わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

すごい決断をしたわけでも人生が変わったわけでもない

2024-05-19 07:48:59 | コトバ・ニッキ
今週の「虎に翼」を見ていて、書き残しておきたいと思ったので、書いておく。本当はこんなことやってる場合じゃなくて課題の締め切りもあるし、来週以降の授業の準備もしなくちゃいけないんだけれど。仕事も溜まっているし。

【虎に翼 ダイジェスト】第7週「女の心は猫の目?」【NHK朝ドラ公式】 - 虎に翼

【虎に翼 ダイジェスト】第7週「女の心は猫の目?」【NHK朝ドラ公式】 - 虎に翼

2分ダイジェスト動画がご覧いただけます

虎に翼 - NHK

 


未婚の女性である寅子にはなかなか弁護の依頼がつかない。女性であること、未婚であることがこんなにも社会的地位が低く信頼を得られないものなのか、という憤りと落胆。そして花岡がいかにも「内助の功」な婚約者と再登場したことによる、「女が男についていかなきゃいけないのか」問題。


わたしは40代になってから結婚した。仕事も楽しく、それなりの実績も積んでいて、仕事以外でもいろんな活動をして、東京でのシングル生活を謳歌していたから、結婚すると言った時の周りの反応は驚きであふれていた。まさか!びっくり!なぜ???の嵐(笑)


本人は至ってシンプルに決断した。決断ってほどではなく、流れるように、まるでそうなることが必然だったかのように。


けれど、どこかで「既婚」というカードが欲しかったのかもしれない、と思っている。
「負け犬の遠吠え」がベストセラーになった頃、生粋の「負け犬」だったわたしは、その時の生活になんの不満もなかったけれど、不安は確かにあった。病気をしたことで将来の選択肢が狭まったのは事実だし、なんの根拠もなく思っていた「元気でいれば何をしたって生きていける」の前提にあった「元気」が揺らいでいたことも事実。誰かに頼りたい、とは思わなかったけれど、仕事(というか組織の中の立ち位置)で行き詰まりを感じることもあったし、世間の目もそれなりに気にはなっていた。そう、寅子が言うように、未婚であることが未熟と捉えられてしまうことをひしひしと感じていた。バツイチの方が未婚よりもステイタスが高い、そんな空気さえ感じていた。


昔からあまり世間一般の「常識」に当てはめて進路を迫ることをしない両親だったけれど、30代の中盤以降は「結婚」に関するプレッシャーも皆無になっていた。
お墓参りにお寺に行くと、お寺の奥さんから「子供がいつまでも結婚しないのは親の責任だ」と言われてたみたいだけど。家を守っていくお寺だからこその発言なのかもしれないけれど、結婚して家族をつくる、子孫を残すことを望んでいるのであれば、黙って口を出さないのは美徳でもなんでもなく、見合いをさせるなどのレールを敷くことも親の役割よ、ってことが言いたかったんだと思う。
ただ、ある時ふと、「どんな生き方でもいいけど、ともに歩む相手がいてくれたら、と思う」と言われたことがあった。「結婚しなさい」よりもそれは胸に響いた。だからと言ってその時は、結婚しようだなんて1ミリも思わなかったけれど。


それからしばらく経って、縁があって結婚することになった。
東京から遠く離れた福岡の人で、いずれは家業を継ぐことになるだろうことはわかっていた。条件を考えればベストな選択ではなかったのかもしれない。転居しなければならないし、今の仕事も続けられない。同じような仕事が福岡で見つかるとも思えない。けれど、先を考えて思い悩むようなこともなく、サラリと退職して福岡に来た。(ま、辞める≒引き継ぐのはそれなりに大変だったし、持ち家のマンションもあったからやることがたくさんあって大変だったけど)


そして、福岡に来て10年が経った。東京にいた頃の知り合いに会うと「すごい決断だったよね」とか「(結婚で)人生変わったよね」と言われる。


すごい決断だったのか?と言われると、「はて?そうかしら?」となる。多分、いろいろ変えたい時期だったんじゃないかしらと。住む場所と仕事が変わって、生活が変わることで何かを変えたかったんじゃないかしら。何を変えたかったのかはわからないけど、生来の「このままじゃいけない気がする」病をこじらせていた頃だったのかも。


人生変わったと言われることには強烈に違和感がある。確かに、住む場所も変わった。仕事も働き方も変わった。生活のスタイル、リズムも変わった。けれども、どこでどんな生活をしていようと、わたしの人生は続いていて、どんな人生であったとしてもそれは「わたしだけの人生」なのだ。だから、結婚によって人生が変わったと言われると、「はて?」と思ってしまう。生活は変わったし、キャリアも変わった。けれども人生が変わったわけではない。きっとこうなるようになっていたんだと、そう思っている。そのきっかけ、ターニングポイントが結婚であり、福岡に来たことだっただけなのだ。


