ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「まず、総理から前線へ、賛同しておられる方々も続いてどうぞ」ど~ん!

2012年12月19日 | 日本とわたし


この写真は、今から30年も前の1982年に、広告批評という雑誌のグラピアの6月号に掲載されたものだそうです。
どこの国でも、軍隊を保持している国では、爺さん連中が軍隊や兵器工場を次々におっ建て、ウハウハ儲け、
アドレナリン満開のおっさん連中が、自分らの好奇心と支配欲を満たすために指図をし、
女子どもを容赦なく殺せるように、人格をぶっ壊す訓練を集中的に受けた若者達が、現場でハタと気がついて、おかあさん!と叫びながら傷つき死んでいく。
こんな愚かな国の仲間入りをしようとする動きは、絶対に許したくないと思っています。

以下の記事は、今から10日も前に掲載されたものですが、関連している内容なのでここに転載させていただきます。

↓以下、転載はじめ

憲法改正のマジック
【東京新聞・社説】2012年12月9日

憲法で禁じた集団的自衛権の行使を法律によって可能にする、こんなからくりが国会で進みつつあります。
実現すれば、平和憲法はなし崩しになります。
 
16日投開票の衆院選挙で、集団的自衛権の行使容認を訴えているのは、自民党、日本維新の会、国民新党など複数あります。
公約には掲げていないものの、野田佳彦首相が、「見直す議論を詰めていきたい」と述べるなど、民主党の中にも容認派はいるようです。
尖閣諸島などの問題や、国内の行き詰まった状況が、ナショナリズムを高めているのでしょうか。

◆集団的自衛権行使へ
 
集団的自衛権とは何なのか。
あらためておさらいします。
1981年、政府は答弁書で、集団的自衛権について、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、実力をもって阻止する権利」と定義したうえで、
「わが国が主権国家である以上、集団的自衛権を有しているが、憲法九条で許容される必要最小限の範囲を超え、行使は許されない」としています。
政府見解は定着しており、憲法改正を経なければ、集団的自衛権行使は認められないはずですが、「国家安全保障基本法」の制定によって行使が可能になるとの見方が、政党間で急浮上しています。
例えば、自民党は、7月の総務会で、国家安全保障基本法の制定を決めました。
まだ法案の概要しかありませんが、次に、政務調査会が、詳細な中身を定めていきます。
法案の概要をみると、第10条「国連憲章に定められた自衛権の行使」は、国連憲章51条の規定を根拠に、集団的自衛権の行使を認めています。
第11条「国連憲章上の安全保障措置への参加」は、国連安保理決議があれば、海外における武力行使を認める内容となっています。



◆憲法解釈変える法律
 
どちらも、憲法九条の解釈に、明らかに反します。
憲法違反の法案は、国会提出さえできないのでは、そんな疑問が浮かびます。
 
一面はその通りです。
行政府の中央省庁が、法案をつくる内閣立法なら、憲法との関係を審査する内閣法制局の段階でストップがかかり、国会提出には至りません。
国会議員が法案をつくる議員立法となれば、話は別です。
衆院、参院、それぞれの法制局が審査して意見を述べますが、提出を決めるのは、立法権のある国会議員。
国会で法案を説明するのは、提出議員のため、答弁に窮するような問題のある法案が、提出に至ることはまずないのですが、前例があります。
 
2010年5月、中谷元・元防衛庁長官ら5人の議員が、「国際平和協力法案」を衆院に提出しました。
先月の衆院解散により、審議未了で廃案となりましたが、海外での武力行使が不可避な自衛隊の活動が3項目含まれ、憲法違反が疑われる内容でした。
 
国家安全保障基本法案も、議員立法の手続きが予定されています。
自民党は、この法律とともに、集団自衛事態法、前出の国際平和協力法を制定し、自衛隊法を改定するとしています。

