時に、皆さんは「国勢調査」について興味があるだろうか?
「国の勢力を調べる調査」というのがこの調査の名前の所以らしい。
日本では「大規模調査」なるものが10年ごとに行われ、その中間地点である5年目に「簡易調査」なるものが行われる。
調査対象は全数調査となるため、日本(竹島ならびに北方領土を除く)に居住する者すべて(外国人やホームレス、皇族も含まれる)が申告の義務を負う。
調査を拒否した場合は、懲役、罰金、過料が科される。
厳格かつ壮大な国を挙げた一大行事であり、その時期になると大々的に宣伝をしていたことを憶えている。
さて、上手い具合に首都での所用のfixに成功した私は、一週間程、首都Nairobiに滞在してきた。
長い間、ネット回線に不具合のあったOthayaで過ごしている間に日本では、
甲子園での熱戦に幕が下り、
新型fluが猛威を振るい、
のりピーがマンモスやばいことになっており、
世界陸上でのクドい程のニックネームの連呼が陸連からの要請を受けて自粛され、
衆議院が解散され、政権交代が真しやかに囁かれ始めている。
ということをNairobiの俊敏なネット回線を通じて知った。
私はと言えば、
某会幹事として次回総会の段取り、
JICAへの中間報告、
日本へ帰国されるお世話になった兄貴とも言うべき職員の送別会、
Ochiengのguardianとの面会、
kenya隊員による進学支援機構発足のための諸準備、
Ethiopiaからの同期隊員接待?
穴なく所用をfixしただけに忙しい毎日ではあったが、有意義な一週間だったと思う。
そして特筆すべきは24th/Monから始まった「census」。
そのkenyaらしさ、また十年に一度の実施という「そうそう立ち会える行事ではない」その実施時期にkenyaに居合わせるという幸運にも恵まれ貴重な体験をさせてもらった。
外食を済ませ帰りのタクシーに乗り込むと、一度聞いたら忘れられない独特な声色と口調が車内ラジオから聞こえてくる。
彼が意図的にそういった声色や口調を発しているのかはわかりかねるが、
特徴というよりは個性とも言うべき彼の話しぶりは、彼が一国の大統領として君臨するに重要な要素であったのかもしれない、
などとヘッドライトが照らし出す未舗装の道路を眺めながら、大統領のannouncementに耳を傾けた。
如何にして国家が発展していくべきか、そんなことが延々と述べられてはいるが、いかんせん途中から聞いているのでその主旨がわからない。
「これ大統領だよね?」
とdriverに尋ねると、
「明日は休日になるよ。Censusだってさ。」
とdriver。
日本に例えると、麻生総理が
「明日から国勢調査を実施します。したがって明日は休みにします。」
って発表していることになる。
私の記憶が確かな限り、ここ数日間、kenyanとの会話の中で「census」についてが話題にのぼったことはない。
明日からのcensus実施が初耳なのは私だけでなく、ほとんどのkenyanが同様なはずだ。
おいおい、そんな急で大丈夫か?
しかしながら、私の心配とは裏腹にdriverの様子を見る限り、どうやらkenya国民は大丈夫らしい。
明日はEthiopiaから同期隊員がkenya入りすることになっており、Nairobi観光の予定。
休日となると少なからずそのルートに影響がでることは必至で、若干の不安が過ぎる。
が、心配したところでどうにかなるわけでもなく、いつも通り夜は更け、空が白み始めると6:00amにはEthiopiaから親友がやってきた。
日本を出国してからご無沙汰している親友の彼は、
当然のように少し痩せ、
また多くの隊員がそうのように、感情を表現するに相応しい日本語への変換にしばらく梃子摺っていた。(彼は気付いていないだろうが)
彼の意向を聞き、大体の観光ルートを決めると、この日のために先日より洗濯を済ましておいた「おのぼりさん的一張羅」を取りこみに干し場へ向かう。
地方で暮らす私にとっても首都Nairobiは特別な場所で、さすがに更生院のグランド同様にジャージと言うわけにはいかない。
上ロビした際にはheavy rotationをかけている日本から持参したお気に入りのシャツが乾いていることを願う。
干し場ではJosephが朝からシーツやらバスタオルやらを手際良く干している。
Josephとは話好きでとっても気さくなドミトリーの管理人である。
「おはよう、Joseph。」
「おはよう。マコト。」
「Josephのおかげで今回のNairobi滞在も快適だよ。いつもありがと。」
賃金契約が前提にあるにしても、彼の仕事ぶりはperfectで、私の周りには稀なtypeのkenyanとも言える彼を私は大好きだ。
「マコト一人でもそう感じてくれてるんなら本望さ。」
こんな返事をサラッと返す彼はとてもsmartであり、その笑顔はとてもconsidrateに感じる。
「マコト、今日はcensusだってことを知ってるかい?今日の18時から22時までは原則外出禁止だよ。duka(お店)もhotelini(レストラン)も18時にはみんな閉まるよ。
今晩のtownは人っ子一人居なくなって危険だから早く帰宅しないといけないよ。きっとマコトたちも調査の対象になるからドミトリーに戻ってなくてはならないはずだ。」
「マジで?」
Nice!Joseph!
