鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉城の城壁 2 の補足

2016年11月26日 | 大鎌倉城
鎌倉城の城壁 2(2016年11月11日)
〉赤色立体地図 (うにゅー)さん
〉2016-11-09 12:17:46
〉尾根の周りに真っ黒な縁取り(つまりは急斜面=断崖)だらけになるのは、
〉この地域(鎌倉)ならではの特色ではないかと思います。他の、城郭で
〉はない地形(三浦方面とか?)の同じような画像と比較すると面白いか
〉もしれませんね。

  これが、城郭ではない地形(三浦方面とか?)の比較図です。

 赤色立体地図とは別の「カシミール3D(スパー)」と言う有償ソフトの画像です。
同じ倍率の同じ条件で比較した3D地図です。
左は、鎌倉源氏山周囲の地図で、
右は隣の逗子市の山の状態です。
基本的には地質も同じで、山の成り立ちも同様ですから、、
その違いは、人為的に加工された地形と自然地形の違いと考えます。
この逗子でも、石切場は多数ある場所ですが、鎌倉の様な峰と谷の状態とは異質です。
鎌倉が人工的に切岸を造り外敵を退く構造を造った証拠です!
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鎌倉城の城壁 4

2016年11月22日 | 大鎌倉城

 鎌倉防衛ラインの七口を結ぶ兵員移動の道を青ラインで記入しました。
当然その下は、城壁である切岸を造り、青ラインに登らせない様に工作をしてある。
青ラインの外部に在る山は、青ラインに敵が近づかせない為のバリヤー(砦)です。
防衛ライン(青ライン)の外部に在る山へ出入りする道は緑のラインで書きました。
戦う砦は青ラインの外で、緑のラインが出入り口となる。
その様な意味では、砦には積極的に戦う騎馬隊を出せる構造も有ると考えます。
実際に稲村‣極楽寺の戦闘では、鎌倉軍が騎馬隊を出して、七里ヶ浜の新田軍を腰越迄追い返した記述もあります。
青ラインは、鎌倉市内に入らせない為の、モッパラ専守の構造と考えています。
七口に近づかせない為の戦う砦に緑のラインが出入り口として作られる。
七口の封鎖があまりに強固で一般人が通行できないので、後年に緑の出入り口を使って民間人が鎌倉の出入りをした様子があり、鎌倉街道と紹介された経緯も有ります。
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鎌倉城の城壁 3

2016年11月15日 | 大鎌倉城
 上地図は、赤色立体地図と国土交通省の一万分の一地図です。
青いラインは、七口を結ぶ防衛ラインと、国土交通省の赤ラインは、切岸の場所。

 誰が、、、
鎌倉は「自然の要害の地」と言ったのか?
「吾妻鏡」に書かれたことは、『千葉常胤は、鎌倉が要害の地であるので本拠地とすることを提言している。』
この文に吾妻鏡には書かれて無い「自然の」を加え、尾ヒレを付けたのは戦後の研究者と憶測します。
これでは、頼朝が鎌倉に入った後の築城の歴史を無視している。

この「要害の地」は頼朝が鎌倉に入る前の状況であり、それを根拠に現在の遺構も「鎌倉は自然の要害の地」と主張するのは、歴史の流れを無視し、古文献の記述を無視し、鎌倉の地形は知らない。
自分で調べず、他人の説に盲従した知識の受け売り!  そんな研究書が大半と感じます。
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鎌倉城の城壁 2

2016年11月11日 | 大鎌倉城
〉赤色立体地図 (うにゅー)
〉2016-11-09 12:17:46
尾根の周りに真っ黒な縁取り(つまりは急斜面=断崖)だらけになるのは、
〉この地域(鎌倉)ならではの特色ではないかと思います。他の、城郭で
〉はない地形(三浦方面とか?)の同じような画像と比較すると面白いか
〉もしれませんね。

「鎌倉城の城壁1」の立体地図は1000×2000ピクセルの画像です。
倍率も高く地形の省略の少ない詳細な地図です。

さて、、
鎌倉特有な山とは、どの様な物でしょうか?
一般的な山は、山の上は傾斜が厳しく、裾野はナダラカデあるのが通常です。
下の図は箱根から丹沢山の状況ですが、、、

 如何でしょうか?
山の上は赤味が強いが、裾野は白っぽい。
鎌倉の山は、総ての裾野が赤黒く、真っ黒な縁取り(つまりは急斜面=断崖)となっています。
自然な地形ではなく、人手で工作された地形である根拠です。
それも、一部ではなく鎌倉山の総てで工作された痕跡が有る訳です。
鎌倉の山は、一つの考えに基づき人の手が加わった工作物と言えるでしょう。

 自然地形では部分的にその様な場所が有りますが、川で削り取られ断崖になった山裾がその様な地形です。、
 鎌倉は総て山裾は崖であり、自然界には無い山の形です。
そして、
もう一枚の地図は、兵庫県姫路市山田町 
南山田城=後藤又兵衛の居城(米粒みたいに小さく描かれています)

峰と峰の間は谷ですが、その谷はV字型に切れ込んでいます。
鎌倉は、、、、
V字ではなく谷底は平らに成り、家が建てられる広さが有るのが特徴で、すべての谷がその様に成っています。
これが、人為的に山は加工されたと考える「私の根拠です。」
決して「鎌倉は、天然自然の要害の地!」ではありません。
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鎌倉城の城壁 1

2016年11月08日 | 大鎌倉城

 上は海蔵寺裏の大切岸、下は稲村ヶ崎です。

赤色立体地図の地図と、CMです。
> アジア航測グループ
> 赤色立体地図の特徴
> 赤色立体地図の作成は、スケールを問わず
> 地形標高データであれば、空中写真測量や
> 現地測量による既存の等高線データ(3次元
> DMなど)でも、お手持ちのDEMデータ
> でも、市販の数値地図(標高)からでも、
> どのようなデータからでも作成可能です。
> 特に、航空レーザ計測で作成した高精度DEM/
> DSMを使って作成すれば、赤色立体地図の効
> 果・威力は倍増し、たとえ樹木に覆われた
> 森林地帯であろうとも、地形がくっきり浮
> かび上がり、これまで見ることのできなかっ
> た土地のすがたを見ることができます。

問題の地図ですが、、、、
ご覧頂いて、何を感じますか?
精度と言い、直観的な視覚に訴える表現の素晴らしさ!
「一万分の一地図より詳細です。」
「樹木覆われた地形の地表がはっきりと表現されている!」
白い処は傾斜が無い場所、赤は、傾斜の場所、暗赤色は急激な傾斜の場所です。
此処まで地表がハッキリと示されたら、、、
誰の目にも城構造が判る。 カナ、、、??
判らなくても、解説付きならると思います。
今回は、解説無しでご覧ください。
コメント (5)
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