 
これらの法律が成立すれば、集団的自衛権行使や海外の武力行使が、解禁されることになります。
法律が憲法違反か審査する憲法裁判所のような規定が、わが国にはないため、法律によって憲法解釈が変更され、「国のかたち」を変えるのです。
やがて、憲法が、自衛隊活動の実態に合わないとの批判が起こり、新たな憲法が制定に至ると見込んでいるのではないでしょうか。
まるでマジックです。
 
国会で過半数を占めさえすれば、国家安全保障基本法は成立します。
3分の2の国会議員の賛成や、国民投票が必要な憲法改正と比べ、なんとお手軽なことか。
与党であっても党内で反対され、この裏ワザはとらなかったのですが…。
 
07年、自民党の安倍晋三総裁は、首相だった当時、自衛艦と並走する米軍艦艇の防御、米国を狙った弾道ミサイルの迎撃など4類型を示し、集団的自衛権行使の容認を目指しました。
いったいどの国が、世界一の軍事力を誇る米国に対して、正規戦を挑むというのでしょうか。



◆海外の武力行使が可能に
 
起こりそうなのは、米国による海外の戦争に参加して、武力行使することではないでしょうか。
第二次世界大戦後、各地で起きた戦争や紛争の多くは、米国や旧ソ連が介入して始まりました。
「大量破壊兵器を隠し持っている」と言いがかりをつけて、米国が始めたイラク戦争に、英国は集団的自衛権を行使して参戦しました。
イラクへは、陸上自衛隊も派遣されましたが、憲法の規定から、人道復興支援にとどまりました。
 
日本の平和を守り、国民の安全を守ってきた憲法を、法律でひっくり返す「法の下克上」は、断じて認めるわけにはいかないのです。

↑以上、転載おわり


ここ数日、先週の金曜日に起こったコネチカット州の小学校での乱射事件が発端となり、
これまでにもこういう事件が勃発するたびに論議されてはうやむやになり続けてきた銃規制について、いよいよ今回ばかりはうやむやにはせんぞ!という気運が生まれてきてる。

『今日はまだやらへん?ほないつするっちゅうねん?』というプラカードを掲げて抗議する人が街角で立ってたり、
英国人としてアメリカを客観視する役回りを与えられてるCNNのピアース・モーガンが、毎晩顔を真っ赤にして、全米ライフル協会の関係者とやり合うてたり、
フロリダの女性民主党上院議員が、1月の新議会で、1994年から2003年まで有効やった「自動小銃および連射用マシンガンの禁止」を立法として提出すると決めたり、
オバマ大統領がついに、銃規制特別審議会を来月早々に開くと宣言したり、
ほんで、ニュータウン町の住民が一致団結して、「ワシントンへ向けて銃規制の実施を訴える」運動を開始すると表明したり……。

全米ライフル協会の人間が、「校長もM4ライフル持ってたらよかったのに」と言うたのを聞いた時、腹の底から怒りがわいてきて吐き気がした。
目には目を、銃には銃を、兵器には兵器を、軍には軍を。
こういう暴力対暴力が、なんの解決にもならんことが、なんでわからんのやろか。
もちろん、そんな思想だけのこととちゃう。
ライフルや兵器の陰には、大儲けしとうてウズウズしてる人間のクズがいて、そいつらが権力や金を有り余る程持ってる人間に近づいていく。
銃メーカーは、2008年に、ブッシュ政権が憲法をいじって作った新たな法律で、銃がもっと簡単に買えるようにしたおかげで、この4年の間にとんでもなく儲かった。
株も上がった。
州によって法律がちゃうから、車で州境を通るたび、ここはどっちやったっけかと、ふと考えることがある。
もし、銃の規制が緩いとこに入り込んでたら、人の動きにもっと注意を払わなあかんから。

もうやめような。
間違うてることは、どこでどう誤摩化したって間違うてるねん。
人殺しに国の若いもんを行かせる国は、絶対に間違うてるし、いつかきっとバチが当たる。
日本の平和憲法は、世界に誇れる宝もの。
そんな大切なもんに、汚い手で触るな! 

