ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

米国おっちゃん事情

2009年02月28日 | 米国○○事情
今日はお昼から、今年の10月3日に行われるカーネギーの小ホールでのコンサート実行委員会がありました。
英語の語学力がトホホのわたしですが、ディレクターの一人に選ばれ、ド厚かましくも引き受けちゃったので、参加してきました。

朝から、ゴスペルの全米大会を勝ち抜いた上位7位グループの発表コンサートを聞きに行っていたAちゃんと、そのミーティングのカフェで待ち合わせして、
そこにうちの旦那も合流し、寒空の下、ウェストヴィレッジからソーホーの町をブラブラ歩き、チャイナタウンの食堂で夕飯を一緒に食べました。


さて、今日、偶然に会った、とても印象に残った3人のおっちゃんのお話です。

ひとりは、モントクレアから乗ったバスの運転手さん。
いつもはバスの乗車賃用に、5ドル札を用意していくのに、バタバタと慌てていて忘れたわたし。かなり嫌がられる20ドル札しか持っていませんでした。
「すみません、20ドル札しか持ち合わせてなくて……」と言いながら差し出すと、
「いいよいいよ、あんたはきっとそうだろうなと思ってさ、ホレ、これをちゃあ~んと昨日の晩から用意しといたのよ」と言って、ハンドルの下の方から、丸めたお札の束を勢い良く取り出して渡してくれました。
なんとまあ、楽しいおつりの渡し方をしてくれるおっちゃんだことよ!いっぺんに嬉しくなりました。
そして次の男性が、「あのさ、飲食物持ち込み禁止だよね。でも、お水ぐらいいいかな?」と尋ねながら乗り込むと、
「水は全然かまわないよ~。だって、なんてったって水だもんな~。こぼそうが吹き出そうが、乾いたらハイそれまでよってもんだ。あ、コーヒーは駄目だよ。あれは困る。乾いたらもっと困る」
次の駅で乗ってきた若者、賃金を払って後ろの席に座ろうとしている時に、いきなりおっちゃんの声がスピーカーから聞こえてきました。
「あ~そこの若い旦那、こっち来て。あ~だめだめ、席に座っちゃだめ。10ドル払っておつり取らないで行っちゃうんだからさあ、座ったらおつり無しだよ。いいのいいの~?コーヒー2杯分損しちゃうよ。あ、スタバだったら1杯か」
さらに、次の駅で乗り込もうとした東洋人の若い女性。でも連れの人がまだ来てなかったのか、あと1秒待って!と携帯で連絡を取りながら叫んでいました。
おっちゃん、すかさず「1秒、2秒、3秒、4秒……」と数え始め、10秒になったところで「あのさあ、気の毒だけど、やっぱこれ以上は待てないわ。こっから先のビルで反対っ側の通りに出るからさ、そこまで全速力で走って来な。その友達にもそう言って」と言いながらバスを発進させ、
けれども異様なノロノロ運転でさり気なく待ち、通りを走りながら、でもやっぱり独りのままの女の子の姿をミラーで確認していました。
ほんの10メートルほど走ってから急にバスを止め、「やっぱり放っとけんわ」と言いながらバスから降りて道の向こうを眺めるおっちゃん。
車の中のお客も一斉に後ろを振り返り、彼女の姿を確認。残念ながら、彼女の友人は間に合わなかったようで、おっちゃんは首をふりふり再び運転席に。
「残念だったね」「まあ、しゃあないやね」
たった30分ほどの短い時間だったけれど、なんだかホカホカ温かな気持ちに包まれたバスの旅になりました。

そしてもうふたりは、チャイナタウンの夕食後、なにか甘い物を食べようというので行った、リトルイタリーの中にある喫茶店の店主と彼の友人さん。
ウナギ床の細長~いお店の中は満席。思いっきりイタリアンの店主と店員さん達が忙しそうに働いておりました。
お腹がすでにいっぱいなのに、テーブルの上のカプチーノやケーキを見るとメチャ美味しそうで、我慢できずに注文してしまいました。
Aちゃんはマキアートにチーズケーキ、旦那はカプチーノにカノーリ、わたしはディカフのカフェオレに同じくカノーリ。
↓これがカノーリです。

