日々是酒酒落落

毎日の生活の中で「気になったことば」「ココロに残ったことば」をつれづれに。
〜日々の生活を丁寧に、意識的に〜

語らない人事担当者

2012-05-28 00:41:00 | オトナの学び
尊敬するタナカジュンさんがブログに、
「人事/HR系のイベントで、ディスカッション/対話になると帰る人事担当者が多い。もったいないし、ヤバい。」(相当乱暴な意訳)
とここんとこ何度か書かれてる。


先のAcademicHackで投げかけられた質問。
「越境学習していることを社内に公言してますか?」にその場にいた人のほとんどが手を挙げられていた。あたしは挙げられなかったから言うわけじゃないけどね、「仕事」としてそういう場に行けるだなんてよだれが出るほど羨ましい。


ステキなHR系のイベントや勉強会があっても、ずーーーっと有休使って行ってた。仕事で行かせてくれ、ってお願いする理屈を考えるのがめんどくさかったりってのもあったし(おい)、今のケイエイキカクシツというスタッフ部門にいるからできることなんだと自分に言い聞かせ、今の境遇に感謝しつつ、外ばっかり行ってちゃらちらして、と言われないようにと気を使ったりもしている。
外に学びに行ったり勉強会の主宰したりしてることはカイシャのみなさんも知ってはいる。ここ4年くらいでじわりじわりとやってきて、ひめさんはそーゆー人だから、と容認された、に近い。肯定も否定もされず、特別な存在なんだろうな、と思う。


そうやって半ば隠れて外に学習しに行ってることはエライともなんとも思ってなくて、AcademicHackのときに豊田さんの発表にあった勉強会に行く理由に当てはめると、「ライフ・インフラ」…外に出ることがアタリマエ、生活の一部…に近いんだろうな、と思う。


で、そうして出かけた勉強会やセミナーでの振る舞いについて、である。


あたしは、自分の金と時間を使って行くときにはやりたくないこと気がのらないことはやらない。っつかそもそも、気が乗らない場所には行かないし、やらない。対話がめんどくさいときだって当然ある。良質な講義を聞いて、それで満足っていうことだってあり、だと思ってる。



けど仕事で行ってるときにはそうではない。
あたしがそのセミナーなりに参加している時間に「できていたはずの仕事」と引き換えにカイシャが時間とカネを投下してくれたんだから、と気が乗らなくても100%以上のインプットをしようと思うんだなー。
貧乏性っていうか、前世代的っていうか…。これはたぶん前職で12日間の豪華おフランス・イタリア視察ツアーに連れて行ってもらったときに埋め込まれたものかもしれない。
その金と時間はあたしという個人に投下されただけではなく、会社全体に投下されたわけなのだから、なるべくたくさんのお土産を持ちかえることが派遣された人の努めだと思うのですよ。
だから、鬱陶しいなー、と思っても、ときには「?」と思うグループワークでも(話される内容が必ずしも満足行く内容とは限らないので)、前のめって参加してきたつもり。で、それはレポートや報告書というかたちではなく、実践というかたちでカイシャに還元してきたつもり。まだまだ全然できてないけど(^_^;)


コミュニケーションが大切だとか組織開発だとか言ってる人事担当者が、他者の話を聞いて、自分はどう思うのかを内省し、他者ん考えを取り入れたりする、、、そういう多様な他者から学ぶってスタイルでないってのもヤバいけど、カイシャの金使って学びに来てるってことに思いを馳せられないってのはカイシャ人としてヤバくないかい?と思うのです。特に人事なんつー間接部門にいるのだから尚のこと。売上作れない人事をはじめとする間接部門は、間接部門だからこそ持ち得るノウハウやらネットワークやらを事業につなげることができてこそ成り立つと思うのですよ。だから、インプットは怠らず、アウトプットは惜しみなく、だと思うのですよ。これまた自分を思い切り棚に上げて言っておりますが(^^ゞ


と、うだうだ書いてきましたが、要は羨ましいわけです、会社のカネと時間を使って勉強会やセミナーに行けるだけの物理的なヨユーがあることと、そういう土壌、風土にあることが。そういう風土・土壌を作っていくことがあんたの役目だろ、と言われることは承知でwww



最後にオチもなんにもないし、まだアタマん中で整理されていませんが、人事の仕事について思うこと。
「人事の仕事<カイシャ」なマインドの人の方が人事に向いてるんじゃない?
なんだかんだとその会社、その会社に居る人のことが好きでなければできない仕事なんだと思う。前時代的、と言われようと。でなければ、なぜ人事の仕事がアウトソースされずに残るのか。いろんな企業の人事部門を渡り歩くって言うのがどうにもイメージできなかった理由がよくわかりました。人事のプロってそういうこっちゃないような気がする。この会社の行く末、将来を真剣に考えて、そのときにそこで働く人をどうしたいのか、っていうのがベースにないといかんような気がする。そうなると「人事」の仕事がやりたい、できるって人よりも、会社のことを誰よりも好きでいる人に人事の仕事をやってほしいなぁ、と思うのです。





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エッキョウってなんだ?

2012-05-22 00:33:50 | オトナの学び
ちょっと前に、尊敬する先輩タナカジュンさんが
「越境学習、越境学習っていうけどさ、営業職に従事してるこの時期の新入社員の越境ぶりったらハンパない。毎日あらたな場所に、今までの自分が持っている文脈では通用しない場に飛び込んでいくのだから」(相当に乱暴な意訳です、スミマセン)とツイートされていた。


あぁ、なんか、あたしがここんとこ抱えてたもやもやがちょっと晴れた気がした。


そう、これだけいろんなところに出かけていて、おもしろそうな学びの場があれば飛びついていたわたくしですが、ここ数か月は(物理的な理由もあるのだけれど)、「越境学習」ってものに少々懐疑的でありました。


そもそも、越境学習ってコトバ自体、誰の定義によるものなのかわかんないし、この分野の第一人者である荒木先生ご自身が、いったい誰の造語なのやら、とおっしゃったとかとか・・・・越境して学んでいるっていう状態を示しているに過ぎないのにね。


以前、イタヤさんのLカレッジでお話ししたときに、あたしなりの越境学習の定義を


会社が用意した教育プログラム以外で自発的に学ぶ
 例えば…社会人大学院、セミナー、習い事・・・


専門領域外を学ぶ
 例えば…人事関係者がアカウンティングやマーケティングを学ぶ…


大前提として・・・
越境するからには「ホーム」がある  戻ってくるべき場所≒会社や専門領域がある


わたし自身にとっては後者の方が「越境」感は強い・・・かな?


としました。


そのときの資料を見ても、しゃべったことを思い出しても、越境学習の効果は知識や知見が見についた、っていう即物的かつわかりやすいことではなくって、そこで出会う人がステキだ、ってことに終始しておりました。まぁ、なんとチープなwww


学びのゴールに、スキルを身につける、○○の資格を持つ、○○になる…を掲げた垂直型の学び(語学、簿記会計、ロジカルシンキング…)というよりも関心が関心を呼ぶ“バルーン型”に近いんじゃないかと。
越境“学習”というより越境“ネットワーク”の中で経験する…に近い。だから楽しく学べているんじゃないか??
なんて締めくくっておりました。


で翻って。


カイシャの中では、全社共通の人材育成施策の立案、実行なんて役割も担っております。学ぶわたしってだけではなく、誰かを学ばせるわたしでもあるわけです。


誰かを学ばせるわたしの立場から見たときに、(前者)の越境学習を礼賛するか、って言ったら、はてなマークがアタマの上に飛びます。


カイシャで、仕事で、さらに風呂敷広げちゃうと、その人の生活/人生を豊かにするための教育を、”外”で”自発的”にとは言えんのです。
研修やOJTという形だけにとどまらず、10万時間だかを過ごすカイシャの中で、もっとちゃんと学ぶことってできるんじゃないの?と思っているのです。


あたし自身が、生活の9割を仕事に割いてた時代にいわゆる”学習”してたか?って言ったら、してない。けど、日々の仕事の中で、いろんな人にもまれながらそりゃーたくさんの経験をし、痛い思いもし、それが今の血肉になっている(と思っている)。
もちろん、陰となり日向となり支えてくれた人がいてこそ、ですけどね。


そういうこと、な気がするのです。


うちの父は、サラリーマン生活50年(計算合わないけどwww)を迎え、サラリーマンすごろく的には「あがり」と言っていい役職につきましたが、物心ついてからこっち、あたしは父が”勉強している”姿を見たことがなかった。本を読んでいる姿も見たことなかった。日経すら読んでなかったし。


でも、一部上場企業でいっぱしに仕事してきて、経済や産業の動きについては、一生懸命インプットしているあたしなんかよりもずーっとたくさんのことを知っていたし、実際にそれらの情報をつかって意思決定しているわけです。


勉強会だなんだと”学習”なんかしなくたって、ちゃんと知識なり知見なりを身につけている。それは、その当時のニッポンがまだまだ余裕があって、日日の仕事や組織の中に余力があって、その中で学べたんだろうとは思うのだけど。


後者の”越境”は、経験をデザインすることにも通じるのかな?違和感のある経験や、アウェイな場所/領域は視野を広げることにもなるから、意識的にやるといいような気がするなー。
よくある話だけど、組織の中で実務をきわめて来た人が、じゃあ、お前リーダーやれ、と言われて、いやぁ、僕は組織を束ねたり統率していくようなことはしたくないんです、となっちゃったり、実務エキスパートとして優位性を持っていて本人もそれが自分の価値だと思っていたらば、他部署に異動・・・同じようにはできないから自信をなくす・・・なんてことはよくある話です。


