193万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

祝!(^-^)九州新幹線全線運転再開

2016-04-27 14:59:38 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
今日の午後2時30分過ぎ、九州新幹線が13日ぶりに全線運転再開されたとのこと。

熊本県で震度7の地震が発生。
NHKのニュースを見ながら、Facebook、最近、久しぶりに更新を復活したTwitterでも確認。
同じく久々に更新を復活したgooブログでも、今回の地震は、何か記録を残しておくべきだと考え、急遽この記事を更新、公開することにしました。
過去の下書きを調べて見ると、昨年の3月11日に更新する予定だった書きかけの記事があったので、その記事を下敷きにしています。
日本は、昔から自然災害が大変多い国。
大変悲しいことですが、日本の国力が自然災害で弱まると、周辺諸国からの政治的な圧力と、国内の政情不安を政治的に煽る人達が毎回出て来ます。
こんなときこそ国内の食糧自給自足率を高める為、農業、漁業の国内の一次産業に力を入れ、日本国民が一致団結して、復興に協力すべき時だと私は考えています。
先ずは食糧の確保と、国防が大切なのです。




「川崎市の少年殺害事件と、3年B組金八先生」

今日は、3月11日。
2011年3月11日から4年の歳月が流れたのだ。
あの日から、私の生活スタイルも変わってしまった。
私だけの考えなのかも知れないが、戦後日本の急速な復興に比べると、東日本大震災の後の日本の復興は、あまり進んでいないように思えてしまう。
私の生活の基盤は、出版業と旅行業においていた。
出版業と旅行業、共に東日本大震災の影響を強く受け、産業構造そのものが大きく変わってしまった業界と言えるだろう。
被災地の現状を報道する新聞、テレビなどのマスコミの存在意義も大きく変わって来ている。
テレビは、2011年7月にアナログ放送から、デジタル放送に変わった際にスカパー!に加入。
2013年7月からは、それまでDVDを再生利用のみだったのを、最新のBlu-ray購入を機に映画、特撮、アニメ、ドラマなどの収集癖が再燃。
Twitterや、Facebookの普及に伴い、敢えて新聞も冬季オリンピックを機に朝刊だけでなく夕刊も定期購読することにした。






皆さん、大変ご無沙汰してます!(^-^)
SNS社会に対応する訓練の一環として、2009年3月に始めた私の旗艦ブログであるgooブログ。
昨年は、思うところあってTwitterに専念した為、ほぼ休眠状態だったにも関わらず、お陰様で100万PVを越えました!(⌒0⌒)/~~

昨年末よりTwitterからFacebookに主軸を移し、Twitterより何故か最初から妙に私と相性の良いブログも連動して復活させようとプロモーションを考えていた矢先、100万PVになっていたのです!
そのことを一人喜んでいたら、私の地元、横浜鶴見の隣町である川崎で、中学一年生の男の子が殺害される事件が発生!

ここ数日、横浜鶴見の不良少年だった私には、忌まわしい中学時代・公立最底辺となる高校時代の様々な出来事がオーバーラップ。
今回の事件に関しては、Twitterよりブログで意見を表明したいと思い、久々の更新となりました。

休眠状態だったアメブロ、はてなブログ、Yahoo!、ヤプログ、livedoorにも順次、同じ記事内容でアクセスを試みて復活させて行くつもりですので、皆さん、よろしくね!(^-^)


2月22(日)のアクセス数は、閲覧971PV/訪問者86IPで2131103ブログ中9785位。24(火)のアクセス数は、1580PV/161IPで4266位と、ブログ開始から毎日100~150IPの閲覧者が訪れ、常時一万位以内に入っていた頃の状態に復活!嬉しい限り。(^-^)
日々ブログを始める人が増える中、昭和時代をテーマに記事更新を続ける元横浜鶴見の不良少年のオジサンのブログで、100万PVは驚異的なのでは?
さて、川崎市で中学一年生の少年が殺害された事件。マスコミで話題となっているのだが・・・。

川崎と私が生まれ育った横浜鶴見は隣町同士。
共に京浜工業地帯で、街の雰囲気、住む人のライフスタイルなど、地元横浜では似通っている地域の為、鶴見は川崎の一部だとまで言われる始末。
特に地元、鶴見区民の間でも、矢向は川崎とされる程、密接な関係である。
私が鶴見駅に行く際に、普段利用しているバスの名前まで、川崎鶴見臨港バス!(^-^)

新藤兼人監督が、名作映画「原爆の子」を撮った次の作品が、横浜鶴見と川崎駅前周辺を舞台にした映画「どぶ」。この映画で描かれた川崎・鶴見の状況を見れば、今回の事件が発生しても、何ら不思議はないと判る筈。

私が中学時代を過ごした1979年~1981年の横浜鶴見や川崎の公立中学校は、校内暴力で荒れ狂い、新設校となる私の出身中学である上の宮中学以外、鶴見区内全ての中学校の卒業式には、制服及び私服の警察官が動員されていたのは、あまりにも有名な話。
現在、スカパー!のTBSチャンネル2で、「3年B組金八先生」第二シリーズが放送中だが、腐ったミカンの方程式の加藤優の一連のエピソードは、1980年当時の足立区の中学校を舞台にしているのだが、脚本家の小山内美江子さんは、横浜鶴見の女学校の出身で鶴見在住。(^-^)
息子さんもいるのだから、PTAの立場として、横浜鶴見の中学校の様子を脚本の中に取り入れたのかも知れないと私は勝手に考えている。
私の世代迄、川崎サレジオ高校の同級生殺害事件が語り継がれていた。
明治学院大学社会学部社会学科で、犯罪心理学、犯罪社会学を学び、元は横浜鶴見の不良少年だった私は、少年犯罪をテーマにテストで回答。
横浜鶴見の不良少年上がりで明治学院大学に通い、1980年代後半にサンフランシスコ郊外にホームステイしたのは、当時でも珍しかったような気がする。(^-^)