コーヒーとチーズケーキはどれも美味しかったけれど、残念ながらカノーリはまあまあ。ほんまに美味しいカノーリはこんなに甘く無いもんね~。

なんて言いながら食べていると、店内に流れていたアメリカンラブソングが突然止まり、カラオケマイクを手にした店主が「ハッピバァースデ~トゥユゥ~」と、かなりのイタリア訛りの英語で歌い始めました。
ああ、お客さんの中に誕生日を迎えた人がいるんだな、と探すと、一番奥に座っている女性がニコニコしながら照れていました。
お客も店の人達も一緒になってバースデイソングを歌い、拍手喝采。大いに盛り上がったところで、なにやら今度は店主のお歌が始まる気配が……。
Aちゃんが「これこれ、見て」と指差す所を見ると、そこには、オーナーライブのタイムスケジュールと、リラックスして楽しんでください!お金はタダです!の但し書きがしっかり書かれてありました。マジ?!
マジだったんですね~これが!双子が入っていそうなまぁるいお腹のイタリアン店主、まずは1曲歌い、そして昔の苦労話などを入り混ぜて、さらにもう1曲。顔はすご~く真剣です。なんだかもう、すごい世界が出来上がっておりました。
しばらくすると、すぐ横の席に座っている、同じくいかにもイタリアンのおっちゃんを紹介し始め、なんとそのおっちゃんはちょっと有名な俳優さんで、
彼もマイク片手に、映画のこと、役柄のこと、いつもは悪役で殺されてばっかだけど、今の映画では牧師やってんだ~みたいな話をしてくれたりして、
ふたりのイタリアンおっちゃん達はどんどん盛り上がり、お客はその渦にしっかり巻き込まれ、そうこうしているうちにいきなり花売りのおばちゃんまで登場したりして、おお~、この展開はかなりイケてるぞぉ~と、負けずに盛り上がる我ら3人。
「これが日本語だったらわたし達、絶対『銀座の恋の物語』なんかを歌いに飛び入りしてるよね」とAちゃん、
「まさにそ~ゆ~雰囲気!なあなあ、もうこの際やからAちゃん、イタリアン歌曲とかをおっちゃんと歌っといでよ」とわたし。

別に、どぉってこともなく終わる1日だったかもしれないのに、こんなに楽しく過ごさせてくれた3人のアメリカン&イタリアンおっちゃん達。
感謝の心の込めて、ここに書き残させてもらいました。
ありがとぉ~!!



米国ウォシュレット事情

2009年02月27日 | 米国○○事情
昨日、Aちゃんと一緒に、旦那が作った『パスタ・プタネスカ』とわたしが作ったサラダを食べ食べ、いろんな話に花を咲かせていたのですが、
二年前に初めて二人で日本旅行をした時に、佐渡島でコンサートをするAちゃんの追っかけをした時の話になりました。
高崎にあるAちゃんの実家に、娘のAちゃんがもう佐渡島に行ってしまっていて居ないにも関わらず、しかも初対面だというのに、ド厚かましくも泊めていただいたんですが、
マイペースで飄々としていて多趣味、毎日すごい長距離を歩き、ゴルフに日夜精進しているおとうさんと、
チャキチャキの上州女、上州男が自分の妻を感謝・尊敬し自慢する意味で「ウチの母ちゃんは天下一」と言うそうですが、まさにその言葉通りのおかあさん、
お二人に、それはそれは温かく迎えていただき、夜は近くの美味しぃ~いうなぎ屋さんでご馳走になり、恐縮しまくりのわたし達。
泊めてもらった翌朝5時ぐらいから、台所からこんこんこんこん、野菜を切って切って切りまくる音が聞こえてきました。
早朝ゴルフに出かけるおとうさんのための朝食はもちろん、わたし達のために、朝から何種類もの野菜料理と焼き魚、納豆などのおかずを用意してくださり、旦那はもう感激のあまりウルウルしながら、写真を撮ったのでありました。
これがその、スーパー朝ご飯です。その日は夕方までお腹がとても満足していたのを今でも覚えています。



さて、前置きが長くなってしまいました。
わたし達がお邪魔させていただいたAちゃんの実家というのは、実はAちゃんが自分とご両親のために建てたメチャクチャモダンな邸宅で、
部屋のレイアウトはもちろんのこと、器具や建具、小物のひとつひとつにまで、こだわりと遊び心が見受けられる、とても素敵な空間だったのですが、
これこれ、日本のみなさんには当たり前のウォシュレット、これに旦那がかなり感動いたしまして、何枚撮ってるねん!というぐらいパチパチパチパチ、





こちらに戻ってからは、うちに来るアメリカンを捕まえては、おかあさんが作ってくれた朝ご飯とセットで、このウォシュレットの写真を見せていました。
日本語のマイルド、パワフル、おしりとビデのワイド機能の入/切の説明を懇切丁寧にする旦那の横で、なんとも言えない顔して聞いているアメリカン達。

今日の朝ご飯を食べている時、パソコンでニューヨークタイムズを読んでいた旦那が、アメリカ人はトイレットペーパーが柔らかければ柔らかいほど喜ぶそうで、ペーパーを柔らかくすればするほど木が無駄に使われるのだ、という記事をわたしに教えてくれました。
日本人はどうだったっけ?
日本でも柔らかめってのは出てたけど、ほとんどの家庭にウォシュレットが入っているみたいやから、そんなに紙質にはこだわらへんのとちゃう?
あ、そっか、あれやったら紙いらんもんな。
え~!全くいらんってこともないんちゃう?あんな風だけでは乾かへんもん。
なんてことを朝から話しながらトーストをかじっていたんですが、ふと、こんな疑問がわいてきました。