もちろん、この人とだったらきっと楽しいはず、という確信があったことは間違いがない。それがなかったら来てないよ。そして、今の生活は東京にいた頃には想像もしていなかったけれど、すこぶる楽しい。小さな心配事はあるけれど、大きな悩みも大きな不安もなく、安心して暮らせる毎日は本当にありがたい。


はるさんが寅子に言う
「理由はどうあれあなたが結婚する決断をしてくれたことが嬉しい。あなたにも生涯を支え合う相手が必要」。
同じことをきっと両親も思ってくれていたのだろう。家族が増えたことを何よりも喜んでくれている。それは本当にありがたく、幸せなことだとしみじみ思う日曜の朝なのである。


さ、仕事しよ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すこぶる非生産的で地味だったけどこれはこれで悪くない

2024-05-06 22:51:49 | コトバ・ニッキ
今日で連休も終わり。


あと1週間もすれば連休だね、っていう時期にまた腸閉塞になってしまった。どうしても入院したくなくて、家でひたすら寝て、時折氷で喉を潤す、を繰り返して、やっと固形物(と言ってもやわやわのうどん)が食べられる状態になったのが連休直前。もともと旅行などの大きな予定も立てていなかったのは不幸中の幸い。いろいろとやっておきたいこと(主に勉強方面)があったけど、これはもうとことん休め、ダラダラしろ、という神の思し召しと思って、気合を入れてダラダラすることにした。


ちょうど倒れた頃に編集学校「破」コースがスタートした。いきなり怒涛の課題メールがやってきて、あぁああ、体調が今ひとつだと文章読むのもしんどいし、「はじめまして」の人に感じのいいメッセージを送るってことが非常にハードルが高くて開始早々躓く。思えば「守」コースのスタートも療養中だった。「破」ではお題の難易度も上がるし、再回答が必須なの???まぁ、ダメだしの連続だから再回答しなきゃダメだよなぁ、でもしんどいなぁ、となかなかやる気が出ないまま、ヒーヒー言いながら課題に取り組んだ。まぁまぁ締め切りには遅れているけどね。



連休前半は、テンジン大学の授業に参加して(あぁ、これもちゃんとリフレクションしておきたい)、せりかさんとすなちゃんに会ってちょっと元気もらって(久しぶりの街へのお出かけだったので、ものすっごい疲れた)、絵本の泉に参加して、自動録画されていた「素直になれなくて」を見て、Zeppに岡崎体育を見に行った。スタンディング2時間、「観客のボルテージは最高潮に達した!」で一緒に飛び跳ねられたし、徐々に体力は回復してきたみたい。ライブも最高に楽しくて、一生懸命楽しませよう、一生懸命楽しもう、としている姿はほんといいよね、元気になる。



(今回のテンジン大学は赤煉瓦文化館)


連休の谷間はいくつか新しい仕事の打ち合わせをして、いつも通りの月末月初を過ごして、キックボクシングとパーソナルトレーニングを再開した。割といい感じに動けるようになっていたのに、ぜぇぜぇはぁはぁ、ひどいものだった。せっかく腹筋も割れ始めていたのに元通りですよ。筋肉も裏切るらしい笑


連休後半は、倒れる前にインタビューした記事を最終納品して、月次決算の前準備をして、キックボクシングのレッスンに3回行って(4日しかないのに3回も!)、編集学校の課題が全然できなくて(難しいのよ、ほんと。泣きそうになってる。)、いくつか仕事の資料を作って、念願叶って真次郎と大濠公園に散歩に行って、柏餅食べて、ネイルの付け替えに行って、終わった。




驚くほど出歩いてないし、絵日記に書けるような派手なことは何もなかったけど、あぁ、でもこれはこれで悪くない、って思う。ここ最近のわたしにしては珍しく本も読んだし。必要に迫られて、ではあるけれど、メモをとりながら割と真剣に読めたのは、思考が元気になっている証拠かもしれない。




旅行に行ったり、ボランティアに行ったり、人と会ったり、美味しいものを食べたり、作ったり、、、SNSを覗くと色とりどりで華やかなゴールデンウィークを過ごしている人たちがたくさんいる。それと比べてわたしったら、、、と思わなくもないけれど、退屈だー!なんて思うことはまったくなく、それなりに過ぎていった。派手なことは何もなくても、穏やかに日常が流れていくのも悪くないし、こんなふうに過ごせるのは幸せなことなのかもしれない。


大澤会長曰く、次の祝日は7月15日。あと10週間もあるんだって。次の祝日までには元気になっていたいなぁー。もりもりごはんを食べられるようになっていたいなぁー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

応援団軍師〜4月の孫子女子勉強会のこと

2024-04-26 07:07:48 | オトナの学び
会計士の田中先生が主催する孫子女子勉強会。先月は放課後タイムからの参加につき、2ヶ月ぶりに本編からの参加となりました。
が、あいにくというか、なんというか、前週に腸閉塞を発症してしまい、体調最悪な状態。体力がなくなると気力もやる気も集中力も思考力も何もかもが低下する感じ(あくまで自分比)。まぁまぁ、フィジカル的にはしんどい状態だったので画面オフにして横になりながら、ふむー、とか、そうかー!とか、それいい!とか独言ておりました。