第七シリーズも、集中放送が始まったので、録画し始めたところ。

最近、「3年B組金八先生」のシリーズ全てを、Blu-rayに録画し、見直そうとしている所だ。
以下は、Blu-rayの録画状況と、私の作品に対するイメージのメモ。
データは、今風にWikipediaを参照。
私が横浜鶴見で不良少年時代を過ごした昭和の中学校と、35年の時を経た平成の中学校。
川崎・鶴見の非行少年、非行少女の問題は、家庭環境、学校の教師、地域性(宗教、政治、人種)など複合的かつ複雑に絡みあっている。
これから判明するであろう犯人の家庭環境、学校、地域性など、根深い社会問題を、どう解決していくのだろうか?
子供を川崎・鶴見の公立中学校で学ばせるには、未だにリスクが高過ぎる地域なのでは?
私の知る限り、非行少年、非行少女達の末路は皆・・・。
今はただ、被害者である少年の冥福を祈りたい。

因みに、私と同じように横浜鶴見で生まれ育った母方の従兄弟達、潮田中学と、寺尾中学に通った7歳上の従兄弟と、3歳上の従兄弟は、結婚して娘が生まれると、相模原市と、同じ横浜市でも都筑区へ転居。
娘達を中学から私立の女子校に通わせ、青山学院大学、立教大学へ進学させることに成功?している。(^-^)


記念すべき「第1シリーズ」
1979年10月26日~1980年3月28日は(Blu-rayに5倍録!)
全23話録画済み。
初放送当時、私は中学一年生。
15歳の母のエピソードは、つまらないので飛ばして見ていた。
鶴見区内にある他の中学では、良くあるエピソードだったからだ。

「第2シリーズ」1980年10月3日~1981年3月27日(5倍録)
全25話録画済み。
初放送時、中学二年生。(^-^)
腐ったミカンの方程式の荒谷二中の状況や、暴走族の集会の様子など、正に当時の鶴見区内の中学校の雰囲気、暴走族そのもの。
何処にも桜中学のような雰囲気の学校や、金八先生などいなかった。
「血みどろ」の名称は、当時の「みなごろし」のパロディだろう。(^-^)
懐かしい!

「第3シリーズ」1988年10月10日~12月26日(15倍録)
全12話録画済み。
初放送時は、既に中学校などに興味がなく、石黒賢さん演じる新米教師は、実在した嫌な教師を思い出させるので、ほとんど見なくなっていた。
何の思い入れもない。
初放送時、見ていたという同世代は、ほとんどいないのでは?


スペシャル
初放送時、見た記憶がない。興味もなかった。
けれども、最近、自分の中学を思い出す際に、「金八先生」シリーズが一番近いことに気付き、見直そうと考え録画し始めた。
第1シリーズ、第2シリーズ放送終了後、
1「贈る言葉」1982年10月8日(5倍録済み)
2「イレ墨をした教え子」1983年10月7日(5倍録済み)
3「小さな嘘」1984年10月5日(5倍録済み)
4「イジメられっ子金八先生」1985年12月27日(5倍録済み)
5「先生の暴力・生徒の暴力」1986年12月26日(5倍録済み)
6「新・十五歳の母」1987年12月25日(5倍録済み)

「第3シリーズ」放送終了後、

7「」1989年3月29日(15倍録済み)
8「」1990年12月28日(15倍録済み)

「第4シリーズ」1995年10月12日~1996年3月28日全23話。

終了後、

9「」1998年4月2日()

「第5シリーズ」(15倍録)1999年10月14日~2000年3月30日全23話。
Blu-rayに録画したのは8話の後半のみ。

終了後、

10「」2001年4月5日(15倍録済み)

「第6シリーズ」(15倍録)2001年10月11日~2002年3月28日。全23話。
第1話~15話迄。

「第7シリーズ」(15倍録にて録画開始!(^-^))2004年10月15日~2005年3月25日。全22話。
第1話~

終了後

11「」2005年12月30日()

「第8シリーズ」2007年10月11日~2008年3月20日。全22話。

2011年3月27日に放送されたファイナルは、初放送時に途中から少し見た。
今度は3倍録したいなぁ。
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追悼・手塚プロダクション資料室長、森晴路さん

2016-04-15 01:36:59 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
昨日の夜9時前から、NHKのニュースに釘付けの状態に。

9時直前に関東方面でも地震が有り、NHKのニュース内でも騒いでいたのだが、その後の熊本地方の地震が頻発する状況に、Facebook、Twitterを併用しながら現在に至る。
すると、驚くべきニュースが続々と飛び込んで来た。

「ロックバンドCーCーB元メンバー 覚醒剤で再び逮捕」

キーボード担当の田口智治容疑者(55)が再び逮捕され、容疑を認める。田口容疑者は、昨年、覚醒剤を所持していたとして現行犯逮捕され、執行猶予付きの有罪判決が出ていた。

NHK元「歌のお兄さん」覚醒剤所持で逮捕。

覚醒剤を所持していたとしてNHKの番組「おかあさんといっしょ」で「歌のお兄さん」だった俳優の杉田光央容疑者(50)が現行犯逮捕されていた事が判明。杉田容疑者は同番組の9代目の「歌のお兄さん」として1999年から4年間出演していた。

