ストイックダイエット2(仮)

標準体重超初心者が日々思うこと・・・

ひとそれぞれの感覚

2009-01-25 11:40:25 | 日常
みなさん、こんにちは。
朝帰りのたけみです、今の時間は非常に眠い~~っす。
でも、ブログを放ったままの状態なので、一週間前から自分なりにアラームがなってました。
書きたい書かなきゃ書きましょう!三段アラームです。
ようやくアラームを止められる時間が取れた~ほっとしました。
何度も確認に来てくださった皆さん、いつも本当に感謝です。

さて、今日はいろいろな感覚について語ってみましょう。

この場所はダイエットブログである。
そうなると、まず話すべきは体重に関する感覚。

掲示板の方でもたった今書いてきたのだけれど、体重の大台論は、これまでにも何度か展開してきた。
人それぞれに「アラーム」が鳴る体重がある、これ以上は増やせないと思うライン、それが大台。

私の大台はもちろん三桁だったから、三桁の数字を見て痩せる気になった。
今回の場合は、98kgからだったけれど、98kgという数字はその当時の私にとっては「ダイエットを始めなければ」と思う数字ではなかった。
はっきり言うと、医者に痩せろと言われなければ痩せる気にはならなかった。
もっと言うと、サノレックスという食欲抑制剤が処方されたからこそ「だいえっとしよっかな~♪」って考えた程度の感覚だ。
ダイエットの文字が平仮名、その表現で気持ちを察していただけると思う。

皆さんの大台は、どの位置だろう。
もしあなたが痩せたくても痩せられない場合、その大台観念があるから、痩せられない事に気づいているだろうか。
誰の頭の中にも「ラインを超えなければ、痩せたくない気持ち」がある事に気づいているだろうか。

「痩せたくない気持ち」と書くと、多くの方に異論を頂戴するのだが、私に言わせると、痩せたいといいながら痩せない人は痩せたくないのだと思う。
書き方を変えると、痩せるために「やろうと思える事が限定されているから痩せない」のである。

以前、私が禁止食品を作り減量する様子を見て、どなたかに
「そんな馬鹿馬鹿しい事をしなければならないほど大変なんですね」
確かこんな内容の事を言われた。
その時の私は、ああ、禁止食品ってのは馬鹿馬鹿しい事なのかとかなり悲しくなった覚えがある。
多分に馬鹿馬鹿しいって文字に反応したのだけれど。

禁止食品を馬鹿馬鹿しいと思う人、そんなものはナンセンスだと感じると人は、禁止などせずに痩せる方法を探せばいいし、それで成果を得ればいいと思う。
「やろうと思わない事=禁止食品を作る事」なのだから、それを実践するには苦痛が伴うし、結果として続かない、だから「やらないのが正解」だと思う。

人はそれぞれに「やろうと思わない事」を無意識に決めている。
「痩せたいけれど、そこまでして痩せたいとは思わない」ならば、それは「痩せたくない」に等しい。
それが良いとか悪いとかではなく、決めちまったものだから変えられないのだ。
つまり「大台アラームが鳴れば本気で考えるが、それ以前は痩せたい気分だけ」、そんな感覚が誰にでもあるって事。

ならば、大台を変えたらいいじゃない?
大台の数字を変えないまま痩せても、確実にまたもとの体重に戻る。
だったら、大台そのものを、さっさと変えてしまうべきだと思う。


話は変わって日々雑事。

今年の私は、たくさんの友人に会う事を年間目標にしている。
今月は、なかなか会う機会を作らなかった旧友との再開を果たしている。
久しぶりに顔を見た友人は私の姿かたちに驚くのだけれど、ぽろっと本音を話してくれるからかなり面白い。

太っていたころは宴会の締めに夜中にラーメン食べてたんだよね~なんて話しをしたら。

「夜にラーメン食べるなんて、太るためとしか考えられないじゃん!
 よく食べられるよね、本当信じられない
 夜はもう寝るだけなんだから栄養いらないじゃん!」

そう言われると確かに納得なのだけれど、三桁の脳みその私は、その食事習慣を疑問に考えた事もなかったのだ、だから三桁になったのだろう。
もう一人の友人には「何キロ痩せたの?」と聞かれ「40kgだよ~」とあっけらかんと答えたら。