毎日毎日シャワーするのが日課の、しかもいろんな作業を電化することに意欲旺盛なアメリカンの間に、なんでウォシュレットが流行らんのやろ?
そこで、うちのアメリカンに尋ねてみました。

なあ、なんでこの国でウォシュレットが流行らへんのやろ?
そら、ボクらアメリカンは日本人みたいにあっち方面の話をざっくばらんに話さへんから。
へ?あんた、めちゃざっくばらんやん。
それはひとえに、まうみのせい。
……。
テレビで、お尻さわやか~とかコマーシャルしてみ、えらいことになるで。
ふぅ~ん。けどさあ、こっちって毛深い人が多いねんから、余計にお湯で洗い流した方が……。
だからっ!そ~ゆ~ことを話題にせえへんのがこの国の常識やっちゅうてんねん!
そういや、そんな話に花を咲かせてる人、見たことないな。
まあ、この国でウォシュレットが流行るには、まだかなり時間と改革が必要やと思うで。
気の毒に……。

まあ、これはあくまでも、うちのアメリカンの推測ですので、あまり真剣に受け取らないようお願いいたします。

でも、残念だなあ……。


870 アベニュー

2009年02月26日 | 友達とわたし
やって来ました、ダイナマイトソプラノ歌手Aちゃん!
メールで送られてきたホテルの住所をグーグルで検索して、準備万端、彼女からの「着いたよぉ~!」電話を待つばかり。
今日はたまたま、朝のピラテスさえおサボりしたら、4時半まで仕事が無かったので、こりゃもうAちゃんをまずモントクレアに連れて来て、一緒にお昼なんかを食べ、わたし達の仕事中は留守番&昼寝をしていてもらおうと、勝手に決めちゃいました。
ちょいと疲れた声の「今タクシー待ってるとこ」連絡を受け、時間を見計らってマンハッタンへ。11th Ave.寄りの55th St.ふんふん、簡単じゃん♪
ところがところが、その辺りに行くと、ホテルがあるような雰囲気がまぁ~るでしません。思いっきり倉庫、そして学校、あれれ
こりゃいかんってんで、Aちゃんの携帯に電話すると、全く通じない、かからない、あ~ダメだこりゃ!
今度はホテルにかけてみました。オペレーターの人に「ホテルのロビーにつないでください」というと、「どうしたの?」と聞かれちゃいました。
なので、「日本から来た友人が、そちらのホテルに滞在する予定になってて、けれどもチェックインが4時なので、それまでの間遊ぼうかって」
「ふんふん、それで?」
「それで、彼女はもう1時間も前にJFKからタクシーに乗ってそちらに向かっていて、だからもう着いているはずで、けれども部屋に入れないのだから、ロビーでわたしが迎えに来るのを待っているはずで」
「ああ、今ねえ、ロビーはもうめちゃくちゃ混んでてね、ロビーに電話をつなぐことはできないのよ」
「そうなんですか……」
「ごめんなさいね、いい週末を!」
な~んて言って明るく切られちゃったわたし。
こりゃいよいよヤバいと思い、駐禁の通りに車を停めて、通りの周りを小走りで調べてみました。
そんな、むちゃくちゃに混んでるようなホテル、あったら目立つよなあ……。

かなり焦りながら、もう一度車の中に入り、頭を冷やして考えようと、メモをじっくり読んでいると……、
うん?870 Ave.、このマンハッタン島に870 Ave.なんてあるわけないやん

そこでもう一度ホテルに電話をかけ、出てきた別のオペレーターに、今度は強固に、ロビーにつないでほしいとお願いしました。
なぜだかまたまた事情を聞かれたので、前のオペレーターに説明したのとほぼ同じ話をし、4時までなんて言わないで部屋に入れてあげてよ~というお願いを追加しておきました。
やっとロビーにつないでもらい、彼女の名前を伝えると、大声で名前を連呼する声が聞こえました。でも居ないようです。
かなり心配になってきましたが、仕方がありません。もう自分で行くっきゃないと決めて、正しい住所を教えてもらいました。
7th Ave. のカーネギーホールのすぐそばにある、とても大きなホテルでした。

最寄りの通りに、幸運にも1台停められるスペースが見つかり、いそいそとパーキングメーターに小銭を入れようとすると、25セント玉か1ドル玉しか使えないと書かれてあり、わたしは1枚の25セント玉しか持っていませんでした。
まったく……困っているわたしの前に車が停まり、運転席から男性が降りて来たので、「あの、10セント玉5枚と25セント玉2枚、交換していただけませんか?」とお願いしてみました。
「お易い御用です」と言いながら、男性はポケットをゴソゴソ、後部座席に乗っている男性もゴソゴソ、1枚ずつ見つかった25セント玉をわたしの手のひらに乗っけてくれました。
「あの、これ、10セント玉5枚、受け取ってください」
「いいよいいよ、こんなちっちゃなこと。僕達からの贈り物、受け取っといて。楽しい1日になりますように」と言って、車は行ってしまいました。
時々、わたしはこういう親切に恵まれます。そしていつも思います。彼らにとっては小さな親切だけど、受けた方のわたしがどれほど助かるか、
感謝の気持ちを伝えられないまま、去ってしまう人達に、今度はいつか、どこかで、自分がなりたいなと思います。
 
