ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

放射能汚染から子供を助けようと、声さえ上げられんのは、溺れた子供を放っとくのと同じや!

2013年03月08日 | 日本とわたし


相馬、福島

愛しい君へ
さすがに、電話でのやりとりは、厳しさが募る毎日。
あたしは、朝目が覚めると同時に、夜眠りにつくその瞬間まで、君を想う。
まるで、体が千切られそうになるほど辛い。
君がここに居ないことが、痛いほど辛い。
何ヵ月も毎日毎日、顔を合わせるたびに、相馬を出る出ないで、口論していた君。
どうしてわからないのかがわからなかったあたし。
「俺の命だ、俺の自由だ」と、頑なに拒んでいた君。
それが、15才という若さの、今が何よりも一番楽しい時間で、
きっと君は外を歩くたびに、自殺している気分なんだって。
あたしが君の弟を連れて相馬を出たのは、
あたしが泣きながら君を説得する姿を見た君の弟が、夜布団の中で、
「あきらめてもいいよ」、と言ったから。
「僕、兄ちゃんのためなら、ガンになって死んでもいいよ、あきらめたよ」
9才の君の弟は、そう言ってあたしに笑った。
もう時間が無いと判断したあたし。
君の弟は、恐い話を散々聞いて逃げていたから、外に怯えてた。
ふたりのうちのどちらかを選ぶなんて、絶対にできないと、何度も何度も泣いたあたし。
何千回ため息をつき、何百回涙を流したことか。
今でもそう、君を想うと、涙が出る。
君を置いてきたこと、一生後悔する。
あたしは一生後悔する。
あたしは君の、世界でたったひとりの母だから。
君はあたしの、世界でたったひとりの君だから。
でも、あたしはそれでも、なにがなんでも君に助かってほしい。
君の命は、君が今、自分が思っているほど軽くはないのだから。
あたしにとって、家族にとって、世界でたったひとりの、君の弟にとってもね。
あたしはあきらめない。
絶対にあきらめない。
君の命をあきらめない。


KAKUSEI "The Fukushima End" 覚醒

秋田市(福島第一原子力発電所から北260キロメートル)

TOMOMI ABE(福島からの避難者):
3.11と、地元で、あの時となにが変わったかというと、なんにも変わってないんですね。
復興復興で、アパートはバンバン建って、建設会社がいっぱい入ってきて、港がきれいになって、
町の景色は変わったけど、放射能はなにも変わってない。

これは、アルファー線とベータ線とガンマー線と、三つ測れるよっていうガイガーで、それで、地表面を測って歩きました。
地表面は高い……すごく高い。
うちの駐車場……23.02マイクロシーベルト/時間……恐い……すごい恐い。
見えないから余計に恐い。
どこにあるかわからない。

避難して、環境中の放射能は、相馬に居る時よりは低いから、子供にはいいかもしれない。
でも……、
今まで家族で暮らしてたのが、急にふたりで、アパート暮らししたこともないのに、ふたりで生活してるから、
子供も寂しいし、うーん、でもそれよりも、なによりも、息子の体が心配、とにかく心配。

あたしが一番好きな写真です。
仲良かったから……兄弟……今はバラバラだけど……こうやって、幸せに過ごしてた……。
ふたりともわたしの宝だから。

あたしと同じこと言います。
「別の世界に暮らしてるみたいだ」
ほんとに、子供らしいところが無くなってしまった。
でも、現実見てますね、すごく。

なにひとつ、変わってないんです、あたしの中では。
もっともっと悪くなってる……としか思えない。


相馬(福島第一原子力発電所から北40キロメートル)

HIKARU ABE(TOMOMIの息子):
事故の後1年半、この相馬市に居て、食品においては、福島県という地元民ですら、買いたくなくなる、食べたくなくなる、というのが現状で、
口に入ろうとしている物は、本当に安全なのか……。
母と弟が北に行って、私たちが相馬市に残っているということは、多分それは間違いではないと思う。
やっぱりどうしても弟は小さくて、放射能の被害を一番受ける身であるし、
今本当に心配しているのは、家族、友だち、恋人が、十年後二十年後、自分たちに例えばガンが発症したり、
自分たちの次の世代、子供や孫に、どんな影響があるのかっていうのがまだわかってないから、
そういうことを考えると……恐い。