そして、何より私が驚いたのが、Twitterで知った手塚プロの資料室長として知られる森晴路さんの訃報の知らせ。

手塚プロがまだ高田馬場のセブンビル2Fにあった頃、高校一年生だった私は、土曜日の午後の見学会の情報を入手。(多分、『週刊少年チャンピオン』誌上のニュース?)
資料室を見学した私は、森晴路さんに無理を言って、その後も何度も資料室に入り浸っていたのだ。

掲載作品毎にスクラップされた資料の壁。
鉄製の事務用の書類棚の中に、大切にしまわれた虫の標本箱の美しさ。
虫の標本箱の本を見せてもらう際に、手を洗ってから見せてもらったことを良く覚えている。

「少年画報大全」監修後、私は森晴路さんとの再会を果たしている。

私が森さんのお名前を知ったのは、小学生の頃に読んだ「手塚治虫の奇妙な世界」の巻末データから。
小学生の私にとって、少し読みづらい内容だった著者の石上三登志さんの本文の文章より、森晴路さんが関わった巻末のデータの方に私は夢中になったのだ。

森晴路さんの御冥福を心より御祈り致します。

以下の文章は、以前、下書きしていた

「もう一度見たい世界名作劇場全26作の歴史!」

を、下書きのままながら併せて公開します。

2009年3月「フイチンさん」で知られる上田トシコ先生を偲ぶ会のレポートを報告するために始めた私の旗艦SNSとなるgooブログが、皆さんの長年の変わらぬ支持のお陰で、遂に訪問者30万IP閲覧数100万PVを越え既に107万pvになっています。(^-^)
類は友を呼び、朱に交われば赤くなる。
全ては因果応報であり、自業自得。
努力した時間だけが夢を裏切らない!
継続は力なり。

さて、最近はすっかりFacebookにハマってしまい、Twitterだけでなくブログの更新も忘れておりました。(^-^)
気がつけば、今年も早くも九月。
過去に発表した記事の中から、ブログ本来の機能を生かし、データを追加したい物がありましたので、続篇を発表です。(^-^)

世界名作劇場のシリーズ紹介が、途中までだったので、再度紹介して行きます。

第1作「フランダースの犬」
原作
舞台:ベルギー フランダース地方


第2作「母をたずねて三千里」
原作
舞台:イタリア ジェノバほか


第3作「あらいぐまラスカル」
原作
舞台:アメリカ ウィスコンシン州


第4作「ペリーヌ物語」
原作
舞台:フランスほか


第5作「赤毛のアン」
原作
舞台:カナダ プリンスエドワード島


までは、ほぼリアルタイムで楽しんでいましたので、四年前にブログ記事としてその感想を発表。
そして、幸いにも、スカパー!などの再放送に恵まれ五作品共、Blu-rayに録画をコンプリート。
何時でも見直せる環境が整っています。(^-^)

なので、今回は、シリーズ第6作「トム・ソーヤーの冒険」から、シリーズ第26作の「こんにちは アン~Before Green Gables~」までを一挙に紹介します。(^-^)

第6作「トム・ソーヤーの冒険」
1980.1.6~12.28
原作マーク・トウェイン
舞台:アメリカ ミズーリ州
演出斎藤博
脚本宮崎晃、加藤盟、太田省吾ほか
OP「誰よりも遠くへ」ED「ぼくのミシシッピー」

第7作「家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ」
原作
舞台オーストラリア 無人島
OP「」ED「」


第8作「南の島のルーシー」
原作
舞台:オーストラリア アデレード
OP「」ED「」


第9作「アルプス物語 わたしのアンネット」
原作
舞台:スイス ロシニエール村
OP「」ED「」


第10作「牧場の少女カトリ」
原作
舞台:フィンランド
OP「」ED「」


第11作「小公女セーラ」
原作
舞台:イギリス ロンドン
OP「」ED「」


第12作「愛少女 ポリアンナ物語」
原作
舞台:アメリカ ボストン
OP「」ED「」


第13作「愛の若草物語」
原作
舞台:アメリカ マサチューセッツ州
OP「」ED「」


第14作「小公子セディ」
原作
舞台:イギリスほか
OP「」ED「」


第15作「ピーターパンの冒険」
原作
舞台:イギリス ネバーランド
OP「」ED「」


第16作「私のあしながおじさん」
原作
舞台:アメリカ ニュージャージー州
OP「」ED「」


第17作「トラップ一家物語」
原作
舞台:オーストリア ザルツブルク
OP「」ED「」


第18作「大草原の小さな天使 ブッシュベイビー」
原作
舞台:ケニア ナイロビほか
OP「」ED「」


第19作「若草物語 ナンとジョー先生」
原作
舞台:アメリカ マサチューセッツ州
OP「」ED「」


第20作「七つの海のティコ」
原作
舞台:世界の海
OP「」ED「」


第21作「ロミオの青い空」
原作
舞台:イタリアほか
OP「」ED「」


第22作「名犬ラッシー」
原作
舞台:イギリス ヨークシャー地方
OP「」ED「」


第23作「家なき子レミ」
原作
舞台:フランス パリほか
OP「」ED「」


第24作「レ・ミゼラブル 少女コゼット」
原作
舞台:フランス パリほか
OP「」ED「」


第25作「ポルフィの長い旅」
原作
舞台:ギリシャ イオニア地方ほか
OP「」ED「」


第26作「こんにちは アン ~Before Green Gables~」
原作
舞台:カナダ ノヴァスコシア州
OP「」ED「」
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熊本地方の地震に思うこと