Aちゃんは、ロビーの椅子にちょこんと座っていました。
電話で聞いていた通りロビーはとても混んでいました。ザッと見渡しただけでは見つからず、2度目のゆっくり見直した時に、ちっちゃい彼女を見つけました。
旅行前の3日間、大学の仕事やら税金の確定申告やらでてんてこ舞いだった彼女。ろくに眠らずにやって来て、飛行機の中で寝ようと目論んでいたのに、映画を3本も見て(「おくりびと」も観たそうな!羨ましい!)、さらに『24』まで観ちゃって、もう目がトロトロ。大丈夫かなあ。

家に着きキッチンに入った途端、「あ~落ち着くわぁ~、初めての気がしないね~」とAちゃん。わたしも旦那も同感。彼女がアメリカ初体験なんていうのが信じられません。
近所のタイレストランからテイクアウトした、パドタイとトムヤンクンを食べ、食後の鍼治療で爆睡したAちゃん、独りでお留守番をしてもらいました。
Aちゃんは先日の幼馴染みS子が伴奏者としてパートナーを組んでいた、それはそれは素晴らしい声の持ち主さんです。
ウィーン、スイス、その他いろんな場所で研鑽を積み、バッハ国際コンクールの女声部門で、S子の伴奏で1位を獲った実力者。
ポジティブ思考を持ち続けるための努力と研究を怠らない、一緒に居るとこちらまで体の芯がピンとする女性です。

「あのねえ、わたしがまうみと1番最初に会った時ね、まうみは楽屋のトイレに隠れてたんだよ。だからすっごい印象に残ってるの」
その日のAちゃんとS子のコンサートに、行くか行かないか、とても迷ったのを覚えています。
前の結婚で暮らしていた町の近くにあるホールで、そこに来る観客に、わたしを知る人が大勢いることも分かっていました。
離婚してから少なくとも6年が経っていましたが、その時はまだ、知っている人と顔を合わすことが恐くてたまりませんでした。
きっとAちゃんは、そんな登場の仕方をしたわたしを、いったい何をしでかした女なんだろうかと思ったでしょうね。
いやいや、わたしはそんなことをすっかり忘れていました。でも、話を聞いて、隠れていたトイレの鏡に映る、なんとも頼りな気な目をしたわたしの顔を、じっと見つめていた時の自分の心が思い出されてきて、あんなわたしも居たなあ……と懐かしくなりました。

彼女の歌には、詩があり、魂があり、時に笑わせ、時に懐かしがらせ、時に泣かせます。特にわたしはよく泣かされます。困ったもんです。
もしかしたらニューヨークで1年、勉強するかもしれない。そういうプランがあり、今回はその下見のための旅行です。
なんだったらうちで下宿しなよ。なぁんて、先に下宿してもらえる家を買わなあかんのとちゃいまっかぁ~と内緒で突っ込んでいるわたしです。



贅肉と金融危機

2009年02月25日 | ひとりごと
今年の1月7日から始まったYMCAの特別イベント『The Biggest Loser』、わたしはピラテスクラスのトレーナー、メリッサのチームの一員になりました。
トレーニングが始まってからものの1週間で、リタイアするかどうかクヨクヨと悩み、チームの皆から励まされ、どうにかこうにか今も続いているわたし。
アメリカ式に、トレーニングの内容を自分で決め、自分でやり、自分で申告した事項をもとに、クラス参加ポイント、体重の減少ポイントが加算されます。
わたしの場合、ブートキャンプのような過激な運動が1時間ぶっ通しというクラスは合わないので、ヨガとピラテス、それを機械を使った運動を少し、
月曜日から金曜日まで、用事やリハーサルが入らない限り、コツコツと毎日通っています。なかなか感心でしょ?
YMCAの会員料金は月に4500円ほど。なので、通えば通うほどお得になります。
ほんの数年前までは、この4500円が払えなくて、悔しい思いをしていました。
なので、旦那の仕事が仕事として成り立ってきてくれたことは、とってもありがたいです。

チームとして集まるのは週に1回、水曜日の朝8:45。体重を計るための部屋に集合し、計り終えた者から順にその日決められた運動を開始します。
そんなこんなの、そろそろ2ヶ月になろうとしている今日、メリッサがちょっと哀し気な顔をしてこんなことを言いました。
「ジャン、スーザン、まうみ(最初7人いたチームでしたが、なんと今は我々3人だけになっています)、実は……」