孫子の兵法の一節にあるこちら。



めちゃくちゃざっくり意訳すると

 自分のことをちゃんと知ることが大事、それだけじゃなくて相手のことを知らないと勝てないよ
 勝負には地形や天候なども左右するから情勢もちゃんと見極めないと

なことを言っておられます。これはめちゃくちゃ納得。わかりやすい。


前回の勉強会で「正しい自己評価(自己認識)」の話が出ていたり、イベント「フリーランス塾はじめの一歩」でも、自己評価を正しく行なって強みを活かしつつも足りないものを補強する(これは自らが努力するという意味合いもあれば、他者の力を借りるという意味合いもあれば、勝ち目のある領域を狙うと言う意味合いもある)といったお話がされていたけれど、自分のことって意外とちゃんとわかっていない。強みも弱みも今置かれている環境も含めて客観的に自分のことを理解するって本当に大事だ。けど、難しい。


そして、「彼」=競合を意識することも大事。ただ、どうしても「己」と「彼」にばかり目が向いて「天」と「地」に目が向かなくなってしまう。地形や天候、つまりは情勢を正しく見極めること、それはビジネスを行う上でとても重要なことである。


というのがわたしの理解であったのだが、今回の勉強会では「!!!!」と目から鱗が剥がれまくり、そうだったのかー!と感動すら覚えたのですよ。
そして田中先生、かっこいい!


田中先生は「サービス業は60歳から!」と力説されていましたが、それは、

自分が中心で何かをやろう、と思うのではなく、やりたいことがある人ややりたいことがあるけどどうしたらいいかわからない人、これとこれをくっつけたらもっと面白いこと、世の中に役立つことができるんじゃないか?ってことをサポートできるようになるのはやっぱり歳を重ねてこそ、歳を重ねたからこその人脈や情報、術があるし、信頼も生まれる

ということで、これからはそういう役回りで行こうと思っている、っておっしゃってた。かっこいい。


つまり、「天」や「地」は自分にとっての「「天」や「地」ではなく、相手(彼)の「天」や「地」。そして相手(彼)は競合ではなく、支える相手。これからの未来を一緒に作っていく実働部隊のことなんだ。そして歳を重ねた者にできること、やることは、そうした若者たちを支援することなんだ。



(多分、絵にするとこんな感じ)


いい年になってきているのに、いまだに30代前半くらいの若造マインドが抜けきれなくて、学びたい、体験したい、この経験を活かしたい、って思っちゃうけど、そうだよなぁーこれからは支援する側(支援という表現はどうにも上から目線であまりしっくりこないのですが)なんだよな、そしてサポートできるだけの術や人脈、情報を持ち合わせていることが本物の大人の姿なんだよな。


フィジカル絶不調で、それに引っ張られて気持ちも不調気味になっていたけれど、いやはや精神にきく良薬を頂戴した感じ。放課後タイムのゆるやかで楽しくカラリとしたお話にも癒され、徐々に徐々に回復中。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

訪ねていきたい人がいる、訪ねていきたい場所がある

2024-04-16 21:47:11 | コトバ・ニッキ
つい先日、北陸新幹線開業に沸く福井に行ってきた。ついでに今年の大河ドラマの舞台でもある。越前国守となるのはもうちょっと先の話っぽいけど。


福井駅から程近い「わおん書房」にいきたかったから、というのが福井行きの理由。

TOP - わおん書房

TOP - わおん書房

わおん書房はJR福井駅から徒歩6分ほどの商店街にある小さな新刊書店です。コンセプトは『暮らしの中に「!」を』。児童書とアート本を中心に、お客様が「!」(驚き、感動、...

わおん書房

 



それなりの時間と交通費をかけていくのだから、あちこち観光すればいいじゃん、せっかくなんだから泊まって福井グルメを堪能してくればいいじゃん、とわたしもそう思う。けど、今回も安定の日帰り。


昔から、目的地に直行して観光もせずに名物も食べずに帰ってくる、という移動をしていたけれど、進次郎が我が家に来てから、そしてコロナ禍になってからは拍車がかかっている。せっかくだから、あちこち見ておきたい、と思う気持ちもあるけれど、一点集中とばかりに行きたいところに行く、会いたい人に会う、っていう移動(旅)がわたしにとっては最高の贅沢で、最高の旅なのだ。


わおん書房は福井駅ほど近くの新刊を扱う小さな書店。店主のたかこさんがセレクトした児童書やアート関係の本が充実していて、たかこさんのあたたかなセンスに満ち溢れている場。本ってどこで買っても内容は同じ。けど、違うんだよなぁー、どこで、誰から買うか、って大事なんだなぁーってわおん書房に出会ってからことさらにそう思う。とはいえ、ついついAmazonでポチっとしたり、街の大型書店で買ってしまっているけれど。