2012年、8万人以上の福島の子供たちが、甲状腺検診を受けた結果、
40%の子供に、異常な腫瘍が発見された。
今現在も、26万人以上の子供たちが、福島に留まっている。

TOMOMI ABE:
ここの生活に慣れようと、ここの人たちに慣れようとか、いろいろ努力はしてますけど……そういうんじゃないんですよね。


秋田『放射能勉強会』の講師:
福島市の東ですよね、こうした値の多くが、チェルノブイリで人の住んでいない地域の値で、
1480キロベクレル/㎡となると、exclusion zone(立ち入り禁止区域)というんでしょうか……。

TOMOMI ABE:
秋田も、1500人ぐらい、避難してきてますね。
ほとんどが自主避難。自主避難って呼ばれる、20キロ、30キロの線引きの外側の人たちが多いです。
みんな戻りたい。

勉強会に参加した女性:
早めからこう、いろいろ情報をオンラインで調べて、幼稚園でも危険性については、自分でできるだけの範囲では、ママ友というか、おかあさん達とも話をしてきたんですけど、
でも、残ってる人たちが、まだいっぱいいるんですね。
やっぱり、何の肩書きも無いただのおかあさんが言ったことには限界があって、だから、なんというか、簡単じゃないっていうか、簡単に移住なんかできないし、
福島はもう住めない、みたいなことやっぱり、言われると、どうしようもないんですよね。
じゃあどうしたらいいのか、誰か教えてくださいっていう……。


秋田大学

AKIRA MURAKAMI(メディア・リテラシー科教授/活動家):
昨日、秋田に避難している方々にお会いしましたけれども、あらためて確認してしまったことは、
多くの方が、戻りたい、という気持ちを強くしています。
受け入れ体制が、避難した先で十分ではない。
もと居た町は、帰ってこい、帰ってこいと言う。
ですけれども、一度逃げてきた、秋田に逃げてきた方々は、放射能の危険というもの、チェルノブイリで何が起こったかということを、十分知ってらっしゃるんです。
ですから、頭の中、心の中の、葛藤と言いましょうか、ジレンマは、想像を絶するものがあると思います。

4月から、頼まれた講演をするようにして、内部被ばくの危険性、多くの講演依頼というのは、子供の健康を心配するおかあさん方からのものでした。
内部被ばくというものを初めて知ったけれども、実際どのような危険があるのか、というような情報を求められました。

福島県その他、高度汚染地域から、野菜や魚がずらーっと並んでますよ。
テレビ観ると、たしかにそういう番組やコマーシャルがあって、みんな美味しそうに食べていますけれども、
福島県、特に浜通りの汚染は、チェルノブイリ以上、また東京でも、ミンスクやキエフと同じかそれ以上となっていますから、
東日本の野菜というのは、福島だけではなくても、かなり危険ですよね。
宣伝があるから、政府の言うことを聞いて、マスコミの言うことを聞いて、危険なものを真っ先に食べている人もいます。
また、食べ物というのは非常に重要で、放射能の影響を真っ先に受けるのは小ちゃい子供ですから。
人の命というのが一番大切。


[震災と津波の一年後、東日本産の食品は、放射性セシウムの有無を調べている。
400種類以上のものが、安全値を超えてしまっている]



京都市(福島第一原子力発電所から西500キロメートル)

TOSHIYA MORITA・守田敏也(ジャーナリスト):
去年の3月11日の事故の後に、日本政府は人々を逃がしてくれないだろう、原発の危険性を絶対明らかにしないだろうというふうに考えて、
放射線の人間に対する危険性っていうのが、どのようなものとしてあるかということでした。
ところが、当初私は、そのことは専門家たちが出てきて、次々と発言してくれると思っていました。
ところが呆然としたのは、放射線のことを知っている人たちのほとんどが、口を噤んでしまったことです。
今だとよく分かります。
政府を恐れて言わなかったんです。
内部被ばくと外部被ばくの当たり方の違いを全く無視しているのが、今の国際放射線防護委員会、ICRPなどが唱えていることです。
日本政府もこれを基準にしています。
放射線に対する専門家はほとんど何も言わずに、ごくわずかに、政府の側に非常に立ってる放射線の専門家が、
こんな放射線は危なくない、そのことを言い続けました。
そのために私は、私たち自身が放射線の危険性を解明して、自らその危険性をつかんでいくしかないということを悟りました。

