら、始めてみる価値はある。


しかし、こんな時間にPC向かうの久しぶりだなー。
変な時間に寝たので眠くないし、もうちょっとうろうろしてから落ちます。
ではでは、皆様おやすみなさい。

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ダイエットのご褒美

2009-10-16 09:05:34 | 日常
みなさん、こんにちは、たけみです。
10月も半分が過ぎて、あっという間に秋も深まってきて、紅葉でも見物に出かけたいなぁなどと思う今日この頃、みなさんはお元気にお過ごしでしょうか。

今日はダイエットのご褒美について。

先日、どこだかのサイトのダイエット関連カテゴリで、どなたかが書かれた記事を読んで思ったこと。
ダイエットを失敗する人の特性、みたいなのが書かれていた。
その中で「ダイエットのご褒美に食べ物を考えるような人は成功しない」とあった。

なるほどと思われる方が多いのか、それとも、そんなことないよって意見が多数なのかはわからないが、私自身は「確かにそうかもな、でも、そうでもないよな」と中途半端な感想を持った。

実感としては、痩せたらご馳走!って考え方は失敗確率が高いと思う。
でも、私も短期目標の達成時には「ご馳走!」を選んでいた。
第一次短期目標達成時に食べたステーキの美味しかったこと忘れられない。
だからなのか、第二次もステーキを食べた気がする、うん、うまかった。
短期目標は体重の5%を減量することだったので、平均約40日程度で目標値に達成、そして自分に褒美を与えていたのだ。

人間は、好きなものに囲まれて生きていたい生き物だと思う。
どんな種別のものでも、好みと好みじゃないに分別が出来る。
好きなものが傍にあると快適で、ボーダーにあるものは別に害にならないから気にもしないけれど、好みじゃないものが近くにあると不愉快度が増してしまう。
特に人対人だとそれは顕著。

だから、好きなものを「にんじん」にして走るのは、理にかなった方法なのだ。
好きだから近づけば楽しい、能力発揮のベースには重要なメンタルだと思う。
好きな人に振り向いてもらいたいからダイエットを頑張る
そういうのが一番走れるのは誰しも経験があるのではなかろうか。
それでも、好きなものを食べるというご褒美が過ぎれば、またダイエットが必要になるわけで、食べ物ご褒美が失敗する理論は甚だしく正解でもある。

話を戻して私自身の今回の減量の話。
短期目標は10次目標まであって、そのたびに、ステーキってわけではなく、途中から変わっていった。
いつだったか定かではないが、食べ物よりも欲しいものが出来てきた頃があったのだ。
それまでは興味が無かったことに欲求を覚えた、って書くとなんかエロっちい(あぅ、キャラが変わってしまう)

こんな風に、人はいくつもの側面を持っているものだと思う。
食べ物だけが大好きだった私と、食べ物以上に欲しいものができた私は同じ生き物なんだよなぁ、そんなことを考えたりする。

好きなものを必死で我慢して一生精進料理みたいなのを食べて何が幸せなの?

そう質問されたことがある。
求められるような「明確な答え」は出せないけれど、今の私は三桁の頃より幸せ。
それは好きなものがずっと同じであり続けるはずはない事に気づいたから。

もしずっと同じものが好きなのだとしたら、それはずっと「好きだ!」と思い続けている確固たる自分の意思だよ。
好きも嫌いも、その時々に自分で決めている、それだけのこと。

話は変わるけれど、先だって書いた記事の補足。
うちの旦那は、パチンコパチスロの常習者だった。
長いこと「楽しみはギャンブルと食うこと」だった。
でも、2007年3月に禁パチ宣言を出してから一度も遊戯していない。
結婚前の5年ほど、結婚後の10数年、いつもやめると言ってはやめられなかったギャンブル依存。
何故やめられたのか。

本人の意思もあるけれど、行かせなかった私の功績が多い。
こういうと偉そう?

