杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

高校生の朝鮮通信使認識度

2010-04-30 10:43:02 | 朝鮮通信使

 4月27日(火)夜、久しぶりに静岡県朝鮮通信使研究会例会が開かれ、北村欽哉先生が『朝鮮通信使を中心とした江戸時代の外交に関する高校生の認識度』という興味深いお話をしてくださいました。

 

 

 

 先生は長年、高校で日本史を教えておられ、朝鮮通信使の研究を始められてからは、歴史教科書にどのように取り上げられ、現場の教師がどう教えてきたか、また生徒はそれによってどの程度理解したのかを追跡調査されています。「学校でどう教わったか」が、やっぱり大人になってからの歴史観や国際交流に臨む姿勢に大きな影響を与えるからなんですね。

・・・かくいう私も、歴史は好きな授業だったのに、朝鮮通信使のことをきちんと教わった記憶がまったくなく、3年前、映像作品『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』の制作に関わるまで理解も関心も持たずに来てしまいました。

 

 

 北村先生は、1996年に県立高校5校(普通高3校、職業高1校、定時制高1校)併せて391人(うち1年生が6割)を対象に、さらに2009年に県立高校3校(普通高2校、職業高1校)併せて390人を対象に、朝鮮通信使への認識度を調査されました。

 

 それによると、96年調査では朝鮮通信使のことを「まったく知らない」が72%、「ほとんど知らない」20%、「ある程度知っている」6%という結果。“ほぼ全滅”状態でした。

 

 彼らが使っていた歴史教科書に記述がなかったかといえば、決してそうではなく、すでに昭和50年(1975)の東京書籍版には、『中国とは正式な国交は開かれず、商人が往来するだけであった。朝鮮とは、家康のときに国交を回復してから、将軍が変わるごとに慶賀の使節が来る慣例となった。また琉球では15世紀初めに統一政権が成立し、人々は中国胃や南方との貿易にかつやくしていた』と、通信使という表記こそありませんが、家康が朝鮮との国交を回復させたことも、使節団の存在や目的もきちんと紹介されています。

 

 昭和62年(1987)版になると、朝鮮使節の行列図が登場し、さらに平成5年(1993)版では『…将軍がかわるごとに慶賀の使節(通信使)が来る慣例となった。その連絡に当たった対馬藩は、貿易を行うことも許され、朝鮮の産物や中国の絹なども輸入した』と、通信使という言葉が登場します。ちなみに通信とは“信を通わす”という意味で、ビジネスライクな“通商”よりも親しい交流関係を指します。

 「慶賀の使節という、ややインパクトに欠ける表現のせいかもしれないが、生徒たちの理解度不足の最大の理由は教える側が朝鮮通信使を理解していないことにも起因するのではないか。かくいう私も、15年ほど前に地元の寺の名前の調査をしていたときに扁額に書かれた『朝鮮』の文字に気づき、友人からアドバイスを受けて初めて朝鮮通信使ということがわかった。それまで授業でも朝鮮通信使をきちっと教えた記憶がなかった」と振り返る北村先生。おそらくほとんどの社会科の先生がそうだったのでしょう。

 

 

 

 

 13年経た2009年の調査では、「まったく知らない」が21%、「ほとんど知らない」31%、「ある程度知っている」が44%。「大変よく知っている」も5%という結果で、高校生の朝鮮通信使に対する理解度は飛躍的に前進しました。この10数年の間、アジアへの関心の高まりや、朝鮮通信使の再現行列が各地のイベントで行われる等、教科書以外に通信使のことを知る機会が増え、若い人の意識にも大きな変化が起こったようです。

 

 

 ただし、江戸時代の外交全般の理解度(%)となると、96年→09年ではあまり変化がなく、「江戸幕府と交流した国といえば①オランダ・中国39%→38%、②オランダ9%→6%、③オランダ・中国・朝鮮5%→6%」という結果

