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ケニア~青年海外協力隊~青少年活動~男子更生院~2年間限定

金縛り

2010-05-31 | In Othaya
私は今までの人生で、たった一度だけ金縛りにあったことがある。
金縛りは科学的にその原因を証明できるという話しを聞いたことがあるが、
それにしても私の場合、誰かが私の周りを歩いている感覚がリアルにあり、
科学的にその原因を証明できようと、できまいと、お化け系は全く以ってダメな私にとって、それはもう恐ろしい経験だった。
経験者談の例外に洩れず、私も身体の自由がきかず、声を出したいのだが、声が出ない、誰かが私の周りを歩いている感覚あり、というtypeの金縛りだった。
そして、渾身の力を込めてやっとのことで発した一声が、

「お母さん!!!」

二十代半ばだったと思うが、それにしても「お母さん!!」って…。
何とも言えぬ、残念な気持ちを自身に催したことを記憶している。
年齢的には成人を迎え、自分で稼ぐようになり、その日常生活において親の出演回数というか、露出というかはめっきり減り、
十代とはまた違った意味で自立したつもりでいた年頃だったわけだが、
それでもやはり「お母さん!!」だったわけで、
人はいくつになっても誰かの子どもなのだから、と自分に言い聞かせた。
できることならもう金輪際、金縛りは御免いただきたいが、もしまた金縛りに襲われても、
私はおそらく「お母さん!!」なんじゃないかとも思っている。


Brian Ochieng Otieno。
今までに何度かこのblogに登場してきた私のsoul mateである。(※「endeavor」、「友たち」、「外野席から」 参照)
彼は幼い頃に両親と死別し、「kibera」という東アフリカ最大級と言われるスラムに、
彼の言葉を借りれば「I was left alone」、言わば、「置き去りにされた」彼は、随分と前に両親の顔を思い出せなくなってしまったと、
おそらく残念に感じていることを隠すために笑いながら私に話すわけだが、
残念だと彼自身強く感じていることが、残念なくらい強く伝わってくることが辛い。
筋金入りのstreetboyとして1年半をstreetで生活していた彼は、警察に保護され、裁判所を経由し、ORSに収容されることとなる。
更生院の収容年限は3年にもかかわらず、全く身寄りがなく、また幼かった彼はその後の8年間をORSにて過ごした。
何度も言うように身寄りのない彼にとっては、更生院の仲間や教職員、そしてOthayaの町が彼の世界の全てだった。
私と出会うまで、市場に並んでいるリンゴを見たことはあるが、そのtasteについては想像すらできなかった。
チョコレートを初めて食べた時にも私は立ち会ったわけだが、まるでネタのようだが、鼻から大量出血をした。
進学権を得た彼の学費支援者獲得のために幾度となく首都Nairobiへ出ては成果の出ない日々に、
Hilton hotel屋上からの景観で気分転換しようと初めて乗ったエレベータでpanicを起こし、17階から非常階段を二人で歩いて降りた。
Brian「アダムとイヴ」 VS 私「the theory of evolution」の真っ向対決に終止符を打つべく訪れたNNMでは、
displayされている動物の剥製達がいつ目を覚ますのかということに怯え、進化論どころの話ではなかった。


有刺鉄線に囲まれた更生院内で最も多感な時期を過ごし、
更生院の仲間達が、いつか出所して家族と暮らす日に想いを馳せるその有刺鉄線の外は、
彼にとっては「希望」や「期待」というよりも、「不安」という方が適切な表現だったのではないかと思う。
もちろん、彼のような境遇にある者が社会にて自立をしていくことはそう簡単なことではないだろうし、
「お母さん!!」な私にはその片鱗すら想像できないだろう。
しかしながら、才能に溢れ人格も素晴らしい彼に、
有刺鉄線の外にある彼が望むなら選択可能であるその選択肢についてを知ってほしかったがために、機会ある毎に、
私は電気代の支払いから、Kenyaで活動中の友たちとの集まりなど、どこへでも彼を連れて歩いた。

そして現在、彼は私の自慢の友たちの協力を賜り組織された奨学金制度から学費を支援され、seconday schoolにて学業を継続することが出来ている。
現在彼が修学中のsecondary schoolは、8年を過ごした更生院とは違い、
彼と同じ境遇にある生徒は皆無に等しく、
全国規模で子どもが送られてくる多民族構成だった更生院とも違い地元出身者(キクユ族)が多い。
言わば、「新境地」では、彼のidentityとtribeは時に差別の対象となり、様々なdisadvantageがあることも事実だ。
また以前、問題行動があったと教頭に学校に呼び出された時には納得がいくような、いかないような理由で彼は停学の一歩手前の状況にあり、
今考えれば、とても恩着せがましく外国人の私に免じてその処分を取り下げるような言い方をされたように、
彼のguardianである外国人の私の存在が、彼にとって負の要素としてあることもまた事実だ。
実際に彼からイジメ、嫌がらせ、が原因で転校したいという申し出を受けたのは、一度や二度ではない。
その新境地で彼の置かれた状況からも仕方のないことかもしれないが、
その頃の彼には、周りの人間を全てライバル視し、排斥の対象として成り上がっていこうとするような雰囲気があった。

負けん気は大切だと思う。
彼のような境遇にある者はなおのことだとも思う。
しかしながら、近寄り難いまでの鋭利な雰囲気というか、人を遠ざけてしまう「遠心力」のようなものを発するようなそんな人間には彼になってほしくない。
彼の魅力に自ずと人が集まってくるような、言わば、「求心力」を発するような、そんな人間になってほしい。
彼のような境遇にあるからこそ、そんな人間にならなければならないとも思う。
彼ほどの魅力があればそれは難しいことじゃないとも思う。

「人」って言う字はなぁ、お互いが支えあって、触れ合って…。
さすがにそこまでは言わなかったが、
このことについてはBrianのidealを尊重しながら、かなりの時間を費やして私達は話し合ってきた。
心理学用語で、大学に進学できなかった親が子どもの進学に熱心になるようなことを、適応機制の「代償」という。
私の場合のこれもおそらく「代償」であり、きっと、私も「求心力」のある人間になりたいのだろう。
いや、「なりたいのだろう」ではなく、「なりたい」。



今日、彼から私の元に連絡があった。
「マコト!僕、優勝したよ!次ぎは全国大会だよ!マコトに一番に伝えたくて!」

久々に目頭が熱くなった。
先月のterm holidayに二人でcyber caféに入り浸り、YOU tubeで男子円盤投げを見まくって、グランドで円盤を投げまくっただけの甲斐があった。
ちなみに、我々がその画像の再生回数のうち、少なくとも100回に貢献していることは間違いないし、
更生院に一つしかないdiscusを壊してしまったのも我々に間違いない。
ドンマイ。

「遠心力」を使い、周りの人間ではなく、discusを遠くに飛ばすことを体得した彼は、
「求心力」についても同様に体得しつつあり、今後も新たなchanceを手に入れていくことになるだろう。
円盤投げKenya代表だって、今は十分に射程距離にある。



金縛りという現象は疲れている時に起こりやすいと言うことを聞いたことがある。
金縛りが万国共通で、Kenyanもそれに襲われることがあるのかどうかは分かりかねるが、
試合を終えクタクタである彼が、もし、今日金縛りにあったら、
目下、円盤投げ精進中の彼だから、やはり円盤投げの時のような雄叫びを上げるのだろうか?
顔は思い出せなくても、やはり「お母さん!!!」、「お父さん!!!」だろうか?


いずれにしても、彼のこの快挙が、彼の毎日の頑張りが天国の彼のご両親に届いてほしいと思う。


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