陽だまりのエッセンス

~成長のための記録~
自分らしく、楽ちんに生きる!スピリチュアルを思いのままに綴っていきたいと思っています。

パターンを知る

2008年06月24日 | 成長のための記録
心の動きを観察していると
自分が面白いことを考えている事に気づかされ
ハッとすることがあります。

面白いというか、それはやっぱり自分のパターンなんだなぁ
とつくづく思います。

一瞬の心の動きを捉えるのには、ある程度の訓練が必要です。
私たちの頭の中では、一瞬にしてわーっとある考えが浮かんで
すぐに消えていくのですよね。
次の瞬間には、目に映る景色や人によってかき消されたりします。
その間、多分数秒ですよね。

それをキャッチするには
考えている自分以外の、自分を育てていく事になります。
その一瞬の心の動きをちゃんと見張れるもう一人の存在です。

冷静になればなるほど、その存在は役目を果たしてくれます。
感情的になっている時には、その存在は力を無くします。

もう一人の自分が育ってくると
「あぁ、今私はこんな事を一瞬思ったな・・・」
とその思いを「意識」に上げてくれます。
意識に上がってきたその思いを分析してみると
本当に自分は面白いことを考えているし
自分のパターンが見えてきます。

分析は「なぜこんな事を思うのだろう?」と
考えてみるところから始まります。



先日、近所の方に道で会った時の出来事です。
私は「こんにちは」と挨拶をしました。
その時、相手の方が挨拶をまともに返してくれなかったのです。
目で頷くだけというか。
私にはそう感じたわけですが・・・。

その後、なんとなくモヤっとしていた私の頭の中で
一瞬にしてある考えが浮かんできました。


「どうしてあの人の家の息子さんは地域の事を何もやらないんだろう」

・・・。

そして

「うちは今自治会の仕事をしているのに、自営だから時間があわるわけでは
 ないのに、私達だって忙しいのに・・・」

そんな挨拶とは全然関係ない思いが一瞬にして
頭の中をわーっと巡りました。
時間にすると、多分3秒くらいですね。

その3秒の思いをキャッチして
「あぁ、今一瞬だけどこんな事思ったな」
と「今ここ」にその思いを引き上げてきます。

そしてそのよく分からない「思い」を分析してみます。

挨拶から始まり、全然関係のない思いが浮かんできました。
その奥にはいったい何があるのか?

しかし、この「思い」は実は「いつもの思い」だったのです。
いつものパターンなのです。

そのパターンとは「自分には時間が無い」という思いです。
いつも出来事を変えては、この思いを抱いてきました。
今回はたまたま、挨拶から勝手に繋げてしまっただけで
ちょくちょくこのパターンを繰り返しているのです。

私は忙しくて、時間がない。

その思いの奥には何があるのか?
被害者意識のようなものを感じます。

私はこんなに頑張っているのに、誰も労わってくれない。
認めてくれない。

即ち「他人の承認を得たい」

これが根源なのです。

その根源にある思いが分かれば
そこを変えていく努力ができます。
そこを解放しないと、そのパターンをやめる事ができないのです。

では解放するためにはどうしたらいいのか?
という話しになってきます。

解放する為に
どうしたら他人からの承認を得なくても、自尊心を保つ事ができるか?
自分だけで自分の存在価値を認められるか?
という事を考えてみます。

例えば・・・。

・自分の頑張りを自分が認める。
・他人の頑張りも認める。
・自分にご褒美をあげる。
・自分が頑張っている姿は宇宙がちゃんと見ていてくれる。

こんな風に、解放に向けられるような考えを自分で出してみます。
長年続けてきたパターンなら
そう簡単にスパッと止められないかもしれませんが
それでも少しずつでも変えていけたら充分ですよね。


こんな風に、心の動きを観察して
自分のパターンを知ると
根源にどんな恐れがあるのかが見えてきます。
それには、まずキャッチすることです。
そしてそれを素直に認め、受け入れ、分析してみます。