 北村先生は「多くの歴史教科書が江戸時代の外交のことを“鎖国の結果、わずかに長崎の窓を通して中国およびオランダから世界の知識を得たにすぎなかった。…日本人の大多数は世界の動きも知らず、泰平の夢をむさぼり続けた”というトーンで書いてきた。教科書に載っている長崎港の絵も、シーボルト著「日本」にある出島の部分を中心に描いた絵がほとんど。本来は円山応挙の長崎港之図のように1万坪近くあった唐人屋敷(出島は約4千坪)をきちんと描いた全体図を載せるべき。明治以降、欧米に傾倒してきた結果、事実とは違うオランダ中心の鎖国史観が形成され、生徒も教師もそのような見方から脱出できないでいる」と検証しています。

 

 

 

 2009年の調査で、ある学校では朝鮮通信使のことを大変よく知っている2人、ある程度知っている28人、ほとんど知らない10人、まったく知らない0人というクラスもあったそうです。先生は、「高校1年生対象だったので、これは中学の時の教員がしっかり教えていた成果だと思う。教科書や教員の指導体制が少しずつ整い、この先、前進していくものと期待されるが、“鎖国”という言葉があまりにも一般化していて、国を鎖すと聞いただけでオランダ以外との交流、朝鮮との交流が無かったことにされてしまう。研究者・専門家には鎖国を克服する用語の開発を期待したい」と締めくくります。

 

 

 

 

 以上のような調査報告書を、北村先生は手弁当で制作し、我々一般市民にも丁寧に解説してくださいます。教科書の作成に携わる専門家や、朝鮮通信使の取り上げられ方について一家言持たれる研究者は、こういう地道な調査や声にどんな反応を示されるのでしょうか。

 

 


お茶摘み交流会IN藤枝

2010-04-27 23:27:18 | 吟醸王国しずおか

 24日(土)~25日(日)の2日間、藤枝市の人と農・自然をつなぐ会(無農薬茶の会)が主催する第34回お茶摘み交流会に参加しました。先日、吟醸王国しずおか映像製作委員会斗瓶会員の地域見学ツアーでお世話になった杵塚さんにお礼がてら、自宅の冷蔵庫にある未開封&飲みかけ酒と寝袋を持参して、斗瓶仲間のオフィストイボックス(デザイナー)高島さん&櫻井さんペアと3人でうかがいました。

 

 24日は小雨が降りしきる寒い日。しかし会場となった杵塚家のそばの集会所には、100人を超える参加者でごったがえしています。県内外から集まった学生、子連れファミリー、サラリーマン、中高年夫婦、女性グループ、外国人等など、「老若男女」ってズバリこういう集団を指すんだとナットクできるほどあらゆる年齢階層の人々がそろっています。

 

 Imgp2206 集合時間の13時を過ぎると、集会所の奥の部屋でお茶の手揉み体験が始まりました。手揉み師の作業を取材したことはありますが、自分で揉むのは初めて。揉んだ後は手のひらの内側がつるつるピカピカしていて、緑茶のなんともいえない上品な芳香がただよってきます。お茶が石鹸や化粧品に使われる理由がなんとなく解りました。

 

 14時ぐらいから、集会所中央の大部屋でそば打ち体験がスタート。そば打ちも、体験施設の取材は何度もしていますが、自分で打つのはほとんど初めて。粘土遊び感覚の子どもImgp2222たちや、何から何まで興味津津という外国人に混じって、こねたり広げたり刻んだりと、ひととおり体験させてもらいました。

 そば打ちの経験や趣味があり、一家言ありそうな人が、それぞれ自分の打ち方や時間配分を押しつけようとして、「教えてもらったやり方と違うじゃん…」と内心ムッとしたりして(苦笑)、あぁ、だから手打ちそばってハマる人が多いんだな~とナットクしました。

 

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 16時からは、アメリカのお茶専門誌『World Tea News』の主筆・リンジー・グッドウィンさんが、アメリカの緑茶事情について興味深い講演をしてくれました。

 

 『World Tea News』は5年前に創刊し、2年前から週刊発行になった専門誌だそうで、「こういう雑誌が毎週発行され、お茶専門のジャーナリストが執筆する場があるということは、それだけアメリカにお茶ブームが起こっているわけです」とリンジーさん。

 