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15 コメント

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日本国憲法を見てみましょう! (じゅんこ)
2012-12-20 12:10:08
 まうみさん、こんにちは。

日本国憲法前文には、「われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って書いてありますね。「これに反する」のこれとは何でしょうか?

前文を最初から読むと、「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と議会制民主主義を言っていて、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と不戦を誓っていますね。そして「ここに主権が国民に存することを宣言し」と、国民主権を謳ってます。

憲法第10章最高法規第98条には、「この憲法は国の最高法規であってその条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部はその効力を有しない」ってなんだかややこしい条文になってますが、要するに日本国憲法の核である、「国民主権・基本的人権の尊重・国際平和主義」に反する憲法や法律は作れないって書いてるんですよね。

そして一番大事なのが第99条、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負う」って書いてあるってことは、日本国憲法を守るのは、総理や閣僚、国会議員、最高裁、検察や警察や自衛隊やその他の高級官僚から地方公務員ってことですね。

日本国憲法を見れば(読まなくても)、主語は「日本国民は」だったり「われらは」だったりするから、その言葉だけでわたしたち国民が為政者に要求してる規範だってことがわかりますよね。
元々憲法って西洋の思想から生まれたものだから、「憲法は国家権力が暴走しないように縛るもの」「国民から国家に対する命令書」ってことなので、国民がその中身を知ってるかどうかで、民度も国の形も変わると思ってます。ドイツや北欧はしっかり高福祉国家・社会民主主義を実現してますよね。

東京新聞には「行政府の中央省庁が、法案をつくる内閣立法なら、憲法との関係を審査する内閣法制局の段階でストップがかかり、国会提出には至りません。
国会議員が法案をつくる議員立法となれば、話は別です。」って書いてあるけど、わたしはそうなのかな?って疑問です。

まず内閣法制局っていうのは、おざわさんも廃止したらいいって言って大ブーイングを受けたことがあるけど、所詮内閣(行政)なんですよね。安倍政権になっても今まで通り機能すると考える東京新聞もわきが甘いなって思います(笑)
国会には衆参法制局があるわけだから、人員や予算を増やしたりして機能強化をして、憲法41条「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」を守り、官僚に(官僚のための)法律、(国民に押し付ける)悪法を作らせないことが大事だと思っています。

そして、国会議員が作る議員立法でも、憲法の基本原則を無視した法律は作れないということですよね。「集団的自衛権」なんてもっての外だと思います。

でも、国民が憲法の内容を知らないから、声の大きい人たちやマスコミにいろんなことを刷り込まれて、ニッポンが危ない、侵略されるって大騒動するんですよね。

日本国憲法がいう国際貢献とは、キューバのように貧しい国に医療支援をしたり、日本の得意分野で技術支援を各国にしたり、自然エネルギー開発等で世界に貢献することですよね。
民間のNGOがアフガニスタンやアフリカに井戸掘ったり、東南アジアの水を浄化したり、戦争で傷ついた人の義足を作ったり、劣化ウラン弾の放射能被害で苦しめられてる子供たちに医療支援をしたり、いろんな国にサポートしてますが、これを国家プロジェクトとしてやれば、日本を攻めてくる国は無くなるのではないですか。

軍隊を持ったらまた戦前のイメージが甦り、ヘンな誤解を受けてやられる前にやっちゃおうとかで、原発狙ってノドンが飛んできかねませんよね。
マスコミによってマイナスイメージだけを植えつけられた国民が多いですが、改憲されて今までの自由な発言が謳歌出来なくなる前に、後悔する前にとりあえず日本国憲法を読んでみることをお薦めしたいです。
いずれある憲法改正国民投票では、わたしたち国民が決断しないといけないわけだから、マスコミの言うことじゃなく、自分の頭で考えて1票を投じて欲しいですね。
もちろん同時に自民党の改憲草案もじっくり読んで比較しないといけませんよね。
第18条や第95条、第97条が削除されるということがどういうことか想像して欲しいです。
平和ボケしてる段階はもう終わりにしたいですね。
返信する
続けて失礼します。 (じゅんこ)
2012-12-20 12:27:14
 まうみさん、教えてください。