危うくお腹を空かせて路頭に迷うところだった。
今晩はEthiopiaからの同期隊員のwelcome partyを先日から探りを入れておいた店で盛大に行うつもりにしており、そこで夜を明かすつもりにしていたのだ。
「君のkenya訪問は、国賓扱いと認定されたようだ。」
と、そんな冗談を酒の肴に、結局はドミトリーでTilapia(白身魚)鍋を囲んだ。
肝心のEthiopiaからの客人は旅の疲れが祟ったか、発熱してしまい当初予定していた「漢呑み」の実施は自粛せざるを得なかったが、
彼がお土産として持参してくれたEthiopia coffeeにはほっぺたが落ちた。
彼曰く、Ethiopiaでは町のどんなに小さな店にもエスプレッソマシーンがあり、ほとんど「はずれ」無く美味しいコーヒーが廉価で飲めるそうだ。
ご存知のように、kenyaは茶葉同様にコーヒー豆も栽培が盛んで、私の暮らすOthayaでは畑の5割強がそのどちらかの栽培をしていると言っても過言ではない。
茶葉はchaiとして生活に定着しており、Othayaであればカップ一杯5ksh(約7円)でどこでも美味しいchaiが飲める。
しかしながらコーヒーはと言うと、Ethiopiaのように美味しいコーヒーが生活に定着しているとは言い難く、
価格はchaiの10倍、そしてserveされるのは白湯とインスタント粉末の入った缶という有様で、kenyaに来てからというもの、知らず知らずのうちにコーヒーは飲物から除外していた。
「僕はこれだけで満足だ。タバコとコーヒー。おしゃべり。君と僕と5$。」
そんなセリフを学生時代に観た映画で聞いた時から、
気の利いたジョークと500円玉を常にポケットに入れ、
ブラックコーヒーとマルボロをこよなく愛し、
女性を敬ってきた。
…はずだった。
kenyaでの生活に流され、忘れかけていた、その昔、私が心に刻んだはずの「いい男像」を、彼のお土産のEthiopia coffeeが鮮明に呼び覚ました。
今まで何をしていたんだ俺は。
コーヒーを飲もう。
インスタントじゃダメだ。
Dripだ。
やはり本物は本物を愛すべきだ。
タバコはマルボロじゃなくて良いのか?
5$じゃなくて5kshで良いのか?
そういった挙げ足を取るようなような質問は無視することにして、とにかくNairobiに居るうちに気が付いて良かった。
今なら、首都Nairobiでならコーヒー豆が手に入る。
コーヒー豆を買っただけで「男っぷり」が上がった錯覚に陥りながら、一週間ぶりに気分上々にOthayaに帰省した。
驚くことに、首都Nairobiはcensusのため休日となっていたのに、我が任地Othayaは平日。
「そうなの?」
と、みんなが口を揃えることにはもっと驚いた。
良く考えてみれば、Nairobiでのあの晩は誰一人調査に来た様子がなかった。
kenya、大丈夫か?