 アメリカで緑茶が注目され始めたのは90年代以降で、2005年ぐらいから本格的にブームとなり、専門店が次々とオープンしました。ブームの発端は「健康にいい」からだったものの、アメリカでは健康食品は効能表示が厳しく、「健康にいい」をお茶の謳い文句にするのは難しい。かといって、嗜好品として見たら、「苦い」Imgp2227 「体にいいお茶は往々にして美味しくない」というイメージでとらえられます。

 サンフランシスコの『サモーバ』というお茶専門カフェで素晴らしい緑茶に出会ったリンジーさんは「お茶が美味しくないという先入観は、間違ったお茶の淹れ方や質の良くないお茶が原因。アメリカ人は日本のお茶のことを正しく知る必要がある」と強く思ったそうです。

 

 アメリカ人が知るべき日本茶の知識としては、

①淹れ方、とくに湯を冷ます・短時間で注ぐなど紅茶との違いを知っておく、

②緑茶のほか、ほうじ茶や玄米茶など幅広い味を試し、日本茶の旨みを体感する。抹茶味のチョコやスイーツはアメリカでも人気があるが日本産以外の抹茶も少なくない。なぜ日本産がいいのかを知る必要がある、

③茶文化を知る。茶の湯や茶室空間の意味や、産地・製茶の技術など。コーヒーのことはよく知られるがお茶の産地や製法はほとんど知られていない。

 

 「アメリカには様々な国の茶文化が混在し、それらが融合してアメリカ独自の茶文化が生まれつつある。茶の湯、わびさび、和菓子の味わいなどもアメリカ人はまったく新しい文化として柔軟に受け入れ、アレンジする。そんな文化的興味と、お茶の味そのものへの理解を深めていきたい」と語るリンジーさん。こういう人が藤枝の山奥まで来てこういう話をしてくれるなんてスゴイ!と単純に感動してしまいました。

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 夜は、摘みたて山菜の天ぷらや煮物を肴にした大宴会。私も吟醸王国しずおかのPRと、持参酒の紹介をし、県外からの参加者にはとくに「日本酒がこんなに美味しいなんて」と喜んでいただきました。こういう場でいい酒をケチらないのが地酒伝道には必要なんですね(笑)。

 

 宴会の後は、20年前の大学教授の講演ビデオを観賞し、無農薬の茶畑より農薬をかけた茶畑のほうが害虫が多いという科学的説明に一堂ナットクしました。面白かったのは二番茶を紅茶にするとき、害虫の中の害虫といわれるウンカがかじった茶葉が、なぜかものすごい美味しい紅茶になるという話。アジアの紅茶産地でも同じだそうです。ウンカのついた茶葉は、自分で細胞を再生させようとさまざまな酵素を作り出そうとする。その酵素が紅茶製法にプラスに作用するのでは?とのことですが、はっきりした理由はまだ解明されていないそうです。歴史の長い飲み物なのにまだまだ未開拓の部分があるんですね…。杵塚さんには「ウンカの紅茶ってプレミアつけて売れるかも(笑)」と提案しました。

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 翌25日は快晴で、お茶摘みには絶好の陽気。低温の影響で茶葉の生育が遅れる中、無農薬茶の会のみなさんがいろいろと準備をしてくれて、摘み取り可能な高地の茶園まで案内してくれました。

 

 

 日焼けを気にしながらお昼前までたっぷり茶摘みをして、お弁当をいただいて終了。まる24時間、お茶の里の暮らしに浸かり、全身が浄化された気分になりました。と同時に、自然と向き合い、生きる糧を育てて供給する仕事の偉大さを改めて学びました。

 

 こんな充実した体験交流会を34年も続けておられる杵塚さんファミリーと、無農薬茶の会のみなさまに心から感謝いたします。灯台もと暗しといいますか、身近でこんなに素晴らしい体験ができることの幸せをかみしめています。ありがとうございました。

 なお交流会の様子はこちらもぜひご覧ください!


ただいま~それぞれの居場所

2010-04-25 20:57:48 | 映画

 東京が真冬日に逆戻りしたような先週22日(木)、有楽町のニュートーキョー数寄屋橋本店に取材。こういう陽気の日だと、さすがのニュートーキョーでも生ビールが恋しい気分にはなれず、かえって取材に集中できたかも(苦笑)。もっとも、取材対象は生ビールではなく、静岡県産の馬鈴薯を使ったポテトメニューで、こちらは熱々ホクホクで大変美味でした!