 
今年は、何かをやりたい人を応援する場でありたいというたかこさんの思いもあって、何かやってみたい人にカフェスペースを開放して小さなワークショップや展示などの催しを行っている。ぉおお、これは!「何かやる」を口実にしてわおん書房に行こう!と、日程も決めずに「何かやりたいですー!」とエントリー。あれこれ予定を調整して、行ける!行けそう!な日を設定してグラレコミニ講座を開催させていただきました。


朝、博多を経って、新幹線開通で巨大になった敦賀駅から在来線に乗り換え、越前市へ。


この乗り換えが物議を醸しているらしくて、サンダーバード車内にはこんなお知らせが。サンダーバードのホームが鬼門で、エスカレーターの本数が少ないから、新幹線→サンダーバードへの乗り換えはエスカレーター待ちの長蛇の列。荷物が少なければ階段でサクサク移動できるけど、これ、旅行者やお年寄りは大変だろうなぁ。




武生駅の待合室にある立ち食いそば屋さんでお蕎麦を食す。この立ち食いスタンド。1畳ほどの小さなスペースで、おん歳80歳近い(もしかしたらもっとかも)おばちゃんが一人で切り盛りしている。腰が90度くらいに曲がっていて、湯切りをするのもしんどそうに見えるけど、いやいや、シャキシャキとオーダーを取り、さっと提供して、戻ってきた丼を洗って、と流れが本当にスムーズ。このおばちゃんの動きを見るだけでも価値がある。しかもかけそば350円よ。たっぷりの鰹節とちょっと粗めに刻んだネギが素朴で美味しかった。


シャトルバスに乗って大河ドラマ館を見学。スタッフは慣れていないながらも、おもてなししようという気持ちが溢れていたけど、いやいやちょっと過剰では?という気もしなくもない。肝心の展示は、うーん、大河ドラマ館ってこんな感じなのかな?ちょっと肩透かしな内容。内容は更新されるのかしら?宇治や石山寺でも開館しているらしいので、機会があったら行ってみよう。


 

駅まで1.5キロくらいなので帰りは歩くことに。公園のすぐ脇にあったおしゃれな文房具店で思いがけず散財。聞けば老舗の文房具屋さんの新業態のようで2周年なんだとか。このペンの陳列とか素晴らしすぎない?





駅までの道は昭和初期、もしかしたらそれ以前の古い建物が立ち並んで、それは風情がある。日曜だからなのか軒並み閉まっていて、人通りもまばらなのがちょっと物悲しくもあったけど、時折行列ができているレストラン(食堂)があったり、駅前のガラス張りのカフェは階段上になっているテラス席が気持ちよさそうだったり、歩いたからこそ見える景色はなかなか面白かった。


新幹線が開通した福井駅は1年前に行った時とは様変わり。お土産が充実していて、ワンダーランド!これは楽しい!
でもお土産は羽二重くるみ一択だけどね。




わおん書房に到着後、講座の準備をしながら美味しいチーズ屋さんの新作チーズケーキをご馳走になる。ゴルゴンゾーラといちじくの相性が素晴らしすぎて、悶絶。あぁあああああ、ずーっと食べていたい!って思えるお味でした。





グラレコ講座にはたかこさんのお友達や、わおん書房のお客様、フリーランス塾のイベントに参加されていた方など、お友達のお友達はみんなお友達だ、な温かな繋がりを感じられて、もうそれだけでほっこり胸熱。
あっという間の90分。初めて描いたって方ばかりだったけれど、みなさんがとっても楽しそうにペンを走らせて、思い思いに豊かに表現してくださっていたのがとっても良かった!(語彙がw) あぁ、やっぱり、わたしには楽しく描く人が増えることが喜びなんだよなぁ、と再確認できて、だから講座をやるのが楽しんだなぁ。


皆さんで、とお持ちくださった山中温泉のお饅頭をいただきながらあれこれおしゃべりして、帰りの道中で読もうとこちらの2冊をいただいて、名残惜しいなぁー、さみしいなーと言い合いながら、わおん書房を後にする。





「ここにあるお弁当、全部3割引でいいよ」と言うおじちゃんに後押しされて、蟹がたっぷり入ったお弁当を買って、北陸新幹線に乗り込み、鬼門の敦賀駅乗り換えを無事にクリアして、京都の乗り換えは安心感があるねーと余裕かましてホームでコーヒーを買ってたら危うく乗り損ねるところだったというネタも。コーヒー抽出するのに2分近くかかるんだもの。いやはや。


また行きます、そう遠くないうちに、きっと。
わたしにとっての旅は、会いたい人に会う、行きたい場所に行く、シンプルなことなんだ、と再認識した1日でした。
たかこさん、ご参加のみなさん、本当にありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分のスキルが誰かの役に立つなら、そうやって使っていきたいよね