「マジで?!ちょっと、もぉ、それはここだけの話にしておきなよ
 20kgで充~~~分驚くから、本当の事言わなくてもいいって!」

あ、そうなのね、ははは。。。
乾いた笑いを発してしまったが、たしかに20kgでも驚くだろう、それが「普通の感覚」なのだ。

感覚は、人それぞれに違う。
どんな人でも自分の感覚が常識だと信じている、だから変らない。
今の私は見た目が55kgで頭の中にはまだ超肥満感覚の人がいる。
早くこいつに出て行ってもらいたい、そう思うけれど、この肥満者としての感覚自体が、私自身のアイデンティティーだったりする。
長い時間かけて育てた肥満体としても自己同一性。

変えるのは並大抵ではない、もちろん、それは誰にでもあてはまる。
だからこそ、本気で変えようとしなければ、何も変らないんだよ。

さーって、そろそろ旦那実家へ行きますかね。
皆さん、よい週末を(^^)

小異と大同

2009-01-09 17:35:44 | 日常
皆さん、こんばんは、お久しぶりです。
今日の東京は雪がちらつきました。
と言ってもすぐに雨になり、気分的初雪観測?だった感じです。
温暖化が進むと、東京で雪が積もることってのは、本当に珍しい事になるんでしょうね。

さて、今日はお客様から掲示板の方へ頂戴したコメントをご紹介します。
いーなさんからいただいたコメントです。

「太っている人のほうが太った人を卑下してる」よくわかります。
私も太った人を見かけると、心の中でけっこうバカにしています。
自分も太っているくせに。
でも、私の場合、「自分はチガウ」と思っています。
おかしいですよね。心が醜い分、私は最低なのに・・・
自分を卑下するような言葉を発すると、周囲は「そんなことないよ」と言います。
それが本音かどうかは別として、自分を卑下するような言葉を発する時点で、自分は変わらなければならなかったはずなのに。長いこと放置していました。
自分を醜いと、ダメな人間なんだと、思っていることに、心の中では泣いていました。
私は今月から頑張っています。ひと月で4キロ減量しました。
これを続けていこうと思っています。
ダイエットが楽しくて。今、太っている自分も悪くないなと思っています。
感動しています。


いーなさん、コメント感謝です。
お返事を出さないまま一ヶ月以上経過してしまいましたが、減量は続いていますか?
いろいろな事を考えて、自分を変えうようと思う事、素敵ですよね。
これからも頑張って自分を卑下する悲しみから開放されましょう、そんな日が必ず来ます。

さて、ここからは思う事を書きます。
タイトルの、小異と大同。
普通「大同小異」と書く事が多いこの言葉だが、小異の方を語りたいと思う。

先だって書いたけれど、毎週末、真夜中にDVDを見る生活を長く続けていて、様々な作品を見てきたのだが、時折思わずはっとするような、膝を打ちたくなるような台詞に出会うときがある。
いかにも仰々しい大作ではなくて、日常を描いた作品の方が、結構胸にぐっと来るのは私だけだろうか。
そんな中で、見つけた台詞。

どんな集団の中にも差別はある

この台詞が出てきた場面を説明すると、日本では本当にデリケートな差別話題になると思う。
実際は書かない事を選ぶのも差別とお叱りを受けるかもしれないのだが、詳細はお許しいただきたい。

私達は、こうしてダイエットカテゴリのブログを書いたり、それを読んだり、減量やダイエットに関する興味を持っている。
実際に太っているから痩せたい、そんな人もいるし、自分は痩せたから太っている人に自分がとった方法を勧めたい、そんな人もいる。
それ以外にも、とても書き辛い事だけれど、自分より太っている人を見て安心したい人もいる、安心するだけならまだしも、攻撃してスッキリしたい人もいる。
逆に、自分より痩せている人を見て、羨む気持ち高じて恨む事すらある。

何故、こんな事が起きるのだろう?
って事が、ダイエットカテゴリでは結構起きる、人の気持ちってのは複雑なものだからだろう。
その複雑さを作り出すのは何かと言うと、集団の中の差別意識。

ダイエットで何が差別?
そう思う人もいらっしゃると思うけれど、渦中にいるものほど、自らが優位である事を実感したいのだ。
例えば、自分が太っているにもかかわらず、自分よりも太っている人を馬鹿にしてしまうのは、よくあること。