するとその根源には、長い間居座っていた
自分だけの「何か」が必ずあるのです。










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ありがとうございます。
心から感謝いたします


















感情を感じること

2008年06月09日 | 成長のための記録
感情を感じるというのは、意識してみると案外と難しいものです。
以前に「感情を感じる」というテーマに取り組んだ時に
自分が感情を感じていない事にすら気がついていませんでした。
むしろ自分は感情的になりやすいと思っていましたし、
自分の感情を感じる事が出来ていない訳がないと思っていました。
だから「感情を感じる」ことの意味が分からなかったのです。

しかし、改めてそのテーマに取り組んだ時に
自分が感じているのは、思考であり、最初の反応つまり感情ではなかったのです。
自分はこう思っている。こう考えている。
という事に対しては気が付きやすいのですが
それは思考であり、感情とは違うものなのですね。

感情はもっと野性的だし、瞬間に沸き起こるものです。
思考は「考えて」います。だからそこには自分のエゴが反映されているものです。
ネガティブに考えたら良くないから、ポジティブに考えるようにしている自分。
だったり・・・。
そうなると、感情は無視してそれを思考で押し潰そうとしてしまいます。
ポジティブシンキングが必ずしも良いとは限らないのですね。
前向きに、前向きに、と本当の感情を隠して、
本当はどこかで気がついているのにそのネガティブを抑圧してしまいます。
それよりも、ネガティブな感情をちゃんと感じることが
大事なのかもしれません。

抑圧したところで、無視して前向きに考えたところで、
いったん湧いてきた感情は消えてなくなるというよりは
溜まっていくものです。

溜まった感情の行き場って何処でしょう?
それはたぶん身体でしょうね。
身体に出して、気がついてもらうしかなくなるのですね。
それは感情のアピールであり、メッセージなのですね。
「こんなに感情が溜まってるよ!気がついてよ!」
身体は本当に正直ですからね。

あまりに感情を抑圧していると、本当の自分が分からなくなってきます。
本当はどう感じているのか?
本当は何が嬉しいのか?
何が悲しいのか?
本当の自分は・・・?

それはネガティブな感情だけでなく、嬉しい!や、幸せ!などの感情も
感じにくくなってきてしまいます。
無感情で、無感動な人になってしまい兼ねません。

喜びの感情を感じるというのも、改めて意識してみると実は難しかった。
という事もあり得ます。
なんとなく全体的にフラットだったりするのですよね。
それは傍から見ているとクールで良いように見えるかもしれませんが
人間ってもっともっと野性的であるはずだし
ずっと同じテンションでいれる生き物ではない気がするのです。
誰にでも怖れや怒りはあるはずなのです。
それがなかったら人間くささがなくなると思うのです。
達観しているかのように見えても、実は心の中で葛藤があるのが人間です。

精神的な学びをしていると、いつもいい思考、いい感情でいなければ
いけないのではないか。という「怖れ」が反対に出てきたりするのですよね。
こんなネガティブな事を考えてしまって、それを現実に引き寄せたら大変!
などと言って、無理やりポジティブに考え直してみたり。
だけど野生の部分の自分はそうじゃないから
そうポジティブシンキングも上手くはいかないのです。

ネガティブな感情に対して怖れがあるのですね。
それは、ネガティブな感情は「良くない」と思っているからです。
だけど感情に、良い・悪いというのは無いのだという事を受け入れると
案外楽になるものです。
怒りだろうが、イライラだろうが別に悪いものではなくて
ただ自分は怒っている。ただそれだけなんだと受け入れてみるのです。
あぁホントだ、怒っているな。という風に「感じてあげる」のです。
そう「感じてあげる」というのがポイントかもしれませんね。

感情を自分とは別のものとして扱うという事です。
感情を独立させて、感情とはただ感じるものなのだという
ポジションに置いておく。
そうすると、特にネガティブな感情を抑圧したり、
それと戦ったりせずにすむのです。
「味わってみる」くらいの関係でいられると楽ですよね。

感じて、味わって、受け入れてみる。
そうする事で感情は安心するし、気がおさまるのですよね。
溜め込まないで解放してあげることが出来ます。
そうすると、一旦おさまります。
だけど再び同じ感情が湧いてくる。何度も何度も湧いてくる。
というのは、誰もが経験していることだと思いますが
そんな時、その感情の裏に隠されたもっともっと本当の感情が
あったりするのです。
そこを認めてあげないと、何度も繰り返し感情が溢れてくるのです。

なぜ自分はこういう感情が出てくるのか?
について深く見ていくと、だいたいそこにあるのは「怖れ」です。
根源は「怖れ」であることが殆どです。
怒りの裏には怖れがある。
相手に対して怒っているのではなくて、実は自分の中にある怖れに対して
素直に受け入れることが出来ないのです。

しかし本気でこの事を知ったとき、すごく素直な自分になれるのです。
怖れを受け入れることで
例えば相手に対してただ怒りの感情をぶつけるような事をしなくなります。
自分はこういう事に対して怖れを抱くんだな。というパターンを知れば
本当の自分が見えてきます。
壁で固められた、創り上げた自分ではなくて・・・。

怒りの感情を持ってきて相手を攻撃すれば、
本当の自分と向き合わずに済むのですよね。
だから怒りでとりあえず逃げる、というのは簡単な手なのかもしれませんね。
だけどそれで問題が解決したことはきっと無いはずです。

素直に受け入れてみても良いですよ。
人間なんて弱い生き物なのですから。
だけど同時に、全ての問題を自分の中から解決する事ができる
強い生き物でもあるのですよね。











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願い事をするときは・・・

2008年06月04日 | 成長のための記録
今日は新月ですね。
なんでも新月に願い事をすると叶いやすいそうですよ。
そんな訳で私も新月には願い事をいくつかするようにしています。

そんな中で気づくことがあります。

願い事を考えているうちに
この願い事は何処から来るんだろう?
どうしてこうなって欲しいと願うんだろう?

今の状態よりもっともっと良くなりたい。
そう願うその根本には何があるのか。

願い事は最後には大体が「・・・・が出来る自分になりたい」
といったように
自分が変わることを願う願い事になるみたいです。

状況を変えたい、環境を変えたい、周りの人を変えたい
といったような願い事の裏には
自分は変わりたくないというエゴがあるのかもしれません。
外側の変化ばかりを願っていても
なかなか叶わないのはそのせいなのかもしれませんね。

「願えば叶う」

これは本当なのだと思います。
そのようなエゴ的な願い事の場合もきっと叶うのだと思います。
ただし、その願い事が自分の思うように叶うのではなく
その裏にある本当の願いが叶ってしまうのかもしれません。

例えば・・・

今の会社の環境が良くないのでもっと良い環境に変わりたい。
と願うその奥にはもしかしたら
上司や同僚への不満といった人間関係があるかもしれません。
その場合、「○○さんが嫌い」という思いがあり
それが願い事になってしまうのです。
すると宇宙は
○○さんがもっと嫌いになれるようなあなたに仕向けてくれます。
ますます嫌いになってしまうような出来事が起こります。
そして願いが叶えられたという事になってしまうのです。

願い事をする時は、こうなってしまわないように
この願いを叶えたい理由を考えてみると良いかもしれませんね。
そこには純粋な思いがあるのか。

マナカードを引くときに聞きたいことを聞きますが
ああいうカードでは、他人の事を聞くことは出来ません。
他人の心を探ろうと思っても無理なのです。
必ずカードは自分の心を在りのままに見せてくれます。
自分はどうなのかを判断せずただ見せてくれます。

だからどういう質問の仕方をしたら良いのかが重要になるのです。
それは願い事をするときと似ています。

自分はこうなりたい!
それには自分はどう在れば良いのか?
又そうなれない自分は何がブロックになっているのか?

という自分自身の在り方を聞く方が
本当の深い意味が分かります。
そして願い事を考えているうちに
そういった自分の心に無意識にあった願いを妨げる考えに
気づいていくのです。
そしてそれに気づけば
そこを変えていける自分になる事が本当の願いになります。

そのやり方は願いが叶いやすくなるやり方です。

他人を変えたいと思っても変えられないから
自分が変わればいい。
という話しは誰もが聞いたことがあると思います。

「嫌いな上司が移動になりますように」
という願い事は
「上司のことを受け入れられる自分に成長できますように」
という願い事に変えてみるといいかもしれません。

願い事が叶う過程は、私達が成長していく過程なのです。
実現していく過程で心が磨かれていくのですね。

願い事は、今の自分に合った願い事が叶うと言います。
自分の器にあった願い事をすることも大事なのかもしれません。
なぜならば、「過程」が「成長」だから。











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