コミットせずに動かしてしまうカイシャの問題もあるけど、不本意な異動であってもそこに「何を」見出すか、はできる。フレームを変えられるだけの引き出しだったり、考え方だったり、まさに多様な価値観なりに触れていてこそ、できることなんだと思う。


あ、人事権によって異動した経験が、実は、その人のキャリアを形成していく上で意味を持っていた、という話に通じるねー。


何が言いたいのかわかんなくなってきたwww
ひとつ言えることは「あさって」を考える、ってことなんだと思う
これはとびラー講座のときのお話しだけど、美術館は無用の用。なくてもどーってことない。けど、美術館の存在が”何か”にはなるし、明日すぐに役立たなくてもあさってには役立つかもしれない、ってこと。人材育成もそうだなぁ、って思った。明日すぐに役に立たなくても長い年月の中で必要となることや深み、幅、みたいなことは機会として提供していかなくちゃ。


あさってってメタファは、もうひとつおもしろい解釈ができるな、って思っている。それは「ちょっと違うんちゃう?」っていう見当違いのあさって。見当違いなことは、イコール幅でもある。そういう無駄なことの中に、学びや気づきがあふれているような気もするのです。


それが、後者の”越境”の効果ではないかと。


そしてそれは必ずしも、カイシャの外で学ばなくっても、違和感があったり、自分にとってアウェイなことをすることでも実現できると思うのです。


あー、またオチもなんにもなくなっちゃいました(^_^;)


アウェイなことをどれだけ経験できるか、その状況を受け入れられるメンタリティも含めてね、それが何よりの”越境”なんじゃないかなーと思った次第。


というわけで明日は、イシヤマさんの博士論文の発表会です。
テーマが『プロフェッショナル人材の育成(!?)を考える : 越境学習と新たな「キャリア」』ですよ。「?」がついてるところがまたおかしいけど(笑)
あしたまたお話聞いてどんな感想や考えに至るか、自分で自分が興味深い。またリフレクションしよ。







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スイーツの威力に違いない話。

2012-05-16 01:13:30 | カイシャ・シゴト
昨日は体制変わって初の役員会でした。
グループのガバナンス体制が変わって、当社は取締役会非設置会社となったので、正確には「ボード会」といいます。ただ、これがまた複雑で、親会社の執行役員の最終承認が必要なので、ボード会で決議、審議した内容は、執行役員(当社の前社長でもある)に答申に行かねばならないのだそうだ。

ま、そんな話はさておき。


昨日は、収支計画の承認やら、前半期の業績報告並びに賞与月数の確定やら、今期の業績目標の設定やら、なかなかにヘヴィな案件が目白押し。


だから、ってわけではなく、最近はデフォルトになっているスイーツ差し入れ。
今回は初夏を意識し、枝豆、で行ってみました。
ずんだ餡にして、ケーキを焼いてみた、ちょっと余ったのでレアチーズケーキも。


資料を配布し、お菓子をお一人ずつの席に配置。
着席したおぢが「お!この会議はお菓子が出るのか!?」とびっくりしていた。そりゃそうだ。フツウ、役員会なんてぴりぴりしたムードのところにスイーツは出ないよねー。お茶は出ても。


今まで出席していたおぢにとってはアタリマエになりつつあるんだけど、こんなチャンスもないので、「役員会も”場”のひとつなので、わたしなりのしつらえなんですよ。季節を意識したお菓子になってます」と説明。
今日は何?と訊かれたので、「ビール飲みながら閃いたんですけど、枝豆を餡にして一緒に焼いてみました。ただ、あまりにもなじんでしまって、枝豆の味はどこかに行っちゃったんですけど」とお答え。
「へぇ〜、次も出るのかな?これからも続けてほしいなぁ」と言われちゃ、社交辞令でも嬉しいよねー。


あらためて、
手作りスイーツを差し入れてるのは、あたしなりの場作り、でもある。単に甘いものを出すだけ、小腹を満たすため、ではなくって、そこには「季節」や「意外性」も取り入れてる。
そして手作りにこだわっているのもの、「お!」という驚きと「手間をかけている≒だいじに思っている」というアピールからでもある。


それでも殺伐とした役員会がスイーツひとつで「ありがとな」からスタートして、場がいい感じで緩むのは悪くない。もちろん審議はガチだけど、重箱の隅をつつくような議論はなくなった(気がする)。少なくとも、「敵対」みたいな構図はない。


スイーツで役員会の場が変わるのか?審議に影響あるのかと問われればそんなことはない。議論はガチで敗訴!なときもたくさんある。
直接的な効果は着席したときの『お!』というサプライズ感、それだけなんだよな。


けど、差し入れに『もてなし』を感じてくれると、起案者や事務局と距離が近くなることは間違いない。
決める⇔決めてもらう、の関係から、役員会という場に『集う』仲間(という表現も青臭いですが)に変わるような気がするよ。


手間ひまもかかるし、コストもそれなりにかかる。酔狂だよなーと思うけど、なんでやってるのかって言われたら、役員会をスムーズに進行させる、という使命感ももちろんあるけど、おぢらのことが好きなんだよなー。喜んでくれる、ありがとな、って言ってくれると次もがんばろ、って思っちゃう。単純なんだよね、動機なんて。


というわけで、次回もがんばりますー。


そうそう、おまけな話として。
差し入れに直接結び付くわけじゃないんだけど、しゃちょー秘書にインタビューをしたいので紹介いただけないかと依頼され、当社の前社長(親会社における執行役員)秘書にかくかくしかじか、と相談したらば、その方からは「わたしなんて役不足です」と断られちゃったんだけどね、周り回って親会社の前CEO(現相談役)の秘書のYさんにお受けいただけることになりました。なんでも、あたしが依頼した秘書のOさんが、前社長のSさんに相談したらしく、Sさんが直々にYさんに依頼してくださったそうです。Sさんにお願いされたら断れませんよ、と。いやー、びっくりですわ。
確かに前しゃちょーには可愛がって(女子的な意味合いでも)もらってたけど、めっちゃお忙しい方が仕事以外のことで、あたしなんぞの依頼を働きかけてくださったなんて感激ですよー。
これは差し入れの効果に違いない、と思っておりまする。そう、今までもこの手のことを突撃的に役員にお願いしているんだけど、皆さん、ひめが言うならなぁ、的に動いてくださる。決して見返りが欲しくて差し入れてるわけじゃない。だからこそ、なのかもしれないねー。
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真摯に謙虚に。労働とは尊いものなのだ。

2012-05-03 14:45:01 | カイシャ・シゴト
違和感感じてる話もういっちょ。調子に乗ってます(^_^;)


直線的なキャリアに違和感があること、将来や未来を考えることがとても苦手なこと。
労働は尊いと思うこと。


震災から1年経って、いろいろあれこれ考えた。
ちょうど、社員総会の講演で復興支援活動をしている方にいらしていただいたこともあって、自分ごと化して考えるようになったこともある。


その中で、強く強く思うこと。


労働の尊さと謙虚さ。


あのね、誤解を恐れずに言うと、あたしも含め多くの文系ホワイトカラーは、あの震災の直後、言いようのない無力感を感じたと思うのですよ。
仕事はキャンセルになったり、自宅待機になったり。現地に行って何かしようとしても手段もなければ、ノウハウも技術もない。自分にできることってなんだろう?とつつましい節電と募金くらいしかできなかったと思うのですよ。


一方で、普段、ホワイトカラー文系にとって、”仕事”と捉えてなかった(ゆーしゅーな大学生がシューカツするときによもやその職につくとは夢にも思わない、という意)輸送業や建設関係などガテン系の仕事や、自衛隊のなんとたくましく頼もしかったことか。


よく言うじゃない?
労働とは時間の切り売りで生活のため、仕事はその人自身の生きざま、とか。
労働はやらされるもの、仕事は主体的に取り組むもの、とか。


その点ではガテン系の肉体労働も、労働ではなく仕事なわけですが、多くのホワイトカラーはガテン系を「労働」だ、と認識していると思うのですよ。上から目線っていうかね。


あえて、今、思うのです。
労働は尊いし、あたしたちは無力だ、ということを謙虚に受け止めたい。のど元過ぎれば、じゃないけど、グローバルだなんだと切った貼ったな世界にいて、有能感満載な人の中にいると、毎日を愚直に過ごすことをおざなりにしている感じする。
あのときの謙虚な気持ち、真摯な気持ちでいたら、やわらかくてあたたかい世の中になる気がするよ。自信満々なキラキラ☆エリートに囲まれていると、ことさらにそう思う。


労をいとわないでいたい。
労働することに感謝できる人でありたい。


そう、だから、目の前のことを愚直に真摯に取り組むうちのメンバーはすごい!って思うのです。おぢからしたら物足りない、って思うのかもしれないけれど、労をいとわないその姿勢はホント素晴らしい。世の中にはそういう人たちがたくさんいて、そういう人たちに支えられている、とそう思う。


謙虚に真摯に。そして愚直に。今だからこそ敢えて意識したい。
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目標を持てって言うけどさ。

2012-05-03 14:28:20 | カイシャ・シゴト
ここ最近、ネガティブモードに突入しとります。
つい先日も「迷ったら行かない」と言って、驚かれました。180度転換です(笑)
理由はある程度明確です。ちょっと自分の気持ちの整理のためにしたためてみます。


直線的にゴールを目指すこと、目標持てって言うことの違和感
ポジティブであることを強要されることの違和感
「労働」よりも「仕事」がエライ、立派、すぐれてると思いがちな風潮への違和感