 

 この日は東中野まで足をのばし、ポレポレ東中野で上映中のドキュメンタリー映画『ただいま~それぞれの居場所』を観ました。設立23年になるケア付き福祉施設『元気な亀さん』と、介護保険制度開始以降、介護の本質に真摯にP1000004 向き合う若者が自ら設立した3施設を取材した作品です。

 

 

 どの施設も、他の施設やグループホームで居場所をなくし、追い出されたような利用者を受け入れています。介護保険制度下の画一的なサービスを超えた、利用者一人ひとりのありのままを受け入れる―それを担う20代30代の若者たちの姿が、まず美しい。若者たちと高齢者さんたちのコミュニケーションギャップが、なんとも微笑ましく、観ているうちに、人間とは立場や年齢に関係なくちゃんと向き合えば理解しあえる生き物なのだ、と今更ながら励まされます。

 

 

 テレビドキュメントではおそらく実名や顔にボカシが入るような状態の要介護者を、カメラは真正面からしっかりとらえます。

 少々のことでカッとなる元校長先生(79歳)、徘徊が原因で他施設を追われてきた知的障害の女性(62歳)、マラソン中の心筋梗塞で脳に後遺症を持った男性(58歳)、戦中時のことはよく覚えていても自分の妻の顔を思い出せない男性(80歳)、スタッフが「最期までお世話をしたい」と希望し、病院から施設へ戻ってきた女性(68歳)など・・・。そしてスタッフの若者の何人かは、自分の家族の介護問題を経験しているので、我が事のように向き合います。

 

 

 それぞれの日常を淡々と、それでも随所に深く考えさせられるメッセージをちりばめながら、観終わった後は清々しい余韻が残ります。

 

 「本当に素敵な人たち。でも周りの環境が悪ければ、うまく生きられないかもしれない」

 「苦手な人にもみんな同じように優しくしようとしなくていい。そのかわり情がわいたお年寄りには徹底的にしてあげなさい。そのほうがみんな力を発揮する」

 「出会った人が目の前で老いていく。けれど最期まで一緒にいることが達成感にもなる」

 「人間とは、人生とは、家族とは、とつねに考えさせられ、勉強できる。介護の仕事って面白いんだよ」

 

 

 …スタッフの生きた言葉だけに胸にグッときます。私のような介護部外者でさえそうですから、介護職や家族の人が観たら、本当に琴線を揺さぶられることでしょう。劇場は平日にもかかわらず、大勢の観客で、終了後にはわざわざ大宮浩一監督が挨拶に来てくれたほど。1部1000円のパンフレットもよく売れていました(私も購入し、おさらいしながらこの記事を書いています)。

 

 私もドキュメンタリー映画制作の渦中にいる者として、ドキュメンタリーとは、被写体との距離感の持ち方が難しいとつねづね実感していますが、本作を通し、被写体を信じること、ゆだねることの大切さを教えられました。

 こういう作品が、静岡でも上映されるとよいのですが・・・。


パイロット版試写&伊豆の酒販店めぐり

2010-04-23 16:45:59 | 吟醸王国しずおか

 4月20日(火)~21日(水)、久しぶりに伊豆を訪ねました。20日は東伊豆町商工会会議室で『吟醸王国しずおかパイロット版』試写&トークをやらせていただき、21日は伊豆の酒販店さんを3軒回って情報収集。20日は真冬みたいな寒さだったのに、21日はいきなり夏日で日焼け止めが必要なくらいの陽気で、車のエアコンを暖房にしたり冷房にしたり忙しい旅でした。

 

 東伊豆町の稲取温泉は、過去にしずおか地酒サロンを開催したり、静岡県商工会連合会しずおかうまいもの創生事業「つまんでごろーじ」でキンメダイの酒肴を企画したりと、伊豆エリアの中でもひときわ酒縁深いまちです。

 それもこれも、地元で長年、静岡の酒を伝道し続ける手打ちそば誇宇耶の山田慶一さんと、酒販店『吟酒むらため』村井篤さんのおかげ。伊豆の観光地は、それまでハッキリ言って“地酒不毛の地”だったのですが、彼らの地道な販促活動が奏功し、少なくとも稲取温泉の旅館ホテル・飲食店では、静岡酒、しかも喜久醉、國香、杉錦、志太泉といった通がナットクするラインナップ導入率が高いのです。