アメリカは銃を持ってる人が3人に1人くらいいるってテレビで言ってたような気がしますが、まうみさんは持ってますか?どういう人が持ってるんでしょうか?
相方さんはどうですか?
もし相方さんが銃を持ちたいって言ったらどうしますか?となりご近所さんはいかがですか?
世界ではどうなのでしょうか?こういうこと全然知らないのですが、もしかして銃の携帯を憲法で定めてるのはアメリカだけですか?持つ・持たないは自由ってことなんでしょうか?

ニッポンも銃社会でだんなが銃を持ちたいなんて言ったら、相当人間不信に陥ると思うのですが、銃を持ってるお友達とも普通にお付き合いできますか?
すごい、ぶしつけな質問ですみませんが、なんとか理解出来ればなって思ってます。
お答え、よろしくおねがいします。
返信する
じゅんこさんへ (まうみ)
2012-12-21 01:18:01
この、憲法に関するじゅんこさんのコメントをまた、記事に転載させてください。
こちらに留めておくにはもったいないと、読んで思いましたので。

アメリカの銃規制は、州によってまちまちです。
どこの州がどうこう、というのはわたしにも把握できていません。ネットで検索してくださったら出てくると思います。
前にも言ったことがあるかもしれませんが、アメリカという国は、日本人が日本、と言う時の感覚で考えることができない国だと、こちらに住んでやっと理解することができました。
とにかく、アメリカ、という言葉で括ることができないのです。
州によって全く違いますし、アメリカ人自体も、そういう違う物事、違う人種が迎合している、という観念が、深く浸透しているからです。

ですから、三人にひとりという数字も、全国を総合して言っているのか、それともどこかの州に的を絞っているのか、それによって意味合いが違ってくると思います。

うちには銃はありません。
規制が緩い州に引っ越すつもりもありません。
規制が緩い州に引っ越しても携帯するつもりがありません。
ただし、そうすると、災難に巻き込まれる可能性は高くなります。
相方が銃を持ちたいと言った場合は、徹底的に話し合います。
話し合って結果がどうなるかは、わたしにはわかりません。
彼が持ちたいと思う人間とは到底思えませんが、ペンシルバニアの実家には、猟のためのライフルがあります。
現物は、結婚して20年経った今でも、見たことがありません。

世界がどうなのかも、調べたことがありません。
銃の携帯を憲法で定めているのがアメリカだけなのかどうなのかも知りません。
持つ・持たないは自由ではありません。
州ごとに法律があり、州によっては違反で、逮捕されます。

銃を持っているということが、その人の人格にまで影響していることがはっきりしたなら、付き合うか付き合わないかを考えた方がいいかもしれません。

今、この国は、一部の人間にとって都合よく手を加えられてしまっていた憲法二条について、必死で考え始めました。
今回の事件で、小さなお子さんを亡くされた親御さん達は、必死に、こう訴えておられます。
『犯人は自閉症だと報道されているが、自閉症の方達を非難することを許さない』

わたし個人としては、息子が1回生だった春に起こったバージニア工科大での事件の際も、大学と町が即座に出した『韓国人、および東洋人への偏見と非難を許さない』という声明を聞いた時と同じく、この社会の成熟度の高さに感心しています。
これはあくまでも、一面に過ぎないのですが。
返信する
ありがとうございます。 (じゅんこ)
2012-12-21 12:45:24
 まうみさん、アメリカは合衆国だったんですよね。州が集まって、法律もそれぞれ違うから、銃規制に関しても別々で、まうみさんはたまたま規制の厳しい州に住んでるってことなんですね。納得しました。