でもその根底にあるのは、労働の尊さ、というか、優秀でない人たちへの尊重が欠けてるんじゃ?ってことです。
当社は障害者雇用を行ってます。プロパー社員の8割は何らかの障害を持っていてみんな優秀だし、フツウの仕事をしています。それはそれで素晴らしいことだけど、でも、そこにはあらがいようもないハンディキャップがあります。
障害が故に経験できないこと、仕事もたくさんあります。進学といった教育の機会だって、健常者の我々と比較したら少ないでしょう。


彼らは一様にステキな存在です。


でも、おぢらは、彼らをフツウと捉えて育成、配置しようとします。ここで言う、フツウは、健常者としてフツウの教育を受け、親会社のプロパー社員のように、自分で自分のキャリアを切り開いていくようなそんなスペシャルなフツウです。 それはわかります。そのくらいの期待をかけても余りあるほどの可能性を持った人もたくさんいます。


けどね、あたしが感じる違和感は、世の中、そんなに優秀で頑丈な人ばっかりじゃないよ、ってこと。


あたしのしゅーろんは、自社版キャリアアンカーを作る、というものでした。実践論文だったので、そういうテーマになったわけだけど、このテーマにたどり着いた発端は、一人のメンバーへのインタビューと彼の仕事ぶりを見て、のことでした。


彼は、業務を粛々とこなすレギュラースタッフとしてはとても優秀で、生産性も高く、品質も高い。多少、ムリな納期や難易度の高い仕事でもきちんとやり抜く。そんな彼を見込んで、カイシャは、彼にリーダー職を任命しました。自分がやるのではなく、チームのメンバーに働きかけて仕事をする。直線的なキャリアで行けば、その仕事のアサインの仕方は適当だったんだと思う。けど、彼は潰れてしまった。


どんなに納期が短くて量が多くて大変な仕事でも、自分に降りかかってきたことは一生懸命やる。それが自分の仕事の仕方だった。でも、人に働きかけて、統制を取っていくという仕事の仕方はどうしてもできなかった。


自分に合わない仕事をしていることが認識できたら、ちょっとはラクだったかもしれない。合わない仕事をさせている、ということを上司が認識できたら、もっと違った働きかけができたかもしれない。
今、彼は、レギュラースタッフとして、人よりも多くの仕事を確動性高く行っている。彼自身はココロ穏やかに、でも仕事は仕事として厳しく遂行している。


それでいいじゃん。


ココロのそこからそう思う。


けど、カイシャってやつはそれを許してくれない。うちみたいなカイシャは許してくれていいのに、それでも、少しでも角度をつけて「成長」していないと許されない。しかもここで言う「成長」はカイシャが意図する「成長」ね。


息苦しい。
自己ベストを尽くすってそういうことなの?今までやったことない新領域に取り組むこと、あらたな世界にチャレンジすることを「是」として、今の領域で一生懸命やることは「非」なの???


先日、おぢCとメンバーのキャリアとか育成とかをテーマに議論をした。対話でなく議論ね。
共感すること多数だったけど、違和感満載。
その中のひとつが、彼が考えるキャリア、育成が「今ある仕事を納期、品質を守って納品するための教育」であったこと。
教え方、関わり方などは、その人が本来持つパーソナリティによって固定化されているから、開発することは難しい。だから、教える側にインストラクションの教育や知恵を授けるのは無意味で、マニュアル見ればできる、システムを使えばできるように環境を整える方が先だ、とおっしゃる。


理屈はわかる。


けど、それって、その人固有のパーソナリティ、ポテンシャル以上のものはこれから先、期待できないってことじゃないの? そしてそのときにおぢCに言われたこと。おぢCが考えるキャリア、育成とは、目指す姿・ゴールを設定して、それに向かって進むこと、達成したことでの充実感こそがキャリアだ、と。違和感満載だったので、「すべての人がゴールや目標を持って進むってかなり難易度高くないですか?動きながら、進みながら定めていく、ではダメですか?」と質問したら、「小さいことでもなんでも、●か月後、●年後にこうしてたい、こんな暮らしがしてたいってあるだろ?お前が学校行ったり、いろんな人と交流するのはそういう●年後の自分に近づきたいからだろ?」と。


ちょー違和感。


なんで、ゴールを設定しなきゃならないんだ? 見つける過程こそが、キャリアであり、学びなんじゃないのー?迷ったり、寄り道したりした路地裏にステキなレストランが見つかるかもしれないじゃん。歩き疲れたら止まったっていいじゃんねー。


寄り路できる余裕、迷子になったときに景色を味わうゆとり、そういう生き方したいぞ。そして、そういう生き方をしてもらいたいと思う。


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社長にやってほしいことは?全社表彰懇親会もワークショップなのだ、な話。

2012-04-25 00:38:13 | カイシャ・シゴト
4月はあれやこれやイベント盛りだくさん。


今日は前下期の全社表彰者の表彰式&懇親会。
表彰は多くの企業が取り組んでいるけど、当社。半期ごとに業績をあげた人、他者の模範になるような行動や実績を行った人、を対象に新人賞やら社長賞やら4つの賞が選定されている。今回は17人/団体。


あたしが経営企画室に異動してきて最初の表彰式は、事務局でもなんでもなく単なるお手伝い。
当時は(今も)全社のマネジャーが集まる四半期ごとの会議の後半に表彰式を行い、親会社本社ビルの41階のおされなダイニングでマネジャーも一緒に総勢50名くらいの所帯で宴会をしていた。


で、次の期から、なんとなーく成り行きで幹事/事務局をやることになったんだけど、上司とあたしの中でこれまたなんとなーく共通して思っていたことが、主役は誰なの?ってことだった。
そうマネジャーが集まる懇親会は、表彰者が主役で、表彰者が誉めたたえられ、労われなければならないのに、マネジャー同士の内輪受けがメインで、表彰者はぽつーんと寂しそうにしていた。そりゃそうだ。同時期に表彰された、ってだけで普段のつながりなんかないんだもの。
いっそのこと、社長以下役員、部長職だけにしてしまって、表彰者へのおもてなしをメインにする会にしちゃどうだろうか?って運びになって今回でちょうど3年。計6回。


最初は、おぢらがちゃんと表彰者を接待、おもてなしできるようにと席の配置を工夫したり、おぢをいじって表彰者に笑ってもらったり…ってことくらいの仕込みしかしてなかったけど、あたしもいろんな場を経験し、生来のおせっかいがむくむくと顔を出し、いかにおぢらが心地よく表彰者におもてなしができるか、そして表彰者が楽しんでくれるか、ってことに注力して企画するようになったわけです。
ちなみに、今回は席札をこんな感じでウェルカム感を出してみました。おぢらの札には「ホスト」「今宵はおおいにおもてなしください」と書いて。



意識的に場を作り始めたのはちょうど2年くらい前で、その時には聴覚障害のメンバーがたまたま3名いた。さてー、どうやって通訳する?コミュニケーション取る???とちょっと悩んで、いっそのこと彼らを主役にしちゃえばいいじゃん!と彼らから手話を教わることをメインコンテンツにした。当時はスケッチブックプレゼンの技術は持っていなかったので、聴覚障害のフォロー用に、パソコンにその場で打ちこんでプロンプター・・・スマステ方式にしたり。ちょうどその日お誕生日を迎えるメンバーがいたので、お店にお願いして(なぜかあたしの手作りケーキ)を人数分に切り分けてもらったりと、サプライズなんかも仕込みはじめた。
その後も、チームビルディング的な要素を取り入れた仕掛けを毎回毎回行っていて、表彰者が「愉しかったです」「こういう場っていいですねー」と言ってくれるのに味をしめてました(笑)


で、今回。


しゃちょーも交代してはじめての場。実質の権限者であるおぢもはじめて。表彰者も互いにあんまり接点ない。となったら、お互いを知る、ってのがいんじゃね?と思い、自画持参簡易版を導入。自画持参は長岡先生と慶應SFCの加藤先生が開発されたワークショップのこと。詳しくはこちらを見てね。




この際だから訊きたいこと、をちょっとひねって、「質問」と「答えてほしい人」を別々の紙に書く。BOXに入れる。引いて当たった人が答える。
これ、ポイントは「質問」から先に引くこと。うぅ、あの人に答えてほしいなぁ、とか、あたしに当たったらいやだなぁ、っていう適度な緊張感がイイわけです。


最初、「人」は均等になるようにあらかじめ名札を入れておこうかと思っていたんだけど、ええい、どーせならギャンブル的要素を多くしてしまえ、この人の話聞いてみたいなー、と思ったら「人」をたくさん書いて投票しちゃえば当たる確率が高くなるわけで、オーディエンスのニーズにも合致するし。問いと答えが合致しない妙も生まれるわけで。


結果、異常なほど盛り上がりました。
もっと質問がエロに偏るかな―と思ったら、意外とマジメなものが多かった。
ただ、「人」は組織票というか、陥れというか、一部の人に偏っちゃったけどね。それはそれでいいのです、その人が人気者だってことで。問題は一票も入らなかった人。あくまでもくじ運の問題です、って体にはしたけど、あとで見てみたらホントに一票も入ってない人がいた(+o+) まぁ、仕方がないし、その人自身はこの企画をえらく楽しんでいたからそれでいいか。


何度か書いているけれども、ワークショップをやるときにあたしが気をつけているのが、参加者を平等に、ってこと。
もちろん、今回の表彰懇親会はワークショップではなく、単なる飲み会ではあるけれども、どーしたってしゃちょー以下おぢたちが幅を利かせ、ベテラン勢が大きな顔をしがちな場なのだから、普段こういう場で出会えないような人にスポットを当てたい、と思っていたし、自分が喋らなくても、誰かの話を聞いて笑う、でもいいと思ってる。そう、スポットを当てる、ってするとすぐにかくし芸的なことをやらせたがるけど、それって負担でしかないわけです。聞いてることが愉しいことだってあるわけですよ。