2024-04-03 22:00:06 | グラレコ


昨年、お友達のもといわさんが立ち上げられたグレイヘアフェスのクラウドファンディング。何かお手伝いができないかなー?とリターン品にプロフィールグラレコはどうかしら?と提案して採用いただいた。支援をいただけて成立、無事に全員分を納品できた。


依頼されてプロフィールグラレコを作成すると、完成に至らないケースがある一定数ある。自分の過去に向き合って辛くなってしまうのか、わたしが出したものがお気に召さないのか。後者なんだろうな、と思うとわたしも人の子ですから、それなりに凹む。画力や編集力は精進するほかないのだけれど、返事がないままフェードアウトするケースもあれば、「ちょっと忙しくて自分に向き合えない」とお伝えいただくケースもある。それがずっと辛く苦しかった。わたしの時間やお金はどうでもいいけれど、作って欲しくて依頼したのに完成できない、ってことに対して申し訳ない思いや疑問、消化不良感をずっと抱えていた。


なので、あまり表立ってサービス提供をしてこなかったのだけれど、それでも作って欲しいというお声を度々頂戴する。この声には応えたい。けれど、完成できない辛さや申し訳なさはもう味わいたくない。
どうやったら解消できるんだろう?そうずっと考えていた。


ちょっと話は変わって。人生後半戦に入って、そろそろお返しする番になったんじゃないの?って気持ちが芽生え始めている。自分のこれまで培ってきたことを仕事として頑張るのではなくて、何か別の形で還元するってのもアリじゃない?と思い始めた。
実家の母は50歳を超えた頃から、地域でボランティア活動を始め、点訳を始めたりと、それはそれは楽しそうだった。今でも小学校の支援級の介助ボランティアは続けていて、楽しそう。そんな母を見てきて、わたしもそうした活動にシフトしていきたいな、と思い始めていた。


この思いが合体。


これからは依頼され対価をいただいて描くのは辞めよう、ボランティアとして描こう、公式に表立って提供することはやめてクラファンのリターン品のような形で提供しよう、そう決めた。


自分のスキルが役に立つ。プロフィールグラレコを喜んでもらえて、プロジェクトにも貢献できる。まさに三方よし。こういう活動をこれからは増やしていきたい。そんなふうに思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年最初の3ヶ月絵日記

2024-03-31 21:21:17 | コトバ・ニッキ


ここ数年恒例となっている3ヶ月絵日記。記憶が正しければ2016年からやっている。
3ヶ月分を10数コマに凝縮するわけだからまぁまぁ濃密な感じで描き残せるし、何よりもこの3ヶ月に何があって、何をして、何を考えたのか、ってことを振り返るよい機会になっている。
楽しかったことや、うぇーい!ってことしか描き残してないから、めちゃくちゃポジティブ。自分のことだけど、うわー楽しそう!ってなるのもいい感じ。(自画自賛)


この形式で行うかどうかはさておき、ポジティブな振り返りはこれからも続けていこうと思っている。


そして、2023年12月21日からブログも毎日書き続けた。今日で101日連続ですって。もちろんめちゃくちゃ薄い日もあれば、ものすっごく深く考えて書いた日もある。一応、公開しているものではあるけれど、誰かに読んでもらおう、とはあんまり思ってなくて、思考と感情のデトックス的要素が強い。大きなイベントが終わった時や、伝えたいことがある時は、誰が読んでも伝わるようには心がけているけれど、自分のために書いている日記を誰かが読める状態にしているに過ぎない。読者を増やそうとか、ページビューを増やそうとか思わず、デトックス、ログ的に書き残すのがわたしには性に合っている。


ただ、誰に約束しているわけでもないけれど、毎日書かなきゃ、読まれてもOKな内容にしなくちゃ、というプレッシャーは少なからずあるので、ちょっと向き合い方を変えようと思う。


このブログはこのまま残して、公に読んでもらいたい時には「記事」として書いて、日々の徒然は別の場所で残そうと思っている。
ひとまず101日間続けられたわたしに「おつかれさま」と言って3月を締めよう。
おつかれ、わたし!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎はやっぱり今日も雨だった〜長崎県美術館でライブ

2024-03-30 22:33:18 | ライブ・イベント
年度末、世の中はバタバタと忙しく過ごしている中、長崎までヒョイっと行ってきました。リレーかもめに乗って博多から1時間半。近い近い。あんまり本数がないのと、同じホームとはいえ途中で乗り換えなきゃいけないのがちょっと残念だけど、この距離感はありがたい。半日がっつり仕事してから移動して、夕方に長崎着。ちょっと遅めのランチ(早めの夜ごはん)に長崎名物トルコライスを食す。ボリューム満点すぎてわたしの胃腸がしんどそうだったけど、ナポリタンのソースがこってり濃厚で美味しかった!


