愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

一宮砦跡(1) 豊川市

2017年01月19日 21時06分30秒 | 豊川市
大雪も月曜日には一息ついたようなので、さっそくお城めぐりに出かけました。豊川市の一宮砦跡です。

三河にも一宮はある
一宮といえば、尾張の一宮を思い浮かべる方が多いと思いますが、三河にも一宮はあります。

昔の国には国ごとに一宮、二宮というふうに神社があったからです。尾張の方は区別するために「尾張一宮」という場合もあります。JRの駅は尾張一宮といいます。またPAに尾張一宮があります。ちなみに尾張国の一之宮は真清田(ますみだ)神社です。

一方三河でもJRの駅は三河一宮となっています。そして三河国の一之宮は、砥鹿(とが)神社です。

一宮後詰の事
この一宮砦のエピソードは、やはり「一宮後詰」の話です。

「三河物語」
今川氏真が牛久保城に1万の兵を構え、一宮砦を5千の兵で攻めてきました。家康は、3千の兵で後詰をし、「氏真、男ならば出てきて戦をせよ」と本野ヶ原に進出しました。そして一宮砦を守り、そこで一泊した後に戻ったということです。今川氏真は、家康に押されてまともに戦をせずに退散したそうです。

この話は、江戸時代のいろいろな軍記物に描かれていて、いま「国立国会図書館デジタルコレクション」で、そのお話を見ることができます。

砥鹿神社のすぐ近く
さてこの一宮砦跡に行くには東名高速の豊川インターを降り、国道151号線を北の方に行きます。しばらく走りますと、砥鹿神社前という交差点があります。その交差点を右に曲がりますと、砥鹿神社の駐車場に行き当たります。

一宮砦跡への道案内(Yahoo地図で作成しました)

砥鹿神社の駐車場に車を停め、南西の方向に歩いていきますと、左側にすぐに一宮砦跡の看板を見つけることができます。

一宮砦跡の看板

「愛知県中世城館調査報告書Ⅲ」の概要図を見ながら見学しました。


一宮砦跡イメージ図(愛知県城館調査報告書Ⅲを参考に作成しました)

立派な内枡形虎口
看板のすぐ横に入り口があり、入ると立派な内枡形の虎口がありました。

内枡形の虎口(①)城の中から撮影

虎口から中に入り北の方へ行きますと曲輪の北側が切り立っていました。これは切岸ではないかと思いました。

曲輪北側の切岸(②)

さらに曲輪の中を東の方に進みますと曲輪が出っ張っている部分があり、おそらく横矢ではないかと思いました。ここから曲輪の北、東から攻めてくる敵を弓矢で攻撃したのではないかと思いました。

曲輪北東部の横矢(③)

(つづく)
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