でも違うんだよ、それまでの私は旦那が「やめる」と言っても、行きたそうな顔をすると「ちょっと位ならいいんじゃない?」と金を渡していたのだ。
だって、パチンコするくらいしか楽しみが無いのに可哀想だと思っていたし、お金を渡せば喜んでくれたから、私に「ありがとう」と言ってくれたから。
つまり、旦那を一時的に喜ばせることで私が快感を得たいがために、私は旦那に金を渡し、結果としてギャンブルさせていたってこと。
ギャンブルを止めさせたいと言いながら、止められないように手を貸していたのは私なのだ。

依存と共依存の関係は、依存する人がいてスタートする。
手助けをする人は、困っている人を助けると思いながら、その人を助ける自分でいられることに依存しているのだそうだ。

肥満者が肥満で居続けるのは訳がある。
太っている自分を振り返ると、いろいろ思う。
皆さんにも、自分のこと家族のこと、いろいろ思って欲しい。

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誰かを痩せさせたいあなたへ

2009-10-04 18:02:24 | 日常
皆さん、こんばんは、たけみです。
先日の記事を書いたのが月末ですから、まだ4日しか経ってな~い!
ってことで、今日は久々に早い更新をする気になって、うきうきしております。

って事で、今日は切り口を変えて。
太った人、主に妻や旦那、娘や息子など家族を痩せさせたいと思っている方へのメッセージを。

あなたが「痩せて欲しい」と思う人は、誰ですか?
その人は、どの程度太っていますか?
そして、いつくらいから太り始め、加速し始めたのはいつだったでしょうか?

この質問に、明確な答えが出せなくても、あなたがその人を痩せさせたいと思うならば、今までに何度も「痩せろ」とか「痩せたほうがいい」と発したのではありませんか?

一緒に頑張るとウォーキングを始めたってたった一日で挫折、三日坊主すらもできないなんて本当に情けない
絶対痩せる、お菓子は食べない、そう言っていたのに、仕事から帰ってきたら、テレビ見て菓子食っていた、思わずぶん殴りたくなった
見た目のことだけでなく身体をも気遣いいろいろ言ってやっても、解ってると言うだけで結局何もしない

これらは主に奥さんを見る旦那さんの視点ですが、他の家族でも大差はないでしょう。
頷いたあなたは、諦めとか、呆れとか、いろんな感情を持っているでしょう。
そして、自らの言葉をことごとく裏切る相手に対して、忌々しささえ覚えていませんか?
そろそろ、疲れも出てきたでしょう。
このへんで、あなた自身のスタンスを変えてみる気はありませんか?

まず、必要なのは、相手に変わって欲しいと思うならば、自分から変わること。
今までとってきた方法、自分が相手を思ってしてきたこと、数々のアドバイスが全て「逆効果」だったことを認めなければ、絶対に相手は変わらないのだと知って欲しい。

一緒にウォーキングをしよう
そう決めたとき、肥満者は、ウォーキングをしたいと思っていたか

絶対痩せる、お菓子も食べない
そう言ったとき、肥満者は本当に痩せたいと思い、その為の手段としてお菓子を食べないと決めたのか

身体のことを気遣って医療的にも痩せなければと伝えた
その言葉を聞いた肥満者は、今までの生活習慣を変えてまで自分の命を延ばしたいと思っていたか

全て、逆の方向だと思う。
ウォーキングをしようと決めたのはあなただ。
痩せろ菓子を食うなとあなたは命令をしただけだ。
そして、相手の健康を気遣う気持ちがあなたにあっても、健康を損ねるほど食べている肥満者の気持ちなど、全く理解していない。

本当に、太った人を痩せさせたいと思うならば、痩せるための方法を与えてはならない。
ウォーキングも、甘いものの制限も、健康のための節制も、誰でも知っている痩せる方法で、誰か(あなた)にその方法を与えられれば(やれと言われれば)、肥満者はとりあえずは始めようする。
でも、自分で始めたことじゃないから、無責任になる。
だって、命令されたんだよ、本当はやりたくないのにやれって言われたんだよ、だから出来なくても仕方ないよ!と逃げる。

その心理構造は全く理解できないかもしれないが、逃げても大丈夫だって思っているから嫌なことから逃げるんだってこと、気づいて欲しい。
だって、太ってるって文句は言うけれど、それを改善しないことを、あなたは長年認めてしまっている。
許してはいないけれど、確固たる勇気を持って「許さない」わけじゃない、仕方がないと思っているはず。
だから「大丈夫」目の前の肥満者は、そう踏んでいる。

もうこいつに何を言っても仕方がないって諦めたくなる気持ちは、わかる。
でも、結局は諦めている人が与えた命令を、最後まで頑張れるわけないって思いませんか。
肥満者が本当に自分で痩せたいと思い、自力で痩せるための方法を探し、それを実践しなければ、結局は同じ場所を行ったりきたりするだけ。

本当に相手を思っているなら、自分で考える機会を奪ってはいけない。
「痩せろ」って言うよりも、「これは本当に痩せなければ」と思わせること。
そして「きちんと食わせる」こと。