これは、物理学者の矢ケ崎克馬さんと共著で。
こちら側が実施の内部被ばく、で、内部被ばくでアルファ線に当たる場合、まあアルファ線で10万個の分離切断が、0.04ミリの中に集中的に、実際の被ばくが起こります。
現実に起こっている内部被ばくはここです。
ここで集中的に行われる。
ところがそれをICRPは、この臓器全体、この中で、まあだいたいこれはもう、数センチから10センチぐらいになるわけですけども、
ここ(大きな円を指して)で起こることに変えてしまいます。
なので、この場合だったら修復も可能になる。
実際の被ばくは集中的に行われるので、修復が可能なような被ばくではない。

多くの人は、それで安全だと思っているのかというと、様々な健康への不安、様々な動揺ってことを隠しながら生きています。
それが悲しい、私たちの国の現状です。


千葉県柏市(福島第一原子力発電所から南に95キロメートル)

ICHIYO IKEZAKI(ふたりの子供の母親):
原発の事故はどうだったんだっけ?
そんなことわたしにわかるわけないというか……。
ごめんなさい、その時のことをどう言ったらいいのか、もちろん知ってはいるんですけど、情報は少しずつしか与えてもらえないし……、
聞いた時は、もちろん津波のことはもちろんのことですけど、原子力発電所に問題が起きた、それを聞いてわたしたちは、ああ、それは良く無いなと思いました。
でも、彼らは、情報をチョイ出しするだけで、はっきりとした言葉、例えば、極めて危険、みたいな警告の言葉は言いませんでした。
でもその事故の1週間後の、その日は雨だったんですけど、そしてその、関東地方に降った雨には、多量の放射性物質が混ざっていたのですが、
週末のその日、今でもはっきりと覚えています、わたしは息子と娘を、わたしの両親の家に連れて行ったんです。
いつもなら、自転車に乗って行くんですが、その日は雨が降っていたので歩いて行ったのです。
その雨の中を。
それで、その雨は、大量の放射性物質で汚染されていたのですが、わたしはそのことを全く知りませんでした。
誰ひとり知らなかった。
その雨が止んだ後、政府は、東京をはじめとする私たちの地域の水が、汚染されているので飲んではいけない、と言い出しました。
それで初めてわたしたちは、そうか、あの雨は汚染されていたのだと理解したのです。
そうやってわたしは、わたしたちは、現実に何が起こっているのか、少しずつ理解してきたのです。
放射能汚染の予報なんて、できるわけないでしょう?
それって、天気のようなもので……人災なんですけれども、でもやはり、天気のように、コントロールなどできないものでしょう?
だから、仮にわたしたちが、誰か、政府や東電を訴えたとしても、どうなるものでもない、コントロール不能にはかわりがないと。
現状は、例えば、そんなに悪くないんじゃないんですか?
柏はホットスポットって言われましたけども、多分、この場所は他に比べて多少高めかもしれませんけど、去年とかは、
まあ、たまに数回かは、ニュースとかで、ホットスポットが見つかった、なんて言ってますけれど、
でもそれって、必ずしも今回の事故が原因なのではなくて、何か他の理由であったり、
例えば、もともとからその場所に、事故以前に、何らかの放射能汚染が存在してたかもしれない。
わたしたちは知りませんよ、だって、測ったことなんて無いんですから。
科学者でもないし、そんな趣味だってない。
でも、今だに、テレビのニュースなんかは、ホットスポットを見つけた!って。それがトップニュースになって。
そういうのを聞くと、やっぱり危険なの?って、思い出したりするけれど、今はあまり聞かなくなりました。
なので、地震や原発事故の問題などは、だんだんこう、忘れてきています。
そして普段の生活に戻りました。
普通の生活っていうものは、わたしの普通の生活だと、朝起きて、会社に行って、同じ時間に帰ってくる。
すごくこう、平凡な生活なわけですけど、だから例えば地震があっても、放射能のことがあっても、その基本的なスタンスっていうのは、ある意味崩せないものであって、
わたしにとっては、そのベーシックスタンスっていうのがまずあって、その上に地震が乗っかってきて、
だから多分、ものすごいストレスがかかってくるかもしれません。
いつもの生活がある上に、他の事を心配しなければならない……きっとわたしのエネルギーや時間を費やす事になる。
だから例えばそこで、テレビであんまりニュースを聞かなくなる、もしくはあんまり人との間で話さなくなる、地震があまり起きなくなる、
となると、そういうストレスっていうか、そういう心配事っていうのがだんだん軽減してきて、
そのだから、基本的な生活っていうのはやっぱり、無くならないものなんじゃないんですか?