今日の目的は、キョンキョンが作ったユニット「黒猫同盟」のライブ。長崎県美術館のエントランスホールで20時半スタートという、なんとも珍しい形式。夕方までがっつり仕事してからでも行けるじゃん、とチケットを取った。さすがに日帰りはできないから泊まって翌日の朝に帰れば、なんの支障もない(犬のごはん以外w)。


黒猫同盟は、ベーシストの上田ケンジさんとキョンキョンが作ったユニットで、ポッドキャストに使う音楽がない、じゃ、作っちゃえばいいじゃない、ってことで作ったそう。お互いにちょうど黒い保護猫を迎え入れた時だったので「黒猫同盟」。猫の視点で言いたいことを歌っちゃおう、っていう詩があったかくて可愛くって、時折ドキッとして、核心をついてていい。

黒猫同盟 | ビクターエンタテインメント

ビクターエンタテインメントによる黒猫同盟公式サイト。黒猫同盟の最新情報、ライブ情報などを掲載。

ビクターエンタテインメント | Victor Entertainment

 



長崎美術館のエントランスはガラス張りで、遠くに稲佐山が見えて、港の船(軍艦?)も見えちゃったりして、とっても非日常。普通のホールではあり得ないロケーションって、最高のステージセットだなぁ、って思った。美術館のエントランスですから、音響もそれほど良くはないし、照明もステージセットもシンプル。シースルーエレベーターに乗って1階まで降りてきてステージに向かう様子も観客から見えちゃう。バリバリに作り込まれたエンターテイメントとは違うけれど、バンドメンバーは技巧派ばかりで、音の安定感たるや!大人が集まって最高に楽しく遊んでる感じがとっても心地よくて楽しかった。


キョンキョンはやっぱりかっこよくて可愛くて、「かわいいー」の声に「もうそういうのお腹いっぱいなの、他の掛け声ないかな?」「最近は長生きしてね、って言われるの」ってさらりと言っちゃうのもかっこよくて可愛い。つやつやしたお肌に、満面の笑顔。アイドルってこういうことだよね、って58歳のキョンキョンを見てもそう思う。


大御所と言われてもおかしくない年齢、キャリアだけど、面白そうなことを面白がりながら、新しいことをやってるキョンキョン。しかもいい感じで力が抜けているのもいい。そして誰かのお膳立てで立っているんじゃなくて、自分で選んで、自分でやってる感じがまた素敵。こんなふうに歳を取りたいし、キャリアを重ねたい、って思ったよ。


いやはや、長崎は今日も雨だった、と内山田宏とクールファイブも歌っているけど、この日も大雨。ってか暴風雨。長崎は何度か行ってるけど、いつも雨。高校の修学旅行も雨だった気がする。傘さしててもずぶ濡れ。けど、終わった時には雨も上がって、夜風を受けながら駅までてくてく歩く時間もまたよかった。いつか晴れた長崎にも行ってみたいなぁー。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独立開業のその先

2024-03-29 23:25:35 | カイシャ・シゴト
先日、会計士の田中先生が主催するフリーランス塾のイベント「はじめの一歩」に参加(視聴)して、感動というか衝撃というか、とにかくすごい!!(語彙がw)な感想を抱いたのですが、それはかねてより不思議だなぁ、って思っていたことの一つの答えを見た感覚だったからなのです。


サラリーマンを長くやっていると自分で稼ぐ力がつかない、とか、人生100年時代、定年後も楽しく過ごすためには自分で仕事をすること=フリーランスになる、とか、なんというか、ずっと組織に属しているのはあんまりよろしくなくて、どこかのタイミングで独立したり、独立しなかったとしても副業っぽいことはやった方がいいよ、という論調が昨今では強い気がしている。


昭和のサラリーマン体質、気質のわたしとしては、組織の中でいろんなしがらみや葛藤を抱えながら働き続けるって尊いことだと思っているんだけど、昨今は、そういう働き方は「古く」て、いつまでも組織にしがみついてるなんてナンセンス!と言わんばかりに独立開業を薦められる。もちろん、フリーランスマインドというか、自分の手で稼ぐってことは大事だ。けど、独立礼賛な感じはちょっとなぁ、、、と思っていたのです。


そして、独立したとする。多くの場合は個人事業主として活動をする。法人を立ち上げる人もいる。けど、なんていうのかなー、その先が見えなくて、もやっとしていたのです。


法人化する、ということは雇用が発生する。もちろん1人でも法人は作れるけれど、仲間がいて、組織ができる、継承していく。それこそが法人の醍醐味なんじゃないかと思うのですよ。(これまた偏見、バイアスかかってるかも、だけど)


この、雇用して拡大する、ってところまで考えて独立、起業する人ってどのくらいいるんだろうな?っていうのが長年の疑問でした。どのくらいまで拡大するのか(人と金の両面で)、そして拡大した先の継承はどう考えているんだろうな、っていうのが素朴な疑問でした。ある程度の年齢になって一人で立ち上げて、一人で運営している会社って、その人が引退(仕事を辞める)=会社をたたむ、ってことなのかしら?と。継承していくこと、続いていくことも企業の役割だと思っているので、なんだかちょっともやっとしていたのです。