昨日のオバマ大統領の施政演説はすばらしく、『米国の再生』という言葉を胸に、前向きに、勇気を持って、今の苦難に立ち向かおうと、静かに決意しながら聞いた大人は数しれないと思います。
でも実際には、辛い思いを味わいながら生きている人が急激に増え、暮らしを立て直すために、今までの生活様式を変えざるを得ない状況になりました。
そういう場合、まず1番にカットされるのは、習い事や運動に通うことで、トレーナーや先生で身を立てている者にとっては厳しい世の中になりました。
YMCAも例外ではなく、会員がこのところ減り続けているそうです。
なので、せっかくのこの特別イベントも、肝心のトレーナーに払う謝礼が滞り始め、チームの解散を強いられることになったそうな。

わたしなどは、正直なところ、心の中でホッとしていたりするのだけれど、メリッサのがっかりした顔を見ていると心が痛みました。
「なんだったら、あなたの謝礼分を、わたし達3人で割って払ってもいいよ」、と言うと、
「そんなこと絶対にしないで!わたしは謝礼なんかいらない。もちろん生活のための収入は大事だけど、それとこれとは全く別なんだから」とメリッサ。
彼女はわたしよりちっちゃくて、爆裂エネルギー全開のメチャクチャ明るいアメリカン。トレーナーとしてもgreat!
結局は、これからも、無償で彼女はわたし達のためのトレーニングをやってくれるということになりました。

大人になってからの生活で、こんなふうに運動をする毎日を送るのは、わたしにとっては初めてのこと。体重も静かぁ~に、ヒタヒタと減ってきています。
まあ、2ヶ月もかかってたったの3キロじゃん、って言われたらそれで終わっちゃうんですけど……。
でもね、さ、さ、鎖骨っちゃんがね、ちょいと浮き出てきてくれたんですよ!長い長~い間、すっかり埋もれちまってた鎖骨っちゃんが!
いやあ~、懐かしいねえ、お久しぶりぃ~なんて喜んでたら、そっからちょっと下の二つの小山が……ありり?こんなだったっけ?
哀しいです、ほんとに。贅肉が減るってのは過酷です。場所を選ばせてくれないです。減って欲しい場所がちゃいます。ここだけは減って欲しないねんっ!



そんなわたしの、哀しい乙女心を知ってか知らずか、家猫は、日だまりの中で、クウクウと気持ち良さげに眠っています。

わたしはなに人?

2009年02月24日 | ひとりごと
こちらに来てからも、いろんな奇妙なことに出会いましたが、その中のひとつに、
韓国人の方々から、ものすごぉ~い自信とともに、韓国語でベラベラ~ッと話しかけられる、という現象がありまして、
軽い気持ちで「ごめんなさい、わたし、日本人なんです」なんて言おうもんなら、
再びものすごぉ~い勢いで「冗談言うたらあかんで~ケタケタケタ!」と笑い飛ばされた挙げ句、更に韓国語で話しかけられちゃいます。

初めの2,3回は、まあこんなこともあるわい、などと軽く考えていましたが、行く先々で出会った、見ず知らずの韓国人と目が合うと……。

その1 ステイプル(事務機器&文房具量販店)で。
おじさん「♨♨♨♨」ここが今空くで~と言ってるっぽい。
わたし(困ったなあ……きっとまた韓国人やと思てはるんや)
おじさん「♨♨♨♨」なにしてんねん、こっちへ来いや~と言ってるっぽい。
わたし「あのぉ~、すんません、わたし、日本人なんで韓国語が……」
おじさん、一瞬惚けたような顔になり、すぐに破顔して豪快に笑い始めます。そして、ガンガンわたしの肩を叩いて、冗談もほどほどにせなあかんで~っぽいことを大声で言っているうちに、マジで困っている様子のわたしを見て、え、まさか、そんな……と固まり、おずおずと「じゃ、じゃあ中国人?」

その2 UPS(宅配とコピーの店)で。
おじさん「あんた、韓国のどっから?」(おじさんは中国人です)
わたし「韓国じゃなくて日本から来ました」
おじさん「アハハ、僕が中国人やからって、そんなウソつかんでも」
わたし「ウソじゃなくて、日本人なんです、わたし。よく韓国の方からも韓国人でしょって言われますけど」
おじさん「あんたが日本人なんて有り得ん!いっぺん母親に事情をよく聞いた方がええよ。悪いこと言わんから、な、な」
わたし「……」

その3 YMCAのピラテスクラスで。
おばさん「♨♨♨♨」
わたし「……」もう何十回も間違われているので、ちょっと無言で抵抗中。
おばさん「あれ?ちゃうの?」
わたし「……」引き続き、無言で大きく頷く。
おばさん「こんなこともあるんやなあ……」
そこまでしみじみ言われちゃうと、いったいなんでこんなに間違われるのか、聞いてみたい気持ちがムクムクとわいてきました。
わたし「あのぉ~、もしよかったら、どうしてそう思われたのか、理由とかあったら教えてくれませんか?」
おばさん「ああ、あなたの顔のね、目とほほ骨、それから額と眉毛の辺り(ほとんどやん?!)、それが○○県の女性の特徴そのものなのよ」

