人はどうしても誰かと比べたがる。
本当にそうなんですよね。
他人と比べて、自分はダメだとか自分の方がましとか。
勝ってるとか劣ってるとか。
そんな事は意味のないことだと分かっていても
それでもやっぱり他人を見てしまう、比べてしまう。
どうしても自分という存在価値を確かめたくなるのかもしれません。
人と比べる事で自分の存在価値や成長を感じ取ることが
出来るのではないか?と思いがちですが
それよりも、比べるのは昔の自分と今の自分を比べたら良いですよね。
昔の自分から見た今の自分は間違いなく成長している
ハイアーセルフなのですから。
それにしても、他人と比べても比べようがない程
自分と他人は違う人間なのですよね。
だから比べる事自体不可能な気がします。
なぜならば、人は本当に自分の世界観の中で生きているので
自分が思っている事が他人には理解できなかったり
その逆もあるわけです。
他人の悩みを聞いて、どうしてそんな事で悩むのだろう?
と不思議に感じたりするものです。
しかし本人にとっては真剣な悩みであるわけです。
だから自分の悩みだって、他人には理解ができない事もあるのです。
そう考えると、人が自分の事をどう思っているかなどといった事は
考えるだけ無駄な気がしてきます。
その人に見えている他人もまた
その人の世界観で見ている誰かでしかないわけですから
その人にはそう見えている。というだけなのですね。
だから、もし誰かに「あなたって○○○な人ね」と言われたら
その人自身が○○○な人なのですよね。
その人には○○○に見えているだけで、そこに真実は存在しないのです。
自分が自分の世界を創っている。
自分がそう見てる。
自分にはそう見えている。
全ての人が同じように見えているわけではないのです。
例えば、同じCさんという人物でも
Aさんは、Cさんの事を思いやりがあって優しい人だと見ています。
Bさんは、Cさんの事を自分勝手でわがままな人だと見ています。
こんな事が実際にあるわけです。
自分が創りあげているCさんなのですね。
皆が自分にあるものを投影して他人や世界を見ているとしたら
真実は何所にあるのでしょうか?
という話しになってきますね・・・。
きっと本質的な部分では全ての人が「愛」なのでしょうね。
それが真実なのだと思います。
それ以外は、自分の投影から見えているものか
集合意識が創っているものなのかもしれません。
しかし人間の学びは投影し、そして気づく事から始まります。
だから投影する事は学ぶこと。
投影する相手の身体や心を借りて学ぶこと。
相手の中に嫌な部分を見た時は
自分がそれに気づくチャンスなのだと謙虚になる事で
実は自分が楽になるのです。癒されるのは自分なのですね。
毎日様々なシーンでこのチャンスを与えられているのです。
今見ている相手の姿は投影なのか?
それとも真実なのか?
これを知るには
もし投影ならばいい気分よりは嫌悪感だったり、
ネガティブな感情がでてきたりします。
しかし相手の中に素晴らしいものを見た時は
自分の中にもその素晴らしいものが育ってきている
というある意味投影になります。
しかし、今までだったら嫌悪感を抱くようなシーンでも
その意味が愛であることを知り、むしろ温かい気持ちになったり
感謝ができた時、それは投影ではなく
真実を見ているということになるでしょう。
投影ではなく真実を見ることができるようになった時
起きてくる出来事への理解ができるようになります。
そして、そこにはいつどんな時にも本当は「愛」しかない事を知ります。
昨日まで嫌だった事が、人が、感謝に変わり
まさしくガラガラと壁が崩れていきます。
本当は自分の為に全て起きていた事だと涙が溢れます。
それに気づいた時のあなたを宇宙はちゃんと見ています。
そしてその謙虚さをもって学べた時
今まで自分に起きていた(自分が起こしていた)出来事や
嫌いだったその相手は
投影ボランティアの役割を終えていきます。
本当にありがたいことです(泣)
しかし自分も当然ボランティアをしているので
自分が本当に持っているものではないものを
誰かに投影されているのですね。
だから人から心外な事を言われても気にしないで下さいね。
人から言われる事よりも
自分が他人に対して思うその思いの方が
自分自身を映しているのですから。
いつもこのブログをお読みくださって
本当にありがとうございます。
心より感謝いたします
本当にそうなんですよね。
他人と比べて、自分はダメだとか自分の方がましとか。
勝ってるとか劣ってるとか。
そんな事は意味のないことだと分かっていても
それでもやっぱり他人を見てしまう、比べてしまう。
どうしても自分という存在価値を確かめたくなるのかもしれません。
人と比べる事で自分の存在価値や成長を感じ取ることが
出来るのではないか?と思いがちですが
それよりも、比べるのは昔の自分と今の自分を比べたら良いですよね。
昔の自分から見た今の自分は間違いなく成長している
ハイアーセルフなのですから。
それにしても、他人と比べても比べようがない程
自分と他人は違う人間なのですよね。
だから比べる事自体不可能な気がします。
なぜならば、人は本当に自分の世界観の中で生きているので
自分が思っている事が他人には理解できなかったり
その逆もあるわけです。
他人の悩みを聞いて、どうしてそんな事で悩むのだろう?
と不思議に感じたりするものです。
しかし本人にとっては真剣な悩みであるわけです。
だから自分の悩みだって、他人には理解ができない事もあるのです。
そう考えると、人が自分の事をどう思っているかなどといった事は
考えるだけ無駄な気がしてきます。
その人に見えている他人もまた
その人の世界観で見ている誰かでしかないわけですから
その人にはそう見えている。というだけなのですね。
だから、もし誰かに「あなたって○○○な人ね」と言われたら
その人自身が○○○な人なのですよね。
その人には○○○に見えているだけで、そこに真実は存在しないのです。
自分が自分の世界を創っている。
自分がそう見てる。
自分にはそう見えている。
全ての人が同じように見えているわけではないのです。
例えば、同じCさんという人物でも
Aさんは、Cさんの事を思いやりがあって優しい人だと見ています。
Bさんは、Cさんの事を自分勝手でわがままな人だと見ています。
こんな事が実際にあるわけです。
自分が創りあげているCさんなのですね。
皆が自分にあるものを投影して他人や世界を見ているとしたら
真実は何所にあるのでしょうか?
という話しになってきますね・・・。
きっと本質的な部分では全ての人が「愛」なのでしょうね。
それが真実なのだと思います。
それ以外は、自分の投影から見えているものか
集合意識が創っているものなのかもしれません。
しかし人間の学びは投影し、そして気づく事から始まります。
だから投影する事は学ぶこと。
投影する相手の身体や心を借りて学ぶこと。
相手の中に嫌な部分を見た時は
自分がそれに気づくチャンスなのだと謙虚になる事で
実は自分が楽になるのです。癒されるのは自分なのですね。
毎日様々なシーンでこのチャンスを与えられているのです。
今見ている相手の姿は投影なのか?
それとも真実なのか?
これを知るには
もし投影ならばいい気分よりは嫌悪感だったり、
ネガティブな感情がでてきたりします。
しかし相手の中に素晴らしいものを見た時は
自分の中にもその素晴らしいものが育ってきている
というある意味投影になります。
しかし、今までだったら嫌悪感を抱くようなシーンでも
その意味が愛であることを知り、むしろ温かい気持ちになったり
感謝ができた時、それは投影ではなく
真実を見ているということになるでしょう。
投影ではなく真実を見ることができるようになった時
起きてくる出来事への理解ができるようになります。
そして、そこにはいつどんな時にも本当は「愛」しかない事を知ります。
昨日まで嫌だった事が、人が、感謝に変わり
まさしくガラガラと壁が崩れていきます。
本当は自分の為に全て起きていた事だと涙が溢れます。
それに気づいた時のあなたを宇宙はちゃんと見ています。
そしてその謙虚さをもって学べた時
今まで自分に起きていた(自分が起こしていた)出来事や
嫌いだったその相手は
投影ボランティアの役割を終えていきます。
本当にありがたいことです(泣)
しかし自分も当然ボランティアをしているので
自分が本当に持っているものではないものを
誰かに投影されているのですね。
だから人から心外な事を言われても気にしないで下さいね。
人から言われる事よりも
自分が他人に対して思うその思いの方が
自分自身を映しているのですから。
いつもこのブログをお読みくださって
本当にありがとうございます。
心より感謝いたします