以前ノルウェーで銃乱射事件があって70人以上の方がなくなった事件で、その裁判が今年あったと思いますが、死刑制度のないノルウェーでは、最高刑の禁錮刑でしたね。その時もびっくりした記憶があります。
そういう民度をニッポン人は持っていませんね。

わたしは憲法は独学で、気に入った人の本とかを読んでるだけで、突っ込みどころ満載だと思いますが、わたしの憲法なんだからこれでいいんだって開き直ってます(笑)

憲法前文の最後に「日本国民は国家の名誉にかけ全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」って書いてあって、その当時はまだ生まれてなかったのでさすがに誓えなかったけど、日本国憲法を読んで日本国民として納得したから、理想に向かって行くんだってちゃんと誓いを立ててますよ、心の中で。。。
返信する
Unknown (marikuna)
2012-12-22 01:30:58
こんばんは。FBで福島で配られた自民党のパンフを見て、こちらへ来ました。

戦争に関してはその通りだと思うんですが、銃に関してはいろんな事件を起こして、市民から銃を取り上げようとしているという説もあります。

どうなんでしょうかねえ・・・。
友人のアメリカ人は、銃はちゃんと使えば危ないものではない、と言っています。
昔は猟は生活するのに当たり前のものだったし、家畜を守るためにも使われてたわけです。

それをこういう事件を起こすことで、銃は危ないものだという刷り込みになり、どんどん規制する方向に行く。。。

どうして銃が危ないものになる社会になって行ったのかというところに焦点を当てるのが大事な気がします。

その中には食べ物の問題(遺伝子組み換え、添加物など)、社会構造(武器商人、銀行家をトップとした搾取構造による人々の閉塞感)なども含まれてると思います。


幸い日本はまだそこまで行っていませんけど、今回の不正選挙によって戦争に持ち込まれないことを祈るばかり。

息子を持つ(まだ小学生ですが)友人などは、真剣に海外に行くことも考えてるようです。

すでに放射能に反応して九州からイギリスに子連れで留学してる友人もおりますが。。。

私自身は旦那がグルジア人ですが、経済状況を考えると、おいそれとグルジアに引っ越すことも出来ず、九州から日本の行方を見ています。(脱原発かかわってます)

返信する
marikunaさんへ (まうみ)
2012-12-22 12:58:01
こんばんは、marikunaさん、ようこそおいでくださいました。
いろんな事件を起こして、市民から銃を取り上げようとしている、というのは、
事件を起こし、銃規制を厳しくして、銃を売れなくするばかりか、すでに銃を所有している人からも没収する、という意味ですか?

うーん……個人的には賛成しませんが、今どきなにが裏側で起こっているかわからないですから、わたしにはどちらとも言えません。

銃に関しての米国人の常識(特に銃を所持することに抵抗の無い人の)というのは、日本で生まれ育ったわたしには理解することが難しいのかもしれません。

そしてmarikunaさんもおっしゃっているように、この銃についての問題は、銃の正悪だけの問題ではなく、色々な事柄が絡み付いているのですよね。
けれども、銃が危ないものになる社会になって行ったか、というのではなく、銃は最初から危ないもので、そんなものが一般家庭や社会に普及すること自体が間違っているとわたしは思います。
戦争と同じく。兵器と同じく。

日本は、平和憲法のおかげで、一般家庭での銃所持はゼロ。
このことが、今回の話し合いの中で、何回も何回もすばらしい例として出されています。
日本が世界に誇れる平和憲法を、愚か者の手で汚されないよう、働きかけていきたいと思っています。

汚染の状況を心配する人、全く気にかけない人、気にしないようにしている人、その人それぞれです。
わたしはわたし自身の信じる事柄をもとに考え、言葉を発しているので、
それに対して、腹を立てたり、疑問を持つ人もおられます。
けれども、わたしはわたしのことしかわからないし、その人はその人のことしかわからない。
だから、結局は、その人その人が決めて生きていくしかないのですよね。
marikunaさんは、今のところは九州に留まることを決めて、原発問題に関わっていらっしゃる。