2016-04-14 23:00:07 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
熊本県で震度7の地震が発生。
NHKのニュースを見ながら、Facebook、最近、久しぶりに更新を復活したTwitterでも確認。
同じく久々に更新を復活したgooブログでも、今回の地震は、何か記録を残しておくべきだと考え、急遽この記事を更新、公開することにしました。
過去の下書きを調べて見ると、昨年の3月11日に更新する予定だった書きかけの記事があったので、その記事を下敷きにしています。
日本は、昔から自然災害が大変多い国。
大変悲しいことですが、日本の国力が自然災害で弱まると、周辺諸国からの政治的な圧力と、国内の政情不安を政治的に煽る人達が毎回出て来ます。
こんなときこそ国内の食糧自給自足率を高める為、農業、漁業の国内の一次産業に力を入れ、日本国民が一致団結して、復興に協力すべき時だと私は考えています。
先ずは食糧の確保と、国防が大切なのです。




「川崎市の少年殺害事件と、3年B組金八先生」

今日は、3月11日。
2011年3月11日から4年の歳月が流れたのだ。
あの日から、私の生活スタイルも変わってしまった。
私だけの考えなのかも知れないが、戦後日本の急速な復興に比べると、東日本大震災の後の日本の復興は、あまり進んでいないように思えてしまう。
私の生活の基盤は、出版業と旅行業においていた。
出版業と旅行業、共に東日本大震災の影響を強く受け、産業構造そのものが大きく変わってしまった業界と言えるだろう。
被災地の現状を報道する新聞、テレビなどのマスコミの存在意義も大きく変わって来ている。
テレビは、2011年7月にアナログ放送から、デジタル放送に変わった際にスカパー!に加入。
2013年7月からは、それまでDVDを再生利用のみだったのを、最新のBlu-ray購入を機に映画、特撮、アニメ、ドラマなどの収集癖が再燃。
Twitterや、Facebookの普及に伴い、敢えて新聞も冬季オリンピックを機に朝刊だけでなく夕刊も定期購読することにした。






皆さん、大変ご無沙汰してます!(^-^)
SNS社会に対応する訓練の一環として、2009年3月に始めた私の旗艦ブログであるgooブログ。
昨年は、思うところあってTwitterに専念した為、ほぼ休眠状態だったにも関わらず、お陰様で100万PVを越えました!(⌒0⌒)/~~

昨年末よりTwitterからFacebookに主軸を移し、Twitterより何故か最初から妙に私と相性の良いブログも連動して復活させようとプロモーションを考えていた矢先、100万PVになっていたのです!
そのことを一人喜んでいたら、私の地元、横浜鶴見の隣町である川崎で、中学一年生の男の子が殺害される事件が発生!

ここ数日、横浜鶴見の不良少年だった私には、忌まわしい中学時代・公立最底辺となる高校時代の様々な出来事がオーバーラップ。
今回の事件に関しては、Twitterよりブログで意見を表明したいと思い、久々の更新となりました。

休眠状態だったアメブロ、はてなブログ、Yahoo!、ヤプログ、livedoorにも順次、同じ記事内容でアクセスを試みて復活させて行くつもりですので、皆さん、よろしくね!(^-^)


2月22(日)のアクセス数は、閲覧971PV/訪問者86IPで2131103ブログ中9785位。24(火)のアクセス数は、1580PV/161IPで4266位と、ブログ開始から毎日100~150IPの閲覧者が訪れ、常時一万位以内に入っていた頃の状態に復活!嬉しい限り。(^-^)
日々ブログを始める人が増える中、昭和時代をテーマに記事更新を続ける元横浜鶴見の不良少年のオジサンのブログで、100万PVは驚異的なのでは?
さて、川崎市で中学一年生の少年が殺害された事件。マスコミで話題となっているのだが・・・。

川崎と私が生まれ育った横浜鶴見は隣町同士。
共に京浜工業地帯で、街の雰囲気、住む人のライフスタイルなど、地元横浜では似通っている地域の為、鶴見は川崎の一部だとまで言われる始末。
特に地元、鶴見区民の間でも、矢向は川崎とされる程、密接な関係である。
私が鶴見駅に行く際に、普段利用しているバスの名前まで、川崎鶴見臨港バス!(^-^)

新藤兼人監督が、名作映画「原爆の子」を撮った次の作品が、横浜鶴見と川崎駅前周辺を舞台にした映画「どぶ」。この映画で描かれた川崎・鶴見の状況を見れば、今回の事件が発生しても、何ら不思議はないと判る筈。

私が中学時代を過ごした1979年~1981年の横浜鶴見や川崎の公立中学校は、校内暴力で荒れ狂い、新設校となる私の出身中学である上の宮中学以外、鶴見区内全ての中学校の卒業式には、制服及び私服の警察官が動員されていたのは、あまりにも有名な話。
現在、スカパー!のTBSチャンネル2で、「3年B組金八先生」第二シリーズが放送中だが、腐ったミカンの方程式の加藤優の一連のエピソードは、1980年当時の足立区の中学校を舞台にしているのだが、脚本家の小山内美江子さんは、横浜鶴見の女学校の出身で鶴見在住。(^-^)
息子さんもいるのだから、PTAの立場として、横浜鶴見の中学校の様子を脚本の中に取り入れたのかも知れないと私は勝手に考えている。
私の世代迄、川崎サレジオ高校の同級生殺害事件が語り継がれていた。
明治学院大学社会学部社会学科で、犯罪心理学、犯罪社会学を学び、元は横浜鶴見の不良少年だった私は、少年犯罪をテーマにテストで回答。
横浜鶴見の不良少年上がりで明治学院大学に通い、1980年代後半にサンフランシスコ郊外にホームステイしたのは、当時でも珍しかったような気がする。(^-^)