幼稚園児の母親:
うちの兄の嫁の姉、ほんとに気にしちゃって、まず最初に、プチ体験とか言って、北海道に子供と共に引っ越しってかなんか、
短期間、
でやっぱそういう人達が集まるみたいで、生活して、で結局、自分たちでできるみたいって思ったみたいで、
で結構その、放射能、やっぱり茨城県も災害地域になってるから、引っ越しするにあたって、家賃とかタダの市区町村って結構あるみたいなのね。
その、使ってないアパートとかを、で、そこ、京都に引っ越しちゃってる今。
 
ICHIYO IKEZAKI:
柏市の基準ていくつなの?

女性:
除染の対象が0.23で、でも、他の市は、0.4とか0.3とか、流山とか、もうちょっと高い基準の市もあって、市川とかも0.23で。
だけどそれを、別に個人の家を除染するわけじゃないから、だからまあ、それぐらいだったら大丈夫って柏市の人は言ってましたよって。

ICHIYO IKEZAKI:
放射能っていうのは恐ろしいっていうイメージが、死につながるものだっていうことのイメージ、原爆とかそういう、チェルノブイリだとか、そういうイメージってのがすごい強いって思うんですよ。
だからその、地震や事故の直後っていうのはその、なんていうか、インパクト、精神的なインパクトとか、その恐怖感ってのはすごい強いと思うんですよ。
で、それからみんな少しずつ、こう、情報が入ってきて、勉強したり、それと同時にこう、放射線量自体も下がっていって、
で、除染も進んで、で両方のラインがこう、みんなの恐怖感とか、あと実際の線量も下がってきて、
でこう、だんだん今のポイントになってくると、まあそんなに心配しなくても大丈夫だよね、みたいなところに落ち着いているんじゃないんですか?


[千葉県の放射能汚染値は、0.2~0.4マイクロシーベルト/時
米国エネルギー省の報告によると、放射性物質による健康被害にしきい値はなく、低線量被ばくでも危険が伴うとされている]


HIKARU ABE:
ここにある黒い砂に含まれているのは、おそらく大量の放射性物質が……。(ガイガーカウンターでは13.28の数字が表示されている)
で、このような黒い砂がたまっているポイントが、この町中、市内のあちこちにある。

TAKASHI ABE(HIKARUの祖父):
今日初めてこの数値見たけれども、ものすごいね、HIKARUは前、見てんだな?
前見たのはどのくらいだった?

HIKARU ABE:
前は、もうちょっとあっち側、手前の方測って、7.3前後。

本当は、原発災害というものが無ければ、私たちは離れる必要は無かった。
やっぱり、どうしてもここの地域の汚染は、とてもじゃないけど人が住んでていいような数値じゃない。
でも、やっぱり私には、ここに居る大切な人達を、置いていくことができないんです。

これは、この公園、市内各地の公園や公共施設にあるんですけど、放射能のモニタリングポストです。

TAJASHI ABE:
大きな差は無いようですけどね、モニタリングポストと。
ただ、こう、地上では非常に高い所がある。
家族ですから、家族一緒に暮らしたい、のが、わたしの本音です。
でも、今、やはり、健康でいないと、秋田に行ったね、娘たち、後はここに残っている孫、子や孫が心配無いんだというふうになれば、自分はどうなってもかまわないと思いますけどね。
そういうことを考えると、やっぱり健康でいないと。