私も以前書いた事があるが、三桁の自分を認識した上で、自分より体重が重そうな知人の事を「あの人よりは軽いもん」と何故か頭の隅で防波堤を作っていた。
なんと言うか、あの人よりは軽いからそれ以上には絶対ならないよ、みたいな妙なプライドがあった。
100kgの私が120kgくらいの人を思い浮かべ「私のほうが軽い」と思うのは、小異を非常に大きく意識するからだ。
20kgの違いが小異、小さな違いであると書くと違和感があるだろうか?
もしそうなら、あなたも小異を意識している肥満の中にいるのかもしれない。
何故なら、そんな違いは、普通存在していない、大方一緒だろと一蹴されるものだからだ。

60kgの人が70kgの人を見てこっそり笑う。
70kgの人が80kgの人を、80kgの人は90kgを、そして100kgの人も、自分よりも太った人を見つけて笑う。

本当に、よくある光景、数キロの違いを意識して、「自分のほうがまだまし」と思うのは、自然な事だと思う。
でも、もっと体重が低い集団から見ると、私が目標とした160センチ55kgも、明らかにデブ、そう言われるわけで、標準的なサイズを超えたら、ほぼ同じ、皆デブだ。
当人が小異を意識していようと、それは他集団からみれば大同。

だからこそ、誰から文句を言われようと「標準なんだ」と胸張って言える医学的指標までたどり着きたい、超高度肥満スタートだったからこそ私はそう思った。
もちろん美容体重になりたい人はなればいい、望むのは個人の自由。

劣等感が存在するから、優越感もある、ダイエットカテゴリはそんな場所なのだと思う。

もちろん、そんな気持ちがあるからこそ、肥満から抜け出したいと思う負けん気も出る、私の場合はそうだった。
減量スタート当初、すきっ腹を抱えて、真夜中にネットをさまよっていた。
数多くのダイエットブログ、ダイエット情報、いろいろ見て思ったのは、皆楽しそうって事。
痩せたいけれど、食べたい物を食べて、「また増えちゃった~明日から頑張る」と笑いあえる人たち。
本当に羨ましかった。

私は、減量中に「体重を増やす」事などありえないと思ったし、出来なかった。
それでも、気をつけていても体重が増えてしまう事はあった。
でも、それと、「増えるだろう」と確信して増やすのは全く違う。

減量中にもかかわらず体重を増やすことはロスでしかない。
限られた時間内に行きつかなければならないBMI22が遠ざかるような事は出来なかったのだ。
今は、自分の突き進み方が間違っていようとどうであろうと、目標を捉える為には適していたと思っている。
そして、かつて羨ましいと思った人の事は、なんとも思わなくなった。
何故って、興味が無い。
人それぞれの道だから、好きなように進めばいい、私もそうしてきた。

私が、掲示板とここと、それからメールなどで、一度でもお話しした事がある人、多分三桁は超えたと思う。
みんなの体重を例外なく減らす事は出来ないけれど、どんな人にとっても何かを変える切っ掛けになってくれたとは思う。


「一時期お休みしていたけれど、今また頑張ってます」
そんな連絡を頂戴する事も多くなってきました。
今までは、あれもこれもどうでもよくなって、全てを放り投げて忘れようとしてしまっていた、そんな方が多いです。
だけど、もう一度頑張ろうと思う心の引っかかりに、このブログが役立ったなら嬉しいなぁ。

減量休憩中のあなた、いつでもまたスタートしてください。
何度挫折しても、また歩き始めたらいい、私も、何遍もリバウンドして、ダメ人間と自分で烙印押してたけれど、ここまできた。
本当に挫折していたって、そこからスタートすればいいんです、必要なのは未来を変える事なんですから。

いつまでも片付かなかったこと、今年は「スッキリ」して、自分を少しでも好きになりましょう。
そして、肥満は卒業しましょう。
誰だって、本当に痩せなければならなければ、痩せます。

新たな年に

2009-01-01 06:40:38 | 日常
あけまして、おめでとうございます!