第七シリーズも、集中放送が始まったので、録画し始めたところ。

最近、「3年B組金八先生」のシリーズ全てを、Blu-rayに録画し、見直そうとしている所だ。
以下は、Blu-rayの録画状況と、私の作品に対するイメージのメモ。
データは、今風にWikipediaを参照。
私が横浜鶴見で不良少年時代を過ごした昭和の中学校と、35年の時を経た平成の中学校。
川崎・鶴見の非行少年、非行少女の問題は、家庭環境、学校の教師、地域性(宗教、政治、人種)など複合的かつ複雑に絡みあっている。
これから判明するであろう犯人の家庭環境、学校、地域性など、根深い社会問題を、どう解決していくのだろうか?
子供を川崎・鶴見の公立中学校で学ばせるには、未だにリスクが高過ぎる地域なのでは?
私の知る限り、非行少年、非行少女達の末路は皆・・・。
今はただ、被害者である少年の冥福を祈りたい。

因みに、私と同じように横浜鶴見で生まれ育った母方の従兄弟達、潮田中学と、寺尾中学に通った7歳上の従兄弟と、3歳上の従兄弟は、結婚して娘が生まれると、相模原市と、同じ横浜市でも都筑区へ転居。
娘達を中学から私立の女子校に通わせ、青山学院大学、立教大学へ進学させることに成功?している。(^-^)


記念すべき「第1シリーズ」
1979年10月26日~1980年3月28日は(Blu-rayに5倍録!)
全23話録画済み。
初放送当時、私は中学一年生。
15歳の母のエピソードは、つまらないので飛ばして見ていた。
鶴見区内にある他の中学では、良くあるエピソードだったからだ。

「第2シリーズ」1980年10月3日~1981年3月27日(5倍録)
全25話録画済み。
初放送時、中学二年生。(^-^)
腐ったミカンの方程式の荒谷二中の状況や、暴走族の集会の様子など、正に当時の鶴見区内の中学校の雰囲気、暴走族そのもの。
何処にも桜中学のような雰囲気の学校や、金八先生などいなかった。
「血みどろ」の名称は、当時の「みなごろし」のパロディだろう。(^-^)
懐かしい!

「第3シリーズ」1988年10月10日~12月26日(15倍録)
全12話録画済み。
初放送時は、既に中学校などに興味がなく、石黒賢さん演じる新米教師は、実在した嫌な教師を思い出させるので、ほとんど見なくなっていた。
何の思い入れもない。
初放送時、見ていたという同世代は、ほとんどいないのでは?


スペシャル
初放送時、見た記憶がない。興味もなかった。
けれども、最近、自分の中学を思い出す際に、「金八先生」シリーズが一番近いことに気付き、見直そうと考え録画し始めた。
第1シリーズ、第2シリーズ放送終了後、
1「贈る言葉」1982年10月8日(5倍録済み)
2「イレ墨をした教え子」1983年10月7日(5倍録済み)
3「小さな嘘」1984年10月5日(5倍録済み)
4「イジメられっ子金八先生」1985年12月27日(5倍録済み)
5「先生の暴力・生徒の暴力」1986年12月26日(5倍録済み)
6「新・十五歳の母」1987年12月25日(5倍録済み)

「第3シリーズ」放送終了後、

7「」1989年3月29日(15倍録済み)
8「」1990年12月28日(15倍録済み)

「第4シリーズ」1995年10月12日~1996年3月28日全23話。

終了後、

9「」1998年4月2日()

「第5シリーズ」(15倍録)1999年10月14日~2000年3月30日全23話。
Blu-rayに録画したのは8話の後半のみ。

終了後、

10「」2001年4月5日(15倍録済み)

「第6シリーズ」(15倍録)2001年10月11日~2002年3月28日。全23話。
第1話~15話迄。

「第7シリーズ」(15倍録にて録画開始!(^-^))2004年10月15日~2005年3月25日。全22話。
第1話~

終了後

11「」2005年12月30日()

「第8シリーズ」2007年10月11日~2008年3月20日。全22話。

2011年3月27日に放送されたファイナルは、初放送時に途中から少し見た。
今度は3倍録したいなぁ。
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「仮面の忍者 赤影」「サスケ」「カムイ外伝」、「忍法十番勝負」の時代

2016-04-13 23:05:10 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
現在、深夜アニメーションの「おそ松さん」に続き、スカパー!「時代劇専門チャンネル」にて、「仮面の忍者 赤影」と共に「サスケ」「カムイ外伝」の再放送が大好評を博している。(^-^)
「仮面の忍者 赤影」は、東映のテレビ特撮時代劇で、漫画家の横山光輝先生の原作。
「サスケ」と「カムイ外伝」は、漫画家の白土三平先生の原作で、エイケン製作のテレビアニメーション。