HIKARU ABE:
今、生まれ育ったこの家、地域を離れるっていうのは、本当に寂しいことだと思うし、簡単に今ある生活を、失うわけにはいかないですね。

こちらは自宅の隣の駐車場ですが(2.128)、先ほどの駐車場ほどではありませんが、まあそれでも、この2.2という数値は高いので、
そうですねやはり、このようなスポットが、この相馬市内にいくつか、まあ至る所にホットスポットとして点在してるわけなので、
それでもやはり現状は変わらず、1年と5ヵ月前から、何一つこの放射能の除染というのは変わらず、むしろ逆に、毎日ひどくなっていくばかりで、
で、このような数値の所に、我々相馬市民は、何も知らずに暮らしています。

どうしても、人間って弱い生き物なので、誰かに支えてもらわなきゃいけなかったり、誰かと一緒じゃないと居られない。
まあもちろん、わたしもそうなんです。
でも、この地域から出ようとしないので、できるんだったらもう、みんな連れて、秋田でも東京でもどこでもいい、避難したいんですけど、
もうそれができないのが、現実……。

まあ、話してもまだわからないっていう人が多いですし、一日でも早く、この問題が解決してくれれば、また元通り家族みんなで一緒に住めるのに。
たくさんの辛い思いをしてきて、それはほんとに、まあここの、この地に住んでいる人達、みな変わらないと思うので。
独りで闘っているようにしか思えないです。
たった独りで……寂しいですねやっぱり。
もっとみんな一緒になって騒げば、なにかしらにはなるのでしょうけども、
早く終らせなければならないと同時に、また、未来に、このあったことを残していかないといけない。
そういうこともあって、今ほんとにみんな、苦労している時期なんだと思う。
辛いのは自分だけじゃなくて、みんな同じで。

 
北海道 瀬棚(福島第一原子力発電所から北600キロメートル)

AKEMI KOBAYASHI(内科医):
今までの法治国家の日本は、こういう法律に基づいて、放射能を扱う人を限定して、扱う場所も限定して、処理する場所まで限定してやってきたのに、
今はこういう状況だよってことを、お知らせするための勉強に、わたしはあの、招いていただいたんですけれども、
その時の、講演が終った直後のみなさんの表情は、ほんとに、あの、ま、目からウロコとか、そういうもの以上に、もうほんとにびっくりして、なにをしゃべってんだろうって感じで、聞いてらっしゃって、
一つ目の質問が、あのー、何を質問していいのかわかりませんと。
私たちの手元にある資料を、私たちはある程度読んで、この勉強会に参加しましたが、ま、わたし(小林氏)の言っていることが、手元にある資料と180度違っていて、なんともコメントができないっていうふうに、質問されました。

AKIRA MURAKAMI:
もし、チェルノブイリと同じ規模で、しかも人口密度が高いとすれば、相当数の方がご病気になると、いう事態ですけれども、
こうした、社会全体が直視しなきゃいけない問題というのは、今先生がふれられたような、自分の生、自分の人生が、もはや自分のものじゃないという、ひとつの文明の誤った在り方に対しても、警鐘あるいは、再出発、軌道修正みたいなものを促しているものと。

Dr. AKEMI KOBAYASHI:
そうですね、まずですね、生命体として地球上にしっかり二本足で立って欲しい、立ちたいと、そういう願いを持って欲しいなって思うんですね。
その、人から与えられた価値観とか、人から与えられた物で生きるんではなく、自分の足で立って、自分の足で歩き、その中で自分で考えて、自分で選択をしていれば、必ずいい結果が出るんじゃないかなと。
結局、原発事故を起こした日本、その後に、どういうエネルギー政策をとるのかとか、どういう暮らしの規模にするのかとか、
どういう事に重きを置いて、人生の豊かさを求めていくのかとか、いろんな事が、まああの、選択肢が見えてくるんじゃないのかなと思います。
それからまあ、もちろん、いろんな情報をやっぱり周囲にどんどん伝えていかなきゃいけないと思いますから、
いろんな情報を得るための、情報収集の時間というは、やっぱり不可欠になってますし、そういう時はやはりものすごく、落ち込みます。
絶望の中に落ちることもあります。
もう、未来が真っ暗なような気持ちになりますし、わたしたちが今ここで、患者さんのために被ばくをこう、最小限にする努力って、いったいなんなんだろうっていうふうに思うことだってありますし。