たかが飲み会でここまでやる?と言われるし、こんなにやっちゃったら後任がやりにくくて仕方がないだろうな、とも思うけど、奇をてらった企画はいらないけれど、参加者に喜んでもらう、楽しんでもらうってキモチは忘れちゃいけない気がする。参加者が喜んでくれるならやれることはなんでもやりたい。


帰りに、「ひめさんの企画はいつもおもしろい!」と女子会に出てくれた25歳女子(←ここポイント)や、「次も呼んで欲しいなぁ」10月から分社化で違うカイシャになってしまうおぢBや、おとなしくてこういう場は苦手な男子が「愉しかったです」って言ってくれた。もうねぇ、それだけでじゅうぶんですよ。


タイトルは、最初に引いた質問。これに答えた男子(組織票大量投票ないじられ愛されキャラ)の答えが泣かせた。うちのしゃちょーは、親会社の役員が兼務するならわしで、今回もそう。だからどうしたって親会社の人、な印象はぬぐえない。
「○○(親会社)からではなく、中に入ってぼくらを見てほしい、一緒に作っていきたい。」
その思いはしゃちょーに絶対に届いたよ。ありがとう。
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200人ワークショップ

2012-04-23 02:08:59 | コトバ・ニッキ
気付くと、こっちのブログが放置状態。
書きたいこと、整理しておきたいことは山のようにあるんだけど、時間とのーみそが追いつかない(^_^;)
感謝日記書いてるからか、「書いてない」感もないし。


ビッグイベント社員総会、今、最後に残った残務、業務フローとリファレンス作りをしています。
まぁ、とは言っても、毎年毎年ニーズは変わるから、企画部分は常に「はじめて」のことだろうけど、事務局の事務仕事くらいはドキュメント化できるんじゃないかな、と思い。


ただ、ホントに伝えたい、残したいのはやっぱり「企画」。その企画にどんな思いを込めたのか、っていうこと。


今回の社員総会は4年ぶりということもあったし、10月には分社化となり、今の体制で行う最後の社員総会でもあったし、いつもいつも言われていることに「自部門以外との交流が皆無」ってこともあったし、あたしの中でのテーマは「交流」でした。
途中、しゃちょー交代、おぢ退任というエポックがあったため、「コンセプトは歓送迎、特に”送る”なんじゃないのか?」とおぢBあたりが言いだしたりして混乱したけど、主役は集まる社員なんじゃないの?と押し切った。
あ、“送る”もちゃんとやりましたよ。ムリをお願いできるマネジャーに感謝状を作って読んでいただいて、泣きのBGM流したりとかね。


今までの社員総会の懇親会は、かくし芸大会、仮装大賞的な出し物がメインでした。あたし自身があまりこーゆーことが得意じゃないし、内輪ウケだったり、若手が苦手なのに汚れ役をやらなきゃならなかったり、エロに走ったり、会場汚したり、準備がタイヘンだったりするので、いっそのこと辞めてしまえ、と辞めちゃいました。独断で。
途中、バンドやってる子から、演奏したい、という申し出があったりしたけど、機材の手配とか金かかるし、大体セッティングはトラブるし、これもお断り。


あ、こう書くとものすごい後ろ向きな感じしますね。
違う違う。
あたしがやりたかったのは「交流」。他室の人と知り合って自分のことも知ってもらう。それって存在を認められるってことだし、そのあとの仕事がやりやすくなったり、何かあったときに頼ったりできるじゃん。


そしてもう一つは、「へぇ〜」っていう発見。カイシャのことでも、一緒に働く仲間のことでもなんでもいい。何かひとつくらいは「へぇ〜」っていうものを持って帰ってもらいたかった。できればそれが仕事への誇り、みたいなことだとステキなんだけど。


基本のプランは提示しつつ、詳細は各室から選抜された若手中心に構成したレク委で決めて行った。企画は大きく2つ。まずは同じテーブルになった8人で知り合う。そして、仲良くなった8人でステージ上のアトラクションなりを見て/当てて楽しむ。別にそんなに奇をてらった内容ではない。


何をやったかというと、自己紹介。
オーソドックスですけどね、同じテーブルになった8人で自己紹介をする。
一応、仕掛けがしてあって、受付でカードを配っておいて、休憩中に書きこんでおいて貰った。
 ・名前
 ・所属
 ・好きな食べ物
 ・今はまっていること

このカードはレク委の女子がデザインしてくれて、当社のコピーセンターで制作してもらった。4枚を順番に並べて穴開けて紐を通す、というめんどくさい行程をこれまた短い納期できっちり仕上げてくれて感謝感謝。



で、これは、名札代わりに懇親会の間、首から下げておくことができます。


これがねー、思った以上に大盛り上がりで。喋りすぎない!ひとり1分で完結に!!とお願いしていたものの、始まったら、みんな喋る喋る。おぢたちが「あいつ、はじめての人の前で喋れるのか?」と心配するような若手もいきいきと饒舌に語っていた。


書いたものを喋るから、ツールがあるから…いろんな要素があったんだろうけど、やっぱり人は自分のことを喋りたがってるんだと確信した。それはつまり日ごろ聴いてあげていないし、会話が減ってるからなんだろうな、と思う。
ほとんどがはじめまして、の人の中でもみんな臆せずにコミュニケーションをとっていた。聴覚障害はある程度固めてグループを作ったり、知的障害も同じ部署の人を必ず同じテーブルにつけるなどの配慮はしたけど、視覚障害といったフォローが必要なメンバーも思いきって散らばらせてみた。各テーブルに一人はファシリテーションができたり、社交的な人を置くことも考えたけど、そんなこざかしいことせずに、無作為に室のバランスが均等になるようにだけ配慮してグルーピングしてみた。それでも、成立した。むしろ想定していた以上に。


8人×28卓で自己紹介をしている様はなかなかに壮観でした。そして、彼らが一様に楽しそうにしていたのも。


実は、社員総会で200人ワークショップができないかなーと憧れの上田先生に突撃お願いを年明け早々にしていた。結局、講演に復興リーダーを呼ぶことになったためにそれは叶わなかったけれども、まだまだ不十分ながらもこんなかたちで、アルコールも入る懇親会なのにワークショップ的なことが実現できたってことは感無量。


正直、めんどくさい、とか、ゆるゆる酒飲みたいんだよねーというような声もないことはなかったし、いくつか/何人かはめんどくさがって参加してくれないんじゃないか、とも思っていた。
けど、蓋を開けたら、みんながこんなに前のめりに自分のことを話し、同じテーブルになった人の話を聞いている。


すごいことだ。


なんかさー、いろいろ言われるけど、自分をアピールできる積極さと、他者に耳を傾けるホスピタリティがあるってすごいことだと思うのだよ。そして200人からが、新人2人の司会を助けてあげようと一緒に場を作ってくれた。統制したってチームはまとまらないけど、助けよう、一緒にやろう、と思うキモチを生み出すことができれば、チームはおのずとまとまるんだね。
みんな、すごい。と、あたしは可能性を感じたのだ。だいじょうぶ、このメンバーならどんなことがあっても乗り越えられる、ってね。


あらためて、レク委のみなさん、おつかれさま&ありがとう。
楽しんで参加してくれた皆さん、ありがとう。終わった後に「よかったよー」とわざわざ言いに来てくださった方々にあらためての感謝を。

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チャンスと思って進むだけ

2012-04-09 02:47:54 | カイシャ・シゴト
3ヶ月間に渡る超ビッグなお仕事、社員総会が終わりました。この準備のため、最後の2週間は毎日11時くらいまで残業、家に帰ってもしこしこせっせと資料やらムービーを作り、”越境”もせずに仕事漬けww


3部構成の社員総会は、例年、総務担当マネジャー以下4〜5人のメンバーで企画、運営していたのですが、今年は、まぁ、いろいろあって、実質ひとりでやることに。
しかも、グループのガバナンス体制変更≒要は分社化なんつーせんしちぶな話をしゃちょーにしてもらうべく仕込んでいたのに、しゃちょー交代、実質の権限者である取締役のおぢが退任と、しゃんしゃん、な第一部の社員総会までプログラムの変更やら、しゃちょーへのインプットやら仕事は膨らむ膨らむ。


2部には、ゲストによる講演。これは去年、鉄道整備の矢部さんにお話しいただいたのがとてもよかったので、その後も講演型のワークショップを開催し、今回の総会も、という運びに。


3部は懇親パーティー。今までは仮装大賞やモノマネ歌合戦的なゆるいイベントだったけど、4年ぶりに全社の社員が集まる場だし、分社化によってこの体制で行う最後の総会なわけだし、“交流”をテーマにしたい、とずっと考えていた。


それぞれの部を振り返ってもきっと6000字以上のだらんだらんリフレクションになると思うので、今日は第2部について振り返っておこうと思います。


ついったーで「思いってだいじ」的な意味不明なことをたくさんつぶやいていかと思いますが、すべてはこの第2部に通じていました。


第2部の講演ゲストは、遠野を拠点に被災地復興支援活動に従事されているNPO遠野まごころネットの代表、多田一彦氏。


もともと、講演をやろう、という話は決まっていて、誰を?何を?をいくつか提案したところ、おぢBから「震災から1年経ったわけだし、そういう活動している人はどうだ?現地で活動している人のバイタリティにはすごいものがある」と提案あり。するとおぢAが「被災地ではこんなに大変な思いをしている人がたくさんいる、それから比べたらお前ら恵まれているんだからもっとしっかりしろ、といいたい」と。