皆さん、2009年の幕開けですね。
東京は、お天気に恵まれて眩しい初日を見られそうです。
我が家からお日様が見えるのはもうちょっと先なのですが、東の空がオレンジ色でとてもきれいです。
皆さんのお住まいの場所は、どんなお天気でしょう。
雪の元旦を迎えた方もたくさんいらっしゃるんでしょうね。

お正月は、いろんな事を考えるのにとってもいいチャンスです。
もちろん、ダイエットの事は、新年の抱負ってのになりやすい。
是非とも、新たな年に、新たな目標を掲げて頂ければ、と思います。

では、この先は思う事ブツブツと書いてみましょう。

このブログを以前からご覧の方は、もしかするとご記憶かもしれないのだが、私には、肥満した友人が数多い。
それは、私が肥満体ゆえ、その肥満ウイルスを撒き散らしたから、そう思っている。

太った友人がいると肥満しやすいのは何故か。
今思うのは、肥満に対する単なる慣れ、そういうものなのかもしれないと感じている。
本当は、もっといろいろ考えていた。
太った友人がいるから、自分が一番デブじゃない事に安心する、だから自らも太ってしまいやすいとか、太った友人との会食機会が多ければ、おのずと太りやすい食品を食べてしまうからとか、アレコレ思っていた。
でも、今は思うのだ。

2011年7月、テレビの放送は地上波デジタルに変る。
新しいテレビをそろそろ用意しなければ、そう思って買われた方も多いだろう。
ブラウン管の型古テレビを毎日見ている目には、電器店の売り場で見る大型のテレビは、とても大きく感じる。

うわっ、すげーでけー

そう思ったのだけれど、売り場の係員に勧められるがまま、超大型テレビを購入。
12畳のリビングルームに50型のテレビが到着、そんな友人がいた。
自宅で見るその大画面に、初めは圧倒されていたけれど、一週間もすると目が慣れて、全く違和感を感じなくなったそうだ。

デブも大画面のテレビと一緒

目が慣れると、それで違和感が無くなる。
だからって、自分が肥満じゃないのに次第に大きくなるかどうかは別なのだけれど、確実に言えるのは、木を隠すなら森の中ってこと。
同じようなものがたくさんあれば、隠してしまえる、見えなくなる。
そういうものなのかもしれない。

お正月とお盆休みに、毎年必ず会っていた二人の友人がいる。
彼女達と去年の夏に会ったとき、約束した事。

お正月に会うときには、今より絶対痩せてる!
お互い頑張ろうね!

そう決めた事は、このブログにも書いた。
それから数ヶ月。
今年もまたお正月がやってきた。
どんな成果があったのか、会うのが楽しみ、そう書きたかったけれど、それは叶わない。
私は誘われなかったのだ。
20年近く続いた恒例行事だったのだけれど、彼女達にとって私は会いたいと思えない相手になったのだ、それは仕方ないのだろう。

先日放送されたダイエット特集の番組の録画を、いつだったか夜中に見た。
森久美子さんが朝バナナで痩せたその全貌、みたいな番組だった。
その中で、森久美子さんと黒柳徹子さんが言っていた言葉が印象深い。

森さん「85kgくらいになったらそれでいいかなって思うんです」
黒柳さん「そのくらいじゃないと、あなたらしくないわよ」

三桁オーバーからの減量は、本人も、周りも思うことがいろいろある。
本人が、いいならそれでいい、私がアレコレ言う必要なんぞない。
でも、あえて言いたい。

超肥満、三桁に太っているのは「らしさ」じゃない、もちろん個性でもなんでもない。

太っている自分でなければ「自分らしくない」と思う自分、太っている人を見て「太っていなければその人らしくない」と思う人々、いい加減に気付こう。
肥満は、治さなければならない疾患なのだと。

さて、新たな年に、皆さんへプレゼントを。
本当に痩せたいならば、どうしたらいいか、今私が思う事をお教えしよう。

太っている自分を見られたくない相手と会う約束をする

期日を決めて、必ず会おうと決めましょう。
ドタキャンするような事態にならないように、必死になるはず。
何年も会ってない旧友と同窓会を決める、太っている事を知らない昔の彼氏に会う、どんな人でもいいと思う、恥をかきたくない状況を作る事。
これで、あなたも痩せられるでしょう。

今はお正月。
旧友から届いた年賀状「今年こそは会いたいね」と書いてあったらラッキーです。
実現しない社交辞令で終わらせないために、会う約束を作りましょう。
半年、10ヵ月後でもいい。
準備を進めて絶対会おうと決めなければ、今の体重のままでまた来年のお正月になるかもしれません。
今の体重キープならまだましですよ?

皆さん、今年も、よろしく!