AKIRA MURAKAMI:
日本人が、みんな目覚めて、社会全体が事態の改善に向かっていくかというと、今の段階では、楽観的にはなれません。
何かしていかなければ、ますます悪くなっていく。
だったら、知ってるわけです。知ってる人間は、他の人に伝える義務がありますよね。
放射能が、日一日と、多くの子供の体の中にたまっている。
これに対して声を上げないというのは、溺れた子供を放っとくというのとおんなじですね。


関西電力前 京都市 2013年7月26日 金曜日

抗議集会が行われている。
「命を守ろう」「再稼働反対」「大飯はいらない」「原発いらない」「今すぐ廃炉」


TOSHIYA MORITA:
私たちの国では、特にここ10年20年という間、政府に対する反対する政党がどんどん弱くなって、政府の力が非常に強くなっていってしまいました。
その意味では、多くの人々が、政府に対する信頼というのは、割と強い国だと思います。
で、そのことは私は、すべてが悪いことだとは思いません。
私たちの国の中の争いは、決して多くない国です。
そのために、東北で、津波の被害がたくさんあった時に、多くの人達は、政府や救助隊を信じて、秩序を保って、救助が来るのを待っていました。
ただし、政府や私たちの国の官僚は、私たちの国の民衆が、政府を信頼していることに対して、非常に大きな裏切りをこれまでもくり返してきました。
もう私たちはいい加減、政府にだまされる国民で在り続けてはいけないと思います。


関西電力前 大阪市 2013年8月3日 金曜日

ここでも抗議集会が行われている。


ICHIYO IKEZAKI:
ある部分では、わたし自身を納得させられたし……いや、納得とかじゃないです、大丈夫だって言いますね、
すでにわたしは、他の人以上の罪悪感を感じなければならないわけですから、自分の子供たちに対して。
だってわたしは、自分の子供を守らなければならない責任がありますから。
自分のことですか?それは子供の次に考えればいいことです。
責任ということに関しては。

TOMOMI ABE:
日本だけじゃなくて、世界の問題だと思うから。
子供には未来がある。夢がある。希望もある。
自分の子供も助けられないから、人の子供なんて助けられる、なんて思ってないけど、でも当事者だから、何かしなきゃ。
何かはしなきゃ変わらない。
ひとりひとりなんて、ほんとにちっちゃいから、わたしもちっちゃいし、誰だってひとりひとりはちっちゃいから、
いくな何かを変えようと思ってもなかなか変わらない。
でも、今立ち上がらなきゃ、わたしは一生後悔する。
それじゃいけないんだって気づいた人たちが、東京に集まってデモしたり、たくさんいるんだと思う。
ひとりひとりが集まれば、17万人にもなるんだよっていう、もっともっと集まれば、変わるかも……。


国会議事堂前 東京 2013年8月23日 金曜日

抗議集会
「広島忘れるな」「長崎忘れるな」「チェルノブイリから学べ」「原発いらない」「再稼働反対」


HIKARU ABE:
2011年3月11日、私たちは、未曾有の大災害に見舞われた。
これまでの人生をすべて壊すような、思いもしない出来事である。
あれから1年と5ヵ月、事態は一向に改善に向けて進行しない。
政府の対応不足、情報の隠蔽、国の圧力、数えきれない人災の中、福島県は確実に、復興に向かおうと日々努力する県民、国民の力に支えられながら、復興に向けて前に進んでいると思う。
今生きているこの命は、見放されたようなものだ。
誰でもいいです。
どうか私たちを、この福島県の子供たちを助けてほしい。
今の日本は、どう見ても明らかに異常。
このままでは、私たち県民は、見殺しにされてしまう。
どうか、福島県に力を貸してください。

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