共に私が子供の頃、繰り返しテレビで再放送され続けた誰もが知る名作中の名作だ。

当時、秋田書店より発売された本に「忍法十番勝負」(昭和41年10月5日初版、昭和43年12月30日16版)という新書判の漫画の単行本が有り、当時、秋田書店に繋がりのある漫画家が10人、月刊の少年雑誌『冒険王』誌上にて連作をされた。
一番勝負(堀江卓)、二番勝負(藤子不二雄)、三番勝負(松本あきら)、四番勝負(古城武司)、五番勝負(桑田次郎)、六番勝負(一峰大二)、七番勝負(白土三平)、八番勝負(小沢さとる)、九番勝負(石森章太郎)、十番勝負(横山光輝)。
一冊で十人の作家の作風が楽しめるとあって、私はこの本が大のお気に入りだった。
私の世代では、横山光輝、白土三平の忍者漫画は知っていても、他の漫画家の忍者漫画は、リアルタイムでは知らない。
堀江卓、古城武司、一峰大二、小沢さとるは、当時、正直いって既に知らない漫画家になっていた。
後に桑田次郎先生、藤子不二雄先生、堀江卓先生に「少年画報大全」にて、インタビューをする運命で、松本あきらこと、松本零士先生や、桑田次郎先生、藤子不二雄先生に、何度も御逢いできることになると、当時の私に教えてあげたら、小学生の私は信じてくれるだろうか?(^-^)

横浜で生まれ育った私は、小学生の頃、「仮面の忍者 赤影」をプロデュースされた東映の名プロデューサー、平山亨プロデューサーを大泉学園にある撮影所まで訪ねている。(^-^)
そして、「サスケ」「カムイ外伝」をプロデュースしたエイケンの名プロデューサー、鷺巣政安プロデューサーが、私が経営する池袋の漫画喫茶メトロポリス(1997年9月~1999年9月)に、「宇宙少年ソラン」ファンの方と一緒に訪ねて来てくれたことがある。(^-^)
そして、東映の平山亨プロデューサーも、「悪魔くん」「河童の三平 妖怪大作戦」の本を作る為、来店されたのだ。
「仮面の忍者 赤影」で、青影役を演じた金子吉延さんは「河童の三平 妖怪大作戦」で、主役の河原三平を演じ、白影役を演じられた牧 冬吉さんは、甲羅の六兵衛を演じられている。
その関係で、金子吉延さんも、メトロポリスに来店され、「河童の三平 妖怪大作戦」を見直しながら、当時の思い出を語ってくれたのだ。

日本では、悲しいことに今まで漫画を原作とした特撮作品や、アニメーション作品について、総合的に研究する研究者が存在しなかった。
漫画の評論家達は、漫画のみ、特撮や、アニメーションの研究者達は特撮や、アニメーションのみ、そんな時代遅れの研究者ばかりが幅を利かせて来た。

私は、「ワイルド7」望月三起也先生の突然の訃報を知り、望月三起也先生全作品の見直しと、エイケンの幻のアニメーション企画「ケネディ騎士団(ナイツ)」の存在を思い出す。
「ケネディ騎士団(ナイツ)」を企画したエイケンの名プロデューサー、鷺巣政安さんの著書が、今週の金曜日、4/15に、ぶんか社より発売される。
望月三起也先生の師匠となる吉田竜夫先生と、吉田竜夫先生が設立したタツノコプロ作品の数々。
漫画を中心に、映画、音楽と、昭和時代を総合的に研究している私にとって、Twitter、ブログ、Facebookと、近年急速に発達を続けているSNSの存在により、本物と偽物、本当の人間関係、因果関係を見極めることが容易になったのが便利だ。
虫の知らせだろうか?先年(2015年4/7~6/16)、長らく見のがしていた望月三起也先生原作のテレビアニメーション「マシンハヤブサ」(全21話)が、スカパー!「東映チャンネル」で放送されていたものをBlu-rayに録画成功。
瑛太さん主演の映画「ワイルド7」は勿論、小野進也さん主演のテレビドラマ「ワイルド7」も、スカパー!で放送された物をBlu-rayにコンプリート済み。
主演された小野進也さんとは、昨年、知り合いのジャニーズのグループANHKのボーカルだった東真司監督の三軒茶屋のライブで正式に紹介してもらっており、Facebookでは、東真司監督共々私のFacebookfriendとして承認してもらっている。

ライフスタイルの変化により、映像の収集、保存が簡単になったことが有難い。
映像のアーカイブが格段に進化したのに比べて、マンガのアーカイブの進化はどうなっているのだろう?

2001年、私が監修させてもらった「少年画報大全」(少年画報社)にて、『少年画報』に連載された望月三起也先生の全作品のカラーページでの紹介と、インタビュー記事を載せさせてもらっている。
その前に、私が池袋でマンガ喫茶メトロポリスを経営していた際(1997~1999)、取材をしてもらったことをきっかけに、編集にほんのチョッピリ協力させてもらったマンガ情報誌に、『Comnavi』(全研本社)がある。

毎回、漫画家界の巨星達が自らを語るインタビューと、作品リスト&作品解説があり、松本零士、さいとう・たかを、ちばてつや、赤塚不二夫、望月三起也、石ノ森章太郎、小池一夫、永井豪、横山光輝、手塚治虫の昭和を代表する10人の天才漫画家の軌跡が紹介された。
それまでの記憶が頼りのマンガ評論家達の本がほとんど売れず、アーカイブとデータ、漫画家さん本人のインタビューを中心とした学術的な手法に、マンガ評論の世界も進化、発展する未来が私には簡単に予想出来た。

その時は、丁度テレビ東京の「TVチャンピオン少年マンガ王選手権」第四回に出場し、第五回、第六回は番組の製作ブレーンとして参加させてもらう。

さて、私が「少年画報大全」を監修してから以降のマンガ評論家達の書籍で、望月三起也先生作品をきちん読み込み、紹介出来ている本があるだろうか?

