ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

LaPiana

2009年11月15日 | 音楽とわたし
イタリアのとある場所で、LaPianaという名のピアノ会社が1985年に造った、世界にたった10台しかないピアノ。
どういう事情があったのかは分かりませんが、この会社は10台のピアノを造った後消えてしまったのだそうです。
鍵盤のあちこちにひびが入っているし(弾いていると全く気にならない程度)、本体の端っこにも傷がついてたりするけれど、
タイソンが言っていた通り音色の幅がとても広くて、特に低音域の響きが重厚で美しいピアノでした。

ショパンを少し弾きました。

息子カルロス氏を二ヶ月前に失い、ピアノのすぐそばのソファにポツンと座っておられたおかあさんが、わたしの方に向き、拍手をしてくださいました。
「息子が帰ってきてくれたみたいだ」
スペイン語しか話せない彼女の言葉を、孫娘のブランカが通訳してくれました。

ピアノは造られて17年目が最盛期で、それ以降は降下の一途をたどるのだそうで、それから考えるととっくに最盛期は過ぎています。
高音部の響きは尋常でないほどスモーキーで(多分アパートメント用に抑えられてあると思いますが)、調律で変えられるのかどうか不明です。
内部のピンやボードには埃がたまり、24年間、ピアニストの練習に耐えた様子がありありと見えます。
でも、なぜだか温かく、静かに、わたしのことを抱きしめてくれているような気がしてなりませんでした。

弾き終わって立ち上がり、もう一度ピアノをぐるりと見て、旦那と顔を見合わせました。
気に入ったという意思表示をし過ぎないように。
行きの車の中で、旦那から釘を刺されていたので、わたしは極力気をつけていました。
7フィートのグランドピアノが、中古とはいえ、3500ドルはとても買い得な価格ですが、旦那はできたらもう少し交渉しようと思っていました。
「どう?」と聞かれて「気には入ったけど……」と答えると、ブランカの方に振り向き、「買おうと思いますがいくらですか?」と突然切り出しました。
ブランカは、「はじめ5000ドルで売りに出したのだけど、それではうまくいかなくて4000ドルまで下げました」と言います。
「え?我々は3500ドルだと聞いてきたんだけど」と旦那。
「タイソンからそう聞いたんですが」とわたし。
「その後に数人の方がこのピアノを見に来てくれて……」とブランカ。
「タイソンがここに来てくれた2週間前の時点では、それぐらいでもいいと思っていたんだけど……。でも、あなたのショパンを聞いて、わたしはぜひ、あなたのような人に叔父のピアノを受け継いでもらいたいと強く思っています。ただ、3500ドルはちょっと……」

黙ってしまったわたし達。

「他にもオファーが数件あって、その中のひとりが3800ドル出してもいいと言ってくれているので……」と、とても心苦しそうに切り出したブランカ。

再び黙ったまま互いに見つめ合うわたし達。

「じゃ、3900ドル出します。それでどうですか?」
旦那がいきなりそう言い出したのを聞いて、え?え?え?本気で言うてんの?とオロオロするわたし。
「う~ん、ちょっと祖母に尋ねてみます。このお金は祖母が祖国ペルーに戻って生きるために必要なものなので」

5階のアパートの窓からクレーンでピアノを搬出し、地上に降ろすだけで800ドルかかります。そこからニュージャージーまで運搬するのにあと100ドル。
結局5000ドルもの出費になってしまうこのピアノ。わたしは嬉しいような申し訳ないような、複雑な思いで心の中がいっぱいになっていました。

お別れの挨拶をしようとおかあさんの所に行き、両手を差し出すと、彼女は涙ぐみながら、わたしをぎゅうっと長いこと抱きしめてくれました。

「息子のピアノ、どうぞお願いですから大切にしてくださいね」

スペイン語でそうつぶやいたおかあさんの哀しみが、彼女の体温に溶けてわたしの心の中に伝わってきました。

「そうだ、あなたに息子が使っていたピアノの本を全部あげましょう。それからCDも。いくら懐かしい物でも、わたしが持っていても仕方が無い物ばかりだから」と、真顔でうんうんとうなづきながら言うおかあさん。

カルロスさん、あなたが愛した、あなたの思いがしみ込んだピアノ、わたしが続けて使わせてもらうことになりました。
大切に、感謝の気持ちと愛情を込めて弾かせていただきます。ありがとう!