むむむ?と思ったことは言うまでもない。


震災、復興支援に対して、まだまだ自分ごととして向き合えていなかったあたしにとって、この仕事はとても辛いものでした。おぢAが言うようなメッセージにはどうしても賛同できなかったし、そのことをオブラートに包んで「どういうメッセージを社員に発信すればいいのか、自分自身がピンと来ていない」と言ったらおぢBから「そこから説明しなくちゃダメか?」と呆れられたりもした。おぢBは親会社が主催するボランティアツアーに参加して、実際に被災地に行っているし、被災して復興している事業主の話を聞いているから、あたしの反応がもどかしかったんだろうと思う。


去年の鉄道整備さん、そして、そのあとお呼びした方すべてに共通しているのは、あたしが「この人の話は絶対にいい、みんなに聞かせたい!聞いたら絶対に元気になる!」という確信。
自分が誰よりもその人、その話にほれ込んでいなければお薦めなんかできない。


親会社のボランティアツアーでお世話になっているご縁で、CSR推進室にご紹介/仲介いただいて、多田さんにお話しいただくことになった。


この仕事にどう向き合っていくか、あたし自身、ものすごく葛藤した。


やれ、と言われてやっている仕事でもあり、おぢAが言うような「お前らもっとがんばれ」にはどうにも違和感があったし、どんなメッセージを伝えればいいのか、悩みに悩んだ。


自分ごとにしないとできない。
「てきとーに喋ってください」でもそこそこな場はできたんだと思う。けど、相手はガチに復興支援に関わっている人。そして、その先には被災し、そこから復興に向けて行動している人たちがたくさんいる。自分ごとにしないと、多田さんと対峙できないと思った。多田さんに対して、被災地の皆さんに対して失礼だと思った。


遠野まごころネットに個人ボランティアとして行ったのは、そんな理由からです。上司に「行ってきたい」と言ったら(ちょうど親会社のボランティアツアーで遠野にお世話になるコースがあって、よかったら参加しませんか?とおっしゃっていただいたりもした)、
「気持ちはわかるし、そうしたいと思う気持ちは至極自然だとも思う。けど、行かない/行けない自分たちだからこそ、聞ける話もあるんじゃないか?」とアドバイスしてくれた。ガチガチになっていたあたしの気持ちをほぐしてくれた、ホントありがたいです。


それでも、やっぱり行ってみないことには始まらないような気がしたから行ってきた。


そのほかにも、復興に関わる活動、イベントにはできる限り足を運んだ。いろいろ調べたりもした。まだまだ不十分だけど、そうやって自分ごとにしていくことで、多田さんの活動や思いに近づけたし、実際にお話しをお聞きして、人柄に触れて、これは絶対に聞いて欲しい!と強く強く思った。


企画者側としては思惑もたくさんあったわけです。
愚直に活動すること、ひとつひとつの作業は点でも全部繋がっている、それは仕事も一緒で、いかに線や面を意識するか、が大事。どんなことにも当事者意識を持って取り組むこと…そんなメッセージを伝えようとしていた。


今回は親会社のCSR推進室のモリトミさんに多田さんとの仲介や、当日の進行、そのほかいろいろな資料の提供などなど全面的にご協力いただいたんだけど、これがなかなかに厄介で。とーぜん、多田さんにとっては講演よりも「現地」なわけでお忙しいわけだから、打ち合わせなど事前準備は最低限の労力にしたいわけです。でもなかなかアポも取れない・・・モリトミさんにとっても、彼は復興支援担当なので仕事でもあるわけだけど、関連会社のイベントなわけで、そりゃー優先度は下がるわけです。しかも3・11もあり、みんな現地に行ったり、イベントがあったりしたわけでさらに忙しい。


実際に多田さんにお目にかかったのは、本番の10日前。ひやひやです。
そのあとは超濃縮。モリトミさんと、あーでもないこーでもないと進行の打ち合わせをしたり、ムービーを作ったり、資料やデータをもらいに行ったり。まさに夜討朝駆けな状態www


多田さんのお人柄、いろいろな場面で語られるコトバ。もう既にあたしの中では、何を話してくれても絶対に伝わる!という確信があったので、講演そのものはそんなに心配はしていなかった。


当日。
多田さんは、その時に一番話したいこと、伝えたいことをお話しになるスタイルなので、多少の脱線はあったけど、震災直後に被災地に入ったときのリアリティのあるお話しや、福島のことなど、突っ込んだ話、現地ならではのエピソードをお聞きすることができた。


多田さんのお話しで印象的だったこと。

「この状況をチャンスだと思って、進んでいくしかない。」

そんなに前向きに捉えられる人ばっかりじゃないかもしれない。それでも、こうもおっしゃっていた。「日本の課題の縮図が東北にある。」
誤解を恐れずに言うと、震災があろうとなかろうと東北も日本も瀕死なことには変わりなくて、そこからどう立ちあがるか、は手なりの生活をしている中ではなかなか踏み出せない。東北だけの、被災地だけの問題じゃない、日本全体が抱えてる問題なんだ。だから、被災地のこと、と思うのではなく、これは自分自身のことなんだ、と思って行動できるかどうか、ただそれだけなんだと思う。


そして、
「やるかやらないか、ではなく、どうやるか」
ドゥエック先生の言うところのしなやかマインドセットだ。How Can I do it? これはどんなことにも共通だと思う。


昨日のうちに集まった感想レポートは参加者の3割程度。これからメールでも受け付けるのでまだまだたくさん集まってくると思うけど、ホント、読みながら泣きそうになった。


  「何のために、誰のためにやっている活動なのかを考えることが大事
 がれき撤去が復興につながる、点の作業も線に、すべてつながっている
 これは自分たちの仕事(経理、総務などのバックオフィス業務)にも
 同じことが言えると思う」

と自分たちの仕事に投影して感想を述べていたり、


  「やるかやらないかではなく、どうやるか
 この状況をチャンスと考えて、先に進むしかない」
 
という多田さんの言葉に感動し、勇気をもらったという感想

 
  「小さなことでも何かできることはあるはず
 何か自分ができることをやろう、と思うきっかけになった」

と、“踏み出す”後押しになったという感想などなど…


えげつない言い方すると、こちらが想定していた以上に、狙っていた気付きや感想が引き出せた。
でもね、あらためて思った。もちろん、企画者としては意図はあるし、こういうメッセージを伝えたい、というのはある。そのために活動紹介のDVDを流したり、ここは絶対に喋って欲しいことを引き出す/仕向ける質問を設定したり、最後に「今わたしたちができること」と題したボランティアツアーに参加した親会社従業員の感想をコピーワークしたムービーを上映したりといろいろ仕込んだ。そこまでやる?くらいに仕込んだからこそ、だったのかもしれない。それでもまだ、あれやっておけばよかった、これも準備しておけばよかった、とおもうことはたくさんある。
けど、場は生きているし、受け取り方は人それぞれ。多田さんのお人柄、場、エピソード、そういったものがすべて融合して、いろんな気づきがそれぞれに生まれたんだと思う。


昨日、第4部(というマネジャー中心の送別懇親会があってそこにも参加していた)が終わってからカイシャに機材を持ちかえって、残務しつつ、アンケートの抜粋を添えて多田さんや関わってくださった方お礼のメールをお送りした。


今朝、多田さんからステキなお返事をいただいた。

  
  御社のチームワークの良さは、ひめさんの努力が礎となっているのだと思います。
  私のような者の話でお役に立てるかどうかと思いましたが、そのように受け取っていただき光栄に思います。


そこまでやる?と言われるくらいやってちょうどよい。特に今回のようなテーマには、そのくらいの覚悟と気概で臨んでちょうどよい。


もちろん、ネガティブな感想や反応もたくさんあった。そのこと自体はあたしを十分に凹ませる。それでも、”復興”は東北だけのことじゃない、自分ごとなんだ、とあらためて気づけたことは意味があったと思う。


集まってきた感想レポートには、何かやらなくちゃ、というコメントが非常に目立った。多田さんからのお返事を読みながら、この「何かやらなくちゃ」をそのままにしちゃいけない、と思った。昨日のできごとを「いい話が聞けた、何かやろうと思います」で終わらせちゃダメだ。何か行動しないと。ひとりではできないかもしれないけれど、図々しくあたしが声を上げることでできることもあるかもしれない。


で、早速、妄想の神様降りてきました(*^^)v
今度の神様はかなり硬派ですよ(笑)


おぢらに提案して、カイシャの公式行事にすることもできるけど、何かとまだるっこしいので、勝手にやりますwww
この温度が冷めないうちに、社内の有志を巻き込んで何かやります。
手始めに「復興の狼煙」ポスタープロジェクト。一口300円とかで有志を募って購入。
それから、業務外で「”復興”のためにカイシャは、わたしは何ができるか?」を考えるワークショップをやろ。ついでに、ワークショップを一緒にやってくれる人も募集しよ。ひめさんの創る場は面白い、って言ってもらえてる今の状況を追い風にしない手はない。
緊急支援はできなくても、復興支援には様々な形で関われるはず、誰でも、どんな形でもできる、そしてそれが東北だけではなく、ニホンの未来につながるはず、と信じて。ちょっと壮大だね(^_^;)


がんばろ。


っつーことで、ますます「人事」や「ジンザイイクセイ」はマインドシェアが下がっていくのでありました。いいのだ、今、いちばんだいじだと思うことを真剣にやる。それしかない。それしかできない。
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意味付けのプロ

2012-03-12 01:45:11 | コトバ・ニッキ
いろいろリフレクションしてみた。
結論めいたことは何一つ出てないけど、ここ数日に体験したこと見聞きしたことと、ここ最近のもやもやもやったーずをちょっと考えてみようと思う。


っつーことで今日もだらんだらんな長文です(^^ゞ


大学院OBOG交流会、なんちゃってイブニングダイアローグが盛況で、長岡先生が羨ましがるくらい、予定調和であって予定調和でない”自由”な空間だったのはなぜか?って話。

・関係者限定だったこと
・その関係者が同じ学び舎のもとでツライ体験を一緒に乗り越えてきたから
・一度、交流会をやっていたので集まった人にある程度の親和性があったから
・慣れ親しんだ教室が会場だったから(肩書きを越えて、個/素に戻れた)
・偉い人がいなかったから
・ツカハラさんのキャラクター

なんてことをいっこ前のブログに書いた。


で、あらためて考えたこと。


本家イブニングダイアローグに感じていた違和感。
それは、集まってくる人たちが、「わたしが学びたい」<「誰かを学ばせたいわたし」だったこと。だからダイアローグも一般論になりがちで、ガチでリアルな一人称の会話にはならなかった。まぁ、ターゲットが人材育成マネジャー、で、本学の顧客がいらしているわけだから、そのことをどうこう言うのは間違い。


で、ラーニングバー。
これは、イブニングダイアローグと比較すると「わたしが学びたい」人が多く集まっていたけれども、でも思惑はあったように思う。あたしもそーだった、最初は。曰く、自分がこの話おもしろそう、この人の話聞きたい、と言って出掛けるものの、その腹には、仕事に活かしたい、何かのヒントが見つかるかも、人材育成に関わっている身としてはトレンド知っておかんとねー、というものがあったように思う。学生はじめ、社会人もコンサルからベンダー、営業等々と属性は様々だったから一概には言えないけどね。


その後、ラーニングイノベーション論とか人事系、人材開発、組織開発系の学びにいろいろと参加し、たくさん参加するようになるとホーム感は漂う。どこに行っても、自然に、というか、臆することなく振る舞ってる自分がいる。
けど、どこかでずーーーっと感じていた違和感があった。


それが「人事のプロ」ってキーワードだった。


ラーニングイノベーション論のみんなといると楽しいし、学んだことを組織に持ち帰っている/持ち帰っていることに刺激も受ける。


でも、どこかでアウェイ感を感じ始めていた自分がいた。
(あれだけ差し入れだー、サプライズだーやってて、番外編の出席率もよいのになんで?という感じもしましょうが)


「人事のプロ」としての覚悟が持てないでいた。


ちょっと話を戻して、なんちゃってイブニングダイアローグがなんであんなにステキな場だったのかの話。


ひとつの仮説として、完全に「個」の欲求として参加していたからではないか、と。


ぬぬ?矛盾がありますね、ここに。
あたしたちの大学院は(途中でカリキュラム変更があったので、すべての修了生に当てはまるわけではないのですが)、組織の課題を解決するための大学院で、修論は実践論文で、組織に持ち帰って実践したまえよ、というもの。
だから、在学中は理論と実践を紐づけるってことを意図的に行っていたようにも思う。修了後のキャリアを考える代わりに、修了したら学んだことをどう組織に還元するのか、実装させるのか、っていうのが重要だった気がする。


これがとても不思議なのだけれども、修了したあとに、別の大学院に進まれたり、ドクターに進学したり、と学び続ける方が非常に多い。もちろん、仕事に直結する学びを継続的に行っている方もいらっしゃるけれども、どちらかというと「極めている」印象を受ける。学びたいから学んでいる、って印象。


組織に持ち帰ること、実利を伴うことを目指していた大学院なので、修了したら学びは終わり、でもいいわけですよ、組織に還元できればよいんだから。
けど、学び続ける。
これってなんでだ?
理由は人それぞれなので憶測でしかないけれども、学ぶことそのものに価値や意義を見出したんじゃないかと。そして知的好奇心から、もっと深めたい、と思ったんじゃないかと。


で、そのマインドのままに、なんちゃってイブニングダイアローグには、完全に「個」の立場で参加されていたから自由な場、になったんじゃないかと。
カイシャ名の入った名刺で名刺交換してたけど、それは記号でしかなくて、○年修了の〜〜です、ってそっちが重要だった。


じゃあ、なんで学ぶことそのものに価値や意義が出てきたのか?ってのはよくわかりません。
あたし自身のことを振り返ってみれば、確かに進学するときには色気もあった。研究計画は、シェアドサービスセンターにおける組織設計を行動科学的アプローチでやってみたい、ってなもんだったし。今と全然違いますねwww MBA取ったらキャリアに箔が付くなーって思いもなくはなかった。
でも、学んでいくうち、通っていくうちに、そんなことどーでもよくなって、ただ学ぶことが楽しかったし、興味の対象がどんどんと「個」に向かって行った。


これが「人事のプロ」に対する違和感の出発点なんだと思う。


ご縁があって、ハナジョブ女子会の運営にちょこっとお手伝いさせてもらったり、ハタモクとか、自分でも社内研修の一環でキャリアに関するワークショップを企画したりと、キャリア支援とか「はたらく」ってことを考える場に立ち会うことが多い。


ここでいつも感じる違和感が、
「はたらくってそんなに大変なことなわけ?」
ってこと。


あたしにとって、はたらくは「労働」と結構近い意味合いがあって、自分の身一つくらいは養えるだけの経済的自立をするためには仕事なんて選んでる場合じゃないっしょ、まずはやってみたら?と本気で思ってる。たまたま今はオフィスワーカーで企画ちっくなこともできていて、世間様からは「かっこよく働いている」的に見えるかもしれないけれど、労働者でいたいし、”労働”できるマインドと体力を持っていたい、と思っている。ここ、おおいに語弊と誤解があるかもしれませんが。


人事に近いところにいながら、今どき新卒の採用には全然関わってないから、こんなにのんきなことが言えるのかもしれないけれど、はたらく、就職するのに、めんどくさい理屈や自分探しをなんでしなきゃならないわけー?といつも思っている。
でも、それが重要なんだよね、今の就職市場では…。


仕事、はたらく、ということに関してちょっと違うアプローチの話をします。


昨日、東京都市大の岡部先生の卒展にお伺いした。SFCの加藤研の卒展のときにも感じたけれど、いまどき学生はホントに素晴らしい。可能性に満ち溢れている、と心の底から思う。
っつか、卒業研究をこんなふうに発表できる機会、場・・・あたしたちのときにもあったんだろうか?あったとしてもこんなに立派にできただろうか?資料のアウトプットのレベルの高さは言うまでもないけど、来場者に対して自分の研究をきちんとプレゼンしていること、これが何よりもすごい。しかも、展示を眺めている人に果敢にアプローチして、ですよ。営業マンだってできんよ、飛び込み営業と近いもん。


あ、話がそれた(^_^;)


3年生が「フィールドワーカーの卵なんです」と言いながら説明してくれたのが、「まちじかん」プロジェクト。街にフィールドワークに出かけ、商店街の人に話を聞きながら、○○屋のおっちゃんたちをモデルにポスターを作る。で、作ったポスターを後日届ける。
そうすると最初は「話すことなんかねーよ」とよそ者扱いしてた○○屋のおっちゃんたちがどんどんと協力的になり、「お、せっかくだから法被でも着るか?」と前のめってくれたり、ポスターを渡す段になると、恥ずかしがりつつも、喜んで貼ってくれたり、隣の店と「俺の方がいい」的に競争したりするんだそうだ。


彼女たちが解説してくれたのは、
「ポスターを作ることで、街の人たちとのつながりが生まれ、関わりが生まれた。よそ者が身内になった。」
とコミュニティデザインがどう形成されていったか、というものだった。すごい勇気が必要だっただろうなぁ、といろんなエピソードを聴きながら思った。これを乗り越えたからこそ、の作品なのだね。


で、あたしが彼女たちに話したのは、
「卵焼き屋のおやじは、きっと仕事選びにそんなに悩まずに家業を継いだにすぎないんだと思う。けど、こうやってあなたたちにインタビューされて、彼は初めて自分の仕事ってものを見つめて、価値を見出した。これって卵焼き屋のおやじのキャリア再発見につながるおもしろいツール。今、シュー活で大変だろうけど、きっと、卵焼き屋なんてシュー活では出会えない職業だけど、街に出たことで”仕事”の視野が広がったんだと思う。」
ってこと。
(あ、こんなに流暢になんて話してないですよー、フツウにトークを楽しんでたまでで(^_^;)


大卒の彼女らにとって卵焼き屋は”仕事”じゃなかったかもしれない。けど、これも立派な仕事。味にこだわり、商店街に向いて卵焼きを焼く、という焼き方にこだわるおやじに、仕事ってものを教わったんじゃないかと思う。


そ、文系ホワイトカラーが到達できない、尊い労働がそこにある。


フィールドワークで仕事観を見つけるっていうのは完全な副次効果だけど、実際に足を運んで話をしているからこそリアリティをもった気付きになる。彼女たちも「そうなんです、いろんな仕事があるってはじめて知りました!」って言ってたし。


対話、語り…言語化することで、自分って何?はたらくって何?をあぶり出す手法もあり、だと思う。でも実際に動いて、行動して、飛び込んでみることの方がよりリアルに感じられるんじゃなかろうか、と思った。
対話がいいものだと頭ごなしに決めつけるのはやめよう。ホントだ。あたしたちはアタマでっかちになってたかもしれん。


アタマでっかち。


「人事のプロ」になんだか違和感感じてたのはここ。みんなが、ではなく、あたしがアタマでっかち。
人事のプロって、いろんなカイシャを「人事」軸で渡り歩けるポータブルスキルを指すんじゃなくて、いかに自社のメンバーと組織/カイシャの成長を戦略的に情緒的に覚悟を持って取り組めるか、ってことなんだと思う。けど、どーにもあたしのなかで、上から目線な感じが否めなかった。「個」よりも「組織」にフォーカスしてしまう。もっと一人ひとりに関わりたいのに、「組織」の事情、「組織」の成長を第一義に当てはめていくような感覚を覚えていた。


研修もそう。


全社の人材育成、人材開発担当をやってもう3年になる。全社でやることの限界感を感じていて、それは「ここから先は現場でお願いします」となってしまうこと。現場が困っていること、やってほしいこと、全社横断でなければできないことをやっている自負はあったけど、でも、現場にはかなわない、という無力感を感じることがしばしば。250人全員一人ひとりを暑苦しく関わればいいじゃん、こいつのために、と一人ひとりに思えばいいじゃん、規模が大きくなっただけだろ、と異動したときに時の上司から言われて、そう思おうとしたけど、力が足りなかった。だから、「個」を見たい、といいながらも、組織の事情を優先させていたかもしれない。それは事実。


もっと、「個」に関わりたい。


岡部先生が案内してくださったときにおっしゃっていたこと。
とある展示は3年生が担当したそうです。可愛いもの、わたしの好きなものを集めたコーナー。このスペースはすべてお前の好きなように使っていい、と言って創らせたそうです。「好きなもので飾れ、意味づけは来年でいい。」
彼女にとって可愛いものは、首から血を流している人形とか、ちょっと「え?」となってしまうようなグロい、というかヲタ系の可愛さ。たぶん、王道の可愛さではないけれど、彼女にとっての可愛いはこれ。これが彼女の核。


4年生の卒業研究は、生協の販促も兼ねて、オリジナルキャラクターを作ったもの。でも彼女はキャラクターを作って販促していく、という販促≒マーケティングの効果はさておいてしまい、キャラクターを作る、というクリエイティブの精度を上げていく楽しさ≒創造と、創ったキャラクターをいろいろなアイテムに展開していく楽しさ≒消費、を同時に達成していた。PrductorとConsumerをかけた造語 Prosumerがここに誕生した。
でも、このことは楽しいけれど、人には話せない、ヲタって言われるから。つまり、自分の黒い部分(人に言えない)の歴史≒黒歴史を上書きしていくことに他ならない、という意味づけをしていた。


これ、あたしは、制作物の精度を上げていくクリエイターとしての喜びと、いろいろと形を変えて展開されていく・・大衆化していく喜びが自分の中で自己完結していく様子がおもしろい、ひとり遊びの極み、みたいだけど、自分で作って自分で消費することができたら、これ以上のモティベーションってないよなー、とそんなことを考えながら聞いていた。


でも、そのあと岡部先生がおっしゃっていた「今は好きなものだけでいい、意味づけは来年やればいい」というコトバを反芻するうちに、学ぶこと、はたらくことっていうのは、経験や体験を意味づけするってことなんだな、って思った。


好きなことを仕事にするなんて、雲をつかむようなものだ。
たぶん、シュー活指導のときには、自己分析ができてない、くらいのことを言われてしまうんだろう。


けど、好きなものをとことん突き詰めて、意味づけしていくこと。その過程がだいじなんだと思った。自分で意味づけできたものは何よりも強い。その人にしかない”キャリアアンカー”なんだ。


こんな先生に出会えた彼女らはシアワセものだなー、と思った。と同時に、ここまで彼女らの可能性を本気で信じ、それを発掘し、本気で支援している先生を目の当たりにして、あたしはそこまでの覚悟を持てているか?と自問。


ちょっと前に、長岡先生が、「いまどきの学生は可能性に満ちている。バブル世代の僕らよりもよっぽど輝いている。自分たちができることはせめて彼らの可能性を潰さないこと」とおっしゃっていた。ホントそう思う。けど、そういう熱い思いを持ったオトナがいるってこともまた事実。


岡部先生からこんなコメントをいただいた。


「若い人はやりたいと思ったことをやるべし。ぼくらはそれに意味づけるプロフェッショナルになるべし。」です。
一生懸命な若者とともに、この社会をより楽しくしていきたいと思う。


あたしは教員ではないし、これから先も、”先生”にはならないだろうけど、カイシャには若くて(若くない人もいるけどwww)一生懸命なメンバーがたくさんいる。仕事だからやりたいことをやる、ってわけにはいかないかもしれない。やりたくないこともやらなきゃならない。けど、カイシャにいてあたしができることは、彼ら一人ひとりの可能性を本気で信じて、やりたいこと、やること、やったことに意味づけをしていくことだと思った。


意味づけのプロ


具体的に何をどう、っていうのはわからないけど、あたしがはたらく、学ぶ上での目標、指針ができた気がする。
がんばります。
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キャリアとは「いけす」のようなものである〜なんちゃってイブニングダイアローグが終わった

2012-03-10 01:38:47 | オトナの学び
最初に断っておくけど長いよ。そしてだらんだらんだよwww


去年11月に大学院OBOG交流会をやったら、10期にわたり50人からの人が集まってくださった。そのときに、またやってください!というお声を頂戴したことから調子に乗って、またまたOBOG交流会を企画しました。


とはいえ、2回目ですから、ただ単にお近くの人と名刺交換、近況報告、情報交換だけじゃあ、つまらんじゃん。あたしたち、いちおーMBAなんだしさ、もうちょっと「学び」的な要素も付け加えたいじゃん、と思っていたところ、


年も押し迫ったある日、一期上の先輩であるヨシオカさんのつぶやき。
「身に余る待遇で迎え入れていただくことに。」(相当意訳)


ぬぬぬ!


これは!いよいよ、ヨシオカさん、アカデミアの世界に進出ーーーー???


と、妄想の神様が降りてきたーキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!


先輩方には本を執筆されている方もたくさんいらっしゃるし、いろいろなところで講演されている方もたくさんいらっしゃる。そういった人たちに順番にご登壇いただくだけで企画として成り立つよなー、なんてことはつらつらと考えていたのですが、それだけじゃあ、「話はおもしろかったけど、で、何?」的な発散だけで終わってしまう会になっちゃうなー、もうひとひねりできないかなー、と思ってたわけです。


でで、ちょうど、その頃にこれまた大先輩で最近出されたご本が中原先生からも大絶賛されたイシヤマさんと飲んだり、当社でワークショップ一緒にやることが決まっていたことから、いろいろお話させていただく機会に恵まれていて、この2つが結びついちゃったんですよねー。


ヨシオカさんのキャリアと学びロードを語ってもらって、それに、「キャリア論的に言うとね」って解説をイシヤマさんにしてもらったらどうだろ?そしたら、みんなにとってもキャリアについてアカデミックな学びにもなるし、自分自身に投影して考えることもできるし、ワークショップ的な仕掛けを施せば、交流だってできちゃうじゃん。しかも、キャリアと学びってテーマなら、ゲストは誰でもできる、おぉ、テレフォンショッキング的に指名していけば継続企画になるじゃーーん。あたしってば冴えてるー(*^^)vと自画自賛(笑)


ででで、ちょうど翌日、ヨシオカさんにとある勉強会でお会いしたので、かくかくしかじかこんなこと考えてるんですよねー、とお願いしたら、快諾。
さらに、イシヤマさんに、かくかくしかじかこんなこと考えてるんですよねー、とお願いしたら、快諾。
さらにさらに、その場にいらした本学職員のさとゆうさんに、かくかくしかじかこんなこと考えてるんですよねー、会場借りられないですかねー、とお話ししたら「稟議書きます!」って。


でででで、広報部長のイタヤさんの予定を押さえ、こりゃー、S能OBOGの集いじゃけぇ(なぜ広島弁?)、イブニングダイアローグって名乗っちゃえ、と長岡先生にかくかくしかじかこんなこと考えてるんですよねー、とお話ししたら、快諾。


みんな受容力、許容力ありすぎ。


1月の終わりに、イシヤマさんとヨシオカさんのインタビューにうかがって、あまりにもお話しがおもしろくって、しかも、このときにはじめてヨシオカさんが4月からS能の学部で准教授になられる、ということをお聞きした。
なんとー!このステキすぎるキャスティング、あたしってばほんと天才かも、とちょっと鳥肌立ちましたwww


幹事団のツカハラさん、ナカヤマさんとは2月のアタマに一回リアルで打ち合わせを持ったけど、それ以外は全部メールのやりとり。
1回やってるっていう安心感もあったけど、お互い忙しくって全然時間が取れなかったということもあり、前日の夜まで、ワークショップの進行方法ではもめておりましたwww


で、当日。なんと36名の方が集まってくださった。正式リリースから1か月ちょっと。年度末だし20人集まったらすごいよねー、と思っていたらこんなに!!!



ヨシオカさんのお話しは何度聞いてもおもしろく、子どものころから一貫して「教える」ことに喜びを感じていて教師を目指していたとのこと。でも、家業を継ぐためにその夢は断念し、途中、様々なお仕事をしながらも、その仕事をしていくうえでいろんなことを学ばれている。特に仕事の段取り。


ステキなのは、キャリアの転機には周りの人の存在がある、ということ。
彼女に振られて失意&暇を持て余していたヨシオカさんに、ともだちが「俺、大学卒業するんだ」・・・なにそれ?大学?大学って大人になっても行けるの?・・・から進学したり、
通教のスクーリングの授業を担当していた先生から「次は講師控室で会いましょう」と言われ、本気で教員を目指した、ってくだりはほんと感動的。


これをイシヤマさんがキャリア理論的な見地からさらりと、しかも深く鋭く解説してくださるわけです。贅沢でしょ。


教師を目指すも、家業を継ぐ、廃業、大学進学・・・と不確実性にどう対応したか。Plannedhappen Stanceですね、まさに。
一貫して持ち続けている教師への夢や仕事、将来への段取り。ヨシオカさんご本人は「腹黒い」とおっしゃっていましたが、ノンノン、そんなことはないのだよ、とプロティアンキャリアやバウンダリーレスキャリアなんて理論を交えながらお話しくださる。


このイシヤマさんのミニレクチャーがほんとによかったのですよー。ヨシオカさんのキャリアと学びロードに深みが出て、しかも、参加されたみなさんが熱心にメモを取っていたりと、ちゃんと「学び」のしつらえになったのです。良質なインプットでした。


10分ほどの休憩をはさんで、いよいよ満を持して、ワークショップデザイナー育成講座修了試験も兼ねてツカハラさんファシリによる「一行コピーワークショップ」。
この仕立て、お題の出し方で散々っぱら揉めたわけですwww


(蛇足ながら、この10分の休憩、急きょ入れたんだけど、これがまたよかったんだよねー。ドリンク&フードコーナーでだれかれとなく交流、話が始まっていて、場がめっちゃ温まっていた)


一行コピーを作る。
テーマを
「ヨシオカさんにとって、キャリアとは○○のようなものである (なぜなら〜〜)」とするか
「キャリアとは○○のようなものである」とするか 
これで喧々諤々。


この一行コピーワークショップも、ツカハラさんのこだわりから生まれた。あたしは、ヨシオカさんの話を聞いて、キャリア論についてちょっと学べて感想交換、意見交換ができればいいじゃん、気づきや意味づけは個々でやればよい、それよりも、その場で多様な意見が出ることの方が重要、そのための仕掛けを考えたいって思っていたんだけど、ツカハラさんは、拡散/発散されるだけのワークショップではなく、ちゃんと収束させたい(合意形成と他者理解、なんつーめんどくさい言葉を使っておりましたが)と主張される。


それはわかります。


もやもやしっぱなし、ではなくちゃんとアウトプットしたい。


で、一行コピーワークショップを行うことにしたんだけど、お題で揉めた。


設計目線でいえば、「ヨシオカさんにとって」があった方がシャープになる。


でも、参加者目線になったときに、「なんで、あたしがヨシオカさんのキャリアについてメタファを考えるわけ?それっておこがましくない?」って疑問が沸いてきた。
「自分ごと」で考える。参加者が平等である。これがあたしがワークショップを行うときにいちばん意識していること。
キャリアについては、みんなが自分のキャリアでは主役だし当事者。だからこそ、ヨシオカさんの話を聞いて、それを自分に投影して考えるってことがだいじなんじゃん?と思って、あーだこーだと議論。


最終的にはMCのツカハラさん案で
「わたしたちにとってキャリアとは○○のようなものだ」に落ち着きました。
この問いの設定は苦肉の策だったかもしれないけれど、結果として非常に良かったと思う。グループで話す必然性、自分ごととして考えられる妥当性、どちらも充足していたように思う。


みなさんに作っていただいたコピーはこんな感じ。
チーム・高橋俊介


チーム・金井壽宏


チーム・マズロー


チーム・渡辺三枝子


チーム・クルンボルツ


チーム・シャイン


思いがけずに同じコピーが出たのもびっくりですが、おもしろかったのはその発表。「やりにくいったらありゃしない」とおっしゃるイナガキさんに対して「不確実性を味方にしなくちゃ」的なヤジが飛ぶ。こういう専門用語をおもしろおかしく使えるってのがMBAだよなー、となんだか嬉しくなっちゃったのねー。


どーでもいいことですがね、当日のグループは、せっかくなので、とキャリアにゆかりのある人、ってことで
シャイン、クルンボルツ、金井先生、高橋俊介さん、マズロー、渡辺三枝子先生の6グループ。名札には写真を貼りつけたりして凝ったのに、肝心の席札の仕込みをしないという落ち度(^_^;)
手書きでちょーてきとーな三角ふだをその場で作りました


(ほぼ無作為抽選だったにも関わらず、こんなに濃いぃグループが出来ちゃったことにもびっくりwww)


この会には2つの要素があって、
ひとつは「学び」の場
もうひとつは「交流」の場


学びの場としては「キャリア」ってものを考えたり、キャリア論をインプットしたりってことが実現できればいいなぁ、と思っていた。あとは事例と理論のリンケージ、みたいなことね。
そして、もうひとつは「交流」
いつもいろんな勉強会に参加させてもらっていて、そういう場で出会った人たちを網羅的にお招きするってこともできたけど、ここはあえて、大学院、本学関係者限にした。それはやっぱり原点が11月のOB交流会だったからだし、同じ学び舎でつらい思いも含めて一緒に学んだっていう原体験があるからこそ、ゆるやかながらもガチなトークができる、って思ったから。


とはいえ、あたしの中ではちょっと迷いもあって。
同窓会は苦手で、それはこれない人のメンタリティが気になっちゃうから、って話は以前にも書いた。加えて、ワークショップをやるとき、イベントを企画するときに気になっちゃうのは、みんな楽しんでくれたかな?ってこと。そりゃー、万人が100点をつけるようなスペシャルな企画なんてありえない。でも、やっぱり身銭を切って参加してくれる場なんだから、楽しんでもらいたいし、何かひとつでも行ってよかった、勉強になった、という感想を持って帰ってもらいたい。


キャリアは誰にとっても自分ごとになるテーマではある。人事系の人たちにとっては身近なテーマで関心も高い。けど、ファイナンスやマーケティング、R&Dなどを専門にしている人にとっては、キャリアぁ?ってな印象を持たないだろうか?ってな迷いもあった。
とはいえ、自分が主宰するには、ある程度のホーム感が必要だから、全く門外漢の分野で挑むよりは、ふむふむなるほどー、ってな分野の方が最終的には参加したみなさんへGiveできるものが多いと思った。でもやっぱり迷いはあるのだよ。いずれ、違う分野で企画してくれる人が出てくれたらいいなーと切に願う。


「交流」
長岡先生がちょっと興奮気味に「この会、すごくいい。この雰囲気を作りたい人はたくさんいるけど、みんな作れないで苦労している。悔しがるよ。」とおっしゃっていた。(若干意訳)


いわく、脱予定調和と言いながらも、予定調和に向かおうとする力学が働くけど、それが感じられない。参加者が思い思いに自由に、フリーダムすぎる感じでふるまっている。好き勝手、という表現がぴったりなほどに。それでいて脱線しそうだけど脱線しない。


この会のことを最初に長岡先生にお話ししたときに、絶対にクローズドでやるべきだ、とアドバイスいただいたけれど、なるほどそういうことか、と思った。
この会に集まった人たちには所属や仕事の内容は全く違うけど、同じ学び舎にいたという共通項がある。一方で、仕事の内容は似ていて思考/志向は近いけど、所属は違う人事系の集まり。ワークショップ慣れしていて場づくりを実践していて、さらには好奇心旺盛な人たちが多い後者の集まりで実現できないことが、なんで昨日はできちゃったんだろ?


これはツカハラさんのキャラクターが作用させた部分も大きいし、何よりも一度交流会をやっていたから、ここはホームだという前提や親和性がみなさんの中にあったんだと思う。
それでもあたし自身はリラックスして楽しんでいたかのように見えるだろうけど、こう見えてもかなり緊張していた。専門領域が違う人や、あたしなんて足元にも及ばないほどきっちりと学問、研究されてる人や、この人すげぇ!と在学中からその発言におののいていた人や通教生など、あたしにとって決してホームじゃない人もたくさんいた。何をやっても受け止めてくれるような丸の内界隈の人とはちょっと違って、学びにならないこと、自分にとって実益がないことには手厳しい人たちがたくさんいた。その緊張感もよかったのかもしれない。完全な温室ではなかったもの。


あと、長岡先生がおっしゃっていたのは「偉い人がいない」ってこと。スピーカーじゃなくても、○○先生がいる、となった瞬間に、その人に合う振る舞いをするようになるんじゃないか、ここまで自由奔放にはふるまわないんじゃないか。


そう、それにはこだわった。ステージに上がるのは身内にしたかった。修了生≒OBが登壇するってことがこの会の趣旨でもあり、だからこそ継続的に行えるって思ってた。



最後、長岡先生が、ひとつだけ注文をつけるとしたら、あえて最後はシリアスに終わること、とおっしゃっていた。
うひゃー、それはハードルが高すぎますよって。それだけの裏付けがないとシリアスな総括なんかできんもん。


とはいえ、MBAなんだもの、「楽しかったー」だけで終わっちゃダメで、何かひとつくらいは悶々としたり、次につながる問を持ち帰ることがだいじなんだろうなーと思った。


とにもかくにも無事に終了。
講師招聘料、会場使用料がゼロとはいえ、参加費1000円で十分すぎるほどの黒字にもなったし。
あ、この黒字分は次回の軍資金に回そうと思ってますが、次回まで管理できるか自信がないので義捐金寄付するかもしれません。


あらためて参加いただいたみなさん、第1回ゲストのヨシオカさん、イシヤマさん、長岡先生、飛び入りでご参加いただいた本家イブニングダイアローグの最終回のゲストだった藤岡さん、本当にありがとうございました!!!


次回は5月か6月。
ゲストスピーカーのスドウさんの予定とイシヤマさんイタヤさんの予定と教室の空き状況とあたしのやる気で日程が決まりますwww
次も愉しく怪しくがんばりまーす。



>追記
青学WSDの修了試験も兼ねていたツカハラ氏のファシリテーション。Facebookでイイね!を10個もらったら合格にしよう、と自ら高いハードルを課すツカ氏。結果は見事に10いいね!獲得。おめでとうございました。
そして、Facebookの新しい使い方も発見(笑)

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