ファンの方たちが中心となって運営されている公式サイト「月刊望月三起也」が、マンガ評論家達の本より、望月三起也先生作品の本質を正しく伝えられており、大変参考になったので、ブックマークさせてもらっている。
今回、映像に比べ、マンガのアーカイブや、研究手法が、マンガ評論家達の手により、2001年以降すっかり退化してしまっていることを痛感し、再度、ブログ記事更新の必要性と、日本の漫画を中心に、アニメーション、特撮、映画、音楽を社会学視点から、総合的に研究する日本初の漫画総合研究所であるメトロポリス漫画総合研究所(since1997)を主宰する矜持から、ブログ記事更新を再開することを報告致します。

以下、今朝の記事を再録。


「ワイルド7」で知られる漫画家の望月三起也先生が、三日午前7時56分、肺線がんのため川崎市中原区の病院で死去されました。享年77歳。
横浜市出身。

葬儀・告別式は近親者で行うとのことで、喪主は妻の早苗さん。

しのぶ会を後日開くとのこと。

1938年生まれ。高校卒業後、会社勤めを経た後、吉田竜夫先生のタツノコプロでのアシスタント生活を経て、漫画家に。

1960年、「特ダネを追え」で、デビュー。

1964年『週刊少年キング』(少年画報社)に連載された「秘密探偵JA」がヒットとなり、一躍人気漫画家に。

代表作として知られる「ワイルド7」が『週刊少年キング』の看板作品として10年の長期連載となり、1972年に俳優の小野進也さん主演でテレビドラマ化。
2011年に俳優の瑛太さん主演で映画化もされた。

医者から余命半年を宣告されたとネット上のニュースで告白。

余命半年宣告のニュースに際し、ブログの復活を決意したばかりだと言うのに、まさかこんなに早く訃報のニュースを聞かされるとは。(涙)

医師からの余命半年宣告のニュースを知った私は、直ぐに望月三起也先生へ連絡。

いつもと変わらぬ明るくお元気そうな声に一安心したばかりだと言うのに。

望月三起也先生、素晴らしい作品の数々、本当に有り難うございました。
先生の素晴らしい作品のアーカイブは、ファンの皆さんの手で、後世に伝えられていくと思いますので、安心しておやすみください。

合掌。

漫画史研究家&映画史研究家

本間正幸
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追悼「ワイルド7」望月三起也先生を偲び、望月作品を理解するには・・・

2016-04-05 02:20:40 | 「ワイルド7」追悼!望月三起也先生

今朝は、ネットのニュースで、望月三起也先生の訃報を知り、愕然となる。
短くて余命半年、長くて一年と医者に宣告されたと聞いてはいたが、まさかこんなに早いお別れになるなんて・・・。

定期購読している「読売新聞」の朝刊には訃報記事の掲載はなく、夕刊に記載されていた。
近くのコンビニで、スポーツ新聞も含めた新聞各紙を購入するが、各新聞の情報収集能力が低下し、知識の浅いことから小さな記事が多いことに今さらながら驚いてしまった。
期待に反して、NHKの夜のニュースが、きちんと取材をして番組を製作しており、好感を持つ。
SNSでの追悼コメント、Twitterでは、どうしても内容が薄く、追悼には不向きであることを改めて痛感。

虫の知らせだろうか?先年(2015年4/7~6/16)、望月三起也先生原作のテレビアニメーション「マシンハヤブサ」(全21話)が、スカパー!「東映チャンネル」で放送されていたものをBlu-rayに録画。
瑛太さん主演の映画「ワイルド7」は勿論、小野進也さん主演のテレビドラマ「ワイルド7」も、スカパー!で放送された物をBlu-rayにコンプリート済み。
主演された小野進也さんとは、昨年、知り合いのジャニーズのグループANHKのボーカルだった東真司監督の三軒茶屋のライブで正式に紹介してもらっており、Facebookでは、東真司監督共々私のFacebookfriendとして承認してもらっている。

ライフスタイルの変化により、映像の収集、保存が簡単になったことが有難い。
映像のアーカイブが格段に進化したのに比べて、マンガのアーカイブの進化はどうなっているのだろう?

2001年、私が監修させてもらった「少年画報大全」(少年画報社)にて、『少年画報』に連載された望月三起也先生の全作品のカラーページでの紹介と、インタビュー記事を載せさせてもらっている。
その前に、私が池袋でマンガ喫茶メトロポリスを経営していた際(1997~1999)、取材をしてもらったことをきっかけに、編集にほんのチョッピリ協力させてもらったマンガ情報誌に、『Comnavi』(全研本社)がある。

毎回、漫画家界の巨星達が自らを語るインタビューと、作品リスト&作品解説があり、松本零士、さいとう・たかを、ちばてつや、赤塚不二夫、望月三起也、石ノ森章太郎、小池一夫、永井豪、横山光輝、手塚治虫の昭和を代表する10人の天才漫画家の軌跡が紹介された。
それまでの記憶が頼りのマンガ評論家達の本がほとんど売れず、アーカイブとデータ、漫画家さん本人のインタビューを中心とした学術的な手法に、マンガ評論の世界も進化、発展する未来が私には簡単に予想出来た。

その時は、丁度テレビ東京の「TVチャンピオン少年マンガ王選手権」第四回に出場し、第五回、第六回は番組の製作ブレーンとして参加させてもらう。

さて、私が「少年画報大全」を監修してから以降のマンガ評論家達の書籍で、望月三起也先生作品をきちん読み込み、紹介出来ている本があるだろうか?