 

 

 山田さんには吟醸王国しずおか映像製作委員会斗瓶会員になっていただいて、映画制作のPRや資金調達の協力をお願いしたところ、さっそく稲取飲食店組合の総会に試写&トークをからませてくれ、お店の常連さんという某有名ミュージシャンを会員に誘ってくれました。いわゆる全国区の著名人が入会してくれたのは初めてだったので、斗瓶仲間も一様に喜び、大いに励まされたのでした。

 

Imgp2184  誇宇耶に行くと、自家菜園で育てた旬の野草で、みずみずしい酒肴を出してくれます。これに十割の手打ちそばと冷酒のカップリングは、酒飲みの琴線をブルブル震わせてくれます。7年前にしずおか地酒サロンの講師にお招きしたエッセイストの藤田千恵子さんは、2日連続して誇宇耶に通い、すべての酒肴をたいらげて満足されましたっけ!観光地の国道沿いにあるとは思えない、酒飲み向けの通な蕎麦屋さんです。

 なお、山田さんの尽力で実現した20日のパイロット版試写&トークの様子はこちらを参照してください。

 

 

 

 翌21日は、5月に下田でパイロット版試写を企画してくださる植松酒店さんを訪ねました。植松さんも地酒研発足当時からの長いおつきあいで、2000年の伊豆新世紀創造祭では『下田テイスティーアート』というイベントにからんで地酒サロンを開かせていただきました。このときはラリーライダー&エッセイストの山村レイコさんをゲストに、お泊りサロンで盛り上がりました。

 その後、植松さんは地元有志で下田自酒倶楽部を結成し、下田の米を使ったオリジナル酒『黎明』を企画販売しました。いきさつはこちらの記事を参照してください。 

http://www.izu-kankou.or.jp/special/izujin/021001/index.html

 

P1000003  『黎明』は下田在住の女優有馬稲子さんに命名していただき、富士高砂酒造で委託醸造した純米吟醸酒。21日にうかがったときは、新企画として地元の障害者施設への寄付金付きバージョンも。施設のみなさんの手すき和紙とデザイン画を生かしたそうです。観光地のPB酒というと、とかく地名や人名を利用しただけの話題先行商品が多いように見受けられますが、こういう、真に地域に根差したPB酒というのは素直に応援したくなりますね!

 

 

 

 次いで、全国の地酒が多数揃う、つちたつ酒店に寄って、開運の純米吟醸『高天神』をゲット。開運のお膝元・掛川市旧大東町産の山田錦で醸したこの酒、しずおか地酒研究会発足当時に山田錦研究家の永谷正治先生と一緒に県内山田錦栽培地を視察したとき、開運の蔵元でも山田錦栽培に着手したことを知り、酒P1000001になったときは、自分がラベルをデザイン企画させていただきました。

 

 

 「高天神」の文字のうしろに紹介コピーが薄~く印刷されているんですが、ちゃんと読んでくれる人はいないだろ~な~(苦笑)。販売先が限定されている酒なので、まさか下田で買えるとは思わず、他にも魅力的なラインナップがたくさんあったけど、ついつい懐かしくなって手に取りました。ちなみにこの店では某有名俳優がロケの帰りに『喜久醉』をゲットしていったそうです。

 

 

 

 最後に沼津のせりざわ酒店に寄って、沼津市内で地酒が飲める飲食店情報をいただきました。芹沢さんとは、98年に『地酒をもう一杯』を出版したときに取材でお世話になって以来でしたが、この冬、初亀醸造で撮影をしていた時、偶然、蔵で再会して、映画制作のことを知っていただいたのでした。県東部地区の酒販店では製作委員会会員店が少ないので、ぜひお願いしますと頭を下げて帰りました。

 

 

 地酒と直接商売がからむ酒販店や飲食店との付き合い方には、今も戸惑うことがあって、こちらから発信する情報を受信してくれるかどうかに賭けるしかない、とも思っています。