○○県の正確な名前はもちろん聞き取れませんでした。けれども、おばさんの理由ってのが聞けたので大満足でした。

こちらでは、いろんな国の人達がごっちゃになって暮らしています。どこの国から来ようが、別にそんなことだ~れもいちいち気にしていません。
でも、やっぱり興味が無いわけでもないので、話せるチャンスがあると、いきなり前々から知り合い同士のような会話が始まります。
ここの人?いいえ。
どこから?日本です。
へぇ~、韓国かと思った。
よく言われます。
韓国じゃなかったら中国だろうなと思った。
それもよく言われます。
もしかしたらフィリピンかな、とも思った。
たま~に、フィリピン人の方にそう言われます。同じ名前もあるそうです。
日本なんだ~、へぇ~。

いつかきっと、韓国に行って、その○○県を訪ねたいと思っています。
それから母に、何気なぁ~く、さり気なぁ~く、聞いてみた方がいいのかしらん


日本人の根気と表現

2009年02月23日 | ひとりごと
物理学者と映画監督、まったく畑違いの方々ですが、続けて世界の注目を浴びられました。
こうやって離れて暮らしていると、どんな分野の方であれ、こつこつと積み上げられてきた物事に対して、真っ当な評価を受けられたニュースを聞くと、
日本で暮らしていた時に比べて、喜びが大きいというか深いというか、お会いしたこともないのに、同じ日本人として、なんていう気持ちまでわいてきます。

物理は、自慢じゃないけれど、授業中、英語よりもよく寝ていた科目です。
自分が物理を勉強する意味がどうしても分からなくて、それを有無を言わさず押し付けられているってことが気に食わなくて、
よく言えば反抗、悪く言えばただの居眠り、教師が『グズラ』そっくりの歩き方をしたり、変な言葉使いだったりするのをたま~に起きて眺めているだけ。
なので、ああいう分野の学問に楽しさや興奮を感じる人達は、もうそれだけでわたしにすれば宇宙人的存在なのに、
それを極めたばかりか、ノーベル賞まで獲っちゃって、あんまりびっくりしたので、いったいどんなことを研究してはったのか読みました。
すると、とんでもない根気の持ち主だったことがひしひしと記事から伝わってきて、こりゃノーベル根気賞だわな、なんて思いました。
ただし物理学は、日本語で説明してもらっても、トホホなぐらい理解不能。記事に書かれてあった内容は全然分かりませんでした。すんませ~ん。

滝田監督の『おくりびと』は、奇をてらったような物ではなく、時代物でもありません。
職業としてはやや奇抜ではあっても、現代の、日常にある風景が描かれた作品が選ばれたのは、ある意味すごいことだし、
今のアメリカの国全体の気持ちにタイミング良く乗っかれた運の良さもあったかもしれません。
でも、いずれにせよ、現代の日本の映像が、たとえ膨大な数ではなくても、これを機会にできるだけたくさんの、日本を知らない人達の目に触れるきっかけができました。
日本を離れてから早9年。その間に、日本映画の力がぐんぐん上がってきたような気がします。
なかなか作品を観られないのだけれど、新聞やその映画の公式サイトなどからも、ハンパじゃなくてとてもいい内容だということが分かる作品が増えました。
今度日本に行った時、丸一日空けて、気になる作品をごっそり借りて、一気鑑賞してみようかな。
日本語だもんな~、言ってること、ぜぇ~んぶ分かるもんなあ~。あ~楽しみ
もし、これは絶対にお勧め!という映画がありましたら、教えてください。お願いしま~す!

おくりびと

2009年02月22日 | ひとりごと
アカデミー賞、短編映画と外国語映画部門で獲りました!!
びっくりしたぁ~!!
嬉しかったぁ~!!

けど、滝田監督と加藤監督、候補に上がってらっしゃったんだから、もうちょっと、ほんの少しでもいいから、スピーチの特訓を受けてこられたら良かったのにと、うるさいおばちゃんは思いました。

せっかくの晴れ舞台だもんね。世界に通じる作品を作っている人なんだもんね。


米国車検事情

2009年02月21日 | 米国○○事情
本日、車検に行ってまいりました。
本当は去年の11月で切れていたのに、それに全く気がつかず、慌てて車検場に車を持ってったら、そこでまた、保険の更新カードが無いのを指摘され、
結局、保険会社にちゃんとカードを送ってよ~という電話をかけて、送られてきた時点でもう一度車検を受けるはずだったのに……、
そこで再び大ボケ夫婦のわたしと旦那は、再車検に行くのをなんとな~く忘れてて(このなんとな~くってのが特徴です、ハイ)、
先日の、リンカーントンネル突入直前の、暇そぉ~だけど視力は超人並みだったおまわりさんにとっ捕まってしまったことにつながるわけでおます。