ファンの方たちが中心となって運営されている公式サイト「月刊望月三起也」が、マンガ評論家達の本より、望月三起也先生作品の本質を正しく伝えられており、大変参考になったので、ブックマークさせてもらっている。
今回、映像に比べ、マンガのアーカイブや、研究手法が、マンガ評論家達の手により、2001年以降すっかり退化してしまっていることを痛感し、再度、ブログ記事更新の必要性と、日本の漫画を中心に、アニメーション、特撮、映画、音楽を社会学視点から、総合的に研究する日本初の漫画総合研究所であるメトロポリス漫画総合研究所(since1997)を主宰する矜持から、ブログ記事更新を再開することを報告致します。

以下、今朝の記事を再録。


「ワイルド7」で知られる漫画家の望月三起也先生が、三日午前7時56分、肺線がんのため川崎市中原区の病院で死去されました。享年77歳。
横浜市出身。

葬儀・告別式は近親者で行うとのことで、喪主は妻の早苗さん。

しのぶ会を後日開くとのこと。

1938年生まれ。高校卒業後、会社勤めを経た後、吉田竜夫先生のタツノコプロでのアシスタント生活を経て、漫画家に。

1960年、「特ダネを追え」で、デビュー。

1964年『週刊少年キング』(少年画報社)に連載された「秘密探偵JA」がヒットとなり、一躍人気漫画家に。

代表作として知られる「ワイルド7」が『週刊少年キング』の看板作品として10年の長期連載となり、1972年に俳優の小野進也さん主演でテレビドラマ化。
2011年に俳優の瑛太さん主演で映画化もされた。

医者から余命半年を宣告されたとネット上のニュースで告白。

余命半年宣告のニュースに際し、ブログの復活を決意したばかりだと言うのに、まさかこんなに早く訃報のニュースを聞かされるとは。(涙)

医師からの余命半年宣告のニュースを知った私は、直ぐに望月三起也先生へ連絡。

いつもと変わらぬ明るくお元気そうな声に一安心したばかりだと言うのに。

望月三起也先生、素晴らしい作品の数々、本当に有り難うございました。
先生の素晴らしい作品のアーカイブは、ファンの皆さんの手で、後世に伝えられていくと思いますので、安心しておやすみください。

合掌。

漫画史研究家&映画史研究家

本間正幸
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追悼「ワイルド7」望月三起也先生

2016-04-04 06:35:54 | 「ワイルド7」追悼!望月三起也先生
「ワイルド7」で知られる漫画家の望月三起也先生が、三日午前7時56分、肺線がんのため川崎市中原区の病院で死去されました。享年77歳。
横浜市出身。

葬儀・告別式は近親者で行うとのことで、喪主は妻の早苗さん。

しのぶ会を後日開くとのこと。

1938年生まれ。高校卒業後、会社勤めを経た後、吉田竜夫先生のタツノコプロでのアシスタント生活を経て、漫画家に。

1960年、「特ダネを追え」で、デビュー。

1964年『週刊少年キング』(少年画報社)に連載された「秘密探偵JA」がヒットとなり、一躍人気漫画家に。

代表作として知られる「ワイルド7」が『週刊少年キング』の看板作品として10年の長期連載となり、1972年に俳優の小野進也さん主演でテレビドラマ化。
2011年に俳優の瑛太さん主演で映画化もされた。

医者から余命半年を宣告されたとネット上のニュースで告白。

余命半年宣告のニュースに際し、ブログの復活を決意したばかりだと言うのに、まさかこんなに早く訃報のニュースを聞かされるとは。(涙)

医師からの余命半年宣告のニュースを知った私は、直ぐに望月三起也先生へ連絡。

いつもと変わらぬ明るくお元気そうな声に一安心したばかりだと言うのに。



漫画史研究家&映画史研究家

本間正幸
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国立MANGAミュージアムと「ワイルド7」望月三起也先生

2016-04-01 22:13:52 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道


今日よりブログの更新を再開致します。

皆さん、よろしくね!(^-^)

先週、「ワイルド7」で知られる望月三起也先生が、医者から余命半年を宣告されたとネット上のニュースで告白。
続く土曜日の読売新聞の夕刊で、国立「MANGAミュージアム」の記事が記載された。

2009年3月「フイチンさん」で知られる上田トシコ先生を偲ぶ会のレポートを報告するために始めた私の旗艦SNSとなるこのgooブログ。(^-^)

皆さんの長年の変わらぬ支持のお陰で、現在、驚異の訪問者32万IP閲覧数116万PVに。(^-^)

類は友を呼び、朱に交われば赤くなる。
全ては因果応報であり、自業自得。
努力した時間だけが夢を裏切らない!

継続は力なり。

さて、最近、私の居場所はFacebookとなり、Twitterも、ブログも、ほとんど更新しなくなっております。(^-^)

気がつけば、今年も春の御彼岸となり、横浜でも桜の開花宣言が発表されました。

気が付けば、かつて、私のこのブログに、根拠の無い誹謗中傷をして来たある意味業界の有名人(^-^)の方達は、因果応報、自業自得、元の木阿弥となられたようで、Twitterは凍結、ブログは閉鎖されているようです。
なので、私のネットストーカー対策は、これを持ちまして完全勝利宣言と共に、ブログ本来の機能を生かすため、ブログの更新を再開したいと思います。(^-^)

漫画史研究家&映画史研究家

本間正幸
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