 それでも、情報感度の高い首都圏の観光客や有名人が立ち寄ることも多い地域では、静岡酒のディープな情報を持っておくことは決して無駄ではないと訴え続け、ちゃんと受信してくれる売り手さんが頑張っています。未だに意識が低く、地酒を見下したり乱暴に取り扱ったりする業者がいるとも聞きますが、頑張る売り手が注目を集め、それがまっとうな方法なんだと評価されるよう、私も出来る限りサポートしていきたいと思っています。2日間の伊豆の旅は、そのことを再認識させてくれました。

 

 お世話になった売り手のみなさま、ありがとうございました。


藤枝市長表敬訪問

2010-04-22 22:41:13 | 吟醸王国しずおか

 今週は出ずっぱりで、やっとPCの前に落ち着いて座れました。寒かったり暑かったりで目まぐるしい週ですね。

 

 19日月曜は、吟醸王国しずおか映像製作委員会の有志で藤枝市の北村市長を表敬訪問しました。

 Dsc_8515 市長に表敬訪問といえば、地元出身の芸能人やオリンピック代表選手クラスの専売特許だと思っていましたが、酒縁とは不思議なもので、10日の斗瓶会員地域見学ツアーの交流会に藤枝市商業観光課の方が来てくれて、とんとん拍子に話が進みました。同課の方は、昨年3月の『藤枝地酒プレスツアー』でご一緒し、7月の(財)静岡観光コンベンション協会年次総会でのパイロット版上映会&トークセッションも聴講し、個人で会員にもなってくれていたのでした。…でもまさか市長室にプレゼンしにいく機会をもらえるなんて…。

 

 

 対行政には少々辛い思い出がありまして、このプロジェクトをキックオフするとき、公的助成のことをいろいろ調べて相談に歩きました。静岡市では「地酒はうちの市では重点項目にしていないので」と相手にされず、県もあちこちのセクションをたらいまわしにされ、国ではほとんど子ども扱いされ、屈辱的な思いをさせられたのでした。

 最初から助成金をあてにするんじゃ、作りたい作品はいつまでたっても作れないと目が覚め、撮れるものはどんどん撮る、資金は自分で集められるだけ集めてみる、と腹を決めたのです。一番苦しくて先の見えない選択でしたが、品質を磨くために厳しい選択をしてきた吟醸王国しずおかの蔵元・杜氏の生き様が、背を押してくれたのでした。

 

 

 この間、個人クリエーターが身を削って作っている作品ということで、新聞やテレビが取り上げてくれて、取材でお会いした石川(前)知事からも「新聞見たよ、頑張っているようだね」と声をかけていただいたこともありました。だからって何か支援してもらえるわけではないけど、そのときは新酒鑑評会で県知事賞をもらったときの蔵元さんの喜びを疑似体験したかのような気分でした。

 

 そんな理想に燃える“白真弓”を、「キレイ事言ったって、カネがなけりゃ何も出来ないじゃん」と愚弄する“黒真弓”が、私の内でせめぎ合っています(苦笑)。

 

 

 プロジェクトを始めてそろそろ3年になり、だんだん“黒”の勢いが増してきた感のあるときに、銘醸地の市長に直接、映画制作の話ができるというサプライズ。…だからって市がスポンサーになってくれるわけじゃないし、一過性の話題で終わるんだよって黒真弓が囁く一方で、斗瓶会員の仲間に「一緒に行く?」と誘ったら、「着ていく服がないよ」「着物じゃ大げさかな?」と返事が来て、やっぱりタダゴトではない、名誉なことなんだ…!と改めて再認識しました。

 

 

 表敬訪問の様子は、こちらを参照していただくとして、今は偶然とも必然とも思える酒縁のお導きに素直に従い、真っ白な気持ちで理想の実現を目指そうと思っています。

 

 

 表敬訪問を実現させてくれた藤枝市役所の田中さん、斎藤さんはじめ商業観光課のみなさま、斗瓶会員の久留さんに、あらためて心から感謝申し上げます。わざわざ時間を作って表敬訪問に同行してくれたカメラマン成岡さん、デザイナー高島さん&櫻井さん、浜松から駆け付けてくれた神田えり子さん、ありがとうございました!