そこで今日、漢方の勉強をしにマンハッタンに行った旦那の代わりに、わたしが車検をしに行ってきました。
いつもは近所の、同じ町中にある小さな車検場に行けばよかったのですが、そこがなんらかの事情で廃止になり、車で15分くらいの所にある、陸運局まで行かなくてはならなくなりました。
こちらの車検はとても簡単。安全&排ガス点検を、ものの10分ぐらいで済ませてくれます。
車に問題があったら修理をして、また検査を受ければ良く、無かったらそれで終わり。検査はすべて無料です。
巨大な倉庫のような建物の中に、列を作った何台もの車が吸い込まれていきます。
それぞれの点検箇所で車を停めて、車をガタガタ震わせたり、揺らせたり、検査の種類に応じた装置がいろいろあって、見ていて楽しい場所です。

ってなことで、車検場につながる道を走って行くと、入り口があって、そこでみんなチケットを受け取っています。そこに大きな看板がありました。
なになに?
『車検切れ2ヶ月以上の車は、ここで車検を受けることはできません。最寄りの私営の車検場に行って受けてください』
がぁ~ん……。お気軽だったわたしの頭の上に、サァ~ッと灰色の雲がたちこめてきました
フロントガラスの左下の車検ステッカーには、しっかりくっきり2008/11という数字がぶっとい字で印刷されています。3ヶ月経過してるやん……
けれども、その上に、あともう一枚、ピンク色のちっちゃいステッカーが貼ってあって、車検を受けに行ったけど、受けさせてもらえなかった、という証明にはなります。よし、それを説明すりゃなんとかなるだろうと腹をくくりました。
それにしても……昨年の8月からこのブログを読んでくださっている皆さんはもう、気がついていらっしゃると思いますが、
なんでこうなるの?なんでこんなにも、物事がスウッと進まないの?でしょうか……。
まあそりゃ、あんたがあんただもんなあ……しゃあないんちゃいまっか?と言われてしまいそうですが……。

単に車検に来ただけの車か、前に問題があって再車検に来た車かを振り分ける地点で、係のおっちゃんがおもむろに近づいて来ました。
「あのな~、あんた、看板読んでないの?この車、ここではね~」
「分かってます分かってます、ちゃんと読みました。でもね、ほら、これ、このステッカー見て見て!実は車検受けに行ったんだけど、ええと、その時保険証が更新できてなくて、それで受けられなかったんです。だから、純粋には11月じゃなくて……」
「じゃあ、その証明になる紙出して」
「え?」
車のポケットというポケット、それからコンパートメントの中も探したけれど、予想通り、そこにはそれらしき紙なんてありません。
「あの、無いみたいです」
「じゃ、その紙見つけてまた来たらいいじゃん」と軽く言うと、退場ぉ~!とばかりに指差すおっちゃん。
「ちょっとちょっと、また来たらなんて、そういうこと言わないでよぉ~」
すたこらサッサと離れて行くおっちゃんを大声で引き止めました。
「もうね、わたしね、ここに来るまでの間だってさ、そりゃもうビクビクで、おまわりさんに止められやしないかって泣きそうになりながら走ってたんだから~。お願いだから、車検受けさせてよぉ~。ねえ~お願いだからぁ~」
まったく……こないだ注意を受けるまで、なぁ~んにも心配なんかしないで、へぇ~きでガンガン走ってたくせに……
「……しゃあね~な~、ったく。多分、この先でもういっぺん止められると思うけどさ、おんなじように説明してみな。もしかしたらオッケーしてくれるかもしんねぇからよ」
アメリカ万歳!このアバウトさ、だいちゅきヨン!
結局、おっちゃんのおっしゃった通り、もう一度止められて、同じ泣き言で訴えました。そして列から追い出されることなく、めでたく車検場に

今日の陸運局の車検場は、さすが陸運局だけあって、列が7本もありました。
列に並ぶのを許してもらってからのわたしは、余裕綽々で小節を読み読み、その景色を眺めていました。なかなか圧巻でした。
今回の場合、別に車に問題があったわけではなかったので、あれこれ心配しもって待つ必要がありませんでした。
待合室では、前に検査に落ちて修理したけれど、今度は無事に通るかなあ……と心配しいしい待っている人が2人いました。
気持ち、わかるなあ……、無料とはいえ、何回も来直さなければならないのは面倒だもんね、などと心の中で思いながら聞いていました。

さあこれで、な~んの引け目も感じずに、おおっぴらに、お天道様の下を運転できます!(それが当たり前でしょ?!)デヘヘ

もしもあの時、

2009年02月20日 | ひとりごと
S子とW氏、そしてわたし達夫婦4人で、いろんな話をしました。
W氏はアメリカのテキサスで生まれ育ち、ヨーロッパに移り住んでからはヨーロッパ各地を周り、その時代時代の出来事を生身で体験してきたオペラ歌手さんです。
なので、いろんな話といっても、上っ面ではなく、聞いているわたし達も心の奥がゾクゾクするような真実みがあります。