豆は買ったが、コーヒーメーカーも無ければ、あのフィルター紙も無い。
が、心配なかれ。
私にはペットボトルがある。
「タバコとコーヒー。おしゃべり。君と僕と5ksh。」
僕はこれだけで満足だ。
「国の勢力を調べる調査」というのがこの調査の名前の所以らしい。
日本では「大規模調査」なるものが10年ごとに行われ、その中間地点である5年目に「簡易調査」なるものが行われる。
調査対象は全数調査となるため、日本(竹島ならびに北方領土を除く)に居住する者すべて(外国人やホームレス、皇族も含まれる)が申告の義務を負う。
調査を拒否した場合は、懲役、罰金、過料が科される。
厳格かつ壮大な国を挙げた一大行事であり、その時期になると大々的に宣伝をしていたことを憶えている。
さて、上手い具合に首都での所用のfixに成功した私は、一週間程、首都Nairobiに滞在してきた。
長い間、ネット回線に不具合のあったOthayaで過ごしている間に日本では、
甲子園での熱戦に幕が下り、
新型fluが猛威を振るい、
のりピーがマンモスやばいことになっており、
世界陸上でのクドい程のニックネームの連呼が陸連からの要請を受けて自粛され、
衆議院が解散され、政権交代が真しやかに囁かれ始めている。
ということをNairobiの俊敏なネット回線を通じて知った。
私はと言えば、
某会幹事として次回総会の段取り、
JICAへの中間報告、
日本へ帰国されるお世話になった兄貴とも言うべき職員の送別会、
Ochiengのguardianとの面会、
kenya隊員による進学支援機構発足のための諸準備、
Ethiopiaからの同期隊員接待?
穴なく所用をfixしただけに忙しい毎日ではあったが、有意義な一週間だったと思う。
そして特筆すべきは24th/Monから始まった「census」。
そのkenyaらしさ、また十年に一度の実施という「そうそう立ち会える行事ではない」その実施時期にkenyaに居合わせるという幸運にも恵まれ貴重な体験をさせてもらった。
外食を済ませ帰りのタクシーに乗り込むと、一度聞いたら忘れられない独特な声色と口調が車内ラジオから聞こえてくる。
彼が意図的にそういった声色や口調を発しているのかはわかりかねるが、
特徴というよりは個性とも言うべき彼の話しぶりは、彼が一国の大統領として君臨するに重要な要素であったのかもしれない、
などとヘッドライトが照らし出す未舗装の道路を眺めながら、大統領のannouncementに耳を傾けた。
如何にして国家が発展していくべきか、そんなことが延々と述べられてはいるが、いかんせん途中から聞いているのでその主旨がわからない。
「これ大統領だよね?」
とdriverに尋ねると、
「明日は休日になるよ。Censusだってさ。」
とdriver。
日本に例えると、麻生総理が
「明日から国勢調査を実施します。したがって明日は休みにします。」
って発表していることになる。
私の記憶が確かな限り、ここ数日間、kenyanとの会話の中で「census」についてが話題にのぼったことはない。
明日からのcensus実施が初耳なのは私だけでなく、ほとんどのkenyanが同様なはずだ。
おいおい、そんな急で大丈夫か?
しかしながら、私の心配とは裏腹にdriverの様子を見る限り、どうやらkenya国民は大丈夫らしい。
明日はEthiopiaから同期隊員がkenya入りすることになっており、Nairobi観光の予定。
休日となると少なからずそのルートに影響がでることは必至で、若干の不安が過ぎる。
が、心配したところでどうにかなるわけでもなく、いつも通り夜は更け、空が白み始めると6:00amにはEthiopiaから親友がやってきた。
日本を出国してからご無沙汰している親友の彼は、
当然のように少し痩せ、
また多くの隊員がそうのように、感情を表現するに相応しい日本語への変換にしばらく梃子摺っていた。(彼は気付いていないだろうが)
彼の意向を聞き、大体の観光ルートを決めると、この日のために先日より洗濯を済ましておいた「おのぼりさん的一張羅」を取りこみに干し場へ向かう。
地方で暮らす私にとっても首都Nairobiは特別な場所で、さすがに更生院のグランド同様にジャージと言うわけにはいかない。
上ロビした際にはheavy rotationをかけている日本から持参したお気に入りのシャツが乾いていることを願う。
干し場ではJosephが朝からシーツやらバスタオルやらを手際良く干している。
Josephとは話好きでとっても気さくなドミトリーの管理人である。
「おはよう、Joseph。」
「おはよう。マコト。」
「Josephのおかげで今回のNairobi滞在も快適だよ。いつもありがと。」
賃金契約が前提にあるにしても、彼の仕事ぶりはperfectで、私の周りには稀なtypeのkenyanとも言える彼を私は大好きだ。
「マコト一人でもそう感じてくれてるんなら本望さ。」
こんな返事をサラッと返す彼はとてもsmartであり、その笑顔はとてもconsidrateに感じる。
「マコト、今日はcensusだってことを知ってるかい?今日の18時から22時までは原則外出禁止だよ。duka(お店)もhotelini(レストラン)も18時にはみんな閉まるよ。
今晩のtownは人っ子一人居なくなって危険だから早く帰宅しないといけないよ。きっとマコトたちも調査の対象になるからドミトリーに戻ってなくてはならないはずだ。」
「マジで?」
Nice!Joseph!