私は、三桁のころには、旦那に何度も痩せろといわれても痩せなかった。
でも、いつだったか、随分と体重が落ちたとき、旦那に言われた言葉が忘れられない。

「おまえがまたあんなに太ったら、俺、もう死んじまおう」

もちろん、死ぬことはないだろうと思うけれど、本当に心底嫌だったんだなってのは理解できた。
つい先日、本当にデブは嫌なのに、何で私がもりもり食べるのを止めなかったの?と質問したら、ん~~っと首をひねったあと

「だって、おまえデブだったから」

つまり、デブとして認めているから、デブとして扱っていて、デブじゃなくなることは想定していなかった、というわけだ。
デブは嫌だけれど、こいつがデブなのは厳然たる事実で変わることがないし、俺にはどうしたって変えられない、旦那はきっとそう思っていたんだろう。
肥満者を肥満者で保つには、肥満を保たせる誰かがいる。
それは、肥満者本人と、周囲の人々。

デブをデブじゃなくさせるには、デブじゃなくなることを信じて頑張るデブと、頑張るデブをそっと見守りながら決して手を出さない人が必要。
応援したり協力することは惜しまずに、でも、やっていることに手も口も出さないのは、かなり難しい。
ああしたほうがいいとか、こうしろと誰でも言いたくなる。
でも、それじゃ、デブは「どうせデブだから」って諦めてしまう。

「これからの自分のことは自分で考えろ」

一度、何故太ったのかを肥満者と語らってみるといい。
そしてあなたは、何故そんなに食べてしまうのか、きちんと理解して欲しい。
そうして真剣に相手を馬鹿にせずに(上から目線は絶対にしてはならない)誠意を持ってあなたの気持ちを伝えても、肥満者になんら変化がないなら、あなたも自分の人生を自分で考えればいい頃だと思う。
私が書いたことを実践して、夫婦仲、親子関係、亀裂が入り修復不可能になったなら、それだけの関係だったということ、ではないだろうか。
もし誰か(たけみ)のせいにするならば、それは「自分で決めていない」から思うことなのだから。


誰かから真剣に肥満について話し合いをもたれた肥満者のあなたへ。

相手にそこまで言わせたのは、あなたです。
でも、そこまで言わせた自分自身を、もっと喜んでいい。
配偶者ならば、何も言わずに去ってゆく事を選べます。
親ならば、手取り足取りあなたを手伝うことを止められないでしょう、それが親の役目だと信じて疑いませんから。
でも、あなたがデブじゃなくなることを「想定して信じて任せてくれた」んですよ。
目の前の愛する人に、応えましょう。

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9月が終わる

2009-09-30 08:32:02 | 日常
皆様、ご無沙汰しております。
お久しぶりでございますです。
と、わけのわからない敬語調語句ですが、私は元気にしております。

ブログを書かずにいた夏は、非常に短かったです。
そもそもこの夏は夏らしくなかった・・・
のに加え、空調のきいた病室入り浸りだったので、夏を満喫するどころじゃなかったんですわな。
でも、9月になったら、落ち着いたはずだったんですけれど、何で一ヶ月も書かなかったんだろう。

実は、書けなかったんです。

私は、ここにいらっしゃる方々からも、たくさん減量の相談を頂戴します。
そして掲示板でも、多くの方々に接してきました。
自分自身の減量中は、とにかく突き進む方法でいろんなものを発信できた、それは事実です。
だけれど減量モードを終えて、改めて過去を振り返ると、反省すべき点がたくさんあります。

あの時、あんなこと言わなきゃ良かった?
あんなふうに、厳しい言葉を書かなきゃ良かった?
痩せることだけ、体重を減らすことだけに特化しておけば良かったのかな。
でも、超肥満の人たちには、単に痩せるだけじゃなくて、本当の意味で「人生改造」して欲しいと思うから、みんな「うざくなる」のかな。

自問自答です。
それは、答えなんか全然でない、今でも。

「よし、頑張ろう」

そう思って始めた人が、続けられなくなって、また新たに嫌な思いをするのは、本当に辛いです。
だから、厳しさよりも、褒めたり認めたり、そんな優しさが必要だって、そういう意見は本当によく解る。
実際自分も、たくさんの皆さんに褒められて、頑張れって支えられたからこそ、目的地にたどり着いたんだよね。

一度はくじけた、多くの皆さん、また始めましょう。
何度も、何度でも、始めればそこがスタート。
そして、今度はゴールするまで、決してあきらめないように、自分がしたいことと出来ることを探しましょう。

みんなに、新しい人生をつかんで欲しい。
その気持ちだけは、ずっとずっと、変わらない。

明日から10月、頑張りましょう!

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