歴史上には、もしあの時○○が○○だったら……ということが頻繁に起こっています。その一例として、W氏の話の中に、ヒトラーの名前が出てきました。
わたしは多分、途方も無く無知の部類に入る大人なんでしょう。ヒトラーがドイツ人ではなくオーストリア人だったことも知りませんでした。
その時点でびっくりしていると、W氏は続けて「彼はとても絵がうまかったんだよ。だから彼は美術方面の大学に進みたかったんだ」と続けました。
「でも、学校は彼を入学させなかった。もしあの時、あの学校が彼の入学を許可していて、彼が美術家になる夢を果たせていたら……」
あんな悲惨で無謀で愚かな殺戮は起こらなかった……のでしょうか。

わたし達のような、市井の市民ひとりひとりにも、あの時もしも○○だったら、とか、あの時もしも○○じゃなかったら、という瞬間があります。
それは、その人の人生をいっぺんに変えてしまう出来事であったり、少しだけ方向を変えるだけのものであったり、
いずれにせよ、生きていく道の上に、もしも……という言葉の石が、所々に落ちているのが人生ってもんなのかなあ、と、少ししみじみと考えています。

La Rondine

2009年02月19日 | 音楽とわたし
はっきり言って、あんさん、好きなようにしなはれ!って思わず最後に立ち上がって説教こきたくなるようなお話でした。

オペラ通というより、まさにその世界の第一線で仕事をしているS子でも、まだ1回も観たことが無いから選んだ、というオペラ、
お話を一言で言うと、あるお妾さんの夢に振り回されたある若者の嘆き、ですね。
いっぺんは燃え上がるような恋をしたかったけれど、結婚して子供を産んで、なんてのは論外だった女性に振り回された若者、さっさと旦那の元に戻るお妾。
ほんとにこれっきりのお話です。

でも、さすがにプッチーニ、音楽が素晴らしかったです。
彼の東洋的な旋律が、じわじわと盛り上がっていくのにつれて、心がキュウンと切なくなります。さすがだなあ。

舞台の上では、恋人になってラブラブで暮らすお妾さんと若者のキスシーンが何回も何回も(ちょっと珍しいくらい)あって、
それにすっかり感化されたのか、左横に座っていたレズビアンのカップルも、すっかり盛り上がってキスしまくり。
なかなかワイルドなオペラ鑑賞と相成りました。


さて……オペラの前に、S子&W氏と待ち合わせしたイタリアンレストランに向かって急いでいた時、
丁度ニュージャージーとマンハッタンを隔てるハドソン川を横切るリンカーントンネルに、今まさに入るぞぉ~という時、
列に対面して停車していたパトカーのおまわりさん、いやあ、ああいう仕事って退屈やろなあ、お気の毒に……とついついジロジロ見てしまったわたし……、
目が合ってしまいました。かなり自分の仕事に嫌気がさしているような表情です。その時、なにかいや~~~な予感がしたので、慌てて目をそらしました。
おまわりさん、ドアをおもむろに開けて外に出ると、真っすぐにわたし達の車の方に向かってスタスタと歩いて来ます。
あ~あ、見るんやなかった……。別に、わたしにはなんの意図もあらしまへんだのに。お気を悪されたんやったらかんにんでっせ。

運転している旦那が窓を開けると、再車検のステッカーを指差さして、「これってどういうこと?」って聞かれてしまいました。
話が長くなるので説明は省きますが、再車検をしなければならなかったのに、それをすっかり忘れてしまっていたのでした。
必死に説明をする旦那。しおらしくうつむくわたし。かなりしつっこく説明を求めるおまわりさん。
この罰金って高いのかなあ……100ドル超えたら痛いなあ……。わたしの頭の中では、ドルがグルグル回っていました。
待ち合わせに急いでいるけど、そんなこと言っておまわりさんの機嫌をこれ以上損ねることは、自分の首を絞めることと同じです。ぐっと堪えました。
おまわりさんはパトカーに戻り、しばらくすると戻ってきて、
「あのね、今回はまあ、警告扱いってことにしといてあげるから、さっさと行っときなさいよ」と言ってくれるじゃありませんか?!
おおぉ~、いい人や~。彼の背中に羽根が生えているように見えました。人間なんて勝手なもんです。

こちらに来てから、警察に呼び止められるのはわたしの専売特許でしたが、今夜はとうとう、旦那も呼び止められてしまいました。や~いや~い!
まあ、横にわたしも乗ってたんですけどね。

今夜のイタリアンのご馳走(魚介類パスタと前菜のマッシュルーム、デザートのこってりチョコケーキ)もオペラも、S子&W氏からのプレゼントでした。
めっちゃ楽しかった。ありがとうね~!

2人は今、向かいの部屋の、エアベッドで寝ています。明日の朝、また一緒に朝ご飯を食べて、昼過ぎまでゆっくり話などしながら過ごす予定です。