危うくお腹を空かせて路頭に迷うところだった。
今晩はEthiopiaからの同期隊員のwelcome partyを先日から探りを入れておいた店で盛大に行うつもりにしており、そこで夜を明かすつもりにしていたのだ。
「君のkenya訪問は、国賓扱いと認定されたようだ。」
と、そんな冗談を酒の肴に、結局はドミトリーでTilapia(白身魚)鍋を囲んだ。
肝心のEthiopiaからの客人は旅の疲れが祟ったか、発熱してしまい当初予定していた「漢呑み」の実施は自粛せざるを得なかったが、
彼がお土産として持参してくれたEthiopia coffeeにはほっぺたが落ちた。
彼曰く、Ethiopiaでは町のどんなに小さな店にもエスプレッソマシーンがあり、ほとんど「はずれ」無く美味しいコーヒーが廉価で飲めるそうだ。
ご存知のように、kenyaは茶葉同様にコーヒー豆も栽培が盛んで、私の暮らすOthayaでは畑の5割強がそのどちらかの栽培をしていると言っても過言ではない。
茶葉はchaiとして生活に定着しており、Othayaであればカップ一杯5ksh(約7円)でどこでも美味しいchaiが飲める。
しかしながらコーヒーはと言うと、Ethiopiaのように美味しいコーヒーが生活に定着しているとは言い難く、
価格はchaiの10倍、そしてserveされるのは白湯とインスタント粉末の入った缶という有様で、kenyaに来てからというもの、知らず知らずのうちにコーヒーは飲物から除外していた。
「僕はこれだけで満足だ。タバコとコーヒー。おしゃべり。君と僕と5$。」
そんなセリフを学生時代に観た映画で聞いた時から、
気の利いたジョークと500円玉を常にポケットに入れ、
ブラックコーヒーとマルボロをこよなく愛し、
女性を敬ってきた。
…はずだった。
kenyaでの生活に流され、忘れかけていた、その昔、私が心に刻んだはずの「いい男像」を、彼のお土産のEthiopia coffeeが鮮明に呼び覚ました。
今まで何をしていたんだ俺は。
コーヒーを飲もう。
インスタントじゃダメだ。
Dripだ。
やはり本物は本物を愛すべきだ。
タバコはマルボロじゃなくて良いのか?
5$じゃなくて5kshで良いのか?
そういった挙げ足を取るようなような質問は無視することにして、とにかくNairobiに居るうちに気が付いて良かった。
今なら、首都Nairobiでならコーヒー豆が手に入る。
コーヒー豆を買っただけで「男っぷり」が上がった錯覚に陥りながら、一週間ぶりに気分上々にOthayaに帰省した。
驚くことに、首都Nairobiはcensusのため休日となっていたのに、我が任地Othayaは平日。
「そうなの?」
と、みんなが口を揃えることにはもっと驚いた。
良く考えてみれば、Nairobiでのあの晩は誰一人調査に来た様子がなかった。
kenya、大丈夫か?
豆は買ったが、コーヒーメーカーも無ければ、あのフィルター紙も無い。
が、心配なかれ。
私にはペットボトルがある。
「タバコとコーヒー。おしゃべり。君と僕と5ksh。」
僕はこれだけで満足だ。