陽だまりのエッセンス

~成長のための記録~
自分らしく、楽ちんに生きる!スピリチュアルを思いのままに綴っていきたいと思っています。

霊性と女性性

2008年03月27日 | 成長のための記録
霊的なものと性的なものは同じ。
即ちスピリチュアリティとセクシャリティは同じ。

この事はなかなか理解しにくいかもしれません。
むしろ逆なのではないかとさえ思うかもしれません。

なんとなく、そうなんだろうな~というのは分かっても
やはり身体と精神での体験がないと理解できないものです。

前回の日記で
女性としての生(性)を楽しむ事がどれだけ大事なのかが
夢のメッセージで分かると書きました。
夢の神様は女性を謳歌するようにと何度もメッセージをくれます。

そして女性性の解放がいろいろな事に繋がっているのだという事も
わかってきます。
それとは一見関係のないように見える問題でも
その事に繋がっていたりするのです。
そこを解放しないと、まるで目の前の問題にも取り組めないような
そんなメッセージです。

女性性を解放しないままで生きるという事は
ある意味大袈裟に言えば、生きる事を放棄するかのような
そこまでの重要性を感じずにはいられないほどです。

まぁそこまで大袈裟でないにしても
与えられたものを放棄してしまうのは勿体ない生き方に
なるのかもしれませんね。

そこの「解放」には全ての「解放」に繋がる程のエネルギーを持っている。
そんな気がするのです。

人を受け入れる心や、否定しない心
素直さ、感情表現、優しさ、思いやり、そして強さ。
様々な解放に繋がるのでしょう。

反対に言えば、そこを固く閉ざしていると
人を受け入れられず、否定的になり
自分の感情を感じる事も難しく、表現する事が苦手になってしまう。
どこかに堅さを感じてしまう。
これは生き方としては、障害物を自分で置くようなものなのかもしれません。

その障害物を取り除くには
その解放がどれだけ重要なのかを信じることでしょうか。

「それとは無関係でしょ。」
と思っていては、いつまで経っても
障害物を置きっぱなしにする事になるというものです。



障害物を外した時「喜び」という生きる意味が沁みてきます。


それでは、解放するにはどうしたら良いのか?
繰り返しますが、まずはその事がどれだけ大事なのかを知る事でしょう。
他の問題を置き去りにしてでも、まずはそこから取り組む。
というのも、あながち間違いではなさそうですから。
(もちろん解放が必要だと思っている方です)

そこからは、自分自身の身体や心の声を素直に正直に聞き
今まで無視してきた事実に気づいていきます。
いや、蓋を開けてみれば知らん顔をしてきた自分に
どこかで罪悪感を感じていた事にも気づくでしょう。

それと、変な嫌悪感や羞恥心などがある場合もあるかもしれません。
例えば、前世での経験が・・・などといった理由を並べるよりも
今世での今を生きるには
その嫌悪感や羞恥心こそが障害物なのだという事を
ただただ理解すれば爽やかな気がします。

女性でいる事に罪悪感などあるはずがありません。

現代に生きる女性として、可愛く、強く、しなやかに
もっともっと「女性」でいましょう。

そしてその重要性が分かってくれば、積極的に生きようと本気で思えば
必ずチャンスを与えてもらえるものです。
その時は自分を信じて「女性」を楽しめれば良いのではないでしょうか。












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心より感謝いたします





















女性について考える

2008年03月19日 | 成長のための記録
この問題については、このブログで今までちゃんと触れたことが
なかったのではないかなと思います。

とりあえず今世、女性に決めて、女性の肉体に入って生きています。

女性であること=子供を産む

これは私にとっては究極的女性でいることの選択に思えてしまいます。
だから産まない事に対してどこかで罪悪感を持ってしまう。
女性で生まれてきた意味が無いとさえ思ってしまう。

しかしそれぞれが、それぞれの魂の合意の元でこの人生での
学びを得るために経験をしている。
その中には、子供を産むことで学ぶ事を決めてきた人と
そうでない人が当然いるわけです。
そうでない場合にその「合意」を知り、受け入れるまでは
きっと苦しむでしょう。。。