でも、今回のゲストのスハラさんは違った。もともと商売(自分で何かやりたくて)をしたくて会計士になり、起業を目的にしていたから、どんなネタで起業するのか、起業するにあたって足りない力は何か?を客観的に見極めながら転職して、起業した。
そして、起業した会社をどんどん大きくして、ついには上場まで。そしてご自身は、完全に後進に引継ぎ、別の会社のCFOとなる。CFOになったのも、社員に「こんなキャリアがある」という背中を見せる意味合いもあったとか。すげー。


みんながみんな、上場するような会社を立ち上げなくてもいいし、小さく事業を展開していくのだってあり。けど、どうしても独立することがゴール(目的)になってしまって、その先が描けていないような気がする。いや、ミッションとかビジョンとか、事業としてのやりたいことはあって明確に描けているんだけど、それを動かす組織をどうしていくか?まで考えがが至らないというか、別次元のもの、として捉えているように思う。よしんば上場が目標、といったように規模を追求していったとしても、継承までは視野に入れてないケースが多いんじゃないかしら。


企業経営をしていると継承は切実。これから先どんどんと少子高齢化が進んで働き手が少なくなってくるから、継承はほんとに切実。立ち上げるのは勢いでできても、続けていくこと、引き継いでいくこと、は本当に大変だし、難しい。それをやり遂げてる人がいる、ってことに気づいて、これまで会社を大きくしようだなんて1ミリも思ってなかったけど(継承は結構切実に考えてたけど)、心を入れ替えようかしら?と1ミリくらい思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年度末というだけでなんだかやり残した感が出てくるの、なんでだろう?

2024-03-28 23:42:44 | コトバ・ニッキ
年度末ですね。
当社は決算月ではないので、そんなに忙しくはないはずが、年度更新やらいろんな申請や切り替えやら、取引先の決算やらでなんだか忙しない。そしてそれ以外の仕事でも相手の異動や退職、転職などで引き継ぎ終わるまで/後任決まるまでストップしちゃったりして、忙しいんだか暇なんだかわかんない。4月に入ってしばらく経つと、急ぎでお願いします、だったり、いついつお願いできますか?といった「どうせなら3月中に言ってくれればいいのにね」っていう依頼が入ってきたり、なんだかバランス悪い。まぁ、仕事は相手があってのことだし、決算や年度の切り替わりなどなんらかの節目や締めは必要だから仕方がない。


仕事相手や取引先の異動、転職、退職といった変化はあるけれど、わたし自身は年度が変わることでの変化はあんまりないし、子どももいないから3月→4月の節目感もあんまりなくて、3月31日と4月1日は地続き。けど、周りが忙しないせいか、のんびりしているのが申し訳な息分になっちゃうんだよね。毎月、月次決算の資料を出して締め終わると(大抵25日以降)ちょっと暇になる。もちろん日々の業務はあるけれど、ピークを超えるのでホッと一息。今がその時期で、余裕があるからのんびりしたっていいはずなのに、なんだか後ろめたい。サラリーマン気質が抜けないみたい笑


あとね、年度末、期代わりのこの時期はなんだか、何かをやり残したような気がしちゃって、わけもなく焦る。小さな積み残しは多分たくさんあるんだろうけど、致命的な何かはないはずなのに、焦る。これもまた、年度末あるあるなのかもね。


やり残したっていうのとはちょっと違うかも、だけど、もう20年くらい前の話。天職だと思っていた仕事(部門)から異動することになった。青天の霹靂。わたし以外にこの仕事ができる人はいないって不遜ながらに思ってたし、誰よりも思い入れを持ってやっていたから、本当にショックだった。とはいえ、美意識もあるから引き継ぎは完璧にしたくて、綿密な引き継ぎ書を作って後任に引き継いだ。そして4月1日には新しい部署に異動した。
なんかね、この時、本当に寂しかったんだよね。3月31日までの日数を数えて、あぁああ、あと○日しかない、、、とどんよりしてた。戻れることなんてないのに、異動は何かの間違いでそのまま残ってくれ、って言われるんじゃないかとすら思ってた。サラリーマンにとって異動はつきものだけど、その時に、偉くならないと自分のやりたい仕事はできないんだな、って痛感した。どんなに実績上げてても、評価されていても人事異動には敵わない。本当にやりたい仕事をするなら偉くならなきゃ、って思った。当時は独立する、っていう選択肢はものすごくレアなことだったし。こんな思いはもうしたくないな、って痛感したよね。結局、半年後には会社辞めて、好きな仕事に就いた。(その仕事も1年くらいで辞めちゃったけどw)


年度末になると、この時のことを思い出す。好きな仕事を取り上げられる悲しさ、悔しさ。もちろん、人事には理由があってのことではあるけれど、そう簡単には切り替えられなくて、辛い春だったよなぁって。この時期がちょっと苦手なのはそんなことも関係しているのかも。