故カルロス氏のアパートメントがあるハウストンストリートに向かう途中、落ち着かない気分を持て余して撮ったリンカーントンネル直前のスロープの上から。パナソニックとトヨタの巨大な看板が並んでいます。



いよいよ彼のアパートメントが近づいてきた、ウェストサイドハイウェイから見えた、美しい夕焼け。


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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うるうる (manma)
2009-11-16 12:40:30
好かったね。
希望価格より低かったのに、まうみさん見て、演奏聞いて、譲ってくれたんでしょう。
安い、高いじゃなくて、本当によかった。
おまけが凄すぎますけど・・・。
やっぱり赤い糸で結ばれていたのでしょう。
それにしても、旦那様 素敵
やるときゃ、やるね。
まうみさん、欲しいオーラ出しまくってたんとちゃうの。
まうみさんの所へ行くことになったピアノ、みんなが喜んでるよ、きっと。
カルロス氏のお母様 素敵な人なんだろうなぁ。

余談ですが、運搬費安!日本では考えられません。
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なんだか、 (まうみ)
2009-11-16 12:56:07
ほんとにまだ現実感に乏しくて……いいのかなあ、ほんまにって思ったり……。

でもほんと、びっくりしたわ、あの瞬間は。狼狽えたわたしの気持ち、丸見えやったかも……。旦那はたまぁ~に、とんでもなく早く、とんでもなくおっきなことを決めてしまうことがありますです。わたしにはできんわ……付いてきてもろて良かった……フゥ~。

欲しいオーラ、へへへ、多分出まくってたのかも。うつむいて顔を合わせんようにしててんけど……。もわ~~~って。
カルロスさんのおかあさん、それはそれは寂しそうでね……そりゃそうやわ、最愛の息子が亡くなってまだ2ヶ月しか経ってないのやもの。ほんで、長い長いこと離れてた故郷に独りで戻るんやもん。彼女が抱きしめてくれたあの力の強さと思い、絶対に忘れへん。

カルロスさんの本、ちらっと見ただけでもすごい数。とっても楽しみ!正直嬉しいです!
運搬費、日本はもっと高かったっけ?

とにかく、一緒にドキドキして喜んでくれてありがとう、manmaちゃん!
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おめでとう! (ししはは)
2009-11-16 15:33:09
読んでるだけで、なんだか胸が熱くなってじんわりしてしまいました。
まうみさんの運命の友が見つかったんですね。素晴らしいっ!
即決する旦那様、愛に溢れていますね~。
カルロス氏のお母さんのぎゅ~っっと寂しく哀しくもおっきく暖かいハグ、これも愛に溢れていますね。
愛が沢山のピアノ、愛がいっぱいのお家に運んで、楽しいこといっぱいですね。
これから丁寧にメンテナンスして、まうみ色に染めていくんですね。楽しみ!
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Unknown (ころ)
2009-11-16 18:09:51
素敵ですねぇ。 カルロスさんのおかあさん、ブランカさん、まうみさん、まうみさんの旦那様、皆さんの思いが一つになったその時、その場に居合わせた人は幸せでしたね。 カルロスさん、まうみさんの「わたしのピアノ」さんの思いも一緒だった、とは言い過ぎでしょうか。
どうしてもショパンを聴きたくなりましたが、CDは一枚も無い…。 CD屋さんで買ってきました。
まうみさんの気持ちを酌み取ってくれる旦那様、良いご夫婦ですね。 素敵なお話をありがとうございます。
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良かった! (美代子)
2009-11-16 19:35:41
まうみちゃん、おめでとうございます!。やっぱりあなたの許に来たのね!。大阪に残してきたピアノの身代わりね。一段と素晴らしい演奏をお願い致します。