子供を産むというのは、ひとつの魂を預かるわけですから
その事がどれだけ素晴らしく、美しく、そして大変な仕事なのかが
想像ですが、なんとなく分かります。

ある先生がこうおっしゃっていました。

昔は結婚をすると子供が出来た時代だったけど
今はそうじゃなくなっている。
親の精神性が高くないと子供が出来にくい。
(全ての人に当てはまるわけでは勿論ありません)

今は全体的に人々の精神性が高まっている時代だから
ベテランの魂が降りてこようとしている。
そんなベテランの魂を持つ子供を授かる親の精神性も
高くないと降りてこられない。
そして高齢出産に拍車をかけている。

なるほど・・・。

どんな子供だろうが親にとっては先生。
それが今は校長先生くらいになっているのですね(笑)

子供が出来ない事について「そればっかりは授かりものだから」
とよく言いますが、もしかしてそうではない部分もあるのかもしれません。

自分が成長できれば授かるというのなら・・・。

それにしても子供を授かる前に、女性としての生き方をもっともっと
楽しむことが大事だという事を最近すごく感じています。

なぜならば、夢に取り組んでいると
そういった意味のメッセージがとても多いことに驚かされるからです。
そしてそれは私だけではないようで
今世、女性として生まれてきた世の女性達みんなに共通するのでは
ないかと思うのです。
そして特に日本人は「女性でいること」に対しての罪悪感に似たような
何かを何処かに持っている気がするのです。

「女性らしさをアピールする事が悪いこと」
のような感覚と言えばよいのでしょうか。

この感覚はかなり根深い気がします。
昔に比べたらだいぶ変わったかもしれませんが
未だにこういった変に女性性を隠して、押し込める態度。
それを感じるのです。

女性でいることを楽しめていない。

華やかで女性らしい人を見て羨ましく思っても
自分の世界ではないと思っていたりするかもしれません。

女性は男性よりもはるかに「変わること」が出来ると思うのです。
もちろん、女性らしさというのは見た目だけではないと思います。
しかし外見を変える事で、女性らしさが出てくるというのは
有りだと思います。

しかし男性並みに仕事をバリバリこなして女性性を保つというのは
確かに大変です。
長い歴史の中で女性は仕事をバリバリこなす役割ではなかったのですから。
ここに来て女性は、女性としてのバランスをとらならなければいけない
時代を迎えているのかもしれませんね。





もうすぐ桜が咲きますね。

あの圧倒的なピンク色のエネルギーに
私達の女性性はかなり揺さぶられます。

春色のワンピースでも着てお散歩してみたらいいかもね♪










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夢への向かい方

2008年03月11日 | 成長のための記録
「今日からこれをやるぞ!」

そうその時は激しく心に決めるのです。

が・・・やっぱり長続きしない。

あ、今日忘れた。

そしていつしか、あの日激しく心に誓ったことすら忘れてしまう。
そんなものですよね、人間って。
人間の意志ってなんて弱いんだろうと思ってしまいます。

そして、自分が今まで続けてこれたものの事を考えました。
どうして続けてこれたんだろう?

それはやっぱり楽しいから。

私はこの仕事をする前に、開業した時の自分の事を想像して
ワクワクしていました。
まだ起きていない未来のことだけどとてもリアルに想像をしていました。

そのワクワク感はまるで自分が既にそこにいるかのような感覚です。

勉強も嫌だと思うことは殆どありませんでした。
なぜならば、そのワクワクした未来の自分に向かう為の勉強だから
楽しくてしょうがなかったのです。

そうなんですよね。

楽しいから、頑張っているという感覚ではないのですね。
だから続けることができたのだと思うのです。
頑張らなきゃいけない事を続けていくのは難しいです。

頑張ろうと思っても頑張れないのは
頑張ってやらなきゃいけないと思っているからです。

周りから見てどう思われているかは別として
自分的にはとにかく楽しいと思ってやっている事であれば
楽しいと思えている間はいくらでも続けられます。

ただその楽しいが仕事になった時には
100%が楽しいだけではいかない事も出てきます。

しかしその割合が問題なのだと思うのです。

今までの仕事は、80%苦痛で20%楽しいだったのが
逆転すれば、それで十分ですよね。

自分が楽しいと思える事は何なのか?
どんな事にワクワクするのか?
どんな事だったらリアルに妄想ができるのか?