こんな時代ですから、極端な言い方をすれば、どこで何が起こるかわからないのですが、
だからこそ、緊急時にしっかりと動けるよう、お互い心身ともに鍛えておきましょうね。
返信する
お返事ありがとうございます。 (marikuna)
2013-01-08 14:19:10
銃に関する考え方は、銃から遠ざかってしまってる現在の平和な(見かけは)日本に育った私達にはわかりずらい思います。

でも山の中に暮らす人達にとって(アメリカに限らず)は、狼などから身を守ったり、獲物をとったりするのに、必要だという人達もいるのですよね。

それを銃が野蛮なものだというイメージにしてしまったのは様々な事件や戦争ではないでしょうか。

正に、それこそ思うつぼだと思います。

銃と兵器を同じレベルで議論すること自体が乱暴だと感じます。

すみません、初めて訪問したのに、きついようですけど、やはりこの問題も複雑なものをはらんでいるということをお知らせしたくて。

いろいろな方がいろいろかかれてますから、お調べになってお考え下さるといいなと思います。

私も日々いろいろと迷い込んでおります・・・。

おっしゃるように今の時代何が起こるかわかりませんが、どこにいても助かる人は助かるし、そうでない人は助からないと思っています。

ただ、助かったとして、どう生きていくのか。


この世は修業の場だとすると、長生きしたからいいとも一概には言えないかもしれませんけれど、家族や友人と共に幸せな日々をすごせるようでいたいと思います。

お互い今の世を生き抜きましょうね。

ありがとうございました。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-09-26 06:05:01
日本は憲法で戦争を放棄したが
戦争は日本を放棄しない

戦争に備えることは、平和を守る最も有効な手段のひとつである

面白いから軍備を続ける者はいない。恐ろしいから軍備を続けるのだ。

もっともよい組み合わせは力と慈悲、もっとも悪い組み合わせは弱さと争い。


というのがあります
どう思いますか?

それとスイスを一回調べたほうがいいですよ

軍事力が強力だから平和を保ってるんですよ
これが普通なんですよ
最後に
やむを得ざるときの戦いは正しく、武器のほかに希望を絶たれるときは、武器もまた神聖である。

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名無しさんへ (まうみ)
2013-09-26 09:40:57
少しお時間を頂くことになると思いますが、ぜひこの、幣原首相の証言をお読みください。http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/d7687e6f43b62b9370cba44a9b11bcd1

相手が自分より勝っているのではないか、という恐怖心。
それが原爆を生み、武器の進化の上限の無い世界を作り出しました。

スイスのことは十分に調べました。
あなたがおっしゃるような単純明快なものはない、というのがわたしの認識です。
地理的なもの、ヨーロッパ独特の駆け引きなど、どれも同じ土俵で比べられるものではないと思います。
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Unknown (日本人)
2014-07-02 14:35:25
愛する人のため平和を愛さない人間は、狂人を除いてこの世に存在しないでしょう。
様々な立場の人間がそれぞれの立場で、平和を維持しようと努力するのは自然な姿です。
たとえ何れかの手段に異議を唱える者がいたとしても、その価値がゼロであるという理論は成り立ちません。
解釈や方法論の違いはどの角度からもあり得るからです。
それぞれがそれぞれの立場で平和への意思を貫けばよいのだと思います。

わたしのたった1人の甥は海自のパイロットとして勤務しています。
今も航空識別圏のどこかを任務で飛行しているのかもしれません。
家族にすら詳細を告げず海の中を航行し続ける者や、スクランブルへの緊張を強いられながら待ち続ける者。
彼らは日本国と日本国民の生命と財産を守るために日々働きます。
彼らの存在を認め彼らの任務を理解し感謝する人々のためだけで無く、
彼らの存在を違憲と声高く訴え、彼らの仕事を認めない人々のためにさえも。

わたしは彼らを誇りに思っています。
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