堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

川越 妙善寺

2007-10-31 09:11:32 | お墓

川越に妙善寺というお寺があります。

寛永元年(1624)に開山した古い天台宗のお寺です。

ここに堅曹さんの父、祖父夫婦、曽祖父夫婦のお墓が残っていることが、今年になってわかりました。



去る5月29日夕方、堅曹さんの姉、梅さんの子孫Kさんと二人で尋ねていきました。

Kさんはその前にも探しにきたがよくわからなかったという。

お寺の方に「古くて無縁のお墓ならあれかも知れない」と教えられ、その場所にいってみると石の間から生えた木に一面覆われている古い大きなお墓がありました。

となりに焼却炉があり回りにゴミ箱がたくさん置いてあります。

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墓石には「三輪○○○墓」と書いてある。やっぱり違うのか、と思ったそのとき側面に「本姓速水・・・」と書いてあるのが見えました。

これだ~!と二人で覆われている木を夢中でかき分けました。

「速水政信之墓」 「速水戍信夫婦之墓」 「三輪政吉夫婦之墓」

と書かれた3基の墓が現れました。

台座のまわりにあるゴミ箱をどかしてみると、今度は和歌を彫った石があらわれました。

それぞれの故人を偲んで堅曹さんが作った和歌です。(『速水家累代之歴史』記載)

二人で大急ぎでのこぎりと花バサミを借りてきて木を切りました。

必死でした。

大奮闘して切った木や枝を片付けて何十年ぶりかにお墓の全貌が出現しました。

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きれいになったお墓に水をかけて「早く何とかしますね」と声をかけながら手を合わせました。

ふたりとも大発見に興奮ぎみです。

さあ、このお墓どうしましょう。



妙善寺は速水家の菩提寺ではなく、お墓の三人は川越にいたときに亡くなっているので、そのとき藩士たちの墓地であったこのお寺に埋葬されたと考えられます。

当時は藩主の移動に伴ってその先々でお墓をつくることが行われていたようです。

昔は今と違い一人一基が普通でしたので、このような形で残してあったのだと思います。

速水家は川越から藩主の移動に伴って幕末に前橋に行き、その後明治になって墓地を東京の青山霊園に買い求めています。

昭和18年(1943)ころ、本家にこのお墓が道路拡張のため取り払われるので改葬してほしいと連絡があり、その時手続きをしたということです。ですからもうとっくにないとおもっていたものが残っていたのです。



さてみつかった3基のお墓はいろいろ相談した結果、現在堅曹さん夫婦のお墓がある取手の瑞法光寺に記念碑という形で一部移築することにしました。

せっかく堅曹さんが先祖を偲んで作った立派なお墓と歌碑なので、堅曹さんのことを記しておく碑と共にお墓のそばに持ってこようということになりました。



先週の雨の金曜日10月26日に妙善寺で閉眼供養とお墓の撤去作業がおこなわれました。

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一緒に発見した梅さんの子孫のKさん、同じく子孫のEさん、相棒Tさんが参加してくださいました。

雨足が強くなる中、石がどんどん解体されトラックに運ばれていきます。

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大きな台座のなかには何が入っているのか、興味がわきます。

江戸時代でしたので土葬です。 

しっかりと土が詰まっていました。

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最後に古い墓石がいくつか出てきました。

石屋さんによると、お墓を作り直すときはよく前の墓石を基礎石として入れて重さで沈まないようにするのだとか。

みんなできれいに洗って読んでみました。

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戒名が書いてありますが「三輪政吉夫婦」と「速水戍信夫婦」の墓石でした。

これによってこのお墓は堅曹さんが後年先祖の墓を和歌をはめ込んで作り直したことがはっきりしました。

半日以上かかって更地になり無事終了。



大雨のなか丁寧に撤去作業をしてくださった石材店「石梅」のみなさんご苦労様でした。

長い時間速水家のお墓の閉眼供養と作業を見守ってくださったKさん、Eさん、Tさんありがとうございました。