そしてその為なら行動に移すことができるかどうかが最も大事です。
その為に自分の限られた時間を割いて使うことができるかどうか。

妄想だけでは夢は叶いません。
意識を変えるだけでも夢は叶いません。
言葉にしているだけでも夢は叶いません。

行動してその為に時間を使うことも大事な要素です。

「思えば叶う」それも本当だと思います。
だけど思うだけではなく、行動が伴わないと
せっかくのチャンスを逃してしまうこともあります。

ワクワクして妄想していればチャンスは与えられるものかもしれません。
しかし妄想の中にいてそのチャンスに気付かずにいたのでは
せっかく神様が与えてくれたチャンスが台無しです。

夢を叶えるには
ワクワクするようなリアルな妄想と楽しいと思えるものを選択しているか
そしてそれに伴う行動力。
これが必須要素ではないかと思うのでした・・・。


夢を叶えていきましょ♪










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パートナーシップ

2008年03月04日 | 成長のための記録

パートナーに求めるものって何でしょうか?

結婚相手なら例えば経済力とか家庭的であるとか・・・?
人それぞれ何かしら求めるものはあるのだと思います。
しかし相手に求めるものが多過ぎる事で
フラストレーションになっている訳ですから
求めなきゃいいわけですよね。

しかし・・・。

やっぱり相手が変わって欲しいと思ってしまう。

どうやら人間は、自分ではなくて相手に変わって欲しい。
相手が間違っていると思ってしまうみたいです。

ましてや結婚相手は一生一緒に生活をしていくわけですから
相手は変わらないのに、変わって欲しいとずっと考えていたら
一生ストレスですよね。

そんなストレスから解放されるには
やっぱり受け入れる事しかないのです。

全ての「違い」を受け入れていく。
受け入れた事にストレスを感じるなら、まだそれは受け入れていない証拠。
完全に受け入れるとは、そこにストレスは全くないのです。
ポジティブシンキングで受け入れたつもりでも
本当は心の底で嫌だと思ってる・・・それではやっぱり自分が辛いだけ。

どうして受け入れられないのか?

やっぱり自分が世界の中心だからなのでしょうね。
私はそんな自己中な人間じゃない!そう思うかもしれませんが
人間は誰もが自己中です。
誰もが自分の世界を自分で創り上げているのですから
自己中でない人なんていないのです。

全て自分が中心なのです。

自分の事を完全に理解してくれる人はきっと
「自分自身」以外にはありえないでしょうね。

人は「共感」される事にものすごく喜びと満足を感じるそうです。
それだけ共感される事が嬉しいということは
他の人と本当に共感できるというのは奇跡とまでは言わなくとも
稀なことなのかもしれません。

だからこそ、違っている事が当たり前なのですよね。


「パートナーには無償の愛ですよ。
 何も見返りなんていらない。
 でも、自分はここまでやっているのに・・・と
 何処かでバランスをとろうとすると崩れてくる。
 だから駆け引きなんて存在しない。」


誰かがテレビで言っていた言葉です。
なるほど・・・。
夫婦の間ですら駆け引きが存在していた事に気づきます。

「~だから夫婦でいられる」
「~してくれないから夫婦でいられない」

というのはやはり駆け引きですよね。

無償の愛だったら、そこに居てくれるだけで完全な訳ですよね。
出世してくれなきゃダメとか・・・。
そんな事は無償の愛には有り得ない。

そんな風に、存在してくれるだけで幸せ。
とはなかなか思えない訳ですが・・・

例えば、病気になったりして
とにかく生きてさえいてくれればそれでいい。
というような、究極の状態の時には
誰もが無条件の愛を注げるのでしょうね。

無条件の愛に勝ち負けは存在しません。
夫婦の間ですら勝ち負けのようなものが存在していたら
人生戦いになってしまいます・・・(笑)

本当の愛にバランスを求めるという発想は存在しないのですね。



どうぞ夫婦仲良く円満に!










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