中国に共産党の革命政権ができた時、小作農が解放されて人民公社(今現存しているか不識)が出来たように、農業以外のあまたの民間
企業だって公有化されたはずと思うのです。そこに働く労働者が、あるいは労働組合が管理したはずだ と当然そう思います。
そのとき個々の労働者の受け取る賃金は、もう賃金ではないのであって、生活を続けるための 「分け前」 であったはずだ。それは個々人の
能力や労働の成果で決まったのではないはずだ。 と見たいのです。 実際はどうだったかは、分かりませんが。
それがいつの間にか、受け取る物は賃金になってしまっている このことをどう考えればいいのか 革命政権が確立されたのに。
「革命は搾取を許さない」 が基本テーゼではなかったのか と言いたいのです。
結局どうやら生産手段が公有化されて、働く者は一旦は賃金労働者ではなくなったが、それがうまく行かなかったということだと思います。
日本の国鉄や電話公社が「民営のほうがいい」と言うことで、殆ど全部民営化されたように。
さらに言えば「人間個々と言うものは、やはり自分本位でそこから1歩も出られないのだ」 ということかなぁー と思ったりします。
だから賃金制度に戻らないと成り立って行かないのではないか その結果が現在の中国であり、株式市場があり、共産党の大幹部の
子弟がこぞって何百人も、ハーバード大学に留学している(キューバのハバナ大学なんか行ってはいない)と言うことなんだろうと思います。
こうして考えてみると、「鉄砲から政権が生まれる」は毛沢東の有名なテーゼだったが、鉄砲は大前提だがそれだけではない。
党員を含めた人民の心の革命こそが必要だったのではないか と思いたいのです。政権確立後毛沢東は一線を引いて、そして「文化大
革命」を起こした。紅衛兵を立ち上がらせて、徹底的な「打ち壊し」をやった。 この文化大革命は実はその心の「労農革命」だったのだと思
うのです。
しかしそれは貫徹しなかった。それが現世界だ のようです。それが最後の砦キューバものようです。こうした世界を見て原昌男も終わって
行くのか が現在の心境です。 だがだが岐阜に 「未来工業という会社があるぞ」 を心の奥底において置く。
ここではいろいろあるが、ノルマもなければ、成績査定もない。あるのは男女格差のない年功序列だけ。勿論非正規雇用など一人もいな
い。残業禁止で日本一労働時間が短い。年末年始には20日ほど休みがある。それでいて創業20年あまりになるが、一度も赤字を出してい
ない。もうここでは賃金労働がないのも同然 それで成り立っている、1000人もいて、営業は全国展開している会社が。
労農人民は自らを解放することができる 今日はこのくらい。