青木よしなりさんという方が、フェイスブックで伝えてくださったこの写真。


ニューヨークで行われた、数万人のユダヤの人々による、ガザ虐殺抗議集会の写真です。
メジャー局は、このことについて、一切伝えていません。
今朝は、この写真に寄せられたコメントを元に、あちこち調べたり読んだりしていました。
青木さんも、わたし同様、ガザで子育てをしている友人がおられるそうで、
わたしの親友ミリアムから聞いたように、
「催涙ガスやアパッチ、ゴム弾や機銃掃射という日常の上に、今度はミサイルに空爆……」という、
我々には到底想像もつかない、非情で悲惨な状況の中に、人々や動物は閉じ込められています。
ミリアムがくり返し言っていたのは、そのミサイルを追撃するミサイルが的を当て、同時に炸裂した時の音の恐ろしさです。
そんなものを、小さな子や動物のように、まだ未完の弱い生きものに、毎日のように体験させてしまっていることは、本当に間違っています。
これはロンドンでの抗議デモ。

そしてこれは、イスラエルでの抗議デモです。

青木さんと、コメント欄で話し合われていた方々の言葉の中から、その一部を転載させていただきます。
↓転載はじめ
「この黒帽子のハシディズム派の人達は、ずっと以前から、イスラエルの暴挙を非難していました。
ユダヤ人の中でも、極少数派だから、良心のユダヤ人なんて呼ばれているんです」
「実際には、スティーブン・スピルバーグのように、イスラエルの虐殺に寄付をするシオニストの方が、圧倒的多数です」
「世界中から反対の叫び、それでもヤルのは、アメリカと同様に、武器使用期限から来る在庫一掃セールなのか?
人の命を奪う以外に使い道の無いハサミは、誰もをバカにすると感じてます」
「ユダヤの人々とは、一体何を持って指すのか?
正直解らないのが本音です。
ジプシー、ロマ、様々な形で世界中に居る人々、ウクライナやアゼルバイジャン等の東欧圏まで含め、様々な血が混ざってるのは間違い無く、
それでも尚、ユダヤ人の国と言う敷居を設け、土地の略奪と殺戮を繰り返すのは、意図的なユダヤ人消滅を願ってるとすら感じます。
武器を使うという行為が、自国の尊厳や平和を維持する為で『無く』、経済活動であるとハッキリしている時代にする殺戮は、明確に犯罪なのに……」
「ユダヤとは宗教であり、人種ではないという説明が基本にあります。
他の人によれば、宗教としてのユダヤと、人種としてのユダヤ人と、2種類の見方もあります。
一番問題なのは、ユダヤをカモフラージュに使い、偽りの「ホロコースト」をバネにして犠牲者の中に隠れ、
実際には、金融システムを独占しては世界独裁体制を作っている、比較的少数のマフィア・グループだと思います」
↑以上、転載おわり
そして、わたしの転載の承諾を尋ねるコメントに対して、快諾してくださった青木さんの返事の中に、
「インティファーダが行われるのかは解りませんが、何とか誰もが出来る事をする時と思います」とあり、
インティファーダという言葉を知らなかったので、そのことについて調べてみました。
Wikipedia『インティファーダ』
こちらの方がわたしには分かりやすかったので、
知恵蔵2014の解説
『インティファーダ』
1987年末、イスラエル占領地で、パレスチナ人が一斉に、投石などでの抗議行動を開始した。
これを、第1次インティファーダと呼ぶ。
この鎮圧に失敗したイスラエルは、力だけでは、パレスチナ人の民族主義を抑えることはできないと悟った。
1993年のオスロ合意を受け、抗議行動は、一応の終息を見た。
2000年9月末、シャロンが、多数の護衛を従えて、エルサレムのイスラムの聖地(ハラム・アル・シャリーフ)に入った。
これにパレスチナ人が反発、占領地全域で、イスラエル当局と衝突した。
イスラエル国内のアラブ人地区でも、抗議運動が発生。
このパレスチナ人の蜂起を、聖地内のアル・アクサー・モスクの名を冠して、アル・アクサー・インティファーダと呼ぶ。
オスロ合意以前のインティファーダの再燃、との視点に立てば、第2次インティファーダでもある。
蜂起の背景には、1993年以来の中東和平プロセスの成果が、あまりに乏しかったという、パレスチナ人の不満がある。
第1次インティファーダにおいては、投石などの手段が主流であったのに対し、
第2次インティファーダでは、小火器、迫撃砲、さらには手製のロケット弾などが、パレスチナ側によって使用された。
また、イスラエル国内での、パレスチナ人による自爆攻撃も、続発している。
対するイスラエルは、戦車、ジェット戦闘爆撃機、ミサイル搭載ヘリコプターなどの圧倒的な火力で、パレスチナ側を攻撃、
さらに、パレスチナ人の指導層を、「テロリスト」として、次々と暗殺した。
その上、ヨルダン川西岸では、交渉によってパレスチナ人が自治を始めていた地域の大半を、再占領した。
05年1月、アッバスが、パレスチナ人の指導者となって以来、事態は一時、鎮静化した。
しかし、06年に、イスラエルを認めないハマス政権が成立し、
同年7月に、イスラエル兵士1人が、ガザへと拉致されると、イスラエルはガザを封鎖した。
しかも、ヨルダン川西岸では、ハマスの評議会議員を、次々と拘束した。
占領と抵抗という、インティファーダの構図が続いている。
( 高橋和夫 放送大学助教授 )
出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2007」
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。


