ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ちょっと政治から離れて

2017年10月16日 | 音楽とわたし
ほとんど書き終わっていたところでフリーズしてしまい、仕方がないので強制終了したら、書いた記事がすっかり消えてしまっていた…。
いつもだと自動保存されているはずの記事データが、どこにも残っていない。
やられた…。

気を取り直したいけど時間がない。
それにがっかりもしているから気分も乗らない。

だから写真とコメントだけにしちゃおう。

昨日夫が作ってくれたトマト料理。


うちの裏庭菜園(トマトと紫豆ジャングル)から採ってきた熟れたトマトと、猫の額前庭から採ってきたバジル、そしてオリーブオイルと塩胡椒とすりおろしニンニク。
これを教えてくれたのは、60代前半に癌で亡くなった友人デイヴ。
これを食べるたびに、彼の部屋の中で、一口食べては「うまい!」「マジでうまい!」と褒めちぎるわたしたちを、当たり前だとばかりに笑って見ていた彼を思い出す。


いつもだったら6月の下旬に咲き始め、7月の下旬には咲き終わるムクゲの花が、10月中旬に咲いている?!


いつもだったら今頃は、色とりどりの紅葉で楽しませてくれる木々も、今年は戸惑っている感じ。


一本だけ、紅葉していた。


金曜日の夜は1週間お疲れさん!の時間だ、という夫の確固たるポリシーに付き合って、お気に入りのダイナーに行く。


すっかりハロウィン仕様の店内。あんまり変な天気が続いているので、ハロウィンのことをすっかり忘れていた。


一人分の料理『半身チキンロースト』を二人で分けても十分お腹がふくれる。
この国はまず、食事の量を減らすことが、国民の健康増加への第一歩だと思う。



ここ数週間、週末をマンハッタンで過ごしている。


ACMA(アマチュア音楽家協会)が主催するワークショップやコンサート、それから3月のコンサートで一緒に演奏するエリオットとの合わせ練習やプログラム用の写真撮影などなど。
写真といえばまうみに頼もう!などという大いなる誤解がいまだにあって、毎回汗だくになって撮影している。
わたしは気兼ねのない日常の風景や、記憶に残しておきたい一瞬を撮るのは大好きだけど、
この手の畏まった集合写真は苦手だし、カメラだって3万円弱の普通のデジカメだしと訴えているのだけど、何回言っても聞き入れてもらえない。
まあいいや、みんながこんなのでいいって言うんならと、毎回開き直っている。

1月のコンサートで演奏する人たち。


3月のコンサートで演奏する人たち。


ほんでもってエリオットと。


エリオットもわたしも、人前で演奏するとなると滅茶苦茶ビビるので、予行演習をたくさんやることにした。
ミニコンサートやサロンコンサートを何回も開いて、曲の仕上がりがまだ途中でもかまわないと言ってくれる人たちを呼んで、聞いてもらうことにした。
本番は3月だけども、12月のはじめぐらいから開始して、本番までに少なくとも4〜5回はやろうと決めた。
まあ、どれだけやっても、本番中の本番、カーネギーの舞台の上に立つとまた、きっと緊張するんだろうけどね。

でも、なんで緊張するんだろう…それもあんなにも。
緊張せずに楽しんで弾けたことなんて、この年になってもまだ片手で数えられるほどしかない。
なんてこったと、自分のことながら思う。
ひどい時なんか、眠ることもできなくなって、催眠療法を受けたこともある。
毎回本番が近づいてくると、なんでこんなことをしようなんて思ったんだろうか…などと、ほんとにしょうもないことを考えたりする。
進歩がないなあ…。
だからこその練習だ!
よっしゃ、頑張るぞ!
って、単純に思える今に感謝する。
ほんの2年前までは、ピアノを弾く=痛い思いをするってことで、スポーツテープで指をぐるぐる巻きにしないと弾けなかったんだから。
カフェオレとかワインとかミルクティとか、大好きだったものが飲めなくなったけど、その分体の中が浄化されてきてるような気がする。
気分の上がり下がりの幅も小さくなった(多分…)。
あと、グルテン(小麦粉)を食べなくなってから、集中力と記憶力が少しマシになってきているような気がする(多分その2…)。
まあそれでも、若い頃に比べたらトホホ〜な気分になるんだけども…。

さてと、練習練習っ!

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
知らなかった。 (mamanma)
2017-10-17 10:50:07
嘘でしょ。ビビるの?信じられない。
私はあがり症どころではないけど。平気で弾いてると思ってた。
ビビるなんて似合わないよ♪
その気持ち、よく分かります。 (ともた)
2017-10-18 00:29:21
何処の政党の党員(専従の、しかも幹部の人は除く)だろうが、後援会員だろうが、サポーターだろうが、何も年がら年中政治のことを考えているわけじゃない。
むしろ、生活がメインで、その生活をより良くしたいがために政治に関わっているのだ。
だから、息抜きが必要
だから、応援している候補者にも少し休んでほしい
だから、周囲の人たちも候補者と一緒に上手に休んで欲しい

「私が政治に近づいたのではない。政治が私に近づいたのだ。」
「芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている。」

     フランス共産党員だったパブロ・ピカソ
mamanmaちゃんへ (まうみ)
2017-10-19 13:58:39
何をおっしゃる!
もう何回ビビりやって言うたことか!
すっかり忘れちゃってるんちゃう?
舞台の袖では冷や汗と震え、舞台の上では指と膝の震えが止まりましぇんのです、情けないことに。
なんでなんやろなあ…マジで困ってんのに。
もうね、似合う似合わないの次元ではないのだよ…とほほ。
ともたさんへ (まうみ)
2017-10-19 14:02:38
『むしろ、生活がメインで、その生活をより良くしたいがために政治に関わっているのだ。
だから、息抜きが必要』

ああもう、本当にその通り!
ともたさん、ありがとう!

ピカソの言葉も胸にしみました。
政治的な存在、これ、本当はみんなそれぞれがそうなんですよね。
強弱の差があっても。
そんなことをうっすらでも自覚する人たちだらけの世の中になったらいいなあ…。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。