昨日、参加したMALL★ドラムサークル、振り返ってみようとつぶやき始めたらものすんごい量になってしまったので、あらためてまとめておきます。多少加筆修正しとります。
TLうざくてごめんなさい。
午前中にもワークショップに参加していて、最近感じている「ワークショップここがイマイチ」の最上級???って状態だったせいもあるけど(この件に関してはまたどこかで)、研ぎ澄まされて、削ぎ落とされたワークショップだなぁ、というのが率直な感想でした。
そして無条件に愉しかった、とにかく愉しかった。
昨日のお題でもあった、ドラムサークルをジンザイイクセイにどう取り込むか、ドラムサークルは研修に使えるのか?を考えながら参加してたら、きっと愉しくなかっただろうなと思うのです。これって何に活かせるんだろう?と合目的に”音楽”や”アート”を考えると学びや気付きは通り一遍のものになってしまうような気がするのです。音楽やアートみたいに正解がない、感じ方は人それぞれでよい、って類のものはまずは愉しむ、体感することなんじゃないかなと。
太鼓っていうのはとってもオープンな楽器。叩けば音が出る。弦楽器や管楽器のように音を出すことが難しい楽器とは違って、ハードルが低い。この簡単さ、一歩の踏み出しやすさ、が「学び」には必要な気がする。で、やってみたら愉しかった、という経験もね。
とは言え、最初はみんな真剣。慣れないものを扱うちょっとしたビビりと、うまくやらなきゃっていう構え。オトナになると無心で遊ぶってできなくなっちゃう。どこかでうまくやろう、という意識が働いちゃう。
でも、ビートに身を預けて、グルーブ感に身を委ねる・・・それって根源的なことだと思うのですよ、音楽を聴けばカラダが揺れる、鼻歌を口ずさむ。
学びのデザインもそうでありたいよねー。
新人研修にははまる。一体感が醸成できる、と既に導入されている企業の方からのお話しがありました。ドラムサークルを導入してるってだけでもものすごい先進的で自由な発想のカイシャだと思うのです。
ふむ。新人研修は何をやっても結構はまると思うのです。新人や若者は素直だし、人事に好かれたい、という下心もなくはないwww
問題は凝り固まったおぢらにどう太鼓をたたかせるか。
むしろおぢらの方が、太鼓を叩くと愉しいという体験が必要なんじゃないかと。その場は愉しかった、ストレス発散できたでよくて、意味づけは後からやればよい。おぢらへの研修は、一体感とかクリエイティビティとかではなくて「内省」。
今、体験したことをあなたはどう意味づけますか?
経験豊富なおぢならば、自分が体験したことを意味づけ、和文和訳することはできると思うし、そうやって学びほぐしていくことこそがおぢらの学び、な気がするのです。
例えば
叩き方ひとつで音が変わる⇒接し方ひとつで相手も変わる
とか、
ドラムを床から離して底に空間を作ると音が抜けやすくていい音が出る⇒ちょっと配置を変えると活躍するかもね、
とか、
力いっぱい叩くこと=音が大きいことではない、ヒットポイントにあたると驚くほどキレイな音が出る⇒ストレッチ効かせることだけが成長ではない、その人にいかにフィットした仕事や経験をアサインできるか?
とかとか…。
あとは、合わせることの心地よさ。みんなで一斉に音が鳴る、止まる…でも、そこに指示はない。手を下に向けて静かに動作を止めただけ、それでも伝わる。
上意下達だがすべてではない、いいからやれ、な指示じゃあ伝わらない。音を止めたくなるようなアフォーダンスを設計することが大事なんだねー、とかとか…。
ちょっとネガティブなことを言っちゃうと、一体感は醸成されるけど、一方で「合わせる」ことの快感っていうのはいわゆる組織社会化ではないのかなー?知らず知らずのうちにカイシャに、上司に合せる、そんなイイ子ちゃんを無意識(もしかして意識的?)に作ってる。なんてねー。
とつぶやいたらRitaさんから、
ドラム叩いて下心計算の余裕はないと思う。化けの皮はすぐ剥がれちゃう。みんな違ってみんないい、体験。違うことを認め違う皆がでないとハーモニーにならないを体で覚える
とリプライをいただきました。
確かに!叩いている間は無心に近い。
ただ、あれ以上長くなると「もっとうまく叩けるようになりたい」と思っちゃうかも。それだと楽器教室になっちゃうんだよね。もうちょっと叩きたい、くらいの1時間っていう時間設計は絶妙だ、と思った。
なんだかんだと言ってますが、とにかく愉しかったのです。で、この「愉しい」って感覚が学びには必要だとあらためて思ったのです。愉しくなかったら、やってみようと思わないでしょ?
板谷さんが「意識しないと笑顔になっちゃう」とおっしゃっていたけど、ホントにそう!ふつうは逆でしょ?意識して笑顔つくったりするのに、自然に笑顔になるってすごいなー。やっぱりね、音楽の力ってあるよね。
本編とは関係ないところで、あたしにとってのいちばんの学び、気付きがありました。
ディレクターのコイケさんへの潤さんの指導を間近で拝見したこと。自信なさそげに進行の確認をするコイケさんに「あなたが指示を出すんだから自信持って言いなさい」と。
任せること信じること見守ること。
あたしのいちばんダメなとこだー。ひとりでなんでもやっちゃう。社内のイベントでは特にそう。っつか、ひとりしかアサインされないからしょうがないんだけど、次回からは誰かを一緒にアサインしてもらうようにお願いしよう。
最後に、中原先生プレバースデイのサプライズ。
申し込むときに、「中原先生お誕生日前夜祭サプライズもしなくちゃ!」とコメント欄に記載したのはわたしです(^_^;) そんなこと書く人いねーだろ、と思ったら、潤さんが拾ってくださって、秘密裏にサプライズ企画が進行しておりました。
プレゼントは、妄想の神様が降臨してきて、一年分のブログとツィート読み返して作成したマニア垂涎のナカハラジュンコトバアートカレンダー。おっかけの本領発揮な一品です(笑)

妄想はさらにスパークして、MALLの公式グッズにできるんじゃね?とか中原先生のサイン付きで著書特典にしたらどう?とか、解説付き裏カレンダー作っちゃお、とか、そしたら妄想が高じて、グッズラボができちゃうかも?な展開。すごい、妄想は現実を凌駕するwww
とにもかくにも、貴重で良質な場に参加できたことに力一杯の感謝を。
本当にありがとうございました。
TLうざくてごめんなさい。
午前中にもワークショップに参加していて、最近感じている「ワークショップここがイマイチ」の最上級???って状態だったせいもあるけど(この件に関してはまたどこかで)、研ぎ澄まされて、削ぎ落とされたワークショップだなぁ、というのが率直な感想でした。
そして無条件に愉しかった、とにかく愉しかった。
昨日のお題でもあった、ドラムサークルをジンザイイクセイにどう取り込むか、ドラムサークルは研修に使えるのか?を考えながら参加してたら、きっと愉しくなかっただろうなと思うのです。これって何に活かせるんだろう?と合目的に”音楽”や”アート”を考えると学びや気付きは通り一遍のものになってしまうような気がするのです。音楽やアートみたいに正解がない、感じ方は人それぞれでよい、って類のものはまずは愉しむ、体感することなんじゃないかなと。
太鼓っていうのはとってもオープンな楽器。叩けば音が出る。弦楽器や管楽器のように音を出すことが難しい楽器とは違って、ハードルが低い。この簡単さ、一歩の踏み出しやすさ、が「学び」には必要な気がする。で、やってみたら愉しかった、という経験もね。
とは言え、最初はみんな真剣。慣れないものを扱うちょっとしたビビりと、うまくやらなきゃっていう構え。オトナになると無心で遊ぶってできなくなっちゃう。どこかでうまくやろう、という意識が働いちゃう。
でも、ビートに身を預けて、グルーブ感に身を委ねる・・・それって根源的なことだと思うのですよ、音楽を聴けばカラダが揺れる、鼻歌を口ずさむ。
学びのデザインもそうでありたいよねー。
新人研修にははまる。一体感が醸成できる、と既に導入されている企業の方からのお話しがありました。ドラムサークルを導入してるってだけでもものすごい先進的で自由な発想のカイシャだと思うのです。
ふむ。新人研修は何をやっても結構はまると思うのです。新人や若者は素直だし、人事に好かれたい、という下心もなくはないwww
問題は凝り固まったおぢらにどう太鼓をたたかせるか。
むしろおぢらの方が、太鼓を叩くと愉しいという体験が必要なんじゃないかと。その場は愉しかった、ストレス発散できたでよくて、意味づけは後からやればよい。おぢらへの研修は、一体感とかクリエイティビティとかではなくて「内省」。
今、体験したことをあなたはどう意味づけますか?
経験豊富なおぢならば、自分が体験したことを意味づけ、和文和訳することはできると思うし、そうやって学びほぐしていくことこそがおぢらの学び、な気がするのです。
例えば
叩き方ひとつで音が変わる⇒接し方ひとつで相手も変わる
とか、
ドラムを床から離して底に空間を作ると音が抜けやすくていい音が出る⇒ちょっと配置を変えると活躍するかもね、
とか、
力いっぱい叩くこと=音が大きいことではない、ヒットポイントにあたると驚くほどキレイな音が出る⇒ストレッチ効かせることだけが成長ではない、その人にいかにフィットした仕事や経験をアサインできるか?
とかとか…。
あとは、合わせることの心地よさ。みんなで一斉に音が鳴る、止まる…でも、そこに指示はない。手を下に向けて静かに動作を止めただけ、それでも伝わる。
上意下達だがすべてではない、いいからやれ、な指示じゃあ伝わらない。音を止めたくなるようなアフォーダンスを設計することが大事なんだねー、とかとか…。
ちょっとネガティブなことを言っちゃうと、一体感は醸成されるけど、一方で「合わせる」ことの快感っていうのはいわゆる組織社会化ではないのかなー?知らず知らずのうちにカイシャに、上司に合せる、そんなイイ子ちゃんを無意識(もしかして意識的?)に作ってる。なんてねー。
とつぶやいたらRitaさんから、
ドラム叩いて下心計算の余裕はないと思う。化けの皮はすぐ剥がれちゃう。みんな違ってみんないい、体験。違うことを認め違う皆がでないとハーモニーにならないを体で覚える
とリプライをいただきました。
確かに!叩いている間は無心に近い。
ただ、あれ以上長くなると「もっとうまく叩けるようになりたい」と思っちゃうかも。それだと楽器教室になっちゃうんだよね。もうちょっと叩きたい、くらいの1時間っていう時間設計は絶妙だ、と思った。
なんだかんだと言ってますが、とにかく愉しかったのです。で、この「愉しい」って感覚が学びには必要だとあらためて思ったのです。愉しくなかったら、やってみようと思わないでしょ?
板谷さんが「意識しないと笑顔になっちゃう」とおっしゃっていたけど、ホントにそう!ふつうは逆でしょ?意識して笑顔つくったりするのに、自然に笑顔になるってすごいなー。やっぱりね、音楽の力ってあるよね。
本編とは関係ないところで、あたしにとってのいちばんの学び、気付きがありました。
ディレクターのコイケさんへの潤さんの指導を間近で拝見したこと。自信なさそげに進行の確認をするコイケさんに「あなたが指示を出すんだから自信持って言いなさい」と。
任せること信じること見守ること。
あたしのいちばんダメなとこだー。ひとりでなんでもやっちゃう。社内のイベントでは特にそう。っつか、ひとりしかアサインされないからしょうがないんだけど、次回からは誰かを一緒にアサインしてもらうようにお願いしよう。
最後に、中原先生プレバースデイのサプライズ。
申し込むときに、「中原先生お誕生日前夜祭サプライズもしなくちゃ!」とコメント欄に記載したのはわたしです(^_^;) そんなこと書く人いねーだろ、と思ったら、潤さんが拾ってくださって、秘密裏にサプライズ企画が進行しておりました。
プレゼントは、妄想の神様が降臨してきて、一年分のブログとツィート読み返して作成したマニア垂涎のナカハラジュンコトバアートカレンダー。おっかけの本領発揮な一品です(笑)

妄想はさらにスパークして、MALLの公式グッズにできるんじゃね?とか中原先生のサイン付きで著書特典にしたらどう?とか、解説付き裏カレンダー作っちゃお、とか、そしたら妄想が高じて、グッズラボができちゃうかも?な展開。すごい、妄想は現実を凌駕するwww
とにもかくにも、貴重で良質な場に参加できたことに力一杯の感謝を。
本当にありがとうございました。
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