(^0^)vvv 楽器にも、ご縁ってありますよねえ。益々充実した音楽人生となることでしょう。本当にいいお話です。そして、素晴らしいご主人! ああ、まうみちゃんは幸せだなあ。。。
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いいご縁ですねえ。。 (chi-ko)
2009-11-16 22:50:22
まうみさんとピアノ そしてまうみさんと御主人。
しみじみいいご縁があって今があるんですね。
まうみさんが気に入って欲しがっていることを察して
めっちゃ男らしいタイミングでキメるなんて素敵すぎる~。
実はね、まうみさんのブログ最初からさかのぼって
せっせと読みはじめています。読むのん遅くて。。おいつかへん。。(^^;
読み応えがあって 泣いたり笑ったり感動してたりすると
なかなかすすまへん。。(笑)

ひまさえあったら読んでるので
私の頭の中はまうみさんだらけになってる今日この頃。(恋か?(笑))
朝にけったいな呪文を唱えたり(笑)炊飯器のそばに足をあげてたり
おかずばっかしいっぺんに食べる御主人も(笑)
やるときゃやりはるんや!めちゃかっこいい御主人ですね。

ピアノのお話を読んだ時から 
まうみさんとご縁がありますようにって陰ながら祈っていました。
まうみさんの人生には いつも素敵な神様がきっちりええタイミングで出て来てくれはるんなあ。。
ほんとによかったですね!!まうみさんのピアノを聴いてみたいです。(目がハート)
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ありがとうししははちゃん! (まうみ)
2009-11-16 23:18:51
そのメンテナンス係のアルバート、わたしの話を聞いているうちから早くも、そのピアノ、かなり古そうやから面倒なことになりそうと思ったのか、眉間にシワ寄せて、早まったらあかん、よう考えなあかん、聞きたいことがあったら現場からボクに電話して、家で居るからって……かなりしつっこく言ってまして……あ……買っちゃったって思った時、彼のその顔が真っ先に思い浮かびました。ダハハ!

とても哀しくてとても温かかったあの部屋を、わたしは一生忘れないと思います。
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ありがとうころさん! (まうみ)
2009-11-16 23:24:04
今朝起きてもまだ、昨日のことは本当のことだったんだろうか……なんて思ってしまいました。それほどに唐突な旦那の言動だったのです。石橋を叩き過ぎて穴を空けてしまうほどの、まだ四捨五入すると40になってしまう彼が、ああいうふうに言い出すとは思いもしていませんでした。願ってはいましたが……ははは……。

ショパンのCD、どんなCDを買われたのでしょう?とても興味があります。またよかったら教えてくださいね、ころさん。
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ありがとう美代子さん! (まうみ)
2009-11-16 23:30:20
なんか……旦那の株が急上昇していますね?!彼には内緒にしておこうっと。いっつもブログで書きたい放題してるって文句言われてるので……。こんなふうにいいことも書いてるよって言うのだけど、それはまたそれで、彼にとっては照れ臭いようです。男心も複雑ですね。

ピアノを弾き始めて初めて、人のことを気にせずに弾ける家に越すことができて、それだけでもうすごく幸せだったのに、2台のピアノを並べて、友人と演奏し合えるようになりました。ほんとにわたしは幸せ者だと思います。支えてくれる人、一緒に喜んでくれる人、すべての人に感謝の気持ちでいっぱいです。

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ありがとうchi-koさん! (まうみ)
2009-11-16 23:42:49
このブログを最初からさかのぼってって……chi-koさん……そんな無謀な……。しゃべらな性格やもんで、長ったらしい記事をほぼ毎日……申し訳ないやらありがたいやら……すんません。
旦那のこと、一緒に暮らしてるわたし並みに知ってくれてはるchi-koさんに、めちゃかっこいいって言うてもろたら、彼はきっとデレデレに照れるやろと思います。

ほんまにわたしの人生には、もうあかん!とか、おいおいどないする?とかいう時がぎょうさんあったんですけど、そういう時には決まって、いろんな神さんがダァ~ッと寄ってきてくれはって、指さしたり、腕引っ張ってくれたり、背中を押してくれたりしはるんです。
こんな恵まれた人間、そうはおらへんでって、自分でもしみじみ思てます。そやから、どんだけ感謝しても足りません。祈っててくれてほんとにありがとうchi-koさん!

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