ニューヨークで行われた、数万人のユダヤの人々による、ガザ虐殺抗議集会の写真です。
メジャー局は、このことについて、一切伝えていません。
今朝は、この写真に寄せられたコメントを元に、あちこち調べたり読んだりしていました。
青木さんも、わたし同様、ガザで子育てをしている友人がおられるそうで、
わたしの親友ミリアムから聞いたように、
「催涙ガスやアパッチ、ゴム弾や機銃掃射という日常の上に、今度はミサイルに空爆……」という、
我々には到底想像もつかない、非情で悲惨な状況の中に、人々や動物は閉じ込められています。
ミリアムがくり返し言っていたのは、そのミサイルを追撃するミサイルが的を当て、同時に炸裂した時の音の恐ろしさです。
そんなものを、小さな子や動物のように、まだ未完の弱い生きものに、毎日のように体験させてしまっていることは、本当に間違っています。
これはロンドンでの抗議デモ。

そしてこれは、イスラエルでの抗議デモです。

青木さんと、コメント欄で話し合われていた方々の言葉の中から、その一部を転載させていただきます。
↓転載はじめ
「この黒帽子のハシディズム派の人達は、ずっと以前から、イスラエルの暴挙を非難していました。
ユダヤ人の中でも、極少数派だから、良心のユダヤ人なんて呼ばれているんです」
「実際には、スティーブン・スピルバーグのように、イスラエルの虐殺に寄付をするシオニストの方が、圧倒的多数です」
「世界中から反対の叫び、それでもヤルのは、アメリカと同様に、武器使用期限から来る在庫一掃セールなのか?
人の命を奪う以外に使い道の無いハサミは、誰もをバカにすると感じてます」
「ユダヤの人々とは、一体何を持って指すのか?
正直解らないのが本音です。
ジプシー、ロマ、様々な形で世界中に居る人々、ウクライナやアゼルバイジャン等の東欧圏まで含め、様々な血が混ざってるのは間違い無く、
それでも尚、ユダヤ人の国と言う敷居を設け、土地の略奪と殺戮を繰り返すのは、意図的なユダヤ人消滅を願ってるとすら感じます。
武器を使うという行為が、自国の尊厳や平和を維持する為で『無く』、経済活動であるとハッキリしている時代にする殺戮は、明確に犯罪なのに……」
「ユダヤとは宗教であり、人種ではないという説明が基本にあります。
他の人によれば、宗教としてのユダヤと、人種としてのユダヤ人と、2種類の見方もあります。
一番問題なのは、ユダヤをカモフラージュに使い、偽りの「ホロコースト」をバネにして犠牲者の中に隠れ、
実際には、金融システムを独占しては世界独裁体制を作っている、比較的少数のマフィア・グループだと思います」
↑以上、転載おわり
そして、わたしの転載の承諾を尋ねるコメントに対して、快諾してくださった青木さんの返事の中に、
「インティファーダが行われるのかは解りませんが、何とか誰もが出来る事をする時と思います」とあり、
インティファーダという言葉を知らなかったので、そのことについて調べてみました。
Wikipedia『インティファーダ』
こちらの方がわたしには分かりやすかったので、
知恵蔵2014の解説
『インティファーダ』
1987年末、イスラエル占領地で、パレスチナ人が一斉に、投石などでの抗議行動を開始した。
これを、第1次インティファーダと呼ぶ。
この鎮圧に失敗したイスラエルは、力だけでは、パレスチナ人の民族主義を抑えることはできないと悟った。
1993年のオスロ合意を受け、抗議行動は、一応の終息を見た。
2000年9月末、シャロンが、多数の護衛を従えて、エルサレムのイスラムの聖地(ハラム・アル・シャリーフ)に入った。
これにパレスチナ人が反発、占領地全域で、イスラエル当局と衝突した。
イスラエル国内のアラブ人地区でも、抗議運動が発生。
このパレスチナ人の蜂起を、聖地内のアル・アクサー・モスクの名を冠して、アル・アクサー・インティファーダと呼ぶ。
オスロ合意以前のインティファーダの再燃、との視点に立てば、第2次インティファーダでもある。
蜂起の背景には、1993年以来の中東和平プロセスの成果が、あまりに乏しかったという、パレスチナ人の不満がある。
第1次インティファーダにおいては、投石などの手段が主流であったのに対し、
第2次インティファーダでは、小火器、迫撃砲、さらには手製のロケット弾などが、パレスチナ側によって使用された。
また、イスラエル国内での、パレスチナ人による自爆攻撃も、続発している。
対するイスラエルは、戦車、ジェット戦闘爆撃機、ミサイル搭載ヘリコプターなどの圧倒的な火力で、パレスチナ側を攻撃、
さらに、パレスチナ人の指導層を、「テロリスト」として、次々と暗殺した。
その上、ヨルダン川西岸では、交渉によってパレスチナ人が自治を始めていた地域の大半を、再占領した。
05年1月、アッバスが、パレスチナ人の指導者となって以来、事態は一時、鎮静化した。
しかし、06年に、イスラエルを認めないハマス政権が成立し、
同年7月に、イスラエル兵士1人が、ガザへと拉致されると、イスラエルはガザを封鎖した。
しかも、ヨルダン川西岸では、ハマスの評議会議員を、次々と拘束した。
占領と抵抗という、インティファーダの構図が続いている。
( 高橋和夫 放送大学助教授 )
出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2007」
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。