今はこの時期がそんなに苦手じゃない。変化がない生活をしているからなのかもしれないし、年を重ねて何かが変わったのかもしれないし、その理由はよくわかんないけど、苦手なものが少なくなるのは悪いことじゃないもんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選択肢が違いすぎる 都会と地方の間で

2024-03-27 22:14:52 | コトバ・ニッキ
つい先日、甥っ子(オットの弟の次男)の入学祝いを届けに行った時のこと。
オットの弟はとても若く結婚して子どもを持ち、そんな子どもたちも一番上のお兄ちゃんはもう20代も中盤でバリバリと働いているし、二番目のお姉ちゃんも高校生で海外に行きたい、という希望を持つまでに大きくなっている。


二番目のお姉ちゃん(姪っ子)が、ワーキングホリデーを活用しながらオーストラリアに行こうと思っている、という話を聞いたのが今年のお正月。そのために一生懸命アルバイトをして旅費を貯めているとか。それは素晴らしい経験だし、やれるならやっておいた方がいいよね、となんとも頼もしく思っていた。
折からの円安やなかなかビザが降りないなど様々な困難もあって、ワーホリではなくて語学学校への短期留学をすることになったそうで、5月には出発するんだとか。現地で受け入れてくれる人が見つかったり、話をしたりとバタバタバタと決まったのがつい先週、というくらいのスピード感。当初の予定よりは相当短くなってしまいそうだけど、それでも若い頃に違う環境で暮らす経験、それも親と離れて一人で、っていうのはとても得難いものだから、おばちゃん全力で応援する。


そんな話をしていた時に、弟さんがポツリと、「福岡市内にいるから留学とか、いろんな選択肢がある。俺らの頃には考えられもしなかった」と漏らした。もう完全に引き払ってしまっていてお墓とお寺があるだけだけど、オットの実家はお隣佐賀県の原発がある町のすぐ近くの山の中。小学校も中学校も町に1つだけ、という環境で育って、進学も近くの通えるところで、就職するときは街を出たもののそれでもやっぱり選択肢は少なかったそう。


そうなんだよね、都会と地方の格差、みたいなことが言われているけれど、やっぱり圧倒的に違うのは選択肢の差だと思う。


福岡のような地方の都市であれば、高校も大学もある程度の選択肢があるし、仕事も選べる。(もちろん状況や環境によっては選べない人もいることは承知している。)福岡にいたからいろんな情報、選択肢に触れて「留学」が現実的になったんだと思う。けれども、ちょっと離れた“地方”に行くと、県立以外は認めない、とか、手に職つけるために商業科や工業科、といった選択肢しか無くなっちゃう。そんな環境の中にいるから「留学」って言葉は知っていても、よもや自分たちがそれを選択する、なんて選択肢は持っていない。そういうこと。


テレビやメディアからの情報で言葉は知っているし、そういう選択肢があることも知っている。けれどもそれはテレビの世界の話であって、現実の自分たちの住む場所で起きていることではない、っていう感覚。


やっぱりね、格差ってあると思うのよ。格差っていうほどきつい、強いものじゃないけど、差はある、明らかにある。


くだらない例えかもしれないけれど、東京ドームなどで行われる外タレのコンサート。SNSには「行ってきた、素晴らしかった!」な投稿が溢れている。その外タレのことが好き、いわゆる推しってわけではなく、東京にいて自由になるお金と時間があって、見られるのは貴重だから、というプライスレスな経験を得に参加しているんだろうな、と思って拝見している。これ、やっぱり東京にいる人の特権、メリットだと思うんだよね。わたしもビリージョエルやテイラー、クイーン、ブルーノマーズは見たい。けど、飛行機代、宿代、仕事の調整、留守の調整をして行けるか?って言ったらやっぱり行けない。諦めると思うんだよね。(ま、晃司は諦めないですけどねw)東京にいたら「行ってみたいなー、行っちゃうかなー」くらいの軽い気持ちで見にいける。これが地の利、メリットなんだろうな、って思う。本物に触れる機会が格段に違う。


東京にいてそういうメリットを享受してきたからこそ、余計に強く思うのかもしれないね。
けど、やっぱり東京にいる、ってのは何ものにも代え難いメリットなんだと思う。


美術をやっている従兄弟(当時は神戸在住)が、今から20年くらい前に東京で個展を開催した時にやっぱりポツリと言っていた。


関西でも仕事はできるし、見てもらうことはできる。
けど、東京には圧倒的な量の人がいる。それだけたくさんの人の目に止まるって機会は他の地域ではない。


東京に全てが集まっているから、東京が魅力なわけじゃない。いろんなことが東京で行われるから、東京が魅力なんじゃない。いろんな人が集まる、それも絶対的な量が、それが東京の魅力なんだろうな、と思う。そしてその量の差はどうしたって埋められなくて、小さな世界で生きていく幸せももちろんあるし、今が不幸だとは1ミリも思ってないけれど、一度でも圧倒的な量の世界を知ってしまうと